メソメソのblogー母が骨髄異形成症候群になる-

2017年3月16日、母が60歳にして骨髄異形成症候群と診断されました。
このブログは母の闘病記録して更新していきます。

タグ:転院



※page3の冒頭に戻ります※

≪転院先の会議室にて≫


私『・・・数日後には、個室に移動できるんですよね?』


師長『・・・それが・・・個室はあるにはある、んですが、個室は一般フロア病棟にしかないのです。HCUのように常にスタッフが常駐しているわけではないので、緊急事態が起こった場合、迅速に対応するつもりではありますが、スタッフ人数が少なく、対応に関して大きな不安があるのです。ナースコールを押してもすぐ来れないことも多々あります。お母様の事を考えれば、HCUで24時間看護できる方が安心だと思うのですが・・・』


私『仰りたいことはよくわかりました。人工呼吸器をつけている以上、一般病棟では診れない、と言う事ですよね?ぶっちゃけ、前病院でもありましたよ?ナースコールが鳴ってもすぐに来てくれない事なんて。母だけが入院しているわけではありませんし、出来る限りの事をやっていただければ、私たちは満足なんです。そこは、私たち家族も理解はしています。理解しているうえで、個室が良いと希望を出しているんです。』


師長『・・・・、ですが・・・・・』


私『失礼を承知で申し上げますが、HCUの状態は、慌ただしすぎて落ち着いて療養できるような環境ではない印象でした。24時間看護体制が整っているにしても、狭いうえに慌ただしい、家族待機ができるスペースもない。病院は治療をする場であるので、私が言っていることはあくまでもワガママで、病院側からすれば非常識な意見だと思います。治療や処置は行えても、メンタルな部分に大きなダメージを与えるような気がしてしょうがないんです。師長さんの立場上、責任もあるでしょうし、すぐには返答できないことだと思っています。・・・治療が出来ない、と前病院で言われました。ここも、そうなんでしょう・・・・?緩和処置しかできないんですよね・・・?』


師長『・・・・そうです・・・・治療の施しようは、ない状態です・・・・』


私『だったら、HCUで24時間看護していただく必要はないです。助かる見込みがあるなら話は別です。母には、残された時間は少ないんですよね?面会するのに気を遣う、看護師さんが忙しそうにしているのを目の当たりにすれば、用があっても我慢してしまうのが母なんです。最後の時くらい、静かな環境で、静かに見守りたいんですよ。だから、個室がいいとさっきから言ってるんです。前病院では、容態を観察するために数日間HCUで預かり、それから個室へ移動できると聞いてしぶしぶ了解したんです。それが、人工呼吸器をつけているので個室への移動は無理であると。・・・・・話が違うじゃないですか!!』


師長『・・・・お気持ちはよくわかりました。一度、個室への希望の件は預からせてください。主治医と相談し、それから決定しようと思います。病室の都合がつき次第、移動できるよう最善を尽くします。』


私『・・・・あ、ありがとうございます・・・っ!!』





病室に戻ると、母は少しぼんやりしていた。


私『・・・・、おかーさん!ただいま!』


カーテンを開け、ちょっと大きめの声であいさつをした。
視線を移した母は、私に『オシッコ』と言い、
ナースコールを押した。


看護師さんはすぐそこ(カーテンの向こう)にいるのに、
パソコンをパチパチとタイピングしたままこちらへ来ない。


私『・・・あのう、すみません。オシッコなんですけど・・・・』


24時間完全看護、のはずが
ナースコールを押してるのにすぐそこにいるにも拘わらず、
声をかけてくれない状態。


看護師『はいー』


こちらを見るふうでもなく、
無言でズボンを下ろし、尿器をあてがう。


看護師『はい、どうぞー。いいですよー』


少し押し付けられて痛いのか、顔をゆがめる母。


私『あの、押し付ける力が強いのか、身を挟んでいるのかで痛いと思うんですけど・・・』
看護師『これぐらいじゃないと、漏れちゃうんでねー出すまでの間ぐらい、我慢してくださいよ』



母は私をじっと見て、私の方向へ指をさしている。
メソメソにやってもらいたい。いつもみたいに。
そういっているような気がした。


私『・・・・、あの、私にさせてもらえませんか?前の病院でも、させてもらっていたので。』
看護師『あ、そうなんですかー?じゃ、お願いします』



やはり看護師は視線を合わさず、
さっさとカーテンの向こう側へ消えた。


私『・・・・・はい、おかーさん。いつでもいいよ♪』
母『・・・・・(力なく微笑んだ)』



しばらく粘ってみるものの、
オシッコは、出ることはなかった。
母は、申し訳なさそうに手を合わせ


母『ごめんね』


と言った。
謝ることないよ、何か用事があれば私に言ってね。
そう言い、手をしっかりと握りしめると
母も、温かい手で握り返してくれた。





夜、7時30分。
面会時間が終了に近づき、もうすぐ帰らなければならない。
看護師たちの視線が、突き刺さる。


私『・・・・そろそろ面会時間終了だ。』
母『・・・・ありがとね』
私『ずっと付き添ってあげたいんやけどね。相部屋だし、ほかの患者さんのこともあるから・・・おかーさん、また明日来るね。絶対、来るから
母『うんうん。お疲れさま』


看護師に軽く挨拶をして、私は退室した。
夜が明けて、明け方ごろ・・・母の血圧は急激に下がっていった。



page6へつづく。










師長『〇〇さん、この度は転院の件で病院同士の連携不足によりご迷惑をかけてしまい、誠に申し訳ございませんでした』


私『あ、、いえ。でも、希望していた個室には数日すれば移動できるんですよね??』


師長『…それが…』


※ここからは、8月下旬の話に遡ります※
≪前病院にて≫
父『転院しなければならない理由はわかりました。ですが、こちらとしても譲れない条件があるんです。明るい部屋で、個室を強く希望します。』


前主治医『個室でなければならない理由は?』


父『妻は、周りに対してとても気を遣うのです。喋れないし、筆談でしかコミュニケーションの方法がない。奄美の親戚が来た時に、相部屋だと狭い上に同室のかたに気を使うんですよ。同じ患者同士、しんどくて寝てるのに、騒がしくすれば気を悪くするじゃないですか?』


前主治医『はい』


父『この9月の連休に、奄美から親戚たちがスケジュールを調整し来てくれるんです。誰に気を使うことなく、時間の許す限り会わせてやりたいんです。妻にはもう、時間はあまり残ってないんでしょう…?』


前主治医『…お気持ちはよくわかりました。転院日程はまだ決まっていないのですが、9月に入ってからになると思います。受け入れ先の病院へ希望を出しておきますね』


父『…わかりました。都合をつけるためにも、なるべく余裕をもって早めに知らせてくださいね。』





数日後のある日。
夕方、母の病室で面会を楽しんでいると
ふたりの職員がやってきた。


地域連携『こんにちは、転院の件でお話があるのですが。ご家族さんですか?』


私『はい、そうです。転院の話ですね?』



ふたりの職員は、転院について希望はありますか?と聞いてきた。
おかしいな、前主治医に父からすべて話したはずなのに。
確認の意味でもう一度って事なのかな。
めんどくさ…


私『個室で明るい部屋なら、問題ないんですけど…』


連日のようにせん妄症に打ちのめされていたため、
早く出て行って欲しくて、簡潔に伝えた。


地域連携『わかりました。それでは今日、受け入れ先の病院へ申請書出しておきますね』


私『宜しくお願いします』


二人は、入室時間5分も居なかった。





それからさらに数日後。
登録外の番号から、私宛に着信が入った。


地域連携『地域連携と申しますが。今お電話宜しいでしょうか?』


私『あっはい!』


地域連携『転院の日程なんですが、9月7日になりそうなのです。都合は…』


私『えっ3日後!?』


地域連携『はい。この日で移動できそうなら、受け入れ先の病院へ返事します』


私『ちょ、ちょっと待ってください…7日で決定なんですか?!』


地域連携『そうですね、ほぼ決まりのようですが…』


私『9月に入ったら、とは聞いてましたけど、9月の連休に奄美の親戚たちが来るんで…あ、でも個室なら大丈夫かなぁ…あ!祖母の施設から施設への移動と被るかもしれないんです。父に確認しないと行けないので、明日のお返事ではだめですか?』


地域連携『んー、ちょっと困りますね…』


私『いや、困ってるのはコチラなんですけど…取り敢えず、この電話を切ったあと、すぐに父へ確認をします。何時までいらっしゃるんですか?』


地域連携『5時までです。直通の番号へかけてもらえないですか?』


私『今、病室を出てエレベーターホールに居るので…一旦戻ります』


地域連携『ああ、病室にいらっしゃるんですね。これから向かいますね』


私『あーはい、ではお待ちしてます』



父に確認後、祖母の移動日は1日ずらせる事が出来たため、
ひとまず7日で返事をするという事で父との話はまとまった。


地域連携の人は、5時半を過ぎても来なかったので、
父が面会交代に来てくれたため、
私も会社に戻りたまっている仕事を片付けた。


私が病室を出て数分後、
入れ違いで地域連携の担当者が来たようだった。
私とするはずだった話を、代わりに父が対応してくれた。


その夜、
父は項垂れながら帰宅することになる。



page4へつづく。






救急車の中。


母の心電図モニター音だけが静かに鳴り響く中、
救急車は目的地へ移動し始めました。


母は、キョロキョロと目だけを動かし、
やがて私へ視線を向けました。


私は母の体に手を置いて、静かに語り掛けました。


私『雨降るかなって心配だったけど、少し晴れてきたね』
母『・・・・・』
私『今ね、堤防沿いを走ってるよ。右側が海なんやけど・・・見えないね(笑)』
母『・・・・・』
私『あっもうすぐ、オークワ(スーパーの名前)の前を通過するよ』
母『・・・・・』
私『トンネルはいったよ。もうすぐ、病院着くよ』


母は、いつのまにか目を閉じていた。
私『せっかくのお出かけやのに~(笑)寝てたら勿体ないで!』
少し冗談ぽく言ったが、それでも母は軽く目を閉じたままだった。


病院へ到着するまでの約15分間、警報アラームが鳴り響くことなく
無事にHCUへ入室完了。


看護師長『こんにちは、家族さんですか?』
私『はい、そうです』
看護師長『これから人工呼吸器のセッティングに入りますので、ご家族さんはデイルームでお待ちください』
私『あ・・・わかりました』
母『・・・・・・』



母は、不安そうに私を見ている。


私『おかーさん、また、あとでね!』


手を振り、1人デイルームで待つ。
他の家族さんが、楽しそうに食事をしながらの、にぎやかな環境。
私は、落ち着かずため息ばかりが出る。


しばらくして、父が来た。
2人で、看護師さんの呼出を待っていると・・・
先ほどの師長さんがやってきてくれた。


看護師長『お待たせして申し訳ありません。ご挨拶が遅くなりました、私は看護師長の○○と申します。準備が整いましたので、どうぞこちらへお入りください。HCUの面会時間やルールなどは、担当看護師から後ほどお話しさせていただきますね』


言われるがまま、案内された部屋は・・・
カーテンで仕切られた、
4区画分の1スペースのみ。



さらに、人工呼吸器&心電図モニター&支柱台(点滴)をベッドサイドへ置いてるので
本当にせまく、ロッカーがあるのに目の前に人工呼吸器を置かれていたため
ロッカーを使用するのは困難だった。


父&私『・・・・・・』


しょうがないので、オムツやタオルなどを
窓の冊子部分へ置いた。
置けない分については、車へ引き上げることにした。


お向かいのベッドには、酸素マスクをつけたおばあさんが1名のみ。
時折、唸り声をあげていた。
声が言葉にならないような感じで、とにかく声が大きい。


HCU常駐看護師たちは、とにかく慌ただしい。
ファイルを投げ落とす音、ゴミを捨てる音などの物音がとても気になる。
言動が荒いのが目立つ。処置も雑。声かけもほぼない。
前病院に比べれば、レベルの低さが浮き彫りになるほどだった。


こんな、落ち着かない場所に母を・・・・?
どうやって療養しろと・・・・?


言いたいことは沢山あったが、父も私も言葉を飲み込み、
これからお世話になります、と頭を下げた。


父は、どうしても片づけなければならない仕事があるので、
一度会社に戻ると言い、
私は母の容態が落ち着くまで傍に居るようにした。


父が『また、夜来るから』と手を振った。
母も手を振ったが・・・・その時の表情が何とも言えず、
父も泣く泣く病室を後にした。


『・・・・どうして個室じゃないの・・・・・?』


母が手を振った時、そんな表情だった。


ほどなくして、医療事務の方が挨拶にきてくださり、
病院のパンフレットと入院するにあたっての同意書を持ってきた。


その後、私はつとめて明るくおかーさんに話しかけていたが、
カーテンの外の声のほうが大きく、私の声がかき消されてしまい・・・、
母は『聴こえない』と何度も耳を傾けてくれた。


私は筆談で母と会話しようと試みるが、
母は、筆談をする元気がなく、筆談を拒まれた。


母の前病院での容態を問診するべく、看護師がやってきた。
担当看護師は挨拶もせず、名乗りもせず、愛想もなく、
ただ言われた事だけをもくもくとこなすような人。
そして、ミスが多いのか同僚に怒られているのが目立った。


『こんな人が担当なんだ・・・・』


思ってはいけないことは百も承知だが、
ただでさえ転院のことで頭を悩ませていたのに、
この看護師の存在で余計な心配事がまた増えた。


部屋は太陽の光が良く入る、明るい部屋だった。
病室は確かにきれいである・・・・が、
こんな落ち着かない場所では、
母の容態はさらに悪化するんじゃないか・・・と
不安をぬぐいきれずにいた。


そして、看護師長がまた訪ねて来てくれて、
少し話がしたいと言われたので、
母に『ちょっと席はずすね』と伝え、
師長と、地域連携部署?の2名と共に、会議室へ入室した。


page3へつづく。












9月11日(月)。


さて。転院するまでに
イロイロ(割愛部分=後ほど内容を記載)ありすぎて
精神が何度も崩壊しそうになりましたが、

母含め私たち家族は、
新しい病院でお世話になる事に腹をくくり、
朝9時半過ぎに病院を出発、10時前に新病院へと到着しました。


前病院の個室に設置した、時計とカレンダー。
時計横には身代わり地蔵様を置いています。
DSC_0555
奄美の親戚たちが心を込めて作った、千羽鶴。
DSC_0557
せん妄症の抑制になればと思い、
奄美の景色や大好きな姉たち、シマリスの写真。
DSC_0554
他には、母のメガネ、筆談用のバインダーノート。
キイロイトリやお守りががついた、母のカバン。
奄美の景色が映った、小さなアルバム。
塗り薬、口腔ケアなどの薬品類。
糖鎖パウダー。紙おむつ。。。


これらは当日まで片づけず、置いておいたので
朝8時前に病室へ向かい、すべて片づけました。


心配だった母の容態は、呼吸回数は平均より多く
血圧は若干高めではあるものの・・・ひとまず安定していました。

熱を測ると、36.8℃。
顔色は比較的良かったので、話しかけました。


私『昨日、よく眠れた??』
母『・・・眠れてない(笑)』
私『あ、そうなんか。私も実は、あんまり寝れてない(笑)』


睡眠不足の翌日は、せん妄症が出やすかったのですが
受け答えがしっかりできているので、特にひどくはありませんでした。


それでもどこか落ち着かない様子で、
心細いのか、不安なのか、やっぱり転院したくないのか・・・
頻繁にナースコールを呼び、


母『体の向きをまっすぐにしてください』


と何度も頼んでいました。
看護師さんも私も、


『からだ、まっすぐやで??』


と伝えたのですが、母的には体がゆがんだ感覚になっているようで
首を振っていました。


ひとまず、言う通りに体を動かしてあげると
母は『ありがとう』とお礼を言いました。


リハビリの先生が封筒を持って、ご挨拶にきてくれました。


理学療法士『○○さん!向こうでリハビリ頑張って、呼吸器が外れて歩けるようになったら・・・ココ(入院していた病院)まで歩いてきてよ!(笑)点滴付けながらね!タクシー使ったらアカンよ!(笑)僕ら、待ってるから!』


先生は、最後までスパルタでした(笑)
でも、この激励が一番嬉しかった言葉でした。


リハビリメニューを書いた封書を父に渡し、
『引継ぎが書いてあります。向こうの先生に渡してくださいね』
言付かりました。


9時前。


看護師さんたちが慌ただしく到着、
呼吸器の最終チェックや、カテーテルの交換、チェックなどをし、
点滴を付け替え、出発直前まで慌ただしさは消えませんでした。


・・・・早めに来て、荷物まとめておいて正解でした(苦笑)


9時半過ぎ。
病棟医と救急隊員がストレッチャーを用意し病室前に到着。


続々と看護スタッフが集まってきて、
病室を出る前にお見送りをしてくれました。


父も私も、涙を堪えながら、・・・・
父の心境はわかりませんが、
私の、このときの涙の理由は、お見送りで感激したからではなく・・・
完治しないまま病院を出て行く事の悔しさのほうが勝っていました。


『今まで本当にお世話になりました』


と見送ってくれた看護師さんたちに頭を下げ、
ナースステーション入口にも挨拶をし、
エレベーターを降り、
救急車には病棟医と私が同乗、
父は、車で病院へ追いかけてくれました。


page2へつづく。









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9月10日(日)
糖鎖パウダー投与14日目。
昼の投薬と共に小さじ1杯分を注入。
熱は37℃台、表情は比較的やわらかい。
オシッコは、頻尿に戻ってしまった。
特別な治療は、10分x3回おこなった。
夜は、眠れなかった様子。
母はしっかりと答えていた。
寝不足がやや心配ではあるものの、
せん妄症は、ひとまず落ち着いたようである。
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奄美から、2人の姐さんがやってきて二日目の今日。


母の様子は、少々微熱気味ではあるものの
姉たちに弱っているところを見せられないと気を強く持っているのか
私と居るときのような脱力感・倦怠感な表情ではなく
むしろ心配になるほどの元気っぷりを発揮していた。


姉たちが滞在中、母は姉たちの体を心配していた。


遠方から来てくれているのだし、
長旅で疲れているのではないかと。


病室に長居していても体が休まらないだろうから、
家でゆっくりしてほしい、と筆談で何度か書いてあった。


しかし、頑なに姉たちは帰ろうとしなかった。
時間の許す限り、傍に居たいのだという。
明日には、奄美へ帰ってしまうからだ。


私は、母は姉たちに対する気遣いの気持ちは本物ではあるものの、
自分の弱っているところを見せたがらない性格なので
少し休みたくて、1人になりたいんじゃないか?と思った。


家族にしても大好きな姉たちにしても、
誰かが病室に居れば、気を遣う。それが母なのだ。
おちおち、寝ていられないはずである。


明日は転院の日だし、無理をさせて高熱が出た・・・
なんてことにもなりかねない。


かと言って、なんとか都合をつけて来てくれた母の姉たちの
気持ちも無下にもできない。


どちらの気持ちも分かるがゆえに、口を出すのを止めた。
結果、母が折れた(笑)


明日は、主治医が同伴で移動車に乗り込み、
私も同乗し、父は車で追いかける手筈になっている。


約5か月ぶりの外出。
短かったようで、ものすごく長く感じた入院生活。


人工呼吸器の離脱が難しいほどまでに
容体は悪化したまま、転院の日を迎えることになってしまったが、
これが今の医療の現実である。


どこの病院も、長期入院は歓迎されないみたいだ。
患者をなるべく退院させ、ベッドの回転率を上げなければ
病院の利益が下がる、と何かのサイトに書いてあった。


・・・そっか。そうなんだぁ。
もう、治る見込みのない患者は出て行けってことなのね。


医者も看護師も、精いっぱいやってくれた。
でも、結果駄目だった。


これが、大きな病院の後始末なんですね。
なんて冷たいんでしょうか。


母が入院できたのは、
以前入院されていたかたが退院したから。


そんなこと、わかってます。
そのかたがどういう理由で退院したかは知りません。
病気が治って、退院できたのなら良かったですよね。


でも、母はまだ治っていないんです。
骨髄異形成症候群も、肺線維症も。


なのに、設備が対して整っていない病院へ移動させられるわけです。
古臭い病院じゃありません。
建て直したばかりなので、新しくてきれいな病院です。


でも、医師や看護師の人数が現病院に比べると
圧倒的に少ないのです。


緊急事態が起こった場合、
人手が足らないという理由でほったらかしにされるんでしょうか。


あんまりですよ。
母が、誰に、どんな迷惑をかけたっていうんですか。。。
こんな仕打ち、本当にひどすぎます。


歳をとり、大病を患ったとしても・・・・
病院をたらいまわしにされたあげく、
入院できる病院がないなら自宅で死ねということなんですね。


この先の医療に、明るい未来はない。
母を見ていると、そう思わざるを得ません。


最後まで診てもらえることなく、
格下の病院へ転院させられるんですから・・・


外に出たいと、空気を吸いたいと願い続けて
やっと明日、少しの時間ではあるけれど・・・
ようやく外に出れるよ、おかーさん。


晴れたらいいね。転院しても、体調崩さないでね。
頑張っていこうね。


-SEASON3 page1-へつづく。





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9月5日(火)
糖鎖パウダー投与9日目。
昼の投薬と共に小さじ1杯分を注入。
熱は37℃台・・・少し上がり始めた。
特別な治療は、私が離席することが多く
5分以内を3回程度しか行えず。。。
昨日頻繁に出ていた便は、
さほど出ていないようだった。
何か薬を使われたのかもしれない。
担当看護師に確認が取れずだった。
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今日は!



母の同級生3名に面会へ来ていただきました❤
懐かしい思い出話に花が咲き、時間はあっという間に過ぎていき・・・


写真を眺めたりスマホで撮影したライブ演奏、
ハーモニカ実演もしていただきヾ(≧▽≦)ノ
奄美大島の貝殻のプレゼントまでしてくれました!



母は終始笑顔( ;∀;)。。。
やっぱ、友人たちの影響力は凄いなぁ。


少し体調が優れなくなってきたようなので、
面会時間は約30分で終了とさせていただきました。


本当はもう少し、時間の許せる限り居てもらいたかったです・・・



でもこの次は、母はもっと元気になっているハズ!?なので
その時までのお楽しみにしていただこうと思いました。



さて、母の転院のスケジュールが差し迫ってきました。


転院の主な理由としては、
現状、大学病院で可能な治療がないので、
治療が出来ない患者を置いておくスペースはないんですって。


・・ははっ
少し悪意のある書き方になってしまいました。
主治医の説明時、こういうストレートな言い方ではなかったですけどね。
分かりやすく言えばそう言う事です。


人工呼吸器を外し、自分の脚で歩けるくらいの体力が無ければ
抗がん剤を入れても耐えれないため、自殺行為になるのだそう。


念入りに説明をしてもらったので、
しぶしぶではありましたが納得しました。

悔しい気持ちはありました。
でも、リハビリを頑張って
将来奇跡が起こると信じることにしました。


という理由から、現病院よりも
リハビリに特化した病院へ転院するよう、勧められていました。
明るい部屋で個室なら・・・と言う事で要望を伝え、了承しました。


日取りが9月7日で決定・・・しそうだったのですけど
信頼を裏切るような事態が起こったため、
転院の話を白紙に戻すよう、
病院側に強く抗議しました。



今日は転院の話で揉めに揉めたので、
母が入院してから今まで疲れなど感じた事なかったのですけど
ほんとに・・・本当に最高に疲れてしまいました。。。。


なので、この話の詳細は割愛させていただきます。。。
(書く気が起きたら書こうと思います)


書く馬力もないくらい、まじで疲れました。
ひとまず、明日ケータイへ連絡が来ることになっています。


体はとても疲れているのに、目がとても冴えています。。。
今夜は眠れそうもありません


はぁ、ほんとにこまった。
しぃま、たすけて。
おじーちゃん、チカラをかして。。。



page40へつづく。



※私信※
フォロワー様方々、いつも拝読ありがとうございます。
応援していただいてる身でありながら、
ブログ応援行けず申し訳ありません・・・
心と体が落ち着きましたらお返しさせていただきます。
いつも本当にありがとうございます。










私『はい・・・はい。では、明日4時に伺います』



電話を切り、運転していた旦那が心配そうに見ていた。


旦那『・・・なんだった?』
私『・・・・・うん』


言葉に詰まった。
なんて言っていいのかわからない。
頭が割れるように痛い。
視界がゆがむ。


私『・・・あした、4時に父と弟の3人で話し聞きに行ってくる』
旦那『わかった』
私『血液検査の結果が出て・・・内容は、とても厳しいみたい』
旦那『・・・そうか・・・』
私『・・・・・』


帰ったら父と弟に何て言おう。
このあいだ面談したばかりなのに。
転院して、リハビリを頑張ろう。
治療は、体力が回復し人工呼吸器が離脱できたら
再開しよう・・・という話で終わっていた。


しかし・・・


この話には続きがあったのだ。


ICU入院時、父と弟のメンタル的な部分を考慮し
病院側に内容の厳しい話は控えてもらうよう頼んでいた。


なので、父と弟が相席していた面談時は、
主治医の配慮であえて話さなかったのだと言う。


何をどう伝えても、最悪の事態を連想させるような
言い回しになってしまいそうだった。


私の被害妄想だったらそれが一番良い。
ひとまず、主治医から話があるので4時から
時間を空けてほしいと短絡的に伝えた。


父も弟も、うすうす察しているようだった。


8月23日の面談日。


仕事がひと段落したので午後に会社を抜けて、
早く会いたくて、母のもとへ急いだ。


この日、母は拍子抜けするくらい元気だった。
普段通りのリハビリメニューをこなし、
LINEには『今日もリハビリ元気に頑張っています!やった』
みんなに報告をしていたほど。


熱が下がって、調子が戻ったようだった。
赤かった顔も、ふつうの顔色に戻っていた。


ただ、汗をものすごくかいていた。
尋常じゃない汗の量。
タオルでこまめに拭いてあげると、気持ちよさそうに目を閉じていた。
解熱剤が効いているのだろう、体が熱を逃がすため
汗をかき、体温を下げている。


黄色いタオルを頭に巻いてあげると
黄色のキノコのよう?な風合いになった。
ものすごく似合いすぎていて・・・
思わず吹き出してしまった。


おかーさんもつられて笑う。
鏡を見せて、と言われ渡したら


母『・・・・・!?』


目を見開き、いやだいやだと言わんばかりに
笑いながら首を左右に振る。


人工呼吸器が外れて酸素が漏れ、アラームが鳴り響いた。


私『もう、暴れるからー(笑)看護師さん飛んでくるやろ!』


おどけた態度の母が面白おかしくて、私は人工呼吸器を装着させた。
母は悪びれた様子もなく、ニコニコしている。
案の定、看護師さんがすっ飛んできた。


私『すみません、母がふざけてとれちゃいました^^;』
看護師『いえいえ。お元気になられたようで良かったです♪』
私『お忙しいのにすみませんでした(>_<)』


看護師さんが、こそっと耳打ちをしてきた。


看護師『今日の4時の面談ですが・・・』
私『・・・はい。聞いております。父たちは4時にきます』
看護師『わかりました。時間になったら呼びに来ますね』
私『お願いします』


4時からだった面談は、主治医の到着遅れにより
30分後に開始となった。


内容は・・・
私の被害妄想が的中する内容だった。


血球が徐々に下がってきていて、
マルトフィリアの脅威が、また顔を出し始めたらしい。
肺の線維化は悪くなる一方で、
容態はゆっくりと下降中。


転院の話が出ていたが、容態次第では難しいと言われてしまった。


食事は経管栄養を続けるか、
点滴のみで栄養補給をするか選択を迫られた。


経管栄養を続けるとなれば、この間のように高熱が出て
寿命を縮まらせてしまうかもしれない。



点滴による栄養摂取だと、今後移植を考えるのであれば
リハビリによる体力向上は望めず、非常に難しいのだそう。


いずれにせよ、どちらも延命治療の一環でしかない。


私たちが出した結論は・・・・
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page28につづく。











※お詫びと訂正※
前記事で書かせていただきました、
『母が人工呼吸器が離脱できない理由』の答えですが、
私の見当違いな部分がありましたので訂正しております。
訂正した文面は、本日医師との面談で確認したことです。
誤解を招くような書き込みをしてしまい、申し訳ございませんでした。




今日は、父、弟、私、私の夫の4名で午後から家族面談をしてきました。
結論から言うと『転院』の話でした。
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母の大まかな状態は前記事の通りですが
具合が悪くなったから転院してください、とか
もう手の施しようがありません、ということではないようでした。


1か月に1度のペースで血液の精密検査をしており、
WT-1(がん遺伝子)の数値は、
入院当初(4月18日)は14000程度あったのが、
抗がん剤治療(キロサイド・ダウノルビシン)を投与した結果
6月、7月には50程度まで減少していました。


WT-1は誰もが持っている遺伝子ですが
健康状態な人ならば50未満なのだそうです。


このWT-1が14000あった母は、すぐにでも治療を始めないと
急性骨髄性白血病に移行してしまうと言われていました。


二つの強力な抗がん剤によって、
母の骨髄を破壊し、リセットすることに成功。
集中治療室中に母の骨髄は見事に生成、
ひとまず元来の病気である
MDS(骨髄異形成症候群)は、治まっていたように思えました。



そして、8月の検査結果をみると・・・・
4400という数値を割り出しており、
WT-1の数値が増えてきたのです。


それに伴い、白血球もゆるやかに減少。
死滅したと思われていたマルトフィリアが
腎臓や胆のうに少量ではあるものの反応が出たというのです。



抗がん剤治療をしようにも、
母は体力が無く呼吸器をつけていなければ
満足に酸素供給が出来ない状態であるため、
抗がん剤治療を受けることが出来ません。


病院側の意見としては、血液内科の治療よりも
リハビリによる体力向上を最優先で考え、
人工呼吸器を離脱し、歩けるくらいにまで回復してもらわなければ
血液疾患の治療が出来ない、という結論でした。



母が入院しているW大学病院は
リハビリテーション科は特に優秀らしく、
噂を聞いて他府県から受診したいとやってくる患者さんが多いのだそう。
そのくらい、他の病院には負けず劣らずの
優秀な医療スタッフ(作業・理学)が揃っています。



しかし、そこは大学病院のシステム・・・とも言うべきか
リハビリよりも治療に特化した病院であるため、
徹底的に望むようなリハビリができる環境ではない、と言われました。



平日と土曜日は作業療法と理学療法をやっていただいてます。
リハビリ時間は最長で1時間、
短ければ30分程度で終わってしまいます。
これは、母の容態が思わしくなければすぐ終わってしまう事もあり、
また医療処置とかぶってしまうがために
メニューが途中であっても、中断せざるを得ないのだそうです。



さらに、日祝日はお休みとなるので、
リハビリを休んでしまうと体はリセットになってしまいます。



WT-1が上昇、白血球が減少し始めているとわかった今、
モタモタしているわけには行かなくなってきたので、
リハビリを集中してできる病院へ転院し、
体力が回復したらW大学病院へ戻り治療を始めましょう、

という打診でした。



これもすぐに、と言う事ではないようです。
母は今肝臓の数値が上昇していたため、
10日間以上絶食状態にありました。
※点滴にて栄養補給をしているので餓死はありません※



消化器内科の医師と相談し、母が食事を再開することが出来て
容態が落ち着き次第・・・・早ければ9月頃に転院になるかも、という予定です。



・・・・ふう。
ダラダラと書きなぐったのでわかりにくい!
という読者様のために簡単にまとめてみます。



まとめ!!
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明るい未来を手に入れるために、
強いては母の血液治療を行うため、
リハビリに特化した病院へ転院を勧められた!

と言う事を言いたかったのです( ;∀;)



要するに、
次の治療段階に上がりましたよ
というお達しでした(笑)


捉え方によっては、
転院させたいがための言い訳・・・と思う人もいるかもしれません。
大学病院などの大きな病院では、平均的に3か月以上の入院は
させてくれないところが殆どだそうです。(父談)
まぁ、モノは良いように捉えておきましょう・・・うん。


ぶっちゃけ、話を聞く前は最悪の想定をしていたので・・・・
昨日は思い込みすぎて涙が止まらず、
母のせん妄症に打ちのめされてココロがズタボロになっていました。



まだ・・・・『まだっ!!』希望はあるんだと言い聞かせ、
落ち込むことが日々増えてきていますが
それと同じくらい気持ちが浮上することもあると信じ、
とりあえずこの暑い夏を乗り越えて頑張ろうと思います。



支えてくださっている読者の皆様。
お知り合いの各々方。
日々治療に専念していただいてる医療チームの皆さま。



本当に、いつもありがとうございます。



page22へつづく。






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