メソメソのblogー母が骨髄異形成症候群になる-

2017年3月16日、母が60歳にして骨髄異形成症候群と診断されました。
このブログは母の闘病記録して更新していきます。

タグ:HCU


父『メソメソ。話あるから来てくれ』


自宅にて。
父に呼び出され、リビングへ足を運んだ。


父は、転院の詳細を話しだした。
内容は下記のとおりである。


☆個室ではなく、4人部屋であること。
☆HCUでしか受け入れてくれないこと。
☆21日間しか置いてもらえず、超過すれば別の病院に転院させられること。
☆9月7日に必ず移動しなければならない事。



私『…そんな…』
父『希望を聞いておきながら、要望通りと話が違うままなんの連絡もなく、はいそうですかって言えるはずないやん』
私『…』
父『そりゃ、病院のベッドの事情もあるやろうから、個室が空けば転院したいって言うたんやけどね。無理やとハッキリ言われたわ。HCUに入らなあかんのは、人工呼吸器をつけてるからやと。一般病棟では診れないらしい』
私『…』
父『もともとな、血液の病気で入院したんや。自宅で肺炎になったわけちゃう。肺炎になったのは今の病院でなったもんや。だったら治らないにしても、、さい…ご、まで、看るのが筋じゃないんか…って、、父さんは言うたんや。それがなんやねん、治らないんで別の病院へ行けって…そこで死ね言うことやろ…そんなん、あまりにも殺生すぎるわ…!』
私『…』
父『だからな、メソメソ。転院の話、白紙に戻して貰お?こんなん、話と違う。奄美の姐さんたちに、申し訳なさすぎて合わせる顔があらへんっ…!!最期の時くらい、穏やかに過ごさせてやりたいねん…チカラを貸してくれ』
私『…おとーさんの気持ち、良くわかった。私も同じ気持ちやで。明日、前主治医に話聞いてもらお。一緒にお願いしよう』








家族説明室にて。


主治医に時間をもらい、
転院の話は個室で明るい部屋ならという事で了承したものの、
やはりこの病院で診てほしいと切実に訴えた。


希望が100パーセント通らないのはわかってはいた。
でも、コチラの要望がすべて却下されたまま話が進み、
特に連絡や確認がなく、
強制的に決定されたのが非常に腹立たしかった。


強制的に決定するのであれば…
あの話し合いは何だったのか。
何のために何度も希望を聞いてきたのかわからない。


主治医『転院の調整は、医師同士でするのではなく、地域連携という部署がするんです。僕のほうにも昨日夜メールが来ていて、先ほどの話とまったく同じ内容が書かれていました。家族さんがとても怒っているので、そちらで何とかしてくださいと。。病院と家族さんの間に立ち、パイプラインの存在であるはずの彼らが機能していないので、正直困っています』


何と言われようと、
転院先の病院へは、もはや不信感しかない。


この病院の主治医であるあなたに最期まで診てほしい。
転院先の医師はちゃんと見てくれるのだろうか??
転院の話がきちんと伝達できていないのに、
カルテの引継ぎなどきちんとできるのか??


何とかこの病院で置いてもらえないか、
他のフロアでの療養は無理なのか、
緩和ケア病棟へ置いてもらえないのか・・・・、


何度も、何度も何度も何度も頭を下げ、お願いし続けた。


それでも・・・話し合いは平行線のままだった。
転院の申請をだしてしまった以上、
覆すことは出来ず、強制的に転院を余儀なくされた。


父『せめて・・・せめて、9月11日まで延期させてください・・・』


9月9日、10日に二人の姉たちが先にやってくる日。
最後の頼みだから、と二人で頭を下げ続け
主治医は、なんとか調整してみますと返事をしてくれた。


こうして、母の転院の延期(9/7→9/11)は決定した。
精神的に、本当に限界だった。



page5へつづく。







         



救急車の中。


母の心電図モニター音だけが静かに鳴り響く中、
救急車は目的地へ移動し始めました。


母は、キョロキョロと目だけを動かし、
やがて私へ視線を向けました。


私は母の体に手を置いて、静かに語り掛けました。


私『雨降るかなって心配だったけど、少し晴れてきたね』
母『・・・・・』
私『今ね、堤防沿いを走ってるよ。右側が海なんやけど・・・見えないね(笑)』
母『・・・・・』
私『あっもうすぐ、オークワ(スーパーの名前)の前を通過するよ』
母『・・・・・』
私『トンネルはいったよ。もうすぐ、病院着くよ』


母は、いつのまにか目を閉じていた。
私『せっかくのお出かけやのに~(笑)寝てたら勿体ないで!』
少し冗談ぽく言ったが、それでも母は軽く目を閉じたままだった。


病院へ到着するまでの約15分間、警報アラームが鳴り響くことなく
無事にHCUへ入室完了。


看護師長『こんにちは、家族さんですか?』
私『はい、そうです』
看護師長『これから人工呼吸器のセッティングに入りますので、ご家族さんはデイルームでお待ちください』
私『あ・・・わかりました』
母『・・・・・・』



母は、不安そうに私を見ている。


私『おかーさん、また、あとでね!』


手を振り、1人デイルームで待つ。
他の家族さんが、楽しそうに食事をしながらの、にぎやかな環境。
私は、落ち着かずため息ばかりが出る。


しばらくして、父が来た。
2人で、看護師さんの呼出を待っていると・・・
先ほどの師長さんがやってきてくれた。


看護師長『お待たせして申し訳ありません。ご挨拶が遅くなりました、私は看護師長の○○と申します。準備が整いましたので、どうぞこちらへお入りください。HCUの面会時間やルールなどは、担当看護師から後ほどお話しさせていただきますね』


言われるがまま、案内された部屋は・・・
カーテンで仕切られた、
4区画分の1スペースのみ。



さらに、人工呼吸器&心電図モニター&支柱台(点滴)をベッドサイドへ置いてるので
本当にせまく、ロッカーがあるのに目の前に人工呼吸器を置かれていたため
ロッカーを使用するのは困難だった。


父&私『・・・・・・』


しょうがないので、オムツやタオルなどを
窓の冊子部分へ置いた。
置けない分については、車へ引き上げることにした。


お向かいのベッドには、酸素マスクをつけたおばあさんが1名のみ。
時折、唸り声をあげていた。
声が言葉にならないような感じで、とにかく声が大きい。


HCU常駐看護師たちは、とにかく慌ただしい。
ファイルを投げ落とす音、ゴミを捨てる音などの物音がとても気になる。
言動が荒いのが目立つ。処置も雑。声かけもほぼない。
前病院に比べれば、レベルの低さが浮き彫りになるほどだった。


こんな、落ち着かない場所に母を・・・・?
どうやって療養しろと・・・・?


言いたいことは沢山あったが、父も私も言葉を飲み込み、
これからお世話になります、と頭を下げた。


父は、どうしても片づけなければならない仕事があるので、
一度会社に戻ると言い、
私は母の容態が落ち着くまで傍に居るようにした。


父が『また、夜来るから』と手を振った。
母も手を振ったが・・・・その時の表情が何とも言えず、
父も泣く泣く病室を後にした。


『・・・・どうして個室じゃないの・・・・・?』


母が手を振った時、そんな表情だった。


ほどなくして、医療事務の方が挨拶にきてくださり、
病院のパンフレットと入院するにあたっての同意書を持ってきた。


その後、私はつとめて明るくおかーさんに話しかけていたが、
カーテンの外の声のほうが大きく、私の声がかき消されてしまい・・・、
母は『聴こえない』と何度も耳を傾けてくれた。


私は筆談で母と会話しようと試みるが、
母は、筆談をする元気がなく、筆談を拒まれた。


母の前病院での容態を問診するべく、看護師がやってきた。
担当看護師は挨拶もせず、名乗りもせず、愛想もなく、
ただ言われた事だけをもくもくとこなすような人。
そして、ミスが多いのか同僚に怒られているのが目立った。


『こんな人が担当なんだ・・・・』


思ってはいけないことは百も承知だが、
ただでさえ転院のことで頭を悩ませていたのに、
この看護師の存在で余計な心配事がまた増えた。


部屋は太陽の光が良く入る、明るい部屋だった。
病室は確かにきれいである・・・・が、
こんな落ち着かない場所では、
母の容態はさらに悪化するんじゃないか・・・と
不安をぬぐいきれずにいた。


そして、看護師長がまた訪ねて来てくれて、
少し話がしたいと言われたので、
母に『ちょっと席はずすね』と伝え、
師長と、地域連携部署?の2名と共に、会議室へ入室した。


page3へつづく。











このページのトップヘ