メソメソのblogー母が骨髄異形成症候群になる-

2017年3月16日、母が60歳にして骨髄異形成症候群と診断されました。
このブログは母の闘病記録して更新していきます。

タグ:不整脈



早朝。
病院から連絡を受け、父・弟・私の3名は、母の元へ急いだ。
カーテンを空ければ、看護師が胸に聴診器を当て、
血圧測定をしていた。


母は昨日までのような面影はなく
クチを大きく開け続け、
目はうっすらと開いたままだが、
眼球の動きはあまり見られない。
苦しそうに、浅い呼吸を繰り返していた。


顔面蒼白。。。。
呼びかけるが、応答はない。
意識が浮上しない。
駆け付けた3人の涙が止まらない。。。。。


傍に立っていた医師が口を開く。


医師『血圧が下がっていて、呼吸回数も非常に多い。不整脈により、心拍数が安定しません。血圧を上げる薬はあるにはあるのですが、体の事を考えると、、、あまりお勧めできません。熱は今40度まで上がっています。恐らく、自身の滞在菌をコントロールできず、感染症による症状かと・・・』


父『・・血圧の薬は、要りません・・治療は、結構です。静かに、見守りたいです・・・』
医師『わかりました。抗生物質と、栄養剤のみ引き続き投与し、様子を看ますね』
父『・・・・はい、お願いします・・・・』



父は会社へ向かい、
母の容態が落ち着くまで、弟と私は待機することになった。


弟が泣きじゃくっているので、
相部屋の人に悪いと思った私は、
弟に『落ち着くまでデイルームで居なよ』と言った。


弟は言われるがまま、デイルームで待機することにした。
しばらくして、師長がやってきた。


師長『おはようございます。今日は、ずっと付き添われますか・・・?』
私『はい、そのつもりです』
師長『ずっと付き添っていただけるのでしたら、個室をご用意できますが移動されますか?』
私『えっ・・・いいんですか??』
師長『ええ。先日も申し上げましたように、迅速な対応に若干不安はあるのですが、ご家族様が常に待機していてくださるのなら、個室へ移っていただけます。ただ、移動するにしても呼吸器を一瞬外さなければならないので、リスクは伴います。それでも、よろしいですか?』
私『・・・はい!ぜひ、お願いします・・・!!』
師長『わかりました。それでは、病室を調整してきますのでしばらくお待ちください』


私は、母に個室へ移動できることを伝えた。
母の反応はなかったが、耳は聞こえてると思い、
相部屋の人に迷惑にならない程度に、語りかけつづけた。


移動は、滞りなく済み・・・・
ようやく、静かな環境にホッとした。


父にも奄美の親戚たちにもLINEで報告し、
前病室で飾っていた千羽鶴や写真など、
自宅から持ってきて、病室の壁に飾ることができた。


みんなの願いのこもった、守り神たち。
母の周りに置き、親戚たちが来る9月14日まで
なんとか持ち直すよう、お祈りした。


今までだって、何度も窮地を脱出してきたんだ。
今回だって、きっと持ち直すに決まっている。


その夜、私は泊まり込みで母のそばに付き添った。
心拍数上昇、呼吸回数上昇、血圧低下により
頻繁にアラームが鳴り響く。



まるで、母の不安な気持ちを表しているかのよう・・・
母の髪をなでながら、安心させるように語り掛け続けた。


『おかーさん、おかーさん。呼吸回数、早いよ。もう少し、落ち着いて。ほら、ゆっくり深呼吸・・・そうそう、上手だね。その調子。怖いよね。つらいよね。一緒に闘おう。姉さんたちが来るまで、お願いだからもう少しここに居てね・・・私が傍に居るよ』


おかーさんにとって、一番の守り神は私。
願いが通じたのか、60を下回っていた血圧は80台まで回復。


意識の回復は薄いが、表情は和らいでいるように見えた。
でも、昨日の夜は本当に辛そうで・・・
まるで、母の寿命を縮めているような感覚に陥った。


父に、ある相談を持ち掛けた。


page7へつづく。






主治医『今日は人工透析の予定でしたが、今日も尿毒素の値は基準値ですので、見送りしましょうか』

先日から幾度となく、見送りが続いていた人工透析。
週二日透析を回す予定だったのが見送りとなった。

そして、6月26日(月)。
ついに、主治医から聞きたかったアノ言葉を聞くことが出来た。

『おめでとうございます。人工透析卒業ですよ^^』

やっと、腎臓の機能が復活した!!
母も私たち家族も、安堵した。
尿毒素がたまり始めれば、また透析をしなければならないのだが
ひとまずは安定という事だった。

ただ・・・・、
オシッコが出すぎているため、
若干脱水症状が出ているとの事。

身体は全体的にむくんでいる。
特に、手足が酷い。
が、血液中の水分が足りて無いようで
全体的な水分バランスの調整が難しそうだった。

喉が渇くようで、よく『喉乾いた』を連呼するようになる。
しかし、飲み水を飲ませることが出来ないため、
水分を含ませたスポンジで口の中を塗布する頻度が増えた。

リハビリは極めて良好。
ベッドサイドに座っていられる時間が、少しずつ長くなってきているし
まだ肘を上げるチカラはないが
指先から手首にかけてはかなり動けるようになり
文字盤を滑らせたり、握手をして握り返すまでに回復。

呼吸量は『260~320』あたりが平均値。
リハビリをするとどうしても体力を使うため下がってしまうが、
ベッドに横たわり、安静にしていれば問題のない数値である。

あとは・・・ひとつ、気になることが出てきた。
それは

不整脈。。。
yjimage[4]
6月27日(火)の面会は、
仕事が終わって18時回ったころに向かったのだが
何やら病室が騒がしく、看護師さんの出入りが目立った。

病棟医も病室へ来て、事の経緯を簡単に説明してくれた。

私たちが来る1時間ほど前、不整脈が出ていたとの事。
しかも、結構危険な波形だったらしい。
循環器専門医を呼び、原因を突き止めるため
しばらく病室の外で待機していてほしいと依頼があった。

不整脈が出ていることは、ICUの時もちょくちょく出てはいた。
ICU担当医の口ぶりからしても、
そんなに深刻な事でもないだろうと思っていたので
今回の不整脈は、想定の範囲内だろうと安易に考えていた。

しかし、軽視できるような波形ではなかった。
心臓が止まってもおかしくない。そんな波形だったであると。
家族に電話をしようか、判断を決めかねるほど悪い状態だった事を知る。

母の場合、血小板数値が2万台しかないため
心停止した場合、心臓マッサージはできない。

何故なら、心臓マッサージはチカラを込めて押し込むため
内臓出血をする患者さんもいるのだとか。
母が内臓出血してしまえば、命を取り留められなくなり
さらに危険が増すとの理由・・・・


心停止だけは絶対阻止したい。
yjimage[7]
≪不整脈の原因と対策≫
①人工呼吸器の酸素供給量の減少。

人工呼吸器離脱を目標に、モードをサポートに切り替え、
圧は20%、濃度を35%維持していたが、
これにより、リハビリ時は常に酸素不足だったのではないかと推測。
今後は人工呼吸器のモードと圧はそのまま、
濃度を45%まで引き上げ様子を見るとの事。

②脱水症状(血液中の水分不足)

尿の排出量が増えたので、人工透析を離脱。
血液中の水分が不足しはじめたため、
今後は点滴により水分を補うとの事。







ひとまず、原因と対策はハッキリした。
母の不整脈は、次第に落ち着きを取り戻した。


昨日は、懸命にリハビリを頑張っていて。
文字盤を指で触るようになってきていて。
買ってきた壁掛け時計を見ながら、少し微笑んだり。
甘いものが食べたい、と連呼していたり。
寝ている顔はとても穏やかだったのに。。。

体調崩すときは急降下。。。

でも、まぁ。
入院している以上は、何もないはずはない。
辛いけど。びっくりするけど。

マラソンだって、長距離になればなるほど
体が悲鳴をあげる。

おかーさんは、病名を告知されてから3か月経ち、
入院して2か月が過ぎた。

もっと長く入院している人からすれば
『2か月しか経ってないじゃん』って思うかもしれない。

でも、ごめんなさい。。。
2か月という期間、ホントに長く感じました。

4月18日に入院生活が始まり。
4月20日に抗がん剤治療開始。
4月25日に無菌室へ移動。
5月5日に肺炎を患いICUにて人工呼吸器装着。
5月8日に顆粒球輸血処置開始。
5月16日に24時間人工透析処置開始。
5月24日に気管切開手術。
5月31日に、ICU卒業。無菌病棟へ帰還。
6月1日から口腔外科的処置、皮膚科的処置開始。
6月2日からリハビリ開始。
6月26日に人工透析卒業、オシリの管も卒業。





そして、現在に至ります。
振り返ればあっという間だったかもしれないけど
この一件で、まだまだ長く険しい道のりなんだなぁ
と思い知らされた日でした。

おかーさん。
みんな応援してくれてます。
頑張ってるおかーさんの姿は、みんなを元気にします。
頑張ってくれてありがとう。
生きていてくれてありがとう。

おかーさんは、みんなにとってなくてはならない存在です。
頑張っていこうね。



page9へつづく。





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