転院前の、ある日の会話。


母は9月2日に61歳の誕生日を迎え、
看護師が来るたびに、外出許可もらいたくてしきりに訴えていた。



『外の空気が吸いたい。です』
『夕方、迎えに来てもらって帰ろうかなー♪♪』
『17時に、家族が迎えに来るんです』
『1泊だけでも、だめですか?』
『ケーキを買って帰るんです。ウナギと、マグロも』
『おうちに、帰りたい・・・・お願いします・・・・』


誕生日だというのに。
母の、なけなしの願いは叶わなかった。

やっと帰れる・・・・
でも、こんな状態で、家に帰ることになるなんて。


デイルームへ、看護師が呼びに来た。
母の体についていた沢山のコードたちはすべて外され、
人工呼吸器、心電図モニターなどはすべて撤収。
部屋には、母が着替えさせられて静かに横たわっていた。


私たち家族は、声にならない声をだし、
目を開けぬ母にすがりつき、泣き続けた。


看護師たちによって目を閉じさせてもらい、
母の顔に薄くではあるが化粧が施されていた。


血色がよく、口元は少し微笑んでいるかのように開いていた。
純粋に、ただ寝ているだけのようにも見える。

まるで、肩を揺らせば起き上がりそうな・・・・
適切な表現が思い浮かばないが、母の佇まいは故人として見えなかった。


『おかーさん。とても綺麗だよ』


不謹慎だが、こんな言葉を口にしてしまうほどだった。
人工呼吸器が付いていた喉は、
白のバンドエイドでテーピングされていた。


葬儀屋さんが到着し、静かにベッドを車へと運ぶ。
私が助手席に同乗し、自宅までナビゲーションをした。


自宅に到着したのは午前2時半過ぎ。
仏間に布団を敷き、母をゆっくり寝かせた。
おじいちゃんの遺影がすぐ近くにあるのだが、少しほの暗く見えた。


母『ただいまぁぁぁ!!!』


ドアを開けた瞬間は、
いつもの張り切った元気な声が聞こえるようだった。
しかし、もう二度と母の声を聞くことはできない。


翌日、、、と言っても数時間もすれば夜明けなので、
お通夜や告別式のスケジュールの打ち合わせなどは
同日22日の朝9時から行なうこととし、
ひとまず葬儀屋さんにはお帰りいただくことにした。


22日は金曜日。
不幸ごとがあったからと言って、
会社を休業するわけにもいかなかった。


父は、終日自宅にて待機し
葬儀屋と打ち合わせと親戚や母のご友人たちへの連絡をすることにした。


私含め弟・旦那・他スタッフ2名の合計5名で
会社を切り盛りすることとなるので、
少しでも睡眠をとり、業務に備える準備をした。



page14へつづく。