メソメソのblogー母が骨髄異形成症候群になる-

2017年3月16日、母が60歳にして骨髄異形成症候群と診断されました。
このブログは母の闘病記録して更新していきます。

タグ:人工呼吸器



9月14日-18日の期間。


台風18号の影響がかなり不安だったが、
予定通り無事に、奄美の親戚たちは母の元へ到着できた。


朝の9時から夜の9時まで、奄美の姐さんたちが
ずっと付き添っていてくれたおかげで、
日中は仕事に集中することが出来た。


夜は、父or弟or私のいずれかが交代で寝泊まりし、
いよいよ始まる会社イベント『地域合同商談会』の準備にいそしんだ。


その間の母の容態は、
血圧に少々の変化はあるものの比較的安定していた。


尿が出ないため、全身がむくみ始め
目をほとんどあけられなくなった。


時折、うっすらと開けることはある。
しかし、見えていないような感じだ。
呼びかけても、応答はほとんどない。


体が固まらないように、と筋を伸ばすなどの
簡単なリハビリが始まった。


以前のように、
ベッドサイドに座ったり立ったりすることはできなくなった。


痰吸引をお願いするが、
体を動かすことが殆どなくなったので
気管から吸引しても上がってこなくなった。
引いても、なかなか取れなかった。


『ただ、苦しくなるだけなので・・・・』


看護師にそう言われると・・・・
ナースコールを押す頻度は、日に日に減っていった。


夜、寝泊まり時。


看護師のように痰吸引はしてあげることはできないが、
あたたかいホットタオルで体を拭いてあげたり、
体の向きを変えたり、
母の首の後ろに手を差し込み、後頭部や首、肩など
マッサージをなるべくしてあげた。


少しでも、体にたまっている悪いモノが出てきますように。


前病院でやっていた特別な治療は、
この病院では許可が下りなかったので・・・
やってあげることが出来なかった。


可能なら、やってあげたい。
でも、個室に精密機械を置いてある以上・・・
悪影響が出る恐れがあるので(心電図の乱れ等)
いくら前病院では許可がおりていた、と説明しても
病院で入院し病院の方針である以上、あきらめざるを得なかった。


ここまで来たら・・・特別な治療など、気休めにしかならない。
私に出来る事や母自身が出来ることは、徐々に減っていった。


『オシッコが出ないので、管を入れますか?』


医師に問われた。
管を入れたからと言って尿が出るものでもなく、
体のむくみが改善する、というものでもないらしい。


病院は治療する場ではあるので強制はないものの、
とりあえず提案してくれたようだった。
決定権は、私たち家族にある。


『本人が苦しいだけなので、入れないでください』


そう答えると、医師は心よく承諾してくれた。





9月18日早朝。
奄美の親戚たちはそれぞれの家に帰っていった。


私は9月17日の夜から泊まっていたので
父が翌朝交代で来てくれたから、
家に帰って気のすむまでぐっすり眠った。


母の血圧は、いまだ低いままだったが・・・・
鎮痛剤を入れてもらったおかげで、
呼吸回数は安定し、不整脈が気になるものの
呼吸器の異常アラームがなる頻度は減った。




page9へつづく。
















父『メソメソ。話あるから来てくれ』


自宅にて。
父に呼び出され、リビングへ足を運んだ。


父は、転院の詳細を話しだした。
内容は下記のとおりである。


☆個室ではなく、4人部屋であること。
☆HCUでしか受け入れてくれないこと。
☆21日間しか置いてもらえず、超過すれば別の病院に転院させられること。
☆9月7日に必ず移動しなければならない事。



私『…そんな…』
父『希望を聞いておきながら、要望通りと話が違うままなんの連絡もなく、はいそうですかって言えるはずないやん』
私『…』
父『そりゃ、病院のベッドの事情もあるやろうから、個室が空けば転院したいって言うたんやけどね。無理やとハッキリ言われたわ。HCUに入らなあかんのは、人工呼吸器をつけてるからやと。一般病棟では診れないらしい』
私『…』
父『もともとな、血液の病気で入院したんや。自宅で肺炎になったわけちゃう。肺炎になったのは今の病院でなったもんや。だったら治らないにしても、、さい…ご、まで、看るのが筋じゃないんか…って、、父さんは言うたんや。それがなんやねん、治らないんで別の病院へ行けって…そこで死ね言うことやろ…そんなん、あまりにも殺生すぎるわ…!』
私『…』
父『だからな、メソメソ。転院の話、白紙に戻して貰お?こんなん、話と違う。奄美の姐さんたちに、申し訳なさすぎて合わせる顔があらへんっ…!!最期の時くらい、穏やかに過ごさせてやりたいねん…チカラを貸してくれ』
私『…おとーさんの気持ち、良くわかった。私も同じ気持ちやで。明日、前主治医に話聞いてもらお。一緒にお願いしよう』








家族説明室にて。


主治医に時間をもらい、
転院の話は個室で明るい部屋ならという事で了承したものの、
やはりこの病院で診てほしいと切実に訴えた。


希望が100パーセント通らないのはわかってはいた。
でも、コチラの要望がすべて却下されたまま話が進み、
特に連絡や確認がなく、
強制的に決定されたのが非常に腹立たしかった。


強制的に決定するのであれば…
あの話し合いは何だったのか。
何のために何度も希望を聞いてきたのかわからない。


主治医『転院の調整は、医師同士でするのではなく、地域連携という部署がするんです。僕のほうにも昨日夜メールが来ていて、先ほどの話とまったく同じ内容が書かれていました。家族さんがとても怒っているので、そちらで何とかしてくださいと。。病院と家族さんの間に立ち、パイプラインの存在であるはずの彼らが機能していないので、正直困っています』


何と言われようと、
転院先の病院へは、もはや不信感しかない。


この病院の主治医であるあなたに最期まで診てほしい。
転院先の医師はちゃんと見てくれるのだろうか??
転院の話がきちんと伝達できていないのに、
カルテの引継ぎなどきちんとできるのか??


何とかこの病院で置いてもらえないか、
他のフロアでの療養は無理なのか、
緩和ケア病棟へ置いてもらえないのか・・・・、


何度も、何度も何度も何度も頭を下げ、お願いし続けた。


それでも・・・話し合いは平行線のままだった。
転院の申請をだしてしまった以上、
覆すことは出来ず、強制的に転院を余儀なくされた。


父『せめて・・・せめて、9月11日まで延期させてください・・・』


9月9日、10日に二人の姉たちが先にやってくる日。
最後の頼みだから、と二人で頭を下げ続け
主治医は、なんとか調整してみますと返事をしてくれた。


こうして、母の転院の延期(9/7→9/11)は決定した。
精神的に、本当に限界だった。



page5へつづく。







         

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
9月10日(日)
糖鎖パウダー投与14日目。
昼の投薬と共に小さじ1杯分を注入。
熱は37℃台、表情は比較的やわらかい。
オシッコは、頻尿に戻ってしまった。
特別な治療は、10分x3回おこなった。
夜は、眠れなかった様子。
母はしっかりと答えていた。
寝不足がやや心配ではあるものの、
せん妄症は、ひとまず落ち着いたようである。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★


奄美から、2人の姐さんがやってきて二日目の今日。


母の様子は、少々微熱気味ではあるものの
姉たちに弱っているところを見せられないと気を強く持っているのか
私と居るときのような脱力感・倦怠感な表情ではなく
むしろ心配になるほどの元気っぷりを発揮していた。


姉たちが滞在中、母は姉たちの体を心配していた。


遠方から来てくれているのだし、
長旅で疲れているのではないかと。


病室に長居していても体が休まらないだろうから、
家でゆっくりしてほしい、と筆談で何度か書いてあった。


しかし、頑なに姉たちは帰ろうとしなかった。
時間の許す限り、傍に居たいのだという。
明日には、奄美へ帰ってしまうからだ。


私は、母は姉たちに対する気遣いの気持ちは本物ではあるものの、
自分の弱っているところを見せたがらない性格なので
少し休みたくて、1人になりたいんじゃないか?と思った。


家族にしても大好きな姉たちにしても、
誰かが病室に居れば、気を遣う。それが母なのだ。
おちおち、寝ていられないはずである。


明日は転院の日だし、無理をさせて高熱が出た・・・
なんてことにもなりかねない。


かと言って、なんとか都合をつけて来てくれた母の姉たちの
気持ちも無下にもできない。


どちらの気持ちも分かるがゆえに、口を出すのを止めた。
結果、母が折れた(笑)


明日は、主治医が同伴で移動車に乗り込み、
私も同乗し、父は車で追いかける手筈になっている。


約5か月ぶりの外出。
短かったようで、ものすごく長く感じた入院生活。


人工呼吸器の離脱が難しいほどまでに
容体は悪化したまま、転院の日を迎えることになってしまったが、
これが今の医療の現実である。


どこの病院も、長期入院は歓迎されないみたいだ。
患者をなるべく退院させ、ベッドの回転率を上げなければ
病院の利益が下がる、と何かのサイトに書いてあった。


・・・そっか。そうなんだぁ。
もう、治る見込みのない患者は出て行けってことなのね。


医者も看護師も、精いっぱいやってくれた。
でも、結果駄目だった。


これが、大きな病院の後始末なんですね。
なんて冷たいんでしょうか。


母が入院できたのは、
以前入院されていたかたが退院したから。


そんなこと、わかってます。
そのかたがどういう理由で退院したかは知りません。
病気が治って、退院できたのなら良かったですよね。


でも、母はまだ治っていないんです。
骨髄異形成症候群も、肺線維症も。


なのに、設備が対して整っていない病院へ移動させられるわけです。
古臭い病院じゃありません。
建て直したばかりなので、新しくてきれいな病院です。


でも、医師や看護師の人数が現病院に比べると
圧倒的に少ないのです。


緊急事態が起こった場合、
人手が足らないという理由でほったらかしにされるんでしょうか。


あんまりですよ。
母が、誰に、どんな迷惑をかけたっていうんですか。。。
こんな仕打ち、本当にひどすぎます。


歳をとり、大病を患ったとしても・・・・
病院をたらいまわしにされたあげく、
入院できる病院がないなら自宅で死ねということなんですね。


この先の医療に、明るい未来はない。
母を見ていると、そう思わざるを得ません。


最後まで診てもらえることなく、
格下の病院へ転院させられるんですから・・・


外に出たいと、空気を吸いたいと願い続けて
やっと明日、少しの時間ではあるけれど・・・
ようやく外に出れるよ、おかーさん。


晴れたらいいね。転院しても、体調崩さないでね。
頑張っていこうね。


-SEASON3 page1-へつづく。







母のおおまかなタイムスケジュールを書きます。


【午前中】
6:00~8:00    
起床 or  寝
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8:00~12:00   
経鼻栄養補給、点滴交換
外来医訪問(歯科&皮膚科&消化器)
主治医による診察・経過観察
採血・採尿検査、レントゲン
洗髪、全身を拭いてもらう


【午後】
12:00~13:00  
寝てるかボーっとしてる。
経鼻栄養補給は無し。
点滴交換。

13:00~14:00  
作業療法士訪問リハビリ(タブレット操作)

14:00~17:00  
人工呼吸器管交換及び本体の点検
仕事を抜けた娘が面会に来る。(多忙日は来ない)
眠いのに娘に起こされつづけ、
しぶしぶトランプやアルバムを見るなどして遊ぶ。
具合の悪い日は遊ばない。
娘にホットタオルを用意させ、顔を拭いてもらう。
娘の手を握りながら、いろんな話をする。聞く。

17:00~18:00  
理学療法士が訪問リハビリ(ベッドサイドでの立ち座り)
主に足メインのストレッチ。

18:00~19:00  
父・息子が面会。娘と面会交代。
足をさすったり、マッサージをしている。
色々な話をする。
経鼻栄養補給。
主治医経過観察。
19:00で面会時間終了。
   

19:00~21:00  
多分寝てるかボーっとしてる。
21時就寝時間。でも眠れずに起きてる(と思う)


21:00~翌朝   
尿意があり、1時間に1度のペースでナースコールを押す。
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眠れない夜は用がないのにナースコールを押し、
看護師さんを少々困らせている模様。
睡眠薬を入れられ、寝かしつけられてしまう。







平日はほぼこんな感じで過ごしていると思います。
面会していない時間帯の過ごし方は、
看護師さん数名に情報提供していただきました(´・ω・`)


土日は外来診察が無く、特にこれといった検査もないので
特に暇な時間が増えるようです。。。


まぁ、その分家族が面会に赴き、
話し相手になったり、寝ないように監視しています(´Д⊂


昼夜逆転だと、日中のリハビリに影響が出てしまいます・・・
あまりの眠さに、リハビリに消極的になることもしばしばありました。

恐らく、睡眠薬がまだ体に残っているせいだと看護師さんは言います。

でも、夜起きていると看護師の人数が少ない時間帯なので
用があってナースコールを使用するならいいのですが、
特に用が無いのに呼んでしまっては、
看護師さんの負担が増えてしまいます。


せめて夜、もう少し長い時間居てあげたいのですが・・・
週末ぐらいしか協力できそうもありません。


せめて母が自分で歩けるようになれれば、
昼夜逆転も少しはマシになる、と思います・・・
                      

悪循環なこのジレンマループから、
なるべく早く脱出したいものです(>_<)
            


page23へつづく。







こんばんわ。

お盆休暇も残すところあとわずかですね。
今頃帰省ラッシュで高速・一般道路は
大混雑と言ったところでしょうか。

メソメソんとこは明日まで休みですが、
お盆最終日と言う事で、念のため会社に出勤し、
発注状況などを把握するために
休日出勤となりました。

長期休暇になるとどうもグデグデになっちゃいますねー・・・
image[1]

さてさてさーて。
ぐでぐで文句はこの辺にしておいて!


前記事の答え合わせに参るとしますか( ゚Д゚)!


Q.自発呼吸80%できているにも拘わらず、
何故人工呼吸器の離脱が難しいのか??



A.肺は風船のようなものであり、一度しぼんでしまうと
膨らみが困難になるので、常に圧力をかけ
膨らませ続けなくてはならないため。(※訂正済※)



という事でしたっ!!
人工呼吸器を少しの時間なら外しても大丈夫ですが
数分もしないうちに肺がしぼんできてしまうので
呼吸困難に陥るのだそうです。※追記※


80%自発呼吸出来ていてもそれは人工呼吸器のサポートがあってこそ。
人工呼吸器がなければ、肺活量が低い母は肺を膨らましきれず、
たちまち酸欠状態に陥いってしまうのです。※追記※




寝ているだけなら問題なく呼吸が出来ているのです。

この記述は間違いです。申し訳ありません!





なぜ、こんなに悪化してしまったのか?
理由は。
5月5日に発症してしまった肺炎が元凶です。


肺炎ウイルス(マルトフィリア)を完治させるために
顆粒球輸血(かりゅうきゅうゆけつ)を施し
多臓器不全のリスクにも目を瞑りつつ
ありとあらゆる投薬をされ、
人工透析や肝機能障害が起こり、
ついには気管切開をせざるを得なくなりました。


約1か月、集中治療室で徹底看護管理のもと、
母はなんとか一命をとりとめ、5月31日には
無事に無菌病棟へ戻ることが出来ました。


しかし・・・肺のダメージがかなり深刻な状態で、
人工呼吸器の離脱は長い目で・・・というお話があったほど。


母の肺細胞が炎症により固まってしまい、
ポンプの役割を果たすことが出来なくなってしまったのだ。


リハビリをすることで運動量を増やし、
酸素量を増やせば肺の活動が活発になり、
固まった肺細胞が復元するのではないか・・・という期待を込め
少しずつ少しずつ、リハビリを頑張り続ける母。


これからも、人工呼吸器がいつか離脱できるまで、
ステップアップしながら頑張るしかない。


リハビリの甲斐あって、タブレットを打てるようになりました。
ちゃんとメガネをかけています。
DSC_0516
指が震えるため、誤タップが多く、
文字を打つのに相当時間がかかっていました。
DSC_0517
諦めることなく、サポートをしてもらいながら最後まで入力しています。
声を出せない分、文字にして自分の気持ちを綴っていました。
奄美グループのLINEチャットをしています。
DSC_0523
送信アイコンを押し、やっと一息♪
作業療法が終わった後、テレビを観ながらまったりモード❤
DSC_0512
本人は、テレビを観ている画像のベッドの角度が一番ラクなようです。
タブレットを操作するときはベッドの角度を鋭角にしないといけないので、
とても辛そうにしています・・・。
腰が痛むのと、人工呼吸器が重力により引っ張られてしまい、
付着部分が痛いのだそうです。


・・・・でも。
痛いから、辛いからと言ってリハビリを止める訳には行きません。
止めてしまうと、せっかく今までやってきた努力が水の泡になってしまうからです。
体の衰えは、あっという間なんです。


見ているのが辛い事、正直沢山あります。
でも、目を背けずに母の努力をちゃんと見守るようにしています。



腕も足も、やせ細ってしまいました。
体重は、40キロもありません。


しかし、今までどんな困難にも逆転勝ちしてきた母なので、
数年先どこまで奇跡的に回復するのか、とても楽しみです。


明日は、母の事で今後の話がしたいと
家族全員が呼ばれました。


内容については、、、なんとなく皆目ついています。


たぶん、転院の話か、胃瘻処置の話か。
骨髄異形成症候群の治療方針か、ドナーの話か。
それとも・・・・・・


とりあえず午前中は会社へ出社した後
母の未来についてお話を聞いて来ようと思います。



page21へつづく。









4月18日から入院し、3か月と25日が経過しました。

ということで、
経過報告します!


8月13日(日)現在、母の現在の容態は。。。


☆人工呼吸器装着
☆絶食(肝臓の数値が上昇したため)
☆体重減少
☆咳が止まらない
☆微熱が続く
☆リハビリ時、腰が痛む
☆せん妄症の兆候あり
☆頻尿気味
☆やや便秘気味




な感じです。
これを後退と捉えるか、前進と捉えるか・・・
私には判断が非常に難しいです。


医療的に診れば、『横這い』なのだそう。


元々、明日の容態が分からないと言った疾患のため
『絶対大丈夫』ということは残念ながら言い切れません。


細かい事を言えばキリはないですが
それでも母は、いつか来る退院を夢見て
毎日治療に励んでいます。


そんな母に、『人工呼吸器』について少々・・・いや、
大きな変化がありました。


基本的にはずっと人工呼吸器を装着し、
寝たきりの状態が続いています。


人工呼吸器をつけている患者は、
定期的に痰吸引処置をしなければならず、
呼吸がしづらい状況になるのだそうです。


以前から、咳き込みはありましたし
痰が絡まり、痰吸引をする頻度も増えてきていました。


しかし最近は咳き込みがとても酷く、
痰が絡まりやすくなっているのか
とても苦しそうに表情を歪めています。


喘息を患ったことのある方ならイメージしやすいと思いますが、
呼吸するたびに『ひゅーっひゅーっ』と音がします。
(毎日ではありません)


今までなら、痰吸引は人工呼吸器をつけたまま
管を喉へ押し込み、圧力をかけながらゆっくりと引っ張っていました。
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↑の画像はイメージです。
人形へは口から挿管していますが、母は喉に装着しているので
喉へ吸引カテーテルを押し込んでいます。


ある日の、リハビリ時。
呼吸器のアラームが頻繁に鳴るので
看護師さんが心配して、ちょくちょく見に来てくれていました。


リハビリは体を動かすのが目的なので、


運動量が増える

呼吸量が減り、呼吸回数が増える

心拍数上昇、軽い酸欠状態になる

アラーム警報



は、至極当然なこと。
だから私は、アラームが鳴り響く中
ハラハラしながらリハビリを見守っていたけれど
今ではようやく、余裕を持って母の事を応援できるようになりました。


今では支えアリで(数分間)立つことが出来、
一度きりでしたが車いすへ座る事ができました!
※車いすに乗り、部屋からの脱出は出来ていません※


時折、立ち上がったりベッドサイドへ座るときに
人工呼吸器が予期せぬ時に
外れることがあるんです^^;



酸素音『シューーッシューーッ』
アラーム『ピピピピピピピ!』

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※↑の画像は正常値ですので特に問題の無い表示ですが
以上数値だと赤や黄色などに色が変化します


私『(゚Д゚;)!!!?』



もはや場は騒然としています(笑)
でも、実はリハビリの先生自身、慌ててないんです。


理由は簡単。


自発呼吸を80%程度出来ているからです。


外れれば、人工呼吸器とメソは大袈裟に騒ぎ立てますが
当の本人たち(母とリハビリの先生)はいたってフツウ(笑)


私『・・・おかーさん、苦しくないの・・・?』
母『うん。苦しくない』




なんて頼もしい回答なんだろう!
じゃあ、人工呼吸器外してもいいんじゃないの!?
素人ながらにそう考えてしまいました。


でも、80%自発呼吸が出来ているにも拘わらず、
外すことはできないと言われてしまいました。
何やら理由があるようです。


・・・・さて、母はなぜ人工呼吸器を離脱できないのでしょうか?
答えは、次号で掲載したいと思います(*'ω'*)!



page20へつづく。








良質な睡眠をとるための薬を投与されてから、
母はいつもの調子に戻ったようだ。


笑顔が増え、ゆっくり話してくれるようになった。
でも・・・手首に巻かれた「それ」は、
母の手の動きの自由を奪っていた。


せん妄症の症状が出て、自分で呼吸器を外した事故があってからは
両手首に「抑制」を巻かれるようになったのである。
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つまり、重しをつけて動きを制限させ、
危険な事故を防ぐための手段だった。


家族が面会中の時は、ナースコールを鳴らし、外してもらえる。
しかし、面会が終わるとまたナースコールで呼び出し、
「抑制」を手首に巻かれるのだ。


優先して診てもらえる病室に居るとは言え・・・・
看護師さんの勤務人数が少ないこともあり、
ましてや夜勤になると更に人数が減るので
呼び出しをしても待たされることが多いのだという。


この状況の中、命の綱とも言える呼吸器を自ら外す行為は、
看護師さんの負担をさらに増やすことになる。


・・・抑制を付けることは、しょうがないこと。
抑制が嫌ならば、家族が寝泊まりすれば問題は解決する。


自営業なので、ある程度時間の自由はきくものの・・・
仕事を頼める代わりの人間が居ない。


そして夜、寝泊まりできるほどの体力も精神的余裕もない・・・


私は、父に提案した。
面会時間は7時までだけど、なるべく消灯の9時まで居るようにして、
休みの日は交代で母のそばに居てあげよう、と。
そうすれば、夜寝るときだけ抑制が巻かれてしまうけど
たとえ数時間でも抑制無しで居られるから、母の負担の事を想えばこそ・・・
とにかく、何とかしてあげたかった。
体は回復してきても、抑制を巻かれることで
さらにストレス負荷を与えているような気がしてならないからだ。


父と弟、私の3人で、せん妄症が改善されるまで。。。
しばらく、交代で面会時間を長く調整するようにした。





母は、手首を自分の衣服へこすりつけるようになった。
巻かれた部分が痒いのだという。
代わりに掻いてあげると、気持ちよさそうに顔がほころんだ(*'ω'*)


抑制を巻かれる理由については、本人も理解はしているようだった。
でも、なんとなく諦めたような、辛そうな表情。
いたたまれず、看護師さんへ聞いてみることにした。


私『せん妄症の症状はその後、どうでしょうか?』
看護師『以前に比べたら、だいぶマシだと思います^^』
私『そうですか。なら、良かったです。・・・あの、抑制なんですけど・・・』
看護師『ああ、本人も辛そうですよね。事故を防ぐためとはいえ、私も正直辛くて・・・』
私『症状が落ち着いてきているのなら、離脱するのは難しいですか??』
看護師『うんうん、そうですね!主治医に確認して、なるべく早く離脱できるよう相談しますね^^』
私『お願いします!ストレス負荷も気になりますので(;´Д`)』


抑制を巻かれてから数日経過した。
抑制中は、主治医が問診する前に必ず、
本人の名前と年齢、今いる場所、入院している目的、今の時間を聞いていた。


ほどなくして、抑制は無事に離脱することが出来た(∩´∀`)∩!



page16へつづく。








これは、母のとても大事なものである。
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母が肌身離さず持っていた、黒のガラケー。

5月5日の夜、
自発呼吸が難しくなり人工呼吸器を余儀なくされ、
ICUへ移動直前までずっと手に持っていたケータイ。


『電話したい・・・お願い・・・ケータイ・・・・』


消え入りそうな声で先生へお願いするも、
ケータイを没収され、通話やメールをさせてもらえなかった。


伝えたいことが沢山あって、
連絡とりたい友達が沢山いて、
受信メールの返信がしたくて。。。


ICUは高度医療清潔区域領域になるため、
私物を持って入ることは不可能だった。


母がICUへ入っている間は、
母のケータイの電源を切り、自宅で保管していた。


母の容態が良くなったら、親しい友人に連絡しよう。
父の判断だった。


電源を切ってから、およそ1か月。
母は人工呼吸器をつけたままだが、
容態は著しく回復し、元の病棟へ戻ることが出来た。


病棟に戻ってから、10日ほど経過したある日。
家族の精神的不安定さも解消され、
穏やかな日常へ戻りつつあった。
母の親しい友人に連絡を入れるべく、ケータイの電源を入れた。





メールの受信件数ががががgggg



無菌病棟に戻った母は、
人工呼吸器装着により話すことはできないが
目も耳も聞こえるので、簡単な意思疎通はできた。

勝手にケータイを見る訳には行かないので、
母の了解を貰い、メールの内容を目の前で確認させてもらった。


奄美の親戚たちからの心配メール。
和歌山の親友たちからのランチのお誘いメール。
母の同級生たちからの同窓会のお知らせメール。
会社の同僚たちからの心配メール。
幼馴染からの何気ないメール。


メールだけじゃない。
お留守番センターからも通知が来ていた。


きっと、返信がないので電話をくれたのだろう。
最初は他愛ない内容だったメールも、
徐々に心配しているので連絡くださいと書かれている内容ばかりになり
心から母を慕ってくれている人たちがこんなに居るんだ、と改めて知った。


父に頼まれ、母の友人たちひとりひとりに電話をかけた。
母の代わりに、メールの返信もした。


詳しい病気をほとんどの人に伝えておらず、
ただ『しばらく入院するね』としか伝えていないようだった。


母の事だから、大ごとにして心配させたくなかったんだと思う。
願わくば、何事もなかったかのようにみんなの元へ戻りたかったに違いない。


自分の声で真実を話すことが出来ず、
指を動かす力が無いため、
ご友人たちへの連絡が大幅に遅れてしまったことをなるべく丁寧に詫びた。


家族以外は面会を断っている状態なので、
人工呼吸器が離脱できれば即連絡します、と伝えると


『ありがとうございます。ご家族様もどうか、体調ご自愛ください』


とあたたかい言葉をかけてもらえた。


母は毎日、沢山の人から気持ちを受け取っている。
早く良くなってください。元気になってください。会いたいです。

ガラケーにメールが来れば読んで聞かせているし、
タブレットには奄美の親戚たちからのわいわいLINEが盛りだくさん
詰まっているので、文字サイズを最大にして、
顔の前へかかげて、読んでもらっている。


本当に嬉しそう。
見ているこっちも、すごく嬉しいし安心する。


この瞬間はいつも、生きててくれて良かったって思える。
明日の治療の糧は、周りの人たちのお陰で満ち足りている気がします。


いつも本当にありがとうございますm(_ _"m)
感謝の言葉が止まりません。


母の回復が、最大の恩返しになると思うので、
病気にくじけそうになったらメールを読んで聞かせ、
生きる希望を与え続けたいと思います。






page10へつづく。



父『・・・!?おい、大丈夫か!?』
母『・・・・・、・・・・・、・・・・・っ』


とても苦しそうな表情の母に、
何をどうしていいのかわからず
ひとまずナースコールを押すが・・・
ナースステーションからの応答がない。

父『すぐ呼んでくるからな!』

母にそう言い、ナースステーションを覗いても誰も居ない。

父『・・・・、なんで誰も居おらんねや・・・!』

静かな病棟。人の気配がない。
就寝時間はとっくに過ぎているため、廊下は当たり前のように薄暗い。
yjimage[2]
父は看護師を探し続けた。
すると、緩和ケアから歩いてくる1人の看護師を見つけた。

父『すんません!アラームが鳴ってて。。。診てもらえませんか!?』
看護師『はい!確認します!』


病室へ看護師と入室した時にはアラームは止まってはいたが
心拍数上昇、酸素供給、血圧が低下していた。

看護師は、痰の吸引が必要だと判断。
母に断りを入れ、吸引の処置に取り掛かった。

看護師『・・・・はい、すぐ終わりますよーもう少し、頑張ってください・・・・』
母『・・・・・っ』
父『・・・・・』
看護師『・・・終わりましたよ、お疲れ様でした^^』
母『・・・・(うんうんと頷いた)』

父はホッとした。

看護師『頭の位置はどうですか??』
母『・・・・・』
看護師『ちょっと下げますかー??』
母『・・・・(うんうんと頷いた)』
看護師『はーい、じゃ、少しさげまーす・・・どうですか??』
母『・・・・(苦しそうな表情で首を振る)』
看護師『ん、もうちょっと下げますー??』
母『・・・・(イヤイヤと首を振る』
看護師『下げ過ぎたんですね、ごめんなさい。少しあげまーす・・・どうですか?』
母『・・・・(うんうんと頷き、目を瞑った)』


父『・・・・今、どういう状態だったんですか??ちょっと、よーわからんくて・・・』
看護師『あ、はい。人工呼吸器をつけているかたは定期的に吸引処置が必要になるのですけど、溜まってくると呼吸がしづらくなり、患者さんの心拍数が上昇してくるので、アラームが鳴るんです。アラームの種類はいくつかありますので、まずはモニターをチェックし、どれが原因として一番疑わしいかを判断しています。酸素が正常に供給されるようになったので、奥様はお休みになられたようですね^^』
父『・・・あぁ、そういう状況だったんですね。ナースコールを鳴らしてもすぐ来てくれなくて、結構焦りました・・・』
看護師『そうですよね、申し訳ありません(>_<)必ず誰かはナースステーションに1人常駐していなければならないのですけど、今日は3人しか居なくて・・・・言い訳をするつもりではないのですけど、たまたま全員出払っているときにナースコールが鳴り、対応が遅れてしまいました(>_<)お母様はご自身でナースコールを押すことができないので、他の患者さんより優先して診ては居るのですけど・・・・コールが被ってしまうと、迅速な処置が非常に難しくて;;;』
父『たった3人なんですか!!それは忙しいですね(>_<)』
看護師『看護師不足が深刻でして、病棟は何人もの患者さんを掛け持ちで看なければならないので、特に続かない人が多くて;;;不安にさせて本当に申し訳ありませんでした(>_<)』
父『いえいえ・・・大変ですね、看護師さんも・・・・』
看護師『なるべく迅速に対処させていただきますね!ではまた何かありましたら仰ってください。失礼しますm(_ _"m)』
父『どうも、ありがとうございました┏○))ペコ』


父は、看護師さんが出て行ったあと
母の顔を覗くと・・・・起きていた。
さっきの会話を聞いていたのだろう。
しきりに何かしゃべりたそうにクチを動かしていた。

母『・・・・・、・・・・・・。・・・・・・・!』
父『・・・・ん??もう一度呼ぶんか??』


母は首を振り、しきりに何かを説明する。

父『・・・・・?』

母は視線をドアの方へ向け、さらに何かを説明した。

父『・・・・ひょっとして、帰れって言ってるんか?』
母『・・・・(うんうんと頷いた)』
父『お前、しんどくなっても自分でナースコール押せやんのやぞ?』
母『・・・・・』
父『傍におるから、もう休め』
母『・・・・(首を振り、か・え・れのクチの動きを繰り替えした)』
父『・・・・・わしが居ると、休めんのか??』
母『・・・・(うんうんと頷く)』
父『・・・・わかった。泊まらなくても大丈夫なんやな??』
母『・・・・(ニッコリと頷いた)』
父『じゃ、今日はこれで帰るわ。また明日来るからな。』
母『・・・・・(目を瞑る)』



父は、深夜2時ごろ帰宅したようだった。
次の日、会社にて私に昨日の出来事を話してくれた。

母は、ナースコールを押せない体でも
家族に頼ろうとせず病院側を強く信頼し、
『私の事はいいから休んでください』とでもいうように
この日を境に家族との長時間の面会を拒むようになった。



page3へつづく。





無事に引っ越しが済んでからその日は、
レントゲン撮影、エコー、CT、人工透析、体のマッサージケア等々・・・
母にとってはイベント盛りだくさんのめまぐるしい1日となった。

私は引っ越し当日、病棟医から心配停止した時の話を聞き終え
母が落ち着いて病室へ戻ったのを確認してから会社に戻り、
病棟医に言われたことを報告し、相談をした。

報告は心配が停止したときの対処方法や検査の概要、結果。
相談内容は、強制ではないが今夜家族の誰かが
母の病室へ泊まることが可能であれば
傍についててやってほしい、と言われた事だった。

病棟医は私に言った。

病棟医『今まではICUで24h、患者1人につき1人の看護師がついていたので手厚い看護が出来ていたのですが・・・ICUに比べると看護師の人数が極端に減ってしまうので、日中は看護師1人がおよそ5~6人の患者を兼用で看ることになります。お母様は特別観察室で治療しているので、他の患者さんよりは優先して診てもらえる状況下にあります。1時間に1度の頻度でお伺いすることになるのですが、夜になると、看護師の人数がさらに減ってしまうのでなかなか来ることができない可能性もあるんです。お母様は声が出ず、腕を動かすチカラがないため、用事があってもナースコールを押すことが出来ません。センサーで拾うにしても、チカラが弱すぎるため反応しないのです。お母様はひょっとしたら不安に思うかもしれないので、ご家族の誰かが傍についていてくれれば、万が一看護師がなかなか来れない状況下になっても、多少は心強いかと・・・』
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・・・そっかぁ、そういう状況なんだ・・・
ナースコールが押せないなら、確かに不安がかなり大きい。
息が苦しくなっても、ただ待つしかできないのだから。

【人工呼吸器のデメリット】
・痰が定期的に溜まる。

気道がふさがってしまい、息苦しくなる。

詰まってしまう前に除去。

吸引している間は呼吸ができない。

患者の苦しさは変わらない・・・。

除去後は、気道確保ができるので呼吸がしやすくなる。

また、痰が溜まる。

繰り返し・・・・・
「痰吸引」の画像検索結果
こんな感じで処置していただいております・・・。





吸引している間は、心拍数が上昇している。
チューブを取り外しているためアラーム音が鳴り響く。
装着している間は、これが延々と続く・・・・(>_<)

また、人工呼吸器を装着しているとはいえ
母も多少は自発呼吸が出来ている状態なので・・・

・時々、人工呼吸器と喧嘩する。

つまり、規則正しく酸素を送り続けている人工呼吸器に対し
母の自発呼吸とタイミングが合わず、苦しくなるようで
眉間にシワがよることがしばしば起きた。

息継ぎのタイミングがうまくできないのだ。

水面はすぐそこに見えているのに
顔を出したくても出せない状況に陥るのだろう。。。

想像でしかないけど(´・ω・`)
こんな状態でどうやって寝るんだ・・・・


・ベッドの角度によって息苦しさが変化する。

チューブが正常な状態(屈折していない状態)なら
酸素供給は安定しており、痰が詰まらない限りは
息苦しさはさほど感じ無いようである。

が・・・・、

ベッドの上部を上げたり下げたりしたとき、
チューブが屈折してしまう事があるようで
操作をするときは充分に気を付けなくてはならない。

少しだけベッド上部を上げた状態のほうが
母は落ち着いて寝ていられるようだった。






父がこの日、泊まることにした。
看護の観点では何もできないが、
母の異変に気づけばすぐナースコールを押してやれるから・・・
理由はそれで十分だった。

仕事を終えて、風呂と食事を済ませ
病室へやってきた父。
特に何をするわけでもなく、
ただ、看護師の処置を眺めていたり
母に言葉少なに語り掛けていたようだ。

夜はどんどん更けてゆき・・・
父もうとうとし始めた頃。


けたたましいアラーム音が病室中に鳴り響いた。


page2へつづく。

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