母に渡した1冊のノート。
体調が良い時に、日記を書くなどして
記録するようにと伝えていた。
その日思ったコト。
治療の経過報告。
日々の体調の変化。
愚痴。
なんでもいいから、寝ているだけではもったいないので
手を動かすなどして、日中起きているようにと宿題をだしていた。
そのノートには主に熱が何度あったという記録しかなく、
ほとんど空白なページが多かった。
私『おかーさん!さぼりすぎ!笑』
母『・・・(ニコニコ♪)』
ノートではなく、一枚のメモにしっかりと書いているのを発見した。
食べたい欲求を抑えられないらしい。
・・・・・・・無理もない。
5月5日から現在まで、クチから栄養を摂っていないのだから。
紙に書いたのは、これが初めてではない。
何度も何度も紙に書いて看護師や主治医にお願いするも、
人工呼吸器をつけているからという理由で
いつも答えは『NO』だった。
そのたびに、母の気持ちは殺されていたんだと思う。
強制的に『我慢』しなければならない。
そうしなければ、命の危険を伴うから。
お風呂にも入れてもらえていない。
人工呼吸器をつけているから。
ジンコウコキュウキヲ、ツケテイルカラ・・・・
せめて甘みだけでも感じてもらえるように
ポカリやいろはすのフルーツ味(りんごやみかん)を購入し
凍らせてもらい、アイスキャンディーのようにクチに含ませ、
糖分をクチから摂取していた。
しかし、それももう出来ない。。。
痰の色が悪くなり、肝臓の数値が徐々に悪化してきたからだ。
絶食することによって今は回復しつつあるが、
食事を摂ればまた肝臓の数値が悪くなるだけでなく、
誤嚥(ごえん)しかねない。
食べることは生きる事。
それを抑制されたら・・・・まともで居られるはずがない。
でも、母は食事を摂れない体になりつつある。
嚥下障害を伴うため、栄養は点滴へ切り替えたのだ。
母は決心し、先生に筆談で訴えた。
『熱が出てもいいから、おかゆと海苔をがっつり食べたいです!キムチも!お願いします!!』
”熱が出てもいいから”
・
・
・
その言葉に、先生は、母の気持ちを汲み、、、、承諾してくれた。
リスクがあるのは百も承知。
それでも、母は食べる事(生きる事)を選んだ。
キムチは発酵食品なので出せないが、
おかゆと海苔の佃煮を用意してくれることになった。
お風呂は、熱が下がって容態が安定していれば
8月30日に入浴が可能となった。
食事をするときも入浴時も、
私が立ち会う事を申し出、病院側は快く承諾してくれた。
私は母にとってお守り的な存在。
顆粒球輸血も、人工透析も、気管切開も・・・
重要とされる処置はすべて母の傍にいた。
(処置室には入らず、待合にて待機してました)
だから、入浴も食事もうまく行くと信じて
傍にいてあげたい。
入浴し、容体が安定していれば『念願の食事』ができる。
母は一番の笑顔を見せてくれた!
目がキラキラと輝き、決意新たに表情が変わった。
病人らしくない、いつもの母の表情になった。
8月ももうすぐ終わり。
9月にはいれば・・・・
母は61歳の誕生日を迎えることが出来る!!
page31へつづく。