メソメソのblogー母が骨髄異形成症候群になる-

2017年3月16日、母が60歳にして骨髄異形成症候群と診断されました。
このブログは母の闘病記録して更新していきます。

タグ:せん妄症


(スマホから投稿)


今日、発言した母の言葉。


『髪の毛、切ってあげる。カミソリ持ってきて』

『目が見えない』

『聞こえるよ』

『しっかりしてるよ、大丈夫』

『メソメソ、泣くな』

『私に触らないで』

『置いて行くよ』

『また、シチュー作るわ』

『子供らにうどんあげる。おかーさんは、昼の残りでいいよ』

『ご飯のスイッチ』

『洗濯物、乾いてるはず』

『用事?ないよ』

『メソメソが居るから、安心』

『もう5時』

『そこ、誰かいる。また来た』

『男…女…知らん人』

『ずっとこっち見てる』

『メソメソ、危ないからもう帰り』

『おかーさんは大丈夫やから』

『またあした、おつかれ』


明日の夜は、念願の姉たちに会える日。



page43へつづく。



すみません、今日もスマホからの更新です…
ウチのネット環境、どしたんや(笑)


アップロードするにもローディングが長く、エラーになる始末。
それでもめげずに更新ボタンをタップし続けて、、、


そんな事するくらいなら早めに寝るべきですな(ノω`*)笑

さてー
本日の母の様子。

筆談で転院の話をし、母なりに理解してくれたようです。

むしろ、転院の事よりも
お風呂に入りたかった模様…

看護師さんの話では、
朝からずっとお風呂に入りたいと訴えているようで、筆談で何度もやりとりした形跡がありました(´・ω・`)

看護師さんも、母の気迫にタジタジ…

何とかうまく誤魔化しながら、
私が到着するまでの間、取り次いでくれたようです。

母は、私にも言いました。

母『これからお風呂に入ってくるね』

そう言いながら、パジャマのボタンを外し始めた。

私『え、これから?』
母『うんうん』
私『今日、入浴の予定なんて聞いてないけど?』
母『ひとりで入れるから大丈夫』

そう言って、笑顔でドアの方を指さす。

私『おかーさん、ここ病室だからこんなとこで服脱いだらあかんで。脱ぐなら、脱衣場で脱がなきゃ』
母『…?え、…お風呂、そこに…』
私『病室にお風呂ないよ!移動しないと!』

母の眉間にシワがより始める。

私『看護師さんのお手伝いがないと、おかーさん入れないよ?』
母『…入れるよ…』
私『…』
母『…』

母は、イライラした様子で
パジャマを引っ張り始める。

私は、母が外したボタンをとめた。

母『…ブツブツブツ…』

よく読み取れない口の動きだったので、
なんて言っているか理解できなかった。

私『おかーさん、しっかりしてよ!』
母『…しっかりしてるよ…』
私『…』
母『…ブツブツブツ…』

手を握っていたが、母の手が離れようとしたので強く掴んだが、もう片方の手で私の手を引き剥がそうとした。

私は、手を話すしかなかった。

看護師さんがちょくちょく様子を見に来てくれて、母に話しかけてくれた。

私に対する不機嫌な様子は全く無く、
『大丈夫』『ありがとう』とにこやかに対応していた。

看護師さんが退室すると、途端に無表情になり、白目を向きながらブツブツブツとクチや手を動かし、まるで母にしか見えない誰かと話している風にも見えた。

私『おかーさん、白目やめて!笑』

肩をゆすれば、すぐ黒目に戻る。

母『…何?』

イライラしながら私を見る。

私『今、誰と話してたの?』
母『おにーちゃん』

母は、9人兄弟の中で5番目の子供。
死別してしまったので今では4姉妹だが、
母の枕元に兄が居るらしい。

私『…おにーちゃんて、どんな人?』
母『そうやなぁ…ふつう。』
私『おにーちゃん、なんて言ってるの?』
母『何も言ってへん』
私『まだ居る?』
母『うん』

私には見えないけど、
母の傍に立っているであろう母の兄に手を合わせ、お願いをした。

私『まだ、母を連れて行かないでください。お願いします…』

願いは届くのか。
わかんないけど、母は私が退室するまでせん妄症は収まることはありませんでした。


昨夜は眠れなかったようなので、
今夜は薬の量を増やすようです。


page42へつづく。





☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
9月2日(土)
糖鎖パウダー投与6日目。
昼の投薬と共に小さじ1杯分を注入。
熱は37.6℃。
担当看護師が誰かわからなかったので
睡眠管理や変化など、聞けずじまいだった。
特別な治療はモード3で15分x2回行った。
治療中眠ることはなく、誕生日プレゼントの
知恵の輪で遊び、さらにオセロゲームをして
楽しんだ。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
image[2]
朝からLINEコールの嵐!



この日は、母の誕生日だったからである。



メンバー全員、母が誕生日を迎えられたことを祝福してくれた。


母は今日、作業療法(タブレット使用)が休みだったので
自身でLINEの確認が出来ていなかった。


弟が午前中病室へ赴き、
タブレットを見せて母に読んでもらい、
代わりにタイピングをして返事を返していた。



旦那と私は、昼から向かった。
せん妄症の気配は全くなく!
いつもの母の表情でひとまず安心( ;∀;)
旦那が母の誕生日にと、購入してくれていたオシャレな知恵の輪。



肩は上げられないけど肘は上がるので、
これなら寝ながらでも退屈しのぎになるだろう、と選んでくれた。




私は・・・・・、



母のプレゼント
何一つ用意
してない!!( ゚Д゚)




誕生日だって知ってたのに、
プレゼントにまで頭が回らなかったー・・・・


今からでも遅くはない!と思いなおし←いや、遅いヨ


何にしようか考えた。


・・・・そうだ。
お寿司クッションにしよう!
しかもウナギ❤



母の大好きなウナギのお寿司。
誕生日に、お寿司屋さんでウナギをたくさん食べたいと
目を輝かせながら話してくれていた。


病院の所有物である(薄汚い)クッションより
ウナギやマグロと言った、母の大好物の
お寿司クッションを置いてあげる方が
喜ぶんじゃないか・・・と考えた。


早速ヤフーショッピングを物色。。。



私『!!( ゚Д゚)』


あったあった、ありましたーお寿司クッション!
しかもウナギバージョン!
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お値段、15100円・・・
輸入商品(アメリカ産)の為、注文後約1か月かかる・・・だと!?



あーだめだめ・・・



遅いうえに高い!!


んー、どうしよう^^;







いっそ自分で作るか!!?(>_<)
家庭科の成績
『1』のこの私が!!!





とりあえず、私よりはるかに器用でセンスのある旦那に相談してみた。



旦那『んーーーー!!どやろ!?』
私『・・・無謀かなぁ・・・でも、作ってみたい』
旦那『・・・作ったことないけど、やってみるか!!』





という訳で、母へ見舞いに行ったあと
ホームセンターへ買い出しに行くことに♪


シャリ部分はビーズクッション、
ウナギ部分は綿素材でひとまず案を立てた。


ブログを書き終わったこの後、作ってみようと思います・・・!
旦那に助けてもらいながらだからまぁ
下手なものは出来ないだろうけど
こういうのは気持ちが大事だよねっ☆てことで
なるべく急ぎつつ、制作にとりかかってみまーす('◇')ゞ



☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
母が『今日5時ごろ外出したい。
空気を吸ってみたい。外出許可は
おりますか?』とメモで訪ねてきた。
私は筆談で『外出するには長時間車いすに
座り続けなければならないのと、人工呼吸器を
付けているので医師の同伴が必ず必要になるんよ。
だから、外出させてあげられなくてごめんね』と
返事をした。母は、少し寂しそうな表情で
指でオッケーサインを出した。私は胸が苦しくなった。
誕生日なのに、また我慢させてしまった。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★




page37へつづく。










☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
9月1日(金)
糖鎖パウダー投与5日目。
昼の投薬と共に小さじ1杯分を注入。
熱は37℃台をキープ。
昨日の夜は数時間眠れたようで、
午前中のみ、比較的せん妄症は
落ち着いていたと報告。
糖鎖摂取量を増やしてもらおうと、
今までは昼のみだったが、
朝・昼・夜と回数を増やしてもらうよう
相談をした。
特別な治療はモード3で15分x2回行った。
特に目立つ行動はなく、おとなしく寝ていた。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
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8月31日。
急性骨髄性白血病に移行した可能性がある、と電話を受けて
その日の面会の時の事。



目をあいているのか、いないのか。


白目なのか、黒目なのか。


うつろな表情で、時々笑っていて。


かとおもえば、眉間にしわをよせ、
しきりにタオルケットをちぎろうとする。


ナースコールを探すようなそぶり。
握らせると、途端に放り投げる。


手を握ろうとすれば、
嫌がり私に暴言を吐くかのような表情で
モゴモゴと口を動かしている。


白目をむいて、天井をつかむかのように手を伸ばし・・・
それから、人工呼吸器の管を力の限り引っ張ろうとした。


私『・・・・おかあさん!!!』


母『・・・・・、・・・・・・。・・・・・』


私『そんなことしちゃだめ!おかーさん、しっかりしてよ!!!』


母は、私に視線をうつした。
表情は変わらない。
生気のない、眼。
私は両手で包み込むように手を握りながら、懸命に訴えた。


私『おかーさん!!おかーさんてば!!!しっかりしてよ!!!もっと、もっとしっかりして!!!!病気治すんでしょう!!!?心配するやんか!!!!みんな、おかーさんの事応援してるねんで!?』


母『・・・・・・ボソボソボソ』



私は母の前で泣いた。
しちゃいけないことなのに。
これじゃ、母に誤解させてしまうのに。
涙、どうやったら止まるんやろう。。。。


いつからか、母の目に色が戻っていた。


母『・・・・だいじょうぶやで』
私『・・・・・、大丈夫なん・・・・?』
母『だいじょうぶ、ぜったいなおるよ。しっかりしてるよ?』
私『・・・・・・・・』




母は、おいでというように両手を広げた。
私は、母のお腹の上に頭をうずめた。


私『・・・・おかーさん、おかあさん・・・・!!お願いやから、元気になってよ・・・・』


私の頭を、ぽんぽんとしてくれた。


母『・・・・おかーさんはぜったい、だいじょうぶ。だから、なくな』


私『・・・しっかりせなアカンのは私のほうやな。泣いてしもてごめんね。おかーさんのほうがしっかりしてるわ・・・』


母はこのときだけ、いつもの母に戻った。
私の顔をよく見ながら、微笑んでくれた。
ピースもしてくれた。


良かった、おかーさんだ。


私が泣き止むのを確認した母は、また眠りについた。
私は、決意を新たにする。



最期まで、絶対あきらめない!





page36へつづく。







※お詫びと訂正※
前記事で書かせていただきました、
『母が人工呼吸器が離脱できない理由』の答えですが、
私の見当違いな部分がありましたので訂正しております。
訂正した文面は、本日医師との面談で確認したことです。
誤解を招くような書き込みをしてしまい、申し訳ございませんでした。




今日は、父、弟、私、私の夫の4名で午後から家族面談をしてきました。
結論から言うと『転院』の話でした。
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母の大まかな状態は前記事の通りですが
具合が悪くなったから転院してください、とか
もう手の施しようがありません、ということではないようでした。


1か月に1度のペースで血液の精密検査をしており、
WT-1(がん遺伝子)の数値は、
入院当初(4月18日)は14000程度あったのが、
抗がん剤治療(キロサイド・ダウノルビシン)を投与した結果
6月、7月には50程度まで減少していました。


WT-1は誰もが持っている遺伝子ですが
健康状態な人ならば50未満なのだそうです。


このWT-1が14000あった母は、すぐにでも治療を始めないと
急性骨髄性白血病に移行してしまうと言われていました。


二つの強力な抗がん剤によって、
母の骨髄を破壊し、リセットすることに成功。
集中治療室中に母の骨髄は見事に生成、
ひとまず元来の病気である
MDS(骨髄異形成症候群)は、治まっていたように思えました。



そして、8月の検査結果をみると・・・・
4400という数値を割り出しており、
WT-1の数値が増えてきたのです。


それに伴い、白血球もゆるやかに減少。
死滅したと思われていたマルトフィリアが
腎臓や胆のうに少量ではあるものの反応が出たというのです。



抗がん剤治療をしようにも、
母は体力が無く呼吸器をつけていなければ
満足に酸素供給が出来ない状態であるため、
抗がん剤治療を受けることが出来ません。


病院側の意見としては、血液内科の治療よりも
リハビリによる体力向上を最優先で考え、
人工呼吸器を離脱し、歩けるくらいにまで回復してもらわなければ
血液疾患の治療が出来ない、という結論でした。



母が入院しているW大学病院は
リハビリテーション科は特に優秀らしく、
噂を聞いて他府県から受診したいとやってくる患者さんが多いのだそう。
そのくらい、他の病院には負けず劣らずの
優秀な医療スタッフ(作業・理学)が揃っています。



しかし、そこは大学病院のシステム・・・とも言うべきか
リハビリよりも治療に特化した病院であるため、
徹底的に望むようなリハビリができる環境ではない、と言われました。



平日と土曜日は作業療法と理学療法をやっていただいてます。
リハビリ時間は最長で1時間、
短ければ30分程度で終わってしまいます。
これは、母の容態が思わしくなければすぐ終わってしまう事もあり、
また医療処置とかぶってしまうがために
メニューが途中であっても、中断せざるを得ないのだそうです。



さらに、日祝日はお休みとなるので、
リハビリを休んでしまうと体はリセットになってしまいます。



WT-1が上昇、白血球が減少し始めているとわかった今、
モタモタしているわけには行かなくなってきたので、
リハビリを集中してできる病院へ転院し、
体力が回復したらW大学病院へ戻り治療を始めましょう、

という打診でした。



これもすぐに、と言う事ではないようです。
母は今肝臓の数値が上昇していたため、
10日間以上絶食状態にありました。
※点滴にて栄養補給をしているので餓死はありません※



消化器内科の医師と相談し、母が食事を再開することが出来て
容態が落ち着き次第・・・・早ければ9月頃に転院になるかも、という予定です。



・・・・ふう。
ダラダラと書きなぐったのでわかりにくい!
という読者様のために簡単にまとめてみます。



まとめ!!
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明るい未来を手に入れるために、
強いては母の血液治療を行うため、
リハビリに特化した病院へ転院を勧められた!

と言う事を言いたかったのです( ;∀;)



要するに、
次の治療段階に上がりましたよ
というお達しでした(笑)


捉え方によっては、
転院させたいがための言い訳・・・と思う人もいるかもしれません。
大学病院などの大きな病院では、平均的に3か月以上の入院は
させてくれないところが殆どだそうです。(父談)
まぁ、モノは良いように捉えておきましょう・・・うん。


ぶっちゃけ、話を聞く前は最悪の想定をしていたので・・・・
昨日は思い込みすぎて涙が止まらず、
母のせん妄症に打ちのめされてココロがズタボロになっていました。



まだ・・・・『まだっ!!』希望はあるんだと言い聞かせ、
落ち込むことが日々増えてきていますが
それと同じくらい気持ちが浮上することもあると信じ、
とりあえずこの暑い夏を乗り越えて頑張ろうと思います。



支えてくださっている読者の皆様。
お知り合いの各々方。
日々治療に専念していただいてる医療チームの皆さま。



本当に、いつもありがとうございます。



page22へつづく。







4月18日から入院し、3か月と25日が経過しました。

ということで、
経過報告します!


8月13日(日)現在、母の現在の容態は。。。


☆人工呼吸器装着
☆絶食(肝臓の数値が上昇したため)
☆体重減少
☆咳が止まらない
☆微熱が続く
☆リハビリ時、腰が痛む
☆せん妄症の兆候あり
☆頻尿気味
☆やや便秘気味




な感じです。
これを後退と捉えるか、前進と捉えるか・・・
私には判断が非常に難しいです。


医療的に診れば、『横這い』なのだそう。


元々、明日の容態が分からないと言った疾患のため
『絶対大丈夫』ということは残念ながら言い切れません。


細かい事を言えばキリはないですが
それでも母は、いつか来る退院を夢見て
毎日治療に励んでいます。


そんな母に、『人工呼吸器』について少々・・・いや、
大きな変化がありました。


基本的にはずっと人工呼吸器を装着し、
寝たきりの状態が続いています。


人工呼吸器をつけている患者は、
定期的に痰吸引処置をしなければならず、
呼吸がしづらい状況になるのだそうです。


以前から、咳き込みはありましたし
痰が絡まり、痰吸引をする頻度も増えてきていました。


しかし最近は咳き込みがとても酷く、
痰が絡まりやすくなっているのか
とても苦しそうに表情を歪めています。


喘息を患ったことのある方ならイメージしやすいと思いますが、
呼吸するたびに『ひゅーっひゅーっ』と音がします。
(毎日ではありません)


今までなら、痰吸引は人工呼吸器をつけたまま
管を喉へ押し込み、圧力をかけながらゆっくりと引っ張っていました。
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↑の画像はイメージです。
人形へは口から挿管していますが、母は喉に装着しているので
喉へ吸引カテーテルを押し込んでいます。


ある日の、リハビリ時。
呼吸器のアラームが頻繁に鳴るので
看護師さんが心配して、ちょくちょく見に来てくれていました。


リハビリは体を動かすのが目的なので、


運動量が増える

呼吸量が減り、呼吸回数が増える

心拍数上昇、軽い酸欠状態になる

アラーム警報



は、至極当然なこと。
だから私は、アラームが鳴り響く中
ハラハラしながらリハビリを見守っていたけれど
今ではようやく、余裕を持って母の事を応援できるようになりました。


今では支えアリで(数分間)立つことが出来、
一度きりでしたが車いすへ座る事ができました!
※車いすに乗り、部屋からの脱出は出来ていません※


時折、立ち上がったりベッドサイドへ座るときに
人工呼吸器が予期せぬ時に
外れることがあるんです^^;



酸素音『シューーッシューーッ』
アラーム『ピピピピピピピ!』

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※↑の画像は正常値ですので特に問題の無い表示ですが
以上数値だと赤や黄色などに色が変化します


私『(゚Д゚;)!!!?』



もはや場は騒然としています(笑)
でも、実はリハビリの先生自身、慌ててないんです。


理由は簡単。


自発呼吸を80%程度出来ているからです。


外れれば、人工呼吸器とメソは大袈裟に騒ぎ立てますが
当の本人たち(母とリハビリの先生)はいたってフツウ(笑)


私『・・・おかーさん、苦しくないの・・・?』
母『うん。苦しくない』




なんて頼もしい回答なんだろう!
じゃあ、人工呼吸器外してもいいんじゃないの!?
素人ながらにそう考えてしまいました。


でも、80%自発呼吸が出来ているにも拘わらず、
外すことはできないと言われてしまいました。
何やら理由があるようです。


・・・・さて、母はなぜ人工呼吸器を離脱できないのでしょうか?
答えは、次号で掲載したいと思います(*'ω'*)!



page20へつづく。








病室にもどると、弟が母に語り掛けていた。
母は、うつろな表情で一点をみつめ、何も反応が無い。


私『ごめん、お待たせ。』
弟『・・・おかーさん・・・僕の事、覚えてないみたい。』
私『え』
弟『僕がしきりに話掛けても、首を傾げて「誰?」みたいな感じなんよ』
私『・・・そんなはずないと思う』


母は私を目でとらえると、また何か話し始めた。
普段なら言いたいことをしっかりと最後まで聞いてあげるのだけど・・・
私は弟の横に立ち、聞いてみた。


私『ねぇ、おかーさん。この子の名前は?』
母『・・・・・・・?』
私『・・・この子、誰だかわかる?』
母『・・・・・・・』
私『・・・・・・・』
弟『・・・・・・・』


一生懸命考えてる感じだったが、ついにわからないと答えた。


私『私の弟やで。』
母『・・・・!』


思い出したようで、母に笑みが広がった。
せん妄症のせいとは言え、
自分の事を忘れられている事実を突きつけられ、
弟のショックは大きかった(´・ω・`)


これまでに、父と弟は、面会へ毎日来るものの
長居すると母の負担になると思い早々に退室していた。


私は2人に比べ比較的長い時間居るので
(休みの日などは特に)私の顔はよく覚えているようだった。


しばらくすると、看護師さんがお薬を持って入室してきた。


看護師『あ、面会中ですね。後ほどきます^^』
私『・・・ああ、例のお薬ですか?』
看護師『はい、そうです。昨日眠れていないみたいでしたので・・・』
私『ありがとうございます。私たちはそろそろ退室しますので、お薬の投与お願いします』
看護師『お薬を入れるとすぐ眠りに落ちてしまいますが、大丈夫ですか・・・?』
私『はい、大丈夫です。面会時間過ぎていますし、他の方にも迷惑になりますので・・・』
看護師『わかりました^^お気をつけてお帰り下さいね』


母は私の手を握って離さなかったが、
私はなるべく穏やかに、母を安心させるように言葉を紡いだ。


私『おかーさん、時計見て?今、夜の10時すぎ。みんなそろそろ休む時間なので、静かにしないといけないから、私らもそろそろ病院出ないといけないんよ。おかーさんに早く良くなってほしいから、しっかり睡眠とらんと元気にならへんで。看護師さんが、おかーさんのためにゆっくり眠れるようにお薬用意してくれたよ。明日になったら、元気に治療頑張れるよ。だから、そろそろおやすみ(*'ω'*)』


母は、手のチカラを緩め。。。
小さくうなずき、手を振ってくれた。


その夜、母は覚めることなく・・・・
静かに、静かに深い眠りについたようだった。


次の日の面会時に、
ゆうべは穏やかな表情で寝ていたと看護師さんが教えてくれた。



page15へつづく。











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ご無沙汰しています、メソメソですm(_ _"m)
私事ですが、ようやく引っ越し作業が落ち着きを取り戻し
ホッとした途端、私自身が体調を崩してしまい
ブログ更新が滞ってしまいました(笑)
アクセス数が減っていくのに恐怖を感じつつ←
また更新頑張っていきますので、
ご拝読よろしくお願いいたします!('◇')ゞ
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★


私『おかーさん、首には大事な機械がついてるの。これ、絶対外したらだめなやつ!』


つい、キツイ口調になってしまった。
母はみるみる表情が変わり、私に対して怒るのかと思いきや・・・
意外な事をクチにした。



母『・・・・ひ・・・・・・ひ・・・・・!!』


ドアのほうがとても気になるのか、
表情はみるみる強張っていき、
瞬きを忘れてしまったのかと思うほど目を見開き、
必死な表情で私に訴えかける。


私『ひ?ひって・・・・燃える火のこと?』
母『燃える火!そこ、燃えてる!!』
私『ドアのほうが燃えてるの?』
母『うん、うん・・・燃えてる!』
私『火、消してこようか?』
母『・・・・消さなくていい・・・・』
私『消さなくていいの?怖くない?』
母『・・・・怖い・・・・けど、大丈夫。メソがいるから・・・・』


そう言って、私の手をぎゅっと握る。


私『うん、わかった。傍にいるよ』
母『・・・・・・・・。』


時計をみると、いつのまにか面会時間はとっくに過ぎていて、
8時前だった。旦那に連絡しなければ。。。と思って
ケータイを取り出し、


私『ねぇ、おかーさん。旦那に電話してきていい?私の帰りが遅いから心配してると思うし。すぐ戻るから』
母『だめ!ここに居て!旦那って誰!?』
私『え・・・・旦那って、私の旦那さんやで?』
母『メソは結婚してないよ!電話しなくていいから、ここに居て!!』
私『んじゃ、ここで電話していい?』
母『・・・・・いいよ。』


私は簡潔に現状を話し、旦那に今日は帰りが遅いことを話した。
旦那に適当にご飯を食べてもらい、先に休んでもらうよう伝えた。
私も、夕ご飯はまだだった。
手をぎゅっと握って離さない母は、私の電話の様子を
不安な様子でじーーーっと見ていた。


次に、父へ電話を入れた。
長いコールの後、弟が出た。


私『もしもし?おとーさんは?』
弟『これから風呂はいるとこ。どうしたん?』
私『実はまだ病院にいるんやけど・・・おかーさんが寂しがって手を離さなくて(笑)ご飯食べてないので、急に言うて悪いんやけど、どちらか交代に来てくれんかな??詳しいことは病院で話すよ。おかーさんは大丈夫だから。』
弟『わかった。風呂から出たら声かけたあと、僕が交代に行くよ』
私『うん、ごめんね。』


電話を切った後、弟が来てくれることを伝えた。


母『え、なんで??』
私『ご飯食べてなくてさ。お腹ペコペコなんよ(笑)今すぐ食べて来ていいん??』
母『あかん』
私『そやろ?(笑)んで、弟呼んでここにご飯もってきてもらうねん(*'ω'*)』
母『・・・・・・・・』
私『そういえば、火は消えた?ドアのほうの』
母『消えた。』
私『そっか、良かったね^^』
母『・・・・・・・・・・』


奄美の姉さんの曲をかけてあげた。
面会時間は過ぎているので、音量を小さくして。


私『聴こえる?みっちゃん(一番上の姉)の歌声やで』
母『・・・・・・・・(首を横にふった)』
私『そっか。小さすぎて聴こえんのやね。また明るい時間にかけるね』


すると、主治医の先生が入ってきた。
私が居ることに驚いていた。
私は簡単に、これまでの経緯を説明をした。


主治医『夜は特に※せん妄症の症状が酷くてですね。せん妄症を抑える薬もあるにはあるんですが、体の事を考えるとあまり薬は使いたくないんです。ですが、昨日眠れていないようでしたし、自分で呼吸器を外したという事故の報告も受けています。メソさんも心配で帰れないでしょうし、今夜はよく眠れるようにお薬を使いますね。』


※せん妄症・・・意識混濁に加えて奇妙で脅迫的な思考や幻覚錯覚が見られるような状態。

※症状・・・「入院した途端、急にボケて(痴呆のように見える)しまって、自分がどこにいるのか、あるいは今日が何月何日かさえもわからなくなってしまった。」というエピソードが極めて典型的である。
通常はこういった障害は可逆的で退院する頃にはなくなっているので、安心してよい所見である。


また、高熱とともにせん妄を体験する場合があり、とくに子供に多い[2]大半の患者はせん妄を覚えており、苦痛な経験だったとの調査報告がある。せん妄は意識障害だから覚えていない、というのは全くの誤解である[3]

こういった症状をおこすせん妄という病態の背景には意識障害、幻視を中心とした幻覚、精神運動興奮があると考えられている。※ウィキペディアより抜粋※


母はしきりに文句を言っているようだった。
私はちゃんと寝ている、おかしくない、薬は嫌だと訴えるかのように。


私『おかーさん、何にも心配することないよ』
母『・・・・・・・』
私『先生はおかーさんの体の事よく知ってるから、辛いの取り除いてくれるって』
母『・・・・・・』
私『今夜はゆっくり眠れるよ。起きたらいつも通り、気分爽快になるよ』
母『・・・・・・・』


声が出ず、言いたいことを伝えられずもどかしいのか、情けなく感じたのか、
それとも嬉しいのか・・・、本心は定かではないが、母の目に涙がにじみでた。
私は、子供の頃母に頭を撫でてもらったように、
同じように前髪をかき分けながら優しくなでた。


私『おかーさん、泣くと呼吸器と喧嘩して息苦しくなるよ』
母『・・・・・・・っ・・・・・・っ』
私『昔、私が喘息で夜眠れないとき、こーやって頭撫でてくれたよね』
母『・・・・・・(ニコっと笑った)』
私『そうそう、そうやって笑ってると、良いことがあるよ。頑張ろうね。』


すると、弟がやってきた。


弟『姉ちゃん、お待たせ』
私『来てくれてありがとう。ご飯買ってくるまでの間、おかーさんの手、握っててくれない?』
弟『うん、わかった』
私『おかーさん、時々いろいろ言うけど・・・・うんうんって聞いてあげてくれる?』
弟『わかった』


弟が手を握ると、パッと嫌がって離した。


母『・・・・・!・・・・・!?・・・・・っ』
弟『・・・・かーさん・・・・・』


私に何か訴えていたが、うまく読み取れず・・・・
弟の手を握りたくないのなら、そのままでも良いと弟に伝え、
なるべく早く戻るからと言い、病院の売店へ買い出しに出た。


買い出しを終え、エレベーターホールにあるベンチに座り、少し一息ついた。
母の事を考えると、どうしても涙を堪えきれなかった。




page14へつづく。











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