メソメソのblogー母が骨髄異形成症候群になる-

2017年3月16日、母が60歳にして骨髄異形成症候群と診断されました。
このブログは母の闘病記録して更新していきます。

タグ:母

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ある日の会話。


父「メソメソ。おかーさんのケータイ、解約してもいいか?」
私「・・・・あー・・・・」
父「おかーさんのケータイ、メール受信してへんやろ?」
私「・・・まぁ、頻度は減ってるけど。まったくないってわけじゃないよ。」
父「そうか。まぁ、会社で契約してるってのもあるしなぁ・・・」
私「うん、そうやね。お父さんがそれでいいなら、解約しよっか」


2月17日(土)に、母の携帯を解約することにしました。
本当は、解約なんてしたくなかったけど。
お金かかるし、ガラケー自体将来使えなくなる、とのことだったので、
やむおえず、といった感じでした。

通信できなくなった黒のガラケーは、
母の仏壇の前に置いてあります。


メールの通信記録、アドレス帳。
何も触ってません。
当時のまま、置いてあります。


友人が多い母なので、少しずつでも、、、
携帯を解約したことを
ご友人たちにお知らせしていこうと思います。




おわり





こんばんは。


こちらのブログ更新、かなり久々となってしまいました。
母の葬儀から数か月経った今、
私の身の回りの様子が、少しずつ変化してきております。


近況報告としまして・・・


まずは仕事のほう。


昨年11月末に新入社員様に入社していただき、
今年1月中旬にも二人目の新入社員様に入社していただくことになりました。


新入社員研修は、私の担当です。


主な業務内容としては、事務職を全般にやってもらう予定です。
私が今までやってきた雑務全般を振り分け、
経営側の勉強をこれからしていかなくてはなりません。。。


要は、出世したってことです^^;


今は父親が会社の代表になるのですが、
世代交代の時期がやってきました。


と言っても、すぐにということではありません。


何事においても、引継ぎ期間がないと・・・ですしね。
やらなければならないことは沢山あります。


会社のことは、だいたいこんな感じです。


次は、プライベートのほう。


おばあちゃんちのリフォームの話が、
徐々に現実味を帯びてきました。


今までは賃貸物件をウロウロしてきていましたが、、、
いよいよマイホームを手にすることができるのです。


その打ち合わせで、結構手間を取られますが、
そこはまぁ旦那に協力してもらって・・・
まぁなんとか(笑)(笑)(笑)


業者は父の弟。。。つまり叔父です。
身内なので気を遣わなくて済むので、
結構ありがたかったりします。


プライベートの動きは、まぁそんなところです。
旦那も元気、私も元気。
父は血圧高めで、弟は喫煙者特有の咳が出ていますが、
どちらも即入院、というほど具合は悪くありません。


そして、母の事。


気持ちの整理ができてきたのか、
泣くことはほとんど減りました。


年明けに、私の友人たちや
母のご友人たちが実家に訪れてくれて、
お供え物とお線香をあげてくださいました。


…本当に、ありがとうございます。
嬉しくて涙が出ました。


母は生前、「80歳まで仕事する!!」と息巻いていたので
年明けからは、母の写真をもって出勤するようにしました。


カウンターへ置いて、
ドアが開いたら「まいどぉ!」って
いつもみたいに元気よく挨拶しているように思えます。
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画像が暗めですが、ご容赦くださいm(_ _"m)


ケータイは、時々メールを受信しているようで、
ディスプレイが光っています。



母が乗っていた車は、弟が出勤時乗っています。


母が使っていた服は、
着れそうなものを奄美の叔母たちに差し上げました。


仕事着は、会社に置いてます。


ちょっとした用事でさえも、
母の写真を持って、母が身に着けていた腕時計をつけて
出かけています。


私の体に母が宿っているような錯覚に陥るときがあり、
ウソみたいな話ですみませんが
無性にウナギを食べたくなる時があるんですね。



とても大好きだったウナギ。。。



入院時、ウナギのクッションを抱いて、
微笑んでくれた母。



新しい年が始まってもうすぐ1か月経ちますが、
気持ち新たに頑張っていきます。



応援、よろしくお願いいたしますm(_ _"m)
本年もどうぞよろしくお願いいたします。












出発前、前夜の事。
親戚一同、食事をしていたときに、
従妹の兄が言った言葉を聞いてください。


従妹兄『こんな時でしか集まれない、と言うのはあまりにも寂しすぎる。奄美大島と和歌山の距離は、決して近いとは言えん。でもね。せっかく恵子姉ちゃん(メソ母の事)がせっかく繋いでくれたんだから。今までは遠くにいる親戚だったかもしれんけど、これからは『家族』として向き合いたいち思うとる。奄美へ来たら、和歌山に行ったら、必ず集まるようにしよう!必要以上の遠慮なんて、これからはナシや!』


現在、社長(41歳)をやっている、従妹の兄。
早くに父を亡くし、やんちゃを沢山して母を困らせてきた彼だったが
14年前に独立し、家族を守り、会社を今日まで守ってきた。
想像を絶するほどの苦労をしてきたのだろう。。。
彼の言葉の一つ一つがとてもたくましく、芯があり、心に響いた。


叔父ではなく『○○兄』と呼び、
叔母ではなく『●●姉』と呼び、
年下の従妹はみんな呼び捨て。


呼び方ひとつで、こんなに堅苦しくなくなるんだなぁ・・・。
こんなに、近づくことが出来るんだ。
この日、兄と姉、妹と弟が一度に沢山できたような気がした。


従妹兄『メソメソ。そこは遠慮するとこじゃないが?自分の父親には、カラダ壊すかもしれんからお酒飲みすぎるなって言えるのに、義理の親父には言わんつーのは違う。産みの親には遠慮せんやろ?だったら、旦那の親にも同じように言わんかいや。同じように心配せなあかん。』


従妹兄『おい、タダシ。自分が兄貴に頼んだんやろ?”それ、お皿に取って”と。兄貴が皿に盛ってくれたら、グダグダ言わずに喰え!なーにが”やっぱり食べれない”ちゃ。男が一度言うたことを覆すなち』


こんな兄ちゃんと一緒に育って居たら、
私ももっと芯の熱い、心の太い人間になれたかも、、、
なんて思ってしまうほど、説得力があり、
社長の風格だなぁと思えるほどに
ブレることのない、素晴らしい考え方だと感心した。


従妹兄に限らず、奄美の知り合いはすべて情に厚い人ばかりである。
沢山の人に知ってもらいたいので、ぜひとも島の風習を紹介したい。


まず・・・・


断らない!
特にいただきものなどは、断る=無礼に値するらしく
基本的には嫌な顔をせず、すべて贈り物はいただくらしい。


鍵を閉めない!
これは奄美大島の地域にもよると思うが、
基本的には玄関は開けっぱなし、との事。
皆が知り合いなので、勝手に家に上がり、
くつろいでいると、ご飯が出てくるのだという。
要するに、人を疑う事をしない人たちの集まりである。
なので、人を傷つけると言った事件・事故は起きないのだそう。


食べきれないほどの食事が出る!!
綺麗に完食=ご飯が足りないと思うようで、
お茶碗やお皿がからっぽになることはまずありえない。
次から次へと出てくる食事達。
それも、すべて手作りなのだから本当に驚きである。
私などは、お皿が片付かなくてやだな・・・と思う事でも
親戚たちからすれば『また明日たべればいいから』と言って
笑顔で冷蔵庫に仕舞うのであった。


涙もろい!!
情に厚いからこそ・・・だと思うのだが、
再会した時はうれし泣き(周りはもらい泣き)、
思い出話に花が咲きうれし泣き、
別れがつらくて悲し泣き(周りはもらい泣き)・・・
と言うように、ハンカチを手放せないほど
とにかく泣き上戸な親戚たちである。


・・・と、まぁもっと思い起こせばあると思いますが・・・、
思い出したらまた書き足しますので、このあたりで抑えておきますね(笑)


風習とは関係ありませんが
地下鉄や電車がなく、交通手段は車かバス、とのこと。


道路は片側一車線、歩道は広くとってあるので
自転車走行はとても安心・安全です。


のんびり走っている車や、迷惑駐車などに
クラクションを鳴らすことは絶対ないのだそう。


その車がどくか、通行できるようになるまで
待てる人たちなのです・・・


そりゃ、事件や事故は起きませんわね^^;
慌ただしくない環境で、のんびり仕事をしたいです。


そんなこんなで奄美空港にて別れを惜しまれながら、
無事に帰路に着きました。


母が奄美大島出身であることに、感謝できた数日間でした。







-お通夜前夜-

金曜の夜、
奄美の親戚たちが家に集まって来てくれた。


その他、地元の親戚や近所の方たち、
会社で大変お世話になった人たち、
地元の特に親しい友人たちが、
自宅で静かに寝ている母の元へ、
葬儀場に入る前にご挨拶に来てくれた。


みんな口を揃えて言う。

『あんなに元気だったのに』
『未だに信じられない』
『とても綺麗なお顔ですね』って。


母は、目を開けることはないけれど
来てくれた人たちひとりひとりに
丁寧に御礼を言っているかのよう。


入院前、入院中、退院後。
沢山の人たちに親切にしてきた母。


めぐりめぐって、
母が与えた『まごころ』は、
こうしてわすられる事なくかえってきている。


悲しみの涙や、お別れの言葉を沢山いただいた。


-お通夜-
葬儀屋さんが到着、棺を運び込み
母の服(装束)を着替えさせ、メイクを施してくれた。


最期の親孝行、と言う事で、
片足ずつ、草履をはかせてあげた。


身に纏うものは、これですべて揃った。
あとは、腰元にお弁当を持たせ、
三途の川を渡るときに必要なものである『六文銭』を持たせた。


生前、良く使っていた母の私物を棺に入れ込んだ。
母の服、母のメガネ、仕事で使っていたエプロン。
鏡、うちわ、千羽鶴、オセロ、奄美のかるた。
そして、、、うなぎのクッションも。
どれもこれも、母の大事なものたち。
天国へ旅立つとき、一緒に持って行ってもらうのだ。





天候がやや心配だったが、なんとか雨は免れた。

弔問客は200人を超え、弔電は100通以上にものぼった。
場内にはたくさんの供花が所狭しと添えられている。

受け付けは、奄美の従妹たちに頼んだ。
喪主である父を筆頭に、弟と旦那、叔父が入口にて迎え入れ、
母の血のつながった姐さんたち、そして私、叔母とともに
ご焼香台の両側へ着席し、それぞれ弔問客へご挨拶をした。


お通夜は滞りなく済んだ。
その夜、親戚一同は母の元へ集まり、
夜通し母の死を悼んだ。


告別式があるのだから、
睡眠不足で体調を崩すわけにもいかなかったが・・・
死を受け入れられない家族にとって、
安眠できるはずもなく、夜明けを迎えた。


母は、家族が睡眠時間を削る事を望んでいなかったに違いない。
わかってはいるけど、どうしても気持ちの整理がつかない。
ごめんね、おかーさん。


-告別式-
母の新しい旅立ちにふさわしい、澄み切った秋晴れの日。

母の同級生たちが、
遠路はるばる最後の別れの為に来てくれた。

できれば生きているうちに会いたかった、同級生たち。幼馴染たち。

去年の60歳、還暦の年に奄美へ帰った母。
ついこの間の事のように、
同級生たちは母との思い出話を沢山話してくれた。

葬儀屋さんの協力の甲斐あって、
告別式が始まる直前まで棺を開けていただき、
参列していただくすべての人が、
かわるがわる母に別れの挨拶をしてくれた。


ピンク色の棺。
ピンクの縁取りの、遺影。

遺影の写真は、どうしても笑っている顔が良かった。
いつも朗らかに笑っていた。それが母らしいからだ。

※不謹慎なのは百も承知ですが、
このブログを読んでくださっているすべての方へ
母の病気の行く末を見守ってくださった御礼と
お披露目の意味も込めて、モザイク無しで載せさせていただきます。
どうか御許し下さい。※

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この写真は、2016年4月に神戸の親戚の家で撮影されたもの。
この頃は病気の陰など微塵も感じられなかった。
母の笑顔から察するに、とても楽しい話をしていたに違いない。
造り笑顔などではなく、自然な笑顔である。


その遺影の周りには、
沢山の花々がハートマーク模様を施すかのように飾られていた。
母の、最期の精一杯のこころを込めて。


色については、葬儀屋さんからの提案だった。


基本的には白で統一するのが主流だが
青・ピンク・白の3色から選べる、との事。


父は、優しい色合いのピンクを選んだ。
私も弟も、異論はなかった。


告別式も滞りなく終了。
火葬場にて、骨上げを済ませ、初七日も済ませた。


※初七日とは※

故人が三途の川のほとりに到着する日とされており、
故人の生前の行いによって三途の川の渡り方が分けられると考えられている。


生前に良い行いをしてきた者は橋を用意され、
少し悪い行いをした者は浅瀬を渡り、
悪い行いをしたものは深みを渡らされると考えられている。

初七日法要は、故人が無事に三途の川を渡るために大切な供養のこと。





母は間違いなく、
橋を用意されているだろうな!ヾ(≧▽≦)ノ



こうして、母の死から旅立つ日までの4日間は、怒涛のように過ぎて行った。


page16へつづく。










☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
9月9日(土)
糖鎖パウダー投与13日目。
昼の投薬と共に小さじ1杯分を注入。
熱は38℃台・・・解熱剤を入れたとの事。
オシッコの量が徐々に増えてきているようだった。
特別な治療は、10分x1回、
20分x1回おこなった。
夜は、少し眠れたようだったが
熱があってしんどそうだったので、
起こすことをせず、寝かせてあげた。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★


今日は朝から良い天気。


洗濯物を片付け、奄美の姐さんたちが
泊まるのでお布団を干したり家の掃除を頑張った。


とにかくこの家の住人は(メソ夫婦除く)
掃除をしない('A`)!


なので、この家にはあらゆるところに
ホコリやカビルンルンが出現している。
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こんな可愛らしくはないんですがね(笑)
グロ注意画像が多かったので、
無難なものを選びました( ;∀;)

まぁどこの家にもカビやホコリなんてあるのでしょうが、
それでも、限度ってもんがあると思うんです。。。


この家、築5年ほどになるのですが
ほとんど掃除をしていないっ!


特に水回り(キッチン・風呂・洗濯機・洗面台・トイレ)が
汚すぎてヤヴァイ!


私が時々訪れ、家政婦のように掃除をしていた時期もありましたが
それも新築1年ぐらいまでで、
私自身も仕事が増えて来て忙しくなってきたため、
掃除をする機会が減ったわけです。


この家に住み始めた7月は、
体中がかゆくてかゆくて地獄のようでした。。。


ようやく、念入りに掃除をし続けた結果
ホコリやカビを抑制することが出来・・・
薬を飲まずとも、体のかゆみは治まってきました。


お掃除って大事ですよね。
潔癖症ではないのですが、それでも人並みに掃除をしないと
健康を害する原因の一つになると思うんです。


父も弟も、風邪を引いているわけではないのに
年中咳をしています。


体の中に、徐々に蓄積して行ってるんでしょうねー
カビ菌が(´・ω・`)


母も、まだ病気になる前は頻繁に掃除をするタイプではなかったので
結構ほったらかしにしていたので、よく私に怒られていました。


私が母の代わりに掃除を定期的にしてあげれてれば、
こんな難しい病気にならずに済んだのかなぁ・・・


なぁんて思ったり。


専門医からすれば、特に関係はないと言われましたが
カビもホコリにも、少なからず菌は居る訳ですから
徐々に蓄積されれば、数年かけて毒されていくと思うのですよ。


いつか母が退院できたときに・・・と思い、
実家をこまめに掃除をしています。
汚れは溜まっていきますからね(・ε・`*)


掃除が終わったあとは、母へ会いに病院へ行きました。



page44へつづく。




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9月3日(日)
9月4日(月)
糖鎖パウダー投与7~8日目。
昼の投薬と共に小さじ1杯分を注入。
熱は36℃代までさがった!
特別な治療はモード3で20分x2回行った。
最近、便がよく出るようになった。
栄養補給はもっぱら点滴なので、
固形ではない。(食事中の方スミマセン)
糖鎖の効果が表れ始めたのか・・・?
引き続き様子を見ます。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★


やっと完成しましたーーーー


特大ウナギ寿司クッション❤
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・・・ウナギに見えますか!?(;'∀')

一応・・・モデルはこの子なんですよ。
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手と顔はつけてませんが(笑)



見よう見まねでやっちゃいました。


しかも製作期間2日!!!


ミシン縫いなんて高度なスキルは持ち合わせていないので
手縫いで頑張りました((((


ウナギ部分は綿を詰め込み、
シャリ部分はビーズを敷き詰めました。


ふー、なんとかなるもんですね^^;
母はとても喜んでくれました。



私『ね、これ何に見える??』
母『ウナギ!!!』



そういって、食べるしぐさをしてくれた母。


枕にするには高すぎて首がしんどいので
肘置きか抱き枕として使ってもらうようにしました。




入院生活のお供として、またお守りとして
傍においてもらおうと思います。



page39へつづく。








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9月2日(土)
糖鎖パウダー投与6日目。
昼の投薬と共に小さじ1杯分を注入。
熱は37.6℃。
担当看護師が誰かわからなかったので
睡眠管理や変化など、聞けずじまいだった。
特別な治療はモード3で15分x2回行った。
治療中眠ることはなく、誕生日プレゼントの
知恵の輪で遊び、さらにオセロゲームをして
楽しんだ。
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image[2]
朝からLINEコールの嵐!



この日は、母の誕生日だったからである。



メンバー全員、母が誕生日を迎えられたことを祝福してくれた。


母は今日、作業療法(タブレット使用)が休みだったので
自身でLINEの確認が出来ていなかった。


弟が午前中病室へ赴き、
タブレットを見せて母に読んでもらい、
代わりにタイピングをして返事を返していた。



旦那と私は、昼から向かった。
せん妄症の気配は全くなく!
いつもの母の表情でひとまず安心( ;∀;)
旦那が母の誕生日にと、購入してくれていたオシャレな知恵の輪。



肩は上げられないけど肘は上がるので、
これなら寝ながらでも退屈しのぎになるだろう、と選んでくれた。




私は・・・・・、



母のプレゼント
何一つ用意
してない!!( ゚Д゚)




誕生日だって知ってたのに、
プレゼントにまで頭が回らなかったー・・・・


今からでも遅くはない!と思いなおし←いや、遅いヨ


何にしようか考えた。


・・・・そうだ。
お寿司クッションにしよう!
しかもウナギ❤



母の大好きなウナギのお寿司。
誕生日に、お寿司屋さんでウナギをたくさん食べたいと
目を輝かせながら話してくれていた。


病院の所有物である(薄汚い)クッションより
ウナギやマグロと言った、母の大好物の
お寿司クッションを置いてあげる方が
喜ぶんじゃないか・・・と考えた。


早速ヤフーショッピングを物色。。。



私『!!( ゚Д゚)』


あったあった、ありましたーお寿司クッション!
しかもウナギバージョン!
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お値段、15100円・・・
輸入商品(アメリカ産)の為、注文後約1か月かかる・・・だと!?



あーだめだめ・・・



遅いうえに高い!!


んー、どうしよう^^;







いっそ自分で作るか!!?(>_<)
家庭科の成績
『1』のこの私が!!!





とりあえず、私よりはるかに器用でセンスのある旦那に相談してみた。



旦那『んーーーー!!どやろ!?』
私『・・・無謀かなぁ・・・でも、作ってみたい』
旦那『・・・作ったことないけど、やってみるか!!』





という訳で、母へ見舞いに行ったあと
ホームセンターへ買い出しに行くことに♪


シャリ部分はビーズクッション、
ウナギ部分は綿素材でひとまず案を立てた。


ブログを書き終わったこの後、作ってみようと思います・・・!
旦那に助けてもらいながらだからまぁ
下手なものは出来ないだろうけど
こういうのは気持ちが大事だよねっ☆てことで
なるべく急ぎつつ、制作にとりかかってみまーす('◇')ゞ



☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
母が『今日5時ごろ外出したい。
空気を吸ってみたい。外出許可は
おりますか?』とメモで訪ねてきた。
私は筆談で『外出するには長時間車いすに
座り続けなければならないのと、人工呼吸器を
付けているので医師の同伴が必ず必要になるんよ。
だから、外出させてあげられなくてごめんね』と
返事をした。母は、少し寂しそうな表情で
指でオッケーサインを出した。私は胸が苦しくなった。
誕生日なのに、また我慢させてしまった。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★




page37へつづく。










☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
9月1日(金)
糖鎖パウダー投与5日目。
昼の投薬と共に小さじ1杯分を注入。
熱は37℃台をキープ。
昨日の夜は数時間眠れたようで、
午前中のみ、比較的せん妄症は
落ち着いていたと報告。
糖鎖摂取量を増やしてもらおうと、
今までは昼のみだったが、
朝・昼・夜と回数を増やしてもらうよう
相談をした。
特別な治療はモード3で15分x2回行った。
特に目立つ行動はなく、おとなしく寝ていた。
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8月31日。
急性骨髄性白血病に移行した可能性がある、と電話を受けて
その日の面会の時の事。



目をあいているのか、いないのか。


白目なのか、黒目なのか。


うつろな表情で、時々笑っていて。


かとおもえば、眉間にしわをよせ、
しきりにタオルケットをちぎろうとする。


ナースコールを探すようなそぶり。
握らせると、途端に放り投げる。


手を握ろうとすれば、
嫌がり私に暴言を吐くかのような表情で
モゴモゴと口を動かしている。


白目をむいて、天井をつかむかのように手を伸ばし・・・
それから、人工呼吸器の管を力の限り引っ張ろうとした。


私『・・・・おかあさん!!!』


母『・・・・・、・・・・・・。・・・・・』


私『そんなことしちゃだめ!おかーさん、しっかりしてよ!!!』


母は、私に視線をうつした。
表情は変わらない。
生気のない、眼。
私は両手で包み込むように手を握りながら、懸命に訴えた。


私『おかーさん!!おかーさんてば!!!しっかりしてよ!!!もっと、もっとしっかりして!!!!病気治すんでしょう!!!?心配するやんか!!!!みんな、おかーさんの事応援してるねんで!?』


母『・・・・・・ボソボソボソ』



私は母の前で泣いた。
しちゃいけないことなのに。
これじゃ、母に誤解させてしまうのに。
涙、どうやったら止まるんやろう。。。。


いつからか、母の目に色が戻っていた。


母『・・・・だいじょうぶやで』
私『・・・・・、大丈夫なん・・・・?』
母『だいじょうぶ、ぜったいなおるよ。しっかりしてるよ?』
私『・・・・・・・・』




母は、おいでというように両手を広げた。
私は、母のお腹の上に頭をうずめた。


私『・・・・おかーさん、おかあさん・・・・!!お願いやから、元気になってよ・・・・』


私の頭を、ぽんぽんとしてくれた。


母『・・・・おかーさんはぜったい、だいじょうぶ。だから、なくな』


私『・・・しっかりせなアカンのは私のほうやな。泣いてしもてごめんね。おかーさんのほうがしっかりしてるわ・・・』


母はこのときだけ、いつもの母に戻った。
私の顔をよく見ながら、微笑んでくれた。
ピースもしてくれた。


良かった、おかーさんだ。


私が泣き止むのを確認した母は、また眠りについた。
私は、決意を新たにする。



最期まで、絶対あきらめない!





page36へつづく。






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人工呼吸器が外れて、父と熱心に仕事の話をする母の夢。
病気になる前に、母と食べに行ったお寿司屋さんの夢。
母がもっと若く、私が幼い子供だった頃、一緒に遊んだ夢。
私の※子供(孫)の面倒を嬉しそうに見てくれた母の夢。


※現実では子供に恵まれていません※


夢に出てくる母は、いつも幸せそうに笑っていて・・・
私は・・・母の横でいつも泣いている。
私が泣いているのを見て、少し困ったように笑う。
母は、頭を撫でながら『大丈夫』って口癖のように言う。
それを聞いて安心する自分。


夢から覚めたら現実に戻る。
そして、無性に母に会いたくなる。
会社へ行かずに、病院へ行きたくなる毎日。



私って、めっちゃマザコンやな(笑)
明日も良い1日でありますように。




page25へつづく。














5月31日(水)。

この日は母の集中治療室卒業式!
おかーさんはベッドに横たわったままお引っ越し。
でも、ちゃーんと意識はある!

午後2時、私は病棟で必要なものをすべて携え
母と一緒にベッド専用エレベーターへ乗り込み
約1か月ぶりの無菌病棟へ戻ってきた。


『おかえりなさい!!お久しぶりですね^^』
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無菌病棟のスタッフの方々が、口々にお迎えしてくれた(*'ω'*)
良かった。本当によかった・・・・


約1か月、母にとっても家族にとっても・・・
何度も苦しい死線を乗り越えてきた。
それが今、母は上り調子にある!
ゆっくり、ゆっくり階段を踏みしめて登っている!

だけど・・・・、
やはり心配なのは肺の機能がこれ以上悪くならないようにと言う事と
本来の病気である『骨髄異形成症候群』がどのくらいまで進行しているのか・・・

ICUにて呼吸を完全に確保するために、
肺炎を治すべく強度な薬を長期期間にわたり服用したため
副作用として多臓器不全を併発、肺の硬質化・・・神経障害。
臓器が弱っているのに抗がん剤治療などできるはずもない。
体をうつぶせにできないのだから骨髄検査も当然、できない。
芽球がどのくらいまで増えているのか。
ひょっとしたら、すでに急性白血病になってしまっているんじゃないのか・・・
WT-1の値は・・・・?

・・・・・、
言い出せばキリがないのはわかってはいる。
現実に引き戻すのは、いつだって医師の言葉なのだ(>_<)

嬉しい気持ちも束の間。
病棟医から『心肺停止』したときの対処法について説明を受けた。

病棟医『万が一、心配が停止すれば・・・の話なのですが、通常なら気道確保を行い心臓マッサージを行うのですけど、胸元へかなりチカラ強く圧力をかけるんです。大袈裟な話ではなく・・・・中には内出血をするかたもいらっしゃるんです。お母様の場合、内出血をしてしまうと・・・血小板数値が低いため、出血をさせてしまう可能性のある処置は出来ないんです。仮に心臓が蘇生したとしても、今度は出血多量で・・・・と言う事になりますので、ご理解いただけますでしょうか。』
メソ『・・・わかりました。でも、そうならないように全力を尽くしてください。私たちも、協力できることは何でもやります。話は充分、理解しました。でも、声に出して言えば本当にそうなるような気がするので、家族としてはあまり考えないようにしたいのです。自分のココロが参ってしまうと、母を応援できなくなってしまうので・・・』
病棟医『お母様もメソメソさんもとても前向きなかたで、本当に助かります。課題が沢山あって大変ですが、時間をかけてでも着実に快方へ向けて頑張っていきましょう。』
メソ『先生、今後ともよろしくお願いいたします』
病棟医『こちらこそ。』


医師だって、できる事なら良いニュースを伝えたいに決まっている。
でも、現実をちゃんと伝えておかなければならないのは
『患者』にもしものことがあったら『遺族』に訴えられてしまうからだ。
医療ミスだのなんだのと、騒がれかねない。

私は母を外来へひとりで行かせたことを今でも後悔している。
だから、私は医者ではないけど母と一緒に歩み
病気の事を理解し、医師の説明を聞いて少しでも理解できるように
予習・復習をして、いかに母にとってプラスになるのか・・・
医師や看護師ともよくコミュニケーションをとり
情報提供をしてもらおうと思っている。

私にできることは、すべてやりたい。
おかーさん、何にも心配しなくていいからね。
幼いころ病気がちだった私を、寝ないで看病してくれたこと忘れてない。
次は、私がおかーさんを助ける番。
お医者さまじゃないから医療的な事は何もできないけど
おかーさんの病気がこれ以上悪くならないように
全力を尽くすからね。

さあ、次はリハビリとの闘いだ!!









以上を持ちまして、SEASON1-集中治療部編-は終わります!
↑今、サブタイトル付けました(笑)\(^o^)/

とてもヘヴィな内容となってしまい、
読むのが大変つらかった方も多かったのではないでしょうか。
それでも変わらず拝読いただけました事・・・
私自身の励みとなり、ここまでブログ更新を頑張る事が出来ました。
本当に・・・・心より、感謝を申し上げます。

モコ『これからも応援頼むでっ!(ぺこり)』
シーマとモコ (7)
引き続き、6月から母のなが~~~く険し~~~~い
無菌病棟にて治療が始まる訳ですが、
集中治療部に居た時ほど、あまり環境がめまぐるしく
変わることが無い(といいな笑)事を祈りつつ、
母に関しての更新頻度が減ってしまうかもしれませんが、
息抜きに適当な記事をアップするので
その辺はサラっと読み飛ばしてください\(^o^)/



それでは、SEASON1ご愛読誠にありがとうございました┏○))ペコ







こんばんわ、メソメソです。


母の病名が確定してからというもの、
あらゆる情報を収集すべく
主にネットで調べたり
書店に赴き専門書を立ち読みしたり←
今もなお病気に負けまいと必死で治療に励んでおられるかたの
ブログを拝読し、涙を流したり、安心したり、
少しでも母の病気について知識を持っておきたくて、
仕事の合間に知識を詰め込んでおりました。

これには、私なりの理由があるんです。
すごく個人的に思う事です。
それをまとめたいと思います。

【病院へ行くタイミング・理由】
基本的には、体の具合が悪くなると
病院へ行って診察してもらい、
場所によっては応急処置、レントゲンを撮ったり
内視鏡検査を要したり血液検査の有無等々、
先生は患者に対してなるべく詳しく、わかりやすく、
症状、原因、今後の治療方針等々、
ありとあらゆる説明をして下さる方が殆どだと思います。

そして、多くの患者さんたちは、
先生を100%信用&信頼し、治療に向けて
内服薬など処方してもらったクスリや湿布などは、
用法・容量を守ってさえいれば、着実に回復するだろうと疑いもしません。


それが多くの人たちがしてきたことであり、
正しいことのように思います。

私も、「基本的」には正しいと思っています。
その道の専門分野を勉強してきた、医療のスペシャリストですから。

しかし、先生の言いつけ通りで本当に大丈夫なのでしょうか。
薬のアレルギー、食べ物のアレルギー、患者ひとりひとり
体格も違えば薬の効き方・相性が異なって当然です。

実際、私はとても薬が良く効くほうです。
体に優しいものでも、即効きます。
しかし旦那は、効きにくいようです。
点鼻薬にせよ、頭痛薬にせよ、頓服にせよ・・・

この違いはいったい何なのでしょうか?

【薬の効き方について憶測】
薬を長期使用し続けているがために、体が順応し、慣れてしまった。
これが一番良く考えられる原因です。
事実、私は頻繁に薬を多飲しないよう心がけています。
※症状が収まったら飲むのをやめてください、と言われるまでは飲んでいます※


しかし旦那は、用法・容量を基本的に守りません。
鼻が詰まってきたらすぐ点鼻薬を使い、
頭痛がして薬を飲んでも治らないので追加で飲んだり、
以前、インフルエンザ感染した際に
処方してもらった頓服を飲んでも高熱が下がらず、
とても苦しんでおりました。
薬を飲まずにはいられないほど、我慢出来ないくらい辛いんですね。

市販薬を頻繁に使用する旦那は、
薬のパッケージ裏に書いてある説明書きや
中に入ってある使用上の注意を読みません。
大体のお薬には、こう書いてあります。

1か月使用しても改善がみられない場合は、
医師または薬剤師に相談すること。


みなさんはどうですか・・・?
かかりつけのお医者さんに相談されていますか?
ちなみに旦那は、医者に相談しに行くこともありますが
医者から処方してもらった薬はまったく効果がない、と言い
結局通院することなく、再度市販薬で済ませています。。。



【薬が効かないのではなく、患者の心がけ】
薬のアレルギーなんて、服用しないとわかりません。
だからこそ、薬は怖い存在なのです。
治る、という概念であるはずの薬が、
患者にとって「毒」になり兼ねないのです。

旦那は慢性鼻炎でした。今もそうです。
花粉症でとても辛そうにしています。
病院で処方してもらった薬が効かないからと言って
通院をおざなりにし、鼻腔は炎症・膨れ上がり、
鼻呼吸が困難になるまでに悪化してしまいました。
結局、レーザーで鼻腔内を焼くことになったわけです。

通院していれば、違う対処法もあったかもしれません。
薬に頼るのではなく、日常生活において患者自身が気を付ければ
症状を少しでも緩和できることもあるかもしれない。

私は、基本的に薬を飲みたくないので
原因をまず医師から聞き出しています。

してはいけないこと、したほうが良いことの指示を仰ぎ
それでも辛い時は薬を服用し、
先生が外来へ**日来てください、と言われれば
必ず行くようにしていますし、薬を飲むことによって
微妙な体調の変化も都度報告するようにしています。


みなさんは、どうですか?
忙しいからと言って、通院・外来を後回しにしていませんか?
放っておくと、大変なことになりますよ。

次回、【薬とうまく付き合っていますか?後編】をお楽しみに!←
閲覧毎度ありがとうございました┏○))ペコ












こんばんわ、メソメソです。

現在、4月16日(日)14:44。
仕事がひと段落したので、会社にて執筆しております!

今週も忙しかったー。
もはや暇な日なんて皆無w
てゆか「忙しい」がクチグセになってるな('Д')w
いい加減改めたい口癖ですね。
みんなだって忙しいっちゅーねん(笑)

さて!

祖母が入院していた病院⇒介護施設へ移動とか
母の入院日が決まり、手続きやら入院保険やら
どーたらこーたらなどなど
準備!準備!!準備ッ!!!

整体、またしても火曜日しか行けなかった((+_+))


「体調悪いんです、りう”ぁいヘイチョウッッ!」
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なんてほざいてる場合ではありません。
母の入院は4/18(火)に決定しました。
土曜の間に必要なものの買い出し、
そして15日シメの準備のため日曜日は出勤。

最近になって気づいたこと。

私って意外とタフマン!(*ノωノ)

不思議とチカラがみなぎっています。
人間、切羽詰まればヤレナイことはナイ!
火事場のクソヂカラってやつですかね。

平日は、まぁアレですけど(笑)
土日はわりかしエネルギッシュに活動中です。

夕方4時から演劇鑑賞会いかねばだしっ(。-∀-)ムフ♪
自宅へ帰るのは8時回りそうかなぁー。

此度の土日は濃ゆい日を過ごせたし、
充電完了な日々でございました。


次週は執筆時間取れそうな雰囲気ですし、
程よい更新を目標にアップしたいですね!(*'ω'*)



だって、ランキング落ちてるsh(((((


ランキングなんて・・・っ
◎ソ喰らえーッ!!
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ヘイチョウ、顔怖いけど言葉に深みがあってスキ。
今日も閲覧ありがとうございましたm(_ _"m)







こんばんわ、メソメソです。

前々回に引き続き、今回も颯爽と
記憶をたどりつつ、ハードパンチャーで書いていきますよ!
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↑※メソメソがブログを書いてるイメージ画※


☆4/6(木)のコト☆
今日は骨髄検査結果が出る日だったが、
先日救急外来で診察をしてもらえたため
今日はキャンセルとなった。
4/7(金)にとりあえず経過報告というカタチで
容体を診せに行く約束をしてある。

母は今日も自宅療養。
熱は下がったが、体がだるい様子。
薬を飲み、外に出ることなく、
家でずっとテレビを観ていたようで
肩が凝ったらしい(笑)

あまり家の中でじっとしているのもなんだから
気分が良くて動けそうなら
散歩とか、家の掃除とかやれることはやったほうが良いよとアドバイスした。

母「あ、そうなん?全部息子にやらせてた(笑)めっちゃラクやし(。-∀-)」 

動かせるときに体動かしておかないと、
体力落ちると病気に勝てないよ、と言いかけたけど
今は言うべきことじゃないと思い、飲み込んだ。

メソ「仕事も普段通りやっていいって言ってたし、車運転できそうだったら仕事しなくてもいいからさ。気分転換に会社おいで?パートさんたちも喜ぶし^^」
母「そやね。行ける日は行こうかな!メソメソ、ありがとね。少し元気が出たよ。」

この夕方、奄美から母の姉たちが和歌山にやってくる。
妹は都合がつかなかったので5月に来る、との事。

なのでせっかく姉たちが訪ねてくるので
母には1日家でゆっくりしてもらうことにした。

この日も無事に定時で仕事を終えて、
叔母たちに挨拶したくて実家へ向かった。

メソ「こんばんわ!ご無沙汰しています!」
姉叔母「メソメソちゃん、すごく美人になったね~!」
メソ「えっ////(*ノωノ)」
妹叔母「ケイコ(母)に似てないね(笑)」

母「似てないけど私の娘だから(笑)」

叔母たちに会うのは何年ぶりだろう?7年ぶりくらい??
2人とも元気そうで良かった。でもやっぱ、、、歳とっちゃったんだなーと思った。
長旅で疲れてるだろうに、終始ずっと笑顔のままだった。
母も姉たちとの久しぶりの再会で、よく笑い、そして時折涙ぐんでいた。

母の病気の事は、3月の骨髄検査終了後に姉妹全員に連絡していたらしい。

奄美から、心配して駆けつけてくれたのだ。
4/10(月)まで、滞在してくれるとの事。
滞在中、島の郷土料理で元気になってもらおう作戦を決行することに!

私も叔母たちに料理教わろうとしたけど
母に「旦那さんを家にほったらかしにしたらアカンから」
早々に返されてしまった(´◕ω◕)グスン。

姉妹同士で積もる話もあるだろうし、お邪魔虫は早々に退散します(´-`).。oO

その日も21時-23時までゴールデンタイm(以下略)


☆4/7(金)のコト☆
朝から右腕がなんか、ヤバい。
締め付けられてるような、しびれてるような・・・
なんか、変な感じがする(´・ω・`)左腕はなんともないのに。
ストレートネックのせいかな?
今日は整体の日だし、先生に報告しよう。。。
うう、なんか気分もワルイ・・・・

雨のせいだな、ウン。

母は、今日も自宅療養。
奄美から来てくれた姉たちと、楽しい時間を過ごしている。
昼過ぎに、病院へ経過報告??をしなければならず
姉たちと共に病院へ向かったそうだ。

仕事のほうは、金曜日だし新商品入荷の日だし
欠品もあったりで、てんやわんやの営業日だった。

特に電話の対応がチョー大変(;´Д`A ```
TRRRR・・・・TRRRRRR・・・・
他の電話の対応中に別コールが鳴りだすのって
結構、プレッシャー感じるし気が散るし。
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昼休憩はようやく2時ごろげっと。

お腹痛いなぁー。もしや・・ヤツか?('A`)
ちょっと早くね?('A`)
右腕のしびれもヤツの仕業か?('A`)

わからんケド・・・
ご飯食べる気しねぇーーー_(:3 」∠ )_

20分ほど自宅ベッドの上で過ごし、
重い体を操作してユンケル(笑)飲んで事務所へGO!

出荷業務が無事に終了したのは4時過ぎ。
気が緩んだのか頭痛がggggg・・・
ばふぁりんどこー おーいばふぁりーん るなちゃーん
デスクの引き出しにストック無し。

家にしかないフラグ_(:3 」∠ )_

お腹モーレツに痛い。絶対ヤツだわ。
こんなとき、オンナってまじめんどくせぇって思う。

父親に体調が悪くなってきたから帰りたいって言ったら、快く快諾してくれた。

今日は整体の日なんやけど・・・よー行かん。。。。
運転する集中力、皆無。。。。雨止んで~まじたのむ・・・・

帰って薬を飲んでベッドへ倒れ込み、そのまま夢の中へ。

起きたら、20時半過ぎ\(^o^)/!
寝すぎてしまった(笑)

ご飯食べたくないから、ってかお腹痛いから
そのままゴールデンタイムまでテレビ前で待機(。-∀-)❤

カゲヤマくんのボイスのお陰で、お腹痛いの忘れられることできた←

旦那には、コンビニで適当に買ってきてもらいました^^;
ご飯用意できてなくてごめんね。

とにかく、ヤツが来るのが今日で良かった。。。。
明日はゆっくり休んで、日曜日、早退した分の仕事しよう。

しんどいときぐらいは、休んでてもバチ当たらんよね(。-∀-)
土曜日にしっかりブログ書き貯めておこう♪


と、まぁこんな感じで
怒涛の1週間はあっという間に過ぎました(;・∀・)!

書いている今(4/8(土)21時43分)は、腰がなんともまぁー重いっすわ。
でも、昨日よりはだいぶ痛みはマシ。家だし、ストレス負荷がないし♪

4/10(月)~もきっと壮絶な日々の予感。。。。
ぐでたまのように、ゆるーいスタンスで仕事やりたひ。(*ノωノ)
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ぐでぐで雑記を読んでいただき、ありがとうございました┏○))ペコ


それではまた、週末にお会いしましょう♪
しーゆー♪あげーいんっ❤




こんばんわ、メソメソです。


前回に引き続き、振り返りながら
数日間の出来事を書きなぐりたいと思いますので
ご興味のない方はスルーお願いいたしますm(_ _"m)
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☆4/4(火)のコト☆
母は朝から弟と共に病院へ。

この日は歯科口腔外科に行き、
口内炎が治らず食事に影響が出ているため
口腔内をきれいにしてもらい、
口内炎の薬を処方してもらって、
その後、午後2時から血内へ移動し診察&採血&輸血。

終わったのは5時前。
おかーさん、弟よ、お疲れ様 _| ̄|○ヽ(・ω・`)ポンポン♪

さて、会社の方はというと意外と大変でもなかった(笑)
むしろ月曜のほうが鬼仕様だった(;´Д`A ```

出荷作業は2時過ぎですべて完了。
特に緊急を要するトラブル&問い合わせもなく、
社長が不在でもなんなく業務をこなせたのが救いだった。

メソ「よしっ、定時で上がれるな!」

母は処置終わり次第会社へ一度寄る、とのことだったので
昨日教わりたかった支払業務の準備を一緒にすることにした。

パートさんたち(母と世代がほぼ同じ)2名は
母の顔をみると、心底安心したようだった。
みんなに気を遣わせたくない気持ちでいっぱいだろうけど
病気が治るまでは、自分の体を第一に考えるように、と母に伝えていた。

母は私に一通り支払業務を教え、パートさんたちに挨拶をしたあと、
すぐに帰宅した。少し声がしゃがれていた。
でも、熱は36.7℃まで下がっていたようだった。
良かった。ε-(´∀`*)ホッ

6時過ぎに私は整体の受付へ滑り込み、
リハビリ&電気治療をしてもらった。

先生「あーららメソメソさん、こんなに肩周りがガチムチになってるで」
メソ「ハハ、すいません~鍛えすぎました^^;」
先生「しびれとかは?ない?」
メソ「今のところ平気です~」
先生「そっかそっか。仕事大変やろけど、ちゃんと休憩しぃや~」
メソ「ハイ、そうですね~・・・」


治療が終わって体が軽くなり、また明日も頑張れそう(*ノωノ)
先生、ありがとうございます。

この日は自宅へ寄らず、まっすぐ家に帰り
夜9時から11時までアニマックスを見て
その後入浴。深夜0時に床につきました(笑)

アニメは私の大事なガス抜きの時間(。-∀-)w
カゲヤマくん、大好きです(*ノωノ)❤
image[3]


☆4/5(水)のコト☆
母は自宅療養、会社は全員出勤!
はぁー、ヒトが居るってこんなにも頼もしい。
今日も特に何もなく、無事に終了。

休憩もちゃんと取れた。

父は、祖母(ますちゃん)が入院している病院の先生に呼ばれたので
午後から少しの間だけ抜けた。

体調がだいぶ回復してきたので、ますちゃんの退院の日取りを決めたいとのこと。

通常は喜ばしいことなのだが・・・・、
ひとつ、問題が。

去年祖父が他界し、今はますちゃんが家に一人で住んでいる状態で
足腰が悪く、一人で生活をするのが困難な状態であり
かと言って祖母が同居をすることに猛反対。常に一人で居たいらしく
介護認定も受けたがらず(お金がもったいないとの理由)、
なんとも困ったますちゃんなのです。

今までは母がますちゃんの家へ行き、
ご飯を一緒に食べたり用事をしたりしていたのだが
母も大病を患い、いつ入院するかわからない身であるため、
その後、入院先へは父が行くようにしていた。

なので、退院しても、ますちゃんの家に行ってご飯やその他もろもろ
面倒を見る人が居ない、と言う事でして(´・ω:;.:  (´:;....::;.:. :::;.. ....

具合は以前から悪かったものの、頑なに病院へ行こうとせず
(お金がもったいないとの理由)極限まで我慢した結果
救急車を呼ぶハメになってしまいました(´・ω・`)
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お金お金って・・・・そりゃ大事だけど
健康がお金で買えるなら安いもんや。
生前、祖父がよく言っていました。

ますちゃんが入院したばかりの頃は顔色がとても悪く、
両足がパンパンに腫れ上がり
心臓・大腸に疾患があって、いつの間にか
糖尿病を患っていたようです。

とりあえず暫しの入院措置で状態は回復。
病院も早めにベッドを空けたいので
いつ退院できますか、とのご相談でした。

介護認定を受け、退院するまでの間に
受け入れ先の施設もなんとか決まりました。

ますちゃんには本当に申し訳ないけれど、
母も父もこれ以上無理させられないし、
会社もこの状況だし我慢してもらうしかなく・・・・

ますちゃんの退院は4/13(木)に決まりました。
と、同時に施設へお引っ越しです。

本当に慌ただしいです。
体調だけは、なんとか崩さないようにしないと・・・・

この日も定時で仕事を終わり、栄養をつけるべく
今夜は家で焼き肉きゃっほーい((((oノ´3`)ノ♪

そして夜は、21時-23時までゴールデンタイム!
image[4]
「ハイキュー!」のあとは、「進撃の巨人」!
存在自体は知っていたけど、
コミックス読んだことないしアニメはこれが初。
なんともまぁー寝る前に観るアニメじゃないね(笑)
でもこーゆーの好き(。-∀-)w
程よい刺激のある画を観た後は、何故かスッキリ爽快ですな。


・・・・ふう、4/7(金)まであとちょっと。
もちょっとコンパクトに文章まとめられたらいいのに(;´Д`A ```
どうしてもくどくど説明臭くなるな(笑)

と言う事で、次回に繰り越します┗(^o^ )┓三
今日も読んでいただきありがとうございました┏○))ペコ




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こんばんわ、メソメソです。

今日は久々のオフ!
部屋の掃除&ブログを書き貯めるべく執筆中(*ノωノ)

週末でしかブログ更新が困難なので、
ここ数日間の出来事をまとめて書き出したいと思います。
※ただの雑記なのでご興味のない方はスルー推奨です※


☆4/3(月)のコト☆
母、普段通り9時に出勤。
仕事をするものの、どこか辛そうだったので
無理をさせないために早々に帰ってもらった。

休日明けの職場は騒然_(:3 」∠ )_
発注書多すぎてゲンナリモード。
いや、会社的にはありがたいっす。
でも、人手不足でこの激務はほんとキツイ。
yjimage[9]
なーんて愚痴る暇もなく、
休憩をとることもままならず
気が付けば3時すぎ。。。(´・ω・`)
ああ、昼ごはん食べれなかった・・・

「ちょっと30分休憩とるー」

と父に伝え、会社から徒歩1分の自宅へ戻る。

空腹がピーク過ぎると、何故かお腹いっぱいになりますね(。-∀-)
食べる気が起きないのでとりあえずお茶を飲みながら、
母と少しメールのやりとりをした。

メソ「今休憩。熱はどう?何か食べたー?」
母「遅かったなぁ!熱はー・・・37.5℃!お昼は食べた」
メソ「またオークワで買った巻きずしと、もずく食べてるんちゃうやろな?笑」
母「なんでバレたんよー!!見てたん?」
メソ「見てないけど、なんとなく(笑)それにしても微熱続くなぁ」
母「でもそれ以外は特になんてないよー」
メソ「今日仕事終わったらそっち行くー」
母「はーい!待ってる

メールが終わって、
少し目を瞑って5分くらい仮眠して、また事務所に戻った。

戻ったら出荷業務はほぼ終わってたので、
顧問のデザイナーさんへ連絡を取り、
新商品のパッケージデザイン打ち合わせに取り掛かった。

仕事終わって、旦那が作ってくれていたカレー(こくまろ中辛)を食し
支払いの小切手とか手形とかの道具一式を持参して
母に教えてもらうべく、車でおよそ30分くらいの実家へ向かった。

メソ「ただいま、おじゃましまーす」
母「おー、お疲れ」
メソ「おつかれー。あれから熱は上がってない?」
母「さっき測ったら38.1℃あった」
メソ「・・・・38℃!?」
母「うんうん。」
メソ「起きてて大丈夫なん?(;'∀')」
母「うんうん。それより支払いの準備しよう」
メソ「・・・待って。仕事より病院行こ」
母「・・・大丈夫やって」
メソ「大丈夫じゃないって。もっと高熱になったらどうすんの?」
母「・・・・・・・・」
メソ「夜、あんまり眠れてないんやろ?」
母「うん・・・・」
メソ「仕事は明日やるし、ちょっと医大へ電話してみるよ」
母「うん、わかった」

電話をかけること十数分経過。

メソ「血液内科の先生居るんで、診察してくれるみたい。今病棟の回診してるみたいだから、すぐ診てくれるかわからんけど・・・救急外来で受付すれば、診察しますって。これから準備できる?」
母「うん、これから準備する。」
弟「僕も行く!僕が運転するわ」
父「気を付けて行っておいでよ。一緒に行けなくてごめんよ」
母「ごめんね、ちょっと行ってきます」
メソ「まずは熱下げてもらおう。絶対ラクになるから。大丈夫」

父は翌日東京へ日帰り出張なので、早めに休んでもらう事にした。

20時30分頃、救急外来に到着。
受付を済ませ、結構待たされるのかと覚悟していたものの
意外とすぐ案内してくれた。
前もって電話したのが良かったのかな(。-∀-)

看護師さんから問診中の際、主治医の先生が来てくれた。
穏やかな雰囲気の、わりかし若い印象の男性医師でした。
※今後はH先生と呼びます※

H先生「今日、昼過ぎに受付から携帯へ電話を掛けたときは大丈夫ですって返事もらえたんですが、やっぱりしんどくなっちゃいましたか?」
母「あー・・・木曜日(4/6)にこの間の結果が出るし」しんどくはなかったので、お電話では『大丈夫です』とお返事したんですが・・・娘に熱の事を言われて、連れてきてもらいました・・・・」
H先生「そうでしたか。○○さん、我慢なさらずに些細な事でもいいのでなんでも仰ってくださいね。この病気はじっとしていれば治る、というものでもないのですから」
母「はい・・・・」
H先生「で、今日はそちらのお二人は・・・?」
母「あ、娘と息子です。」
H先生「お子さんはお二人で?」
母「はい」
H先生「病気のことは、どこまで・・・?」
母「・・・・あのう・・・・・20%が超えると、っていう・・・・えっと・・・」
H先生「はっきりとは、まだ?」
母「・・・・はい・・・・」

どくん、どくん、どくん。
メソメソの心臓の音が、やけにはっきり聞こえた。
H先生は、私たち姉弟に向き直り、穏やかに、しっかりと告げた。

H先生「お母さんは、「骨髄異形成症候群」で間違いありません」
母「・・・・・・」
メソ「・・・・確定、なんですか?」
H先生「はい。今後の治療方針を話を4/6(木)にする予定でした。今日はお子さんお二人いらっしゃっていますし、できれば○○さんのご主人さまと○○さんのご兄弟、血縁関係に当たる方も一緒に移植についての詳しい説明と、骨髄提供のご協力をお願いしたいと思っています。ご兄弟はいらっしゃいますか?」
母「奄美大島に姉がふたり、妹がひとりいます」
H先生「65歳以下の方は、何人いらっしゃいますか?」
母「・・・・妹、だけです」
H先生「妹さんの骨髄が合えば、移植は可能になるんですが、健康体であることが第一条件です。一度こちらへ日程を合わせて来てもらうことは可能ですか?」
母「聞いてみないとわかりませんが・・・妹は、年に2回病院へ検査で通院しているらしいのですが、どんな病気なのか、検査なのかも、ちょっと・・・・」
H先生「そうですか。もし、ご兄弟の中で適合者がみつからなければ、ほかのドナー登録の方から探して・・・・・」


その後、先生の説明は続いた。
後ろから見ていたけど、
母は、しっかりと話を聞いているだろうか。
少しぼんやりしているように思える。
弟は、涙をこらえられず、声を殺して泣いている。
私は、冷静に先生の話を聞き漏らすまいと集中して聞いた。

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
『骨髄異形成症候群』(MDS)
骨髄中の細胞に形態異常が生じるとともに、
血球数の減少を来す病気。
血液細胞の種にあたる造血幹細胞ぞうけつかんさいぼう自身に異常が起こったため、
血液細胞がうまくつくられないことが血球減少の原因と考えられている。
この病気の特徴は、血球減少の経過をみているうちに、
白血病に移行する例があるという点である。
このため、かつては前白血病ぜんはっけつびょうと呼ばれていた。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

芽球が4.4%。

どうやら発熱の原因は、白血球数値が下がっているので、
自分の中の常在菌をうまくコントロールしきれず
熱が上がったり下がったりしているのだと先生は言った。
赤血球や血小板は今のところ大丈夫らしい。
感染症による高熱ではない、との診察結果だったので
ひとまず安心した。

結局家族で説明を受ける日程は後日返事します、とだけ伝え
その後、もう一度採血をして抗生物質を点滴で投与してもらい、
帰宅したのは0時回っていた。

・・・はぁ、母を連れて行って良かった。
我慢してほしくないんだけど
本人は本当にしんどくないから、言わないのかもしれないけど・・・
熱が上がってきたら慌てるでしょ('A`)
なんでそんな大事な事黙ってるかなぁ、もう・・・・。

青白い顔色だったのが、少し持ち直したように思えた。
熱が38℃もあるのだから、もう少し赤いのがふつうだと思う。
汗もかいていないようだし、やっぱり特殊な病気なのだろう。
薬が効けばいいな。今夜はよく眠れますように。

明日も母を病院へ連れて行く事になったので、
弟が抜け、父は出張。

今日以上に大忙しになりそう(;´Д`A ```
自分の病院、行けるかなぁ(笑)

・・・えーん、まとまらなかった_(:3 」∠ )_www
疲れたので、今日はここまで(。-∀-)
続きは後日書きます。

お付き合いありがとうございました┏○))ペコ









こんばんわ、メソメソです。


一難去って、また一難・・・・。
今年はなんや?厄年なんか?^^;

こないだの連休は東京遠征行って
風邪治ったらじっくりゆっくり
東京で体験したことを赤裸々に書くつもりでいたのに
宿泊先でやらかされたこととか
東京で食べたおしゃれなカフェごはんとか
写真撮りまくって面白おかしくアップしたろー思ってたのに
吹っ飛んでしまうくらいの出来事が起こってしまった。

東京へ行ってる間、父と弟から連絡が入っていたので
3/20(月)は実家へ行った。

内容が、さー・・・
もう、頭を鈍器で殴られたような感覚でしかなかった。
細い、細い糸が、切れたような。
「芽球」って聞いただけで理解してしもた。
「骨髄検査」をしなきゃいけないんだって。
つまり、

母が重い病気になってしまったってこと。

「骨髄異形成症候群」

・・・・・血液のガンだって。
白血病には「まだ」なっていない。
現状は白血病予備軍、ってことみたいです。

まってまって、いつから?
いつからなん?
元気で食欲あるし、運転できるし仕事できるし
ちょおまってよ・・・・

免疫力低下とか・・・
体がだるいとか、肩がこるとか頭痛がするだの
そんなん、誰だってよくなる症状やん。

現代人なんて免疫力低い人いっぱいいてるんちゃうの。
アレルギー症状に悩む人、たっくさんいてるやん。
アレルギー症状=免疫力低い人 じゃないの?
お母さんもあれやろ、免疫力低下ってそういうことじゃないの?
なんで芽球発見されてるんよ・・・
まじでうそやろ・・・・

もう、仕事どころじゃない。
でも、仕事しなきゃ。
でも、集中できん。
うつむいたら泣くし。

てゆか、泣きたいのは母のほうやん・・・

母は今年60歳になって
今までずっと父のそばで仕事をささえてきて
私も弟も私の主人も、まだまだ一人前じゃないけど
それでも頑張って仕事覚えてきて。

年金もらう手続きをして、さ
これからはたくさん遊ぶでーって笑ってたのにさ

どんな仕打ちなんよ
そんなタイミングで病気にさせないでよ
もっとあとでええやんか
90歳とか、100歳とか
60歳で発症って
はやすぎるやろ

きっとこの病気になったひとや
家族がなってしまったひとは
ぜったいネットでありとあらゆる情報を探すんやろうけど
私ももちろんさがした

高齢者がなる病気らしいとか書いてたけど
お母さんまだ60歳やし高齢者ちゃうわぼけ
一般論では60歳は高齢者ってゆうけど

・・・言うけどさ!お母さんはまだ若いんよ!
足腰しっかりしてるし骨も健康で
食欲旺盛、ボケてもいないし!
年寄り扱いすんなよ!


でも若くして発症してしまった人がいることもしって
高齢者に限らず誰でもなる可能性のある病気なんだって知った

ふつうに、ふつうに接したいんやけど
おかんの顔みたらめっちゃ泣けてくる

とりあえず、3/23は仕事終わってからご飯を作りに行った

肉吸いとホウレンソウとマカロニサラダ(リンゴ入)と
パプリカ&赤み肉のソテーと
お母さんのリクエストで、まぐろの刺身。

一番高いやつ買った。

口内炎が治らんらしくて
染みるんちゃう?って心配したけど

食べたいから

って言われたら買っちゃうよね。
食べたいんやったらしょーがないわ。
ナマモノは本当は避けたほうががええんやけど
あれだめ、これだめってのは
なるべく言いたくないから
そういうのは先生に任せよう((

3/24に骨髄検査をしたので4/6に結果が出るらしい。
検査おつかれさまやったね。

ほんまは付いていきたかったけど
ホントに抜けられない状態なので
弟が母を病院まで送り迎えをして
父と私と私の旦那の3人で忙しい金曜日を切り盛りした。

あー、ほんとに誰か手伝って。
出荷ミスありませんように!!

6時で無理やり仕事を切り上げて
残りは土曜日に出勤して片づけようと。

私の首・肩・背中・腰。
すんげー限界でいったいのなんのって・・・・

6時半で受け付け終了なので
病院着いたの6時25分くらい。

駆け込みセーフで診察&レントゲン&リハビリで
少し痛みが和らいだ。。。

先生、遅い時間だったのに丁寧に診察してくれてありがとうございます。
頸椎ヘルニアになる恐れ(まだなってはいない)がある、とのことなんで
しばらくは通院になりそうです。やれやれ・・・


そして3/25。
朝から昨日の残りの仕事を片付け&
明日はバザー出店のため準備をするべく作業に奮闘。
まじで昨日整形いっといてよかったー。
痛みが和らいでるので多少無理出来るわ、ウン←

昼過ぎに実家へ母の様子を見に行きました。

少し元気がないように見えた。
家に一人でいたから不安になってたんかな。
まずはおじーちゃん(お仏壇)に挨拶をして
必死にお願いをした。

「お母さんの病気を絶対治してください」
「おじーちゃんも寂しいだろうけど」
「お母さんをまだそっちへ連れて行かないでください」
「どうかお願いします・・・お願いします・・・・」

また涙が出てきたんで慌ててぬぐった(笑)

母に熱を測るように伝え、熱は36.8℃とのこと。
食欲はあり、下痢も嘔吐も今のところないらしい。
よかった(。-∀-)

こないだ骨髄検査した部分がかゆくて痛いらしく、
患部をみると結構血がにじんでいて服にまで付いていたので、
せめてバンドエイドを交換してあげたかったけど替えがないとのことだったんで
清潔なガーゼやらワセリンやらバンドエイドなどを買いに
ドラッグストア&スーパーへ母と一緒に買い出しへ行きました。

まだ本格的な治療は始まっていないから
なるべく外へ連れ出して気分転換してもらいたかったし
足を動かして体力をつけさせたかった。

もちろん、熱があったりしんどかったら連れ出していません。

仕事を優先させずにお母さんを優先したいけど
お母さんはそれを許してくれないので
私にできることは仕事をがんばること。

でも、仕事が終わったらなるべく一緒に居るようにしたい。

かなり重い近況報告になってしまってすみません。。。
しぃまの結膜炎が治ったのは結構救いでした。
でも母の病気は骨髄移植をしても完治は難しいみたいです。
むしろハイリスクの可能性が高いのだとか。

気持ちをしっかりもって、母と一緒にがんばります。
とりあえず明日は、バザーなので早く寝ないと・・・です。




読んでいただきありがとうございました┏○))ペコ




































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