メソメソのblogー母が骨髄異形成症候群になる-

2017年3月16日、母が60歳にして骨髄異形成症候群と診断されました。
このブログは母の闘病記録して更新していきます。

タグ:電話



会社にて。
母の死を悲しむ暇がないくらい、
トイレ行く暇が惜しいほどに
こんな時に限って、結構慌ただしかったりする(笑)
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通常の出荷業務に加え、9月20日〆(プチ)決算。
常に電話は鳴り続け、FAX対応に追われる。
商品が届いていない、不良品があったなどのクレーム処理。
顧客からの、商品の見積もりの案件。
9月25日へ支給する従業員の給料の配当、手配。
請求処理、支払い明細作成。





忙しすぎて頭から煙が出そうな勢いである。
てゆーかハゲそう!


仕事の合間をぬって、
母の訃報を各取引先へFAXを流した。
組合にも。

途端に電話のコールが数倍増しに('A`)ヴァー


だれかぁー
でんわとってぇーーーーーwwww


事務所に私ひとりなので、
まぁ~~~対応など限られてますわな。
ここまできたらもう、開き直るしかない⊂⌒~⊃。Д。)⊃!

と、そこへ父から電話。

父『これからメソメソ宛に葬儀屋の業者から電話が入るから、インタビューに答えてやってくれ』
私『えっ?』
父『手紙のようなものを作成するので、簡単に答えてくれれば勝手に文章考えるみたいやから』
私『・・・簡単にって・・・応えられるかわからんけど、まぁわかった』
父『忙しいのにすまんな。わしより、メソメソのほうがうまく答えられると思ったんや』


業者からの電話は、昼にかかってきた。
質疑応答の内容は、母の性格や経歴、一番の思い出などだった。


私『・・・・・・』


父からの電話で依頼されたときは、軽く返事したものの・・・
これ、結構メンタル的にキツかった~~~( ;∀;)
だって、母の事を思い出しながら、、、だし
声が震えるし泣けてくるし、仕事はワンサカあるわけで
まともに応えられるはずもなく^^;


私『すみません・・・伝えたい事沢山ありすぎるので、原稿を作成し、書面で提出します』


業者は5時までに提出お願いします、と言い
私は『必ず仕上げます』と伝えた。


原稿は下記の通りです。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
●●葬祭 ご担当者さま

2017年9月22日 (母の名前) 61歳 永眠
著:○○ ○○(長女)




≪性格≫

母は明るくて、前向きで、かかわりあうすべての人に
やさしく接することが出来る人でした。

人望が厚く、誰からも好かれる人。
どこで何をしていても常に楽しそうに取り組んでいました。
物欲が無く、物をいつまでも大事にできる人でした。

『絶対治す』『大丈夫だから、泣くな』と周りに元気と活力を与えつづけ、
病気が発覚し、最後の刻を迎えるまで諦めることなく頑張り続けていました。

人に弱みを見せたがらない母は、泣きたいのは自分のほうなのに、
心配をかけまいとして常に気丈に振る舞い、
たいしたことなかったかのように日常へ戻りたかったのだと思います。


≪生涯≫
奄美大島出身の母は、
9人兄弟のうち5番目の子供、三女として誕生しました。
高校卒業まで奄美大島で暮らし、大阪へ上京。
3歳年下の父と出会い、結婚。

その後、長女(私)、長男(弟)の二人の子供に恵まれます。
子供が大好きだった母は、沢山たくさん子供が欲しい、
子供たちに囲まれて過ごしたい、常に言っていたそうです。
子供の為、家庭のために、支え続け、一生懸命でした。

結婚してからは専業主婦でおさまることはなく、
常にパート勤務で働いていました。
パート勤めが終わってからは子供たちの塾の送迎、
長女のバレーボールの試合の応援、
そしておいしい食事をたくさん作ってくれていました。

中でも母のトンカツは固すぎて、
あまりおいしくなかったのを覚えています。

それでも、家族みんな残すことなく、きれいに完食しました。
通学中は、毎朝早起きして、お弁当を必ず用意してくれました。


子供たちが成人し、長女は結婚。
父と、長男の3人暮らしが始まりました。

数年後、母に転機が訪れます。

今から約15年ほど前に遡りますが、
父が勤め先の会社を引き継ぐことになり、
母は経理事務として入社することになりました。

これまでパソコンや会社経営の事務、
会計など携わったことがない母にとって、
毎日が苦労の連続だったようです。

不慣れで、怒られながら、
失敗しながらも父と二人三脚で切り盛りし、
父から離れていくことなく常に支え続けていました。


会社の軌道がのりはじめた数年後には、
長男、祖父(父方)、長女、長女の夫も加わり、
会社運営にさらに磨きがかかります。


土日祝日関係なく、会社に出勤してきては
溜まった事務作業をこなしていた母。

『電話がかかってこない分、仕事がはかどるからラクよー』

とよく言っていました。

休めていないようだったし、
せめて1日くらい休んだら?と声をかけるものの、

『経営者になったらわかるよ。大変だけどね!商売って面白いよ

と笑いながら語っていたのを覚えています。

母はよく季節の変わり目に体調を崩しては
会社を3日間ほど休養していました。

症状としては、主にめまいと吐き気、時々熱もだしていました。
そのたびに血液検査などを行うのですが、特に異常は見られず。
医師からは『疲れているのでしょう』と言われ、
薬を飲み、休めば体は回復しました。


病気が発覚したのは2017年3月17日。
血液中に異常がみつかり、入院を余儀なくされました。

それから約5か月間、闘病をし続けた母。
抗がん剤の副作用で体はつらいはずなのに、
点滴を振り回しながらラジオ体操をするなどして元気度をアピール。

治らない病気、治りにくい病気と言われながらも
なんとか治してみせると信じて、
先生の言うことを素直に聞き、病魔の恐怖と闘い続けました。

5か月の闘病の末、9月22日午前1時12分。
家族に見守られながら、静かに、眠るように旅立ちました。




≪思い出≫
長女は生まれつき体が弱かったため、
よく病院に連れて行ってくれたのを覚えています。

高熱で苦しみ、ぜんそくで息苦しく眠れないとき、
背中をさすってくれて、私が寝付くまで夜通し起きていてくれました。

そのたびに
『強い体に産んであげられなくてごめんね』
謝ってくれました。


買い物に連れて行ってくれたり、
部活のたびにお弁当作って応援にきてくれたり、
泣いていると抱きしめてくれたり、
父親に怒られたあとは母がなだめてくれたり、
祖母や祖父の面倒をよく見て、
家族旅行は本当にたのしくて、
私たち家族にとって最高の母親であり、
最高の女性であり、
私は母の娘で良かったと思っています。

誕生日のたびに
『産んでくれてありがとう』
と何度も言いました。

唯一、母孝行が出来なかったことと言えば、
母に孫を抱かせてあげられなかったこと。

母は、私が産んだ子供の面倒を見たいと話してくれていました。
叶えてあげられず、本当にごめんなさい。




≪贈る言葉≫

おかあさん。
おかあさんのために、こんなにたくさんの人が集まってくれたよ。
すごいね。おかあさんのこと、大好きな人たちでいっぱいやで。

みてますか?聞いてますか?

お別れは本当につらいです。離れたくない、寂しい、そばに居たい。
連れてってほしい。でも、そんなこと言うたらおかあさん絶対怒るよね。

おかあさんに教えてもらった事、人を思いやること、
そしてそれは、全部自分に返ってくること。

全部、ココに引き継ぎました。
人にやさしくするって、すごく難しいよ。

おかあさんみたいにうまくできないけど、
助けてもらいながら、協力し合いながらがんばるね。
天国で見守っててくださいね。
大好きなおかあさん。素敵な人生をありがとうございました。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

↑提出後、長すぎるためかなり割愛されました(笑)
ウン、確かに長いー(笑)





夕方、弟が関西空港へ奄美の姐さんたちを車で迎えに行き、
寝不足のまま、なんとか残り4名で業務を終了することができた。


さぁ、これでひと段落だぁ~・・・


という訳にもいかず(笑)
帰ったら帰ったで、母の友人たちに訃報を伝える作業に取り掛かる。
母のケータイを片手に、登録されている番号へ
片っ端から電話をかけた。


叔父と父親がある程度やってくれていたが、
全員には掛けていなかったようだ。


とりあえず連絡リストと母のアドレス帳を照らし合わせ
晩御飯を食べるのを後回しにして、、、
とにかく早く連絡しなければ!という一心で連絡しまくった。


親しいご友人なら話は早く、
突然の訃報に驚きながらもとても丁寧に対応してくれ、
そして死を悲しんでくれた。


中には疎遠になってしまっていて
『誰だったっけ?』と母の事を覚えていないかたもいらっしゃったので
しょうがないこととはいえ、説明にとても難儀した。


あと、連絡するうえで非常に困ったことがふたつあった。
まず、、、、


母のアドレス帳に登録されている、
すべてのご友人たちの名前が
ニックネームであること。


『苗字わからねぇ('A`)』


”みつこ”とか”まさお”などの、下の名前ならまだよい。


”あびぃ”とか”おかず”などの呼び名で登録してあるので
電話に出られた方に対し


『はじめまして。私は(母の名前)の娘の、メソメソと申します。失礼ですが、”あびぃ”さんの携帯番号でお間違いないでしょうか?』


と、聞くことになる(笑)(笑)
そして、もうひとつ。


奄美の友人なのか、
地元の友人なのか
わからない件ッ!



地元のご友人ならば、
都合さえつければお通夜または告別式に参列できると思う。


しかし、奄美のご友人たちともなると
飛行機の手配ができるかどうかに依るので
お通夜は無理だろうし、告別式に間に合うかどうかも怪しい_(:3 」∠ )_


・・・母の事を想えばこそ。
登録しているかた全員に連絡したほうが
きっと喜んでくれるはずだ。
大変だったけど、不思議と苦労だと感じることはなかった。


母の為に、精いっぱいやりたい。
最高の旅立ちの日にしたい。


page15へつづく。










(閲覧注意です)

9月22日(金)。
ブログの更新を終え、母の手を握りながら時計をみると
時刻は0時30分すぎ。


母の手は、少しだけ冷たい。


エアコンを切り、布団をかけなおし、手をさする。
冷えないように、冷えないように。
おかあさん。私が付いてるから。
大丈夫やで。怖くないよ。


ふと、母の異変に気付く。


私『・・・・おかあさん・・・・?』


突如、目をシパシパし始めた。
顔が小刻みに震えている。
アラームの音が、次第に加速する。


私『・・・・おかあさん、おかあさんっ・・・・』


しばらくして、痙攣はおさまった。
しかし、アラームは依然として鳴りやまない。


私『・・・・・』


髪をなで、肩をさすり、モニターを注視する。
酸素濃度は97%まで上昇していたが、心拍数は40台まで減少。
つないだ手のぬくもりが、
だんだん離れていく感覚に陥った。



再び、痙攣が始まる。
同時に、けたたましいアラームが鳴り響く。
まるで、母の叫びにもとれるような音だった。


体が引きちぎられそうな、、、
なんと形容してよいのかわからないが、とにかく恐怖感を覚えた。


私『・・・・おかあさん、すぐ、看護師さん呼ぶからっ・・・!』


力いっぱいナースコールを押し、
数秒後看護師さん2名がかけつけてくれた。


私『・・・・母の、痙攣がっ・・・あの、あの・・・っ』
看護師『・・・ほとんど、自発呼吸できていない状態です・・・』
私『・・・家族、に、す、すぐ電話、してきます・・・!!』


ケータイどこだっけ。。。
かばん、かばん・・・・ない、ない、、、ない!
ケータイどこ!!!
・・・・ソファにあった!!


私『おかあさん!お父さんたち呼ぶから!!待ってて!!!』


壁にぶつかりながらデイルームへ移動し、
深夜と言う事もあり、静かに廊下を移動しなければと思いつつ
はやる気持ちを抑え・・・急いで父へ電話を入れた。


私『・・・・・早く出て、お父さん・・・・!!』


長いコールの後、止む追えず呼び出しを中止。
続いて、旦那に電話を入れると、すぐに出てくれた。


私『・・・お願い、お父さんと弟を起こしてすぐに来て・・・・っ!』
旦那『わかった!』



その後すぐ父から折り返しの電話が来た。
同じように伝え、母の元へ戻る事数分後。


看護師さんが、聴診器をあて胸の音を聞いていた。
心電図モニターの脈拍は、20を切っていた。


私『・・・おっ、おかーさん!!おとうさんたち呼んだ!!』
看護師『ご家族さんは、どのくらいで来られますか?』
私『早くても、10分・・・15分ぐらいかかるかもしれません・・・っ』
看護師『わかりました。当直医呼んできます』


看護師が出て行った直後、
母の、脈拍はーーーーー・・・・・・・
父たちの到着を待たずして、
波形を刻むことをやめてしまった。



私『・・・うそやろうそやろうそやろ、おかーさん、もうすぐお父さん来るんやで!!それまでここに居ってよ、ねぇ!!!ねぇ、おかあさん!!!!!う・・・・わぁあああああ~~~~・・・・・・っ』


当直医が到着、一礼をして
脈をはかり、反射がないかどうか丹念にみてくれたのち・・・
当直医は、静かに告げた。


『9月22日、午前1時12分。お亡くなりになりました。。。。』


ーーーーー告知後。
私は、母の顔をしっかりと見る。
命が尽きる瞬間まで、顔を見ながら
懸命に父がくるまで待ってほしいと頼み続けた。

痙攣がおさまった母の表情は、
目はうっすらと開いてはいたが・・・心なしか、とても安らかだった。
瞳の色は、黒いまま。。。

痙攣が起こったのはほんの少しの時間だっただけで、
特に苦しむ風でもなく、痙攣はあったもののひどく暴れることもなく、
静かに息を引き取った。

人工呼吸器は、なおも母に酸素を送り続けていた。
しかし、脈拍は回復しない。
呼吸回数もカウントしない。
心臓マッサージもできない。

理由は、心臓マッサージの圧力により、
母の体内で出血が起こってしまう可能性があるからだ。
血小板の数値が10000(通常は30万)を切っていた母にとって、
体内出血を伴う処置は命取りになる。

息を吹き返したとしても、また苦しみが待っているだけ。
以上の理由から、心臓マッサージはできない、と言われていた。


泣きじゃくる私の背中をさすりながら、
看護師は私にやさしく告げた。


看護師『これから、お母様のお体を綺麗にさせていただきますのでデイルームでお待ちいただけますか?』
私『・・・・・はい・・・・・よろしくお願いします・・・』



看護師は私に歩調を合わせながら、
ゆっくりデイルームまで促してくれた。


ひとりぼっちのデイルーム。
窓から見える景色は、夜のネオンがキラキラと輝いている。
デイルームにはドアがないので、
静かに寝ている患者さんが近くに居るため泣き叫ぶわけにもいかず・・・、
嗚咽をこらえながら、呼び出されるまで出来るだけ静かに待ち続けた。


ほどなくして、旦那が来てくれた。


旦那『・・・・・・』


だまって、肩をさすり、傍に座ってくれた。


旦那『・・・・おかあさんは・・・?』


私は、首を横に振った。


旦那『・・・・・そうか・・・・・』


その後、弟、父も到着。
母のことを伝えた。


私『午前1時12分だった・・・間に合わすことが出来なくて、本当にごめんなさい・・・!!』


真夜中のデイルームには
母を愛して止まない家族の、悲痛な鳴き声がこだました。



page13へつづく。









師長『〇〇さん、この度は転院の件で病院同士の連携不足によりご迷惑をかけてしまい、誠に申し訳ございませんでした』


私『あ、、いえ。でも、希望していた個室には数日すれば移動できるんですよね??』


師長『…それが…』


※ここからは、8月下旬の話に遡ります※
≪前病院にて≫
父『転院しなければならない理由はわかりました。ですが、こちらとしても譲れない条件があるんです。明るい部屋で、個室を強く希望します。』


前主治医『個室でなければならない理由は?』


父『妻は、周りに対してとても気を遣うのです。喋れないし、筆談でしかコミュニケーションの方法がない。奄美の親戚が来た時に、相部屋だと狭い上に同室のかたに気を使うんですよ。同じ患者同士、しんどくて寝てるのに、騒がしくすれば気を悪くするじゃないですか?』


前主治医『はい』


父『この9月の連休に、奄美から親戚たちがスケジュールを調整し来てくれるんです。誰に気を使うことなく、時間の許す限り会わせてやりたいんです。妻にはもう、時間はあまり残ってないんでしょう…?』


前主治医『…お気持ちはよくわかりました。転院日程はまだ決まっていないのですが、9月に入ってからになると思います。受け入れ先の病院へ希望を出しておきますね』


父『…わかりました。都合をつけるためにも、なるべく余裕をもって早めに知らせてくださいね。』





数日後のある日。
夕方、母の病室で面会を楽しんでいると
ふたりの職員がやってきた。


地域連携『こんにちは、転院の件でお話があるのですが。ご家族さんですか?』


私『はい、そうです。転院の話ですね?』



ふたりの職員は、転院について希望はありますか?と聞いてきた。
おかしいな、前主治医に父からすべて話したはずなのに。
確認の意味でもう一度って事なのかな。
めんどくさ…


私『個室で明るい部屋なら、問題ないんですけど…』


連日のようにせん妄症に打ちのめされていたため、
早く出て行って欲しくて、簡潔に伝えた。


地域連携『わかりました。それでは今日、受け入れ先の病院へ申請書出しておきますね』


私『宜しくお願いします』


二人は、入室時間5分も居なかった。





それからさらに数日後。
登録外の番号から、私宛に着信が入った。


地域連携『地域連携と申しますが。今お電話宜しいでしょうか?』


私『あっはい!』


地域連携『転院の日程なんですが、9月7日になりそうなのです。都合は…』


私『えっ3日後!?』


地域連携『はい。この日で移動できそうなら、受け入れ先の病院へ返事します』


私『ちょ、ちょっと待ってください…7日で決定なんですか?!』


地域連携『そうですね、ほぼ決まりのようですが…』


私『9月に入ったら、とは聞いてましたけど、9月の連休に奄美の親戚たちが来るんで…あ、でも個室なら大丈夫かなぁ…あ!祖母の施設から施設への移動と被るかもしれないんです。父に確認しないと行けないので、明日のお返事ではだめですか?』


地域連携『んー、ちょっと困りますね…』


私『いや、困ってるのはコチラなんですけど…取り敢えず、この電話を切ったあと、すぐに父へ確認をします。何時までいらっしゃるんですか?』


地域連携『5時までです。直通の番号へかけてもらえないですか?』


私『今、病室を出てエレベーターホールに居るので…一旦戻ります』


地域連携『ああ、病室にいらっしゃるんですね。これから向かいますね』


私『あーはい、ではお待ちしてます』



父に確認後、祖母の移動日は1日ずらせる事が出来たため、
ひとまず7日で返事をするという事で父との話はまとまった。


地域連携の人は、5時半を過ぎても来なかったので、
父が面会交代に来てくれたため、
私も会社に戻りたまっている仕事を片付けた。


私が病室を出て数分後、
入れ違いで地域連携の担当者が来たようだった。
私とするはずだった話を、代わりに父が対応してくれた。


その夜、
父は項垂れながら帰宅することになる。



page4へつづく。







私『はい・・・はい。では、明日4時に伺います』



電話を切り、運転していた旦那が心配そうに見ていた。


旦那『・・・なんだった?』
私『・・・・・うん』


言葉に詰まった。
なんて言っていいのかわからない。
頭が割れるように痛い。
視界がゆがむ。


私『・・・あした、4時に父と弟の3人で話し聞きに行ってくる』
旦那『わかった』
私『血液検査の結果が出て・・・内容は、とても厳しいみたい』
旦那『・・・そうか・・・』
私『・・・・・』


帰ったら父と弟に何て言おう。
このあいだ面談したばかりなのに。
転院して、リハビリを頑張ろう。
治療は、体力が回復し人工呼吸器が離脱できたら
再開しよう・・・という話で終わっていた。


しかし・・・


この話には続きがあったのだ。


ICU入院時、父と弟のメンタル的な部分を考慮し
病院側に内容の厳しい話は控えてもらうよう頼んでいた。


なので、父と弟が相席していた面談時は、
主治医の配慮であえて話さなかったのだと言う。


何をどう伝えても、最悪の事態を連想させるような
言い回しになってしまいそうだった。


私の被害妄想だったらそれが一番良い。
ひとまず、主治医から話があるので4時から
時間を空けてほしいと短絡的に伝えた。


父も弟も、うすうす察しているようだった。


8月23日の面談日。


仕事がひと段落したので午後に会社を抜けて、
早く会いたくて、母のもとへ急いだ。


この日、母は拍子抜けするくらい元気だった。
普段通りのリハビリメニューをこなし、
LINEには『今日もリハビリ元気に頑張っています!やった』
みんなに報告をしていたほど。


熱が下がって、調子が戻ったようだった。
赤かった顔も、ふつうの顔色に戻っていた。


ただ、汗をものすごくかいていた。
尋常じゃない汗の量。
タオルでこまめに拭いてあげると、気持ちよさそうに目を閉じていた。
解熱剤が効いているのだろう、体が熱を逃がすため
汗をかき、体温を下げている。


黄色いタオルを頭に巻いてあげると
黄色のキノコのよう?な風合いになった。
ものすごく似合いすぎていて・・・
思わず吹き出してしまった。


おかーさんもつられて笑う。
鏡を見せて、と言われ渡したら


母『・・・・・!?』


目を見開き、いやだいやだと言わんばかりに
笑いながら首を左右に振る。


人工呼吸器が外れて酸素が漏れ、アラームが鳴り響いた。


私『もう、暴れるからー(笑)看護師さん飛んでくるやろ!』


おどけた態度の母が面白おかしくて、私は人工呼吸器を装着させた。
母は悪びれた様子もなく、ニコニコしている。
案の定、看護師さんがすっ飛んできた。


私『すみません、母がふざけてとれちゃいました^^;』
看護師『いえいえ。お元気になられたようで良かったです♪』
私『お忙しいのにすみませんでした(>_<)』


看護師さんが、こそっと耳打ちをしてきた。


看護師『今日の4時の面談ですが・・・』
私『・・・はい。聞いております。父たちは4時にきます』
看護師『わかりました。時間になったら呼びに来ますね』
私『お願いします』


4時からだった面談は、主治医の到着遅れにより
30分後に開始となった。


内容は・・・
私の被害妄想が的中する内容だった。


血球が徐々に下がってきていて、
マルトフィリアの脅威が、また顔を出し始めたらしい。
肺の線維化は悪くなる一方で、
容態はゆっくりと下降中。


転院の話が出ていたが、容態次第では難しいと言われてしまった。


食事は経管栄養を続けるか、
点滴のみで栄養補給をするか選択を迫られた。


経管栄養を続けるとなれば、この間のように高熱が出て
寿命を縮まらせてしまうかもしれない。



点滴による栄養摂取だと、今後移植を考えるのであれば
リハビリによる体力向上は望めず、非常に難しいのだそう。


いずれにせよ、どちらも延命治療の一環でしかない。


私たちが出した結論は・・・・
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page28につづく。










☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
ご無沙汰しています、メソメソですm(_ _"m)
私事ですが、ようやく引っ越し作業が落ち着きを取り戻し
ホッとした途端、私自身が体調を崩してしまい
ブログ更新が滞ってしまいました(笑)
アクセス数が減っていくのに恐怖を感じつつ←
また更新頑張っていきますので、
ご拝読よろしくお願いいたします!('◇')ゞ
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★


私『おかーさん、首には大事な機械がついてるの。これ、絶対外したらだめなやつ!』


つい、キツイ口調になってしまった。
母はみるみる表情が変わり、私に対して怒るのかと思いきや・・・
意外な事をクチにした。



母『・・・・ひ・・・・・・ひ・・・・・!!』


ドアのほうがとても気になるのか、
表情はみるみる強張っていき、
瞬きを忘れてしまったのかと思うほど目を見開き、
必死な表情で私に訴えかける。


私『ひ?ひって・・・・燃える火のこと?』
母『燃える火!そこ、燃えてる!!』
私『ドアのほうが燃えてるの?』
母『うん、うん・・・燃えてる!』
私『火、消してこようか?』
母『・・・・消さなくていい・・・・』
私『消さなくていいの?怖くない?』
母『・・・・怖い・・・・けど、大丈夫。メソがいるから・・・・』


そう言って、私の手をぎゅっと握る。


私『うん、わかった。傍にいるよ』
母『・・・・・・・・。』


時計をみると、いつのまにか面会時間はとっくに過ぎていて、
8時前だった。旦那に連絡しなければ。。。と思って
ケータイを取り出し、


私『ねぇ、おかーさん。旦那に電話してきていい?私の帰りが遅いから心配してると思うし。すぐ戻るから』
母『だめ!ここに居て!旦那って誰!?』
私『え・・・・旦那って、私の旦那さんやで?』
母『メソは結婚してないよ!電話しなくていいから、ここに居て!!』
私『んじゃ、ここで電話していい?』
母『・・・・・いいよ。』


私は簡潔に現状を話し、旦那に今日は帰りが遅いことを話した。
旦那に適当にご飯を食べてもらい、先に休んでもらうよう伝えた。
私も、夕ご飯はまだだった。
手をぎゅっと握って離さない母は、私の電話の様子を
不安な様子でじーーーっと見ていた。


次に、父へ電話を入れた。
長いコールの後、弟が出た。


私『もしもし?おとーさんは?』
弟『これから風呂はいるとこ。どうしたん?』
私『実はまだ病院にいるんやけど・・・おかーさんが寂しがって手を離さなくて(笑)ご飯食べてないので、急に言うて悪いんやけど、どちらか交代に来てくれんかな??詳しいことは病院で話すよ。おかーさんは大丈夫だから。』
弟『わかった。風呂から出たら声かけたあと、僕が交代に行くよ』
私『うん、ごめんね。』


電話を切った後、弟が来てくれることを伝えた。


母『え、なんで??』
私『ご飯食べてなくてさ。お腹ペコペコなんよ(笑)今すぐ食べて来ていいん??』
母『あかん』
私『そやろ?(笑)んで、弟呼んでここにご飯もってきてもらうねん(*'ω'*)』
母『・・・・・・・・』
私『そういえば、火は消えた?ドアのほうの』
母『消えた。』
私『そっか、良かったね^^』
母『・・・・・・・・・・』


奄美の姉さんの曲をかけてあげた。
面会時間は過ぎているので、音量を小さくして。


私『聴こえる?みっちゃん(一番上の姉)の歌声やで』
母『・・・・・・・・(首を横にふった)』
私『そっか。小さすぎて聴こえんのやね。また明るい時間にかけるね』


すると、主治医の先生が入ってきた。
私が居ることに驚いていた。
私は簡単に、これまでの経緯を説明をした。


主治医『夜は特に※せん妄症の症状が酷くてですね。せん妄症を抑える薬もあるにはあるんですが、体の事を考えるとあまり薬は使いたくないんです。ですが、昨日眠れていないようでしたし、自分で呼吸器を外したという事故の報告も受けています。メソさんも心配で帰れないでしょうし、今夜はよく眠れるようにお薬を使いますね。』


※せん妄症・・・意識混濁に加えて奇妙で脅迫的な思考や幻覚錯覚が見られるような状態。

※症状・・・「入院した途端、急にボケて(痴呆のように見える)しまって、自分がどこにいるのか、あるいは今日が何月何日かさえもわからなくなってしまった。」というエピソードが極めて典型的である。
通常はこういった障害は可逆的で退院する頃にはなくなっているので、安心してよい所見である。


また、高熱とともにせん妄を体験する場合があり、とくに子供に多い[2]大半の患者はせん妄を覚えており、苦痛な経験だったとの調査報告がある。せん妄は意識障害だから覚えていない、というのは全くの誤解である[3]

こういった症状をおこすせん妄という病態の背景には意識障害、幻視を中心とした幻覚、精神運動興奮があると考えられている。※ウィキペディアより抜粋※


母はしきりに文句を言っているようだった。
私はちゃんと寝ている、おかしくない、薬は嫌だと訴えるかのように。


私『おかーさん、何にも心配することないよ』
母『・・・・・・・』
私『先生はおかーさんの体の事よく知ってるから、辛いの取り除いてくれるって』
母『・・・・・・』
私『今夜はゆっくり眠れるよ。起きたらいつも通り、気分爽快になるよ』
母『・・・・・・・』


声が出ず、言いたいことを伝えられずもどかしいのか、情けなく感じたのか、
それとも嬉しいのか・・・、本心は定かではないが、母の目に涙がにじみでた。
私は、子供の頃母に頭を撫でてもらったように、
同じように前髪をかき分けながら優しくなでた。


私『おかーさん、泣くと呼吸器と喧嘩して息苦しくなるよ』
母『・・・・・・・っ・・・・・・っ』
私『昔、私が喘息で夜眠れないとき、こーやって頭撫でてくれたよね』
母『・・・・・・(ニコっと笑った)』
私『そうそう、そうやって笑ってると、良いことがあるよ。頑張ろうね。』


すると、弟がやってきた。


弟『姉ちゃん、お待たせ』
私『来てくれてありがとう。ご飯買ってくるまでの間、おかーさんの手、握っててくれない?』
弟『うん、わかった』
私『おかーさん、時々いろいろ言うけど・・・・うんうんって聞いてあげてくれる?』
弟『わかった』


弟が手を握ると、パッと嫌がって離した。


母『・・・・・!・・・・・!?・・・・・っ』
弟『・・・・かーさん・・・・・』


私に何か訴えていたが、うまく読み取れず・・・・
弟の手を握りたくないのなら、そのままでも良いと弟に伝え、
なるべく早く戻るからと言い、病院の売店へ買い出しに出た。


買い出しを終え、エレベーターホールにあるベンチに座り、少し一息ついた。
母の事を考えると、どうしても涙を堪えきれなかった。




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