昨日の面会時。
母がちょうどリハビリをしているところに立ち会えた。

母は、私を目でみつけると嬉しそうに笑った。

『頑張るからね。見てて。』

クチパクで私に伝えた。
このときの唇の動きは、不思議と一度で読み解くことが出来た(笑)
いつもなら、文字盤でたどりながら会話しないとわからないのに。
本当に不思議だ、親子のチカラかな(*ノωノ)

理学療法士さんは、母に語り掛けながら
指についているセンサーを丁寧にはずし、
ベッド上部をゆっくりとあげ、
足元のベッドをさげ、
人工呼吸器の管の向きや画面を触り、
酸素濃度設定も変更していたようで
アラームが頻繁に鳴り始めた。

療法士『足、コッチ(ベッドサイド)へ下しますよー』
母『・・・・・(コクコク)』


ゆっくりゆっくり、コードが絡まらないように
理学療法士さんは母の両足をかかげ、
ベッドサイドへ下した。

療法士『体、起こしますよー頑張ってくださいね~』
母『・・・・・』


理学療法士さんに支えてもらいながら、
無事にベッドサイドへ座る事が出来た!
※モザイク下手ですみません(´;д;`)※
DSC_0501
メソ『お・・・おおおお~~~!』

さすがに表情は苦しそうで、
頭を持ち上げるチカラはまだないらしく、
だらーんとチカラなくもたげたままだった。

普段、寝ている姿しか見たことがなかったが・・・
2か月ぶりに起き上がった母の姿は、
かなり痩せているような印象だった。。。

クチから食べ物を摂取しておらず、
オシッコもウンチも、管から排泄だから・・・
動きがかなり制限された状態が
2か月以上も続いたわけだし、筋力が落ちているのも無理もない。

首を上下左右にゆっくり、ゆっくり動かす。
体を少し動かすだけで、かなり体力が消耗するのだろう。
酸素量が徐々に減っていってるようだった。

理学療法士さんは酸素濃度を調整しながら

療法士『深呼吸しましょう~~吸ってー吐いて~~』
母『・・・・・、・・・・・、・・・・・っ』
療法士『吸ってー吐いて~~、吸ってー吐いて~~』
母『・・・・っ、・・・・・っ』


と、理学療法士さんの動きが止まった。

療法士『・・・・メソさん、今、声聞こえました?』
メソ『え!?』
母『・・・・・、・・・・・・っ、・・・・・・(深呼吸中)』

私はベッドから少し離れた場所から
見守っていたので気づかなかったが、
理学療法士さんにだけ

『シンドイ』

と、かすかに母の声が聞こえたようだった。

療法士『気管切開している間は、声は出せないはずなんですけどねぇ・・・』
メソ『そ、そうですよね・・・・』
療法士『でも、確かに聞こえたんです。というか今回が初めてではなく・・・今までにも何度かありまして^^;』
メソ『え!?おかーさん、喋れるん!?( ゚Д゚)』
母『・・・・・??・・・・っ、・・・・っ(深呼吸中)』


喋ってないよと言わんばかりに首をかしげ、
また深呼吸のリハビリを自発的にし始めた。

メソ『・・・・声、聞いてみたい。』
療法士『そうですね。何かの拍子に声が出ることがありますので、楽しみですね^^』
メソ『ハイ!( *´艸`)』


ベッドサイドに座っていた時間はおよそ10分程度。
ここまでが体力の限界のようだった。

ゆっくり、ゆっくりとベッドへ体を横たえ、
呼吸器の角度の調整を行い、痰吸入を施し、
次は手足のマッサージ処置に入った。

メソ『おかーさん、お疲れ様。めっちゃ頑張ったね!』
母『・・・・・(ニコニコと頷く)』
メソ『ご褒美に、奄美の曲かけるよ!・・・聴こえる??』
母『・・・・・・』
メソ『・・・・・・・』
母『・・・・(聴こえないと首を横に振る)』
メソ『じゃ、もう少しボリュームあげてみるね。・・・どう?』
母『・・・・・・・』
メソ『・・・・・・・・』



その時。


母『・・キコエル・・』


メソ&療法士『!!!!!』


聞いた!確かに聞いた!!!!
少ししゃがれた、母の声!!!!!
呼吸器のせいで、母の本来の声色ではなかったが
確かに聞こえたーーーーーー!!!

メソ『おかーさん!!今!!自分の声出てたで!!』
母『・・・・!?(ウソ!?の唇の動き)』

それから、何度か声を出そうと必死に頑張っていたが・・・・
体力の低下が気になっていたこともあり、
無理させたくなくて、おかーさんに休むように伝えた。

母は少し残念そうだった。

私が聞いた言葉はこの1回だけだったけど
嬉しくてうれしくて、奄美メンバーへラインを送ってこのことを伝えた。

動画も撮影したので、編集をし、拡散した(笑)
だってだって、ほんまにすごいんやもん!!!
母の事を心配してくれている友人や会社の同僚たちには
面会我慢してもらっているので、
動画を見せて安心させてあげたかった。

人工呼吸器を装着している姿に驚きを隠せないで居る人が多かったが
(当たり前だけど(;´Д`))
それでも、退院に向けて一生懸命頑張っている母の姿を見て
元気づけられている人がとても多かったのが嬉しかった。

おかーさんは病気になっても、
周りに元気を与えている。
それが誇らしくもある。

先日、闘病の末逝去された小林麻央さん。
周りに元気と勇気と、愛情を与えながら全うされたのだと思う。

『愛してる』の言葉。
命尽きる最後の時まで、思いやりの心を持ち続けた女性。

市川海老蔵氏の記者会見は、本当に泣けた。
私自身、麻央さんのブログの読者であり、
母の病気の事で気落ちしていたときに
真央さんのブログを読んで勇気づけてもらったことが何度もある。
いつか病を乗り越え、梨園の妻として再び活躍されるだろうと願っていた。
本当に悲しかった。失礼なことだけど、母と真央さんを重ねて見ていたから。

悲しかったけど、小林麻央さんの人生を乳がんでひとくくりにするのだけは
止めておこうと思った。彼女自身が、そう伝えていたからである。

「がん」になったことだけが、私の人生すべてではない。
愛する人と出会い、2人の宝に恵まれ、私は幸せだ、と言っていた。


素敵な言葉だし、母をそういうふうに考えるのをやめようと思わせてくれた。
うまく言葉が出ないけど。。。。
病気になっても、それがすべてではなく
長い長い人生のほんの一部なんだと真央さんが教えてくれた。

真央さんのように下を向かず、明るい未来を夢見て、
これからも母と一緒に歩んでいきたい。




小林麻央さんのご冥福、心よりお祈りいたします。






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