メソメソのblogー母が骨髄異形成症候群になる-

2017年3月16日、母が60歳にして骨髄異形成症候群と診断されました。
このブログは母の闘病記録して更新していきます。

カテゴリ:



看護師さんの許可を貰えたので、次は美容師さんに電話♪


美容師『カットのみなら、寝たままの体勢で可能ですよ^^』


す、すげーーーーーー・・・!!
どうやってカットするんだ(笑)
ベッドの頭部分がガクンて変形しないのに。
看護師さんに何らかの協力を仰ぐんだろうけど・・・
見当がつかない!


予約を7月27日(木)の昼2時にとり、
当日、看護師さんに協力要請をした。







カット日当日。
この日は、私が同伴することに(*'ω'*)♪
仕事を早めに切り上げ、1時半過ぎに病室へ入室。


母『Zzz・・・・』
私『おかーさん、起きて!』
母『Zzz・・・』
私『今から寝てたら、夜寝られへんで!!』
母『・・・・(目をあけた)』


時計を見て、また寝ようとする母(笑)


私『ちょっと、おかーさん!!・・・しんどいん??』
母『・・・・ねむい・・・・ダケ・・・・Zzz』
私『寝たらあかーーーん!!!www』


うっすら目を開けて、睡魔と格闘中の母・・・
そんなこんなで看護師さん&美容師さん到着。


美容師『おまたせしましたー』
母『・・・美人にしてください(ニンマリ)』


そういって美容師さんへ向けてピースを連発する母。
本当にうれしそうだ(*'ω'*)♪


※ここからは画像でお楽しみください※



まずは、ケープをセッティング。
このときは、洗髪はせずにすぐカットに入ってました。
コームで髪を整えながらチョキチョキ。
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反対側もチョキチョキ♪

患者さんのカットにとても手慣れているようで(当たり前か笑)、
鮮やかにカットしてゆきます。

看護師さんに頭を少し持ち上げてもらいながら、
後ろの髪の毛もちゃんとカット!
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カットはおよそ30分で完了。
髪を洗ってもらい、ドライヤーで乾かしてもらいました。
このときの母の表情は、ほんっとに気持ちよさそう!!
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きれいさっぱりしたところで、
看護師さんにタブレットで写真撮影をお願いしました(笑)
これもめっちゃ笑顔!
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耳のあたりが特にスッキリしたので、
とても満足げな表情で、散髪に協力してもらった
看護師さんと美容師さんに、母は心からありがとうと伝えてた。


リハビリの先生がそのあとにやってきたけど、
髪を洗ってもらって少し疲れ、ウトウトしはじめていたので・・・
眠いからと言ってリハビリを断固拒否(笑)

が、先生に無理やりたたき起こされ・・・・
ハードスケジュールをしぶしぶこなし、
この日もリハビリ頑張りました('◇')ゞ!



page18へつづく。







ある日の会話。


母『・・・・・、・・・・・』
私『何々?どうしたん?』


筆談にもかなり慣れたようで、
自分でバインダーとペンを持ち、軽やかにペンを滑らせた。


『まごのてとうちわかってきて』


この間、背中がどうしてもかゆくて
ナースコールで看護師さんを呼んだのだけど、
クチで痒いポイントをうまく伝えられず、
結局我慢したのだという。
それで、孫の手を使って背中を掻きたいらしい。


私『いいけど、どうやって掻くん?(´・ω・`)』
母『・・・・こうやって・・・・』


体を少しねじろうとするも、まだまだ起き上がる力が足りない。
奮闘するも、呼吸数が上昇、心拍数が徐々に上がってきた。


母『・・・・・・(息切れ中)』
私『がんばれー!ガンバレー!』


平常値を超えてしまったので呼吸器のアラームが鳴り、
ふたりで思わず苦笑い(笑)


母『・・・・^^;』
私『・・・・^^;』


アラームはすぐに鳴りやんだ。


うちわは、自分で体温調整が難しいので
暑いときに煽ぎたいらしい。


さっそく、大手100円ショップへ買い出しに!
さすが○○ソー、なんでも置いてるわ(*'ω'*)♪
なるべく軽いものを選び、レジへ持って行った。


母に見せると、ベッドに置いてと言わんばかりに手をパタパタ♪
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さっそく、伸縮自在な孫の手を使い、顔を掻いている(*ノωノ)
もう片方の手で、ウチワをパタパタ♪
うちわが呼吸器のチューブに当たっているけど、、、
母は特に気にしてない様子だった(笑)


私『・・・風、くる??涼しい??』
母『・・・あんまり・・・笑』
私『じゃ、煽いであげるよ。貸して』


うちわでゆるーく煽いであげると、
久しぶりの風を感じ、目を細める母。
孫の手でなおも顔を掻いている。


私『ちょ・・・おかーさん、そこ鼻やから孫の手入らんで(笑)』
母『・・・・(ニンマリ笑う)』
私『鼻に管入ってるから、取り扱い注意ね!』
母『・・・管入ってるん?』
私『うんうん、入ってるよ。気づかなかった?なんか、イタソーやけど^^;』
母『痛くないよ。ちょっと、鏡みせて』



鏡をカバンから取り出し、持たせてあげた。


母『・・・・!!』


目を見開き、顔の角度を変え・・・
自分の顔をまじまじと見ていた。


母『・・・・・』
私『・・・・どう?久々に自分の顔を見た感想は?』


母『・・・・髪伸びたなぁって笑』
私『・・・・ソコかい!笑』


母は、手に持った孫の手で
耳にかかった髪の毛をなんとかしようとしていた。


私『・・・ねぇ、髪の毛カットしてもらえないか聞いてみよっか?』
母『・・・たぶん無理よ。』
私『難しいかわからんけど、ダメもとで聞いてみようよ♪』
母『うん、そうやな。』


看護師さんが入ってきたときに、相談してみた。


看護師『美容師さんが出張で来てもらえるなら、可能ですよ♪』
私『支えありなら最長で30分くらい座り続けられるんですけど、いけそうですかね?』
看護師『カットのみなら、そのくらいの時間配分でできると思います(*'ω'*)ただ、看護師とご家族さん同伴が必須条件となりますが。平日の朝9時から3時までの間なら、看護スタッフが最も多い時間帯なので、できればその時間帯に予約をとってもらえると助かります(>_<)』
私『わかりました。美容師さんへ一度相談してみますね(*'ω'*)』


会話を聞いていた母が、
両手を握りしめガッツポーズをしていたのを私は見逃さなかった(笑)



page17へつづく。









良質な睡眠をとるための薬を投与されてから、
母はいつもの調子に戻ったようだ。


笑顔が増え、ゆっくり話してくれるようになった。
でも・・・手首に巻かれた「それ」は、
母の手の動きの自由を奪っていた。


せん妄症の症状が出て、自分で呼吸器を外した事故があってからは
両手首に「抑制」を巻かれるようになったのである。
yjimage[4]
つまり、重しをつけて動きを制限させ、
危険な事故を防ぐための手段だった。


家族が面会中の時は、ナースコールを鳴らし、外してもらえる。
しかし、面会が終わるとまたナースコールで呼び出し、
「抑制」を手首に巻かれるのだ。


優先して診てもらえる病室に居るとは言え・・・・
看護師さんの勤務人数が少ないこともあり、
ましてや夜勤になると更に人数が減るので
呼び出しをしても待たされることが多いのだという。


この状況の中、命の綱とも言える呼吸器を自ら外す行為は、
看護師さんの負担をさらに増やすことになる。


・・・抑制を付けることは、しょうがないこと。
抑制が嫌ならば、家族が寝泊まりすれば問題は解決する。


自営業なので、ある程度時間の自由はきくものの・・・
仕事を頼める代わりの人間が居ない。


そして夜、寝泊まりできるほどの体力も精神的余裕もない・・・


私は、父に提案した。
面会時間は7時までだけど、なるべく消灯の9時まで居るようにして、
休みの日は交代で母のそばに居てあげよう、と。
そうすれば、夜寝るときだけ抑制が巻かれてしまうけど
たとえ数時間でも抑制無しで居られるから、母の負担の事を想えばこそ・・・
とにかく、何とかしてあげたかった。
体は回復してきても、抑制を巻かれることで
さらにストレス負荷を与えているような気がしてならないからだ。


父と弟、私の3人で、せん妄症が改善されるまで。。。
しばらく、交代で面会時間を長く調整するようにした。





母は、手首を自分の衣服へこすりつけるようになった。
巻かれた部分が痒いのだという。
代わりに掻いてあげると、気持ちよさそうに顔がほころんだ(*'ω'*)


抑制を巻かれる理由については、本人も理解はしているようだった。
でも、なんとなく諦めたような、辛そうな表情。
いたたまれず、看護師さんへ聞いてみることにした。


私『せん妄症の症状はその後、どうでしょうか?』
看護師『以前に比べたら、だいぶマシだと思います^^』
私『そうですか。なら、良かったです。・・・あの、抑制なんですけど・・・』
看護師『ああ、本人も辛そうですよね。事故を防ぐためとはいえ、私も正直辛くて・・・』
私『症状が落ち着いてきているのなら、離脱するのは難しいですか??』
看護師『うんうん、そうですね!主治医に確認して、なるべく早く離脱できるよう相談しますね^^』
私『お願いします!ストレス負荷も気になりますので(;´Д`)』


抑制を巻かれてから数日経過した。
抑制中は、主治医が問診する前に必ず、
本人の名前と年齢、今いる場所、入院している目的、今の時間を聞いていた。


ほどなくして、抑制は無事に離脱することが出来た(∩´∀`)∩!



page16へつづく。









病室にもどると、弟が母に語り掛けていた。
母は、うつろな表情で一点をみつめ、何も反応が無い。


私『ごめん、お待たせ。』
弟『・・・おかーさん・・・僕の事、覚えてないみたい。』
私『え』
弟『僕がしきりに話掛けても、首を傾げて「誰?」みたいな感じなんよ』
私『・・・そんなはずないと思う』


母は私を目でとらえると、また何か話し始めた。
普段なら言いたいことをしっかりと最後まで聞いてあげるのだけど・・・
私は弟の横に立ち、聞いてみた。


私『ねぇ、おかーさん。この子の名前は?』
母『・・・・・・・?』
私『・・・この子、誰だかわかる?』
母『・・・・・・・』
私『・・・・・・・』
弟『・・・・・・・』


一生懸命考えてる感じだったが、ついにわからないと答えた。


私『私の弟やで。』
母『・・・・!』


思い出したようで、母に笑みが広がった。
せん妄症のせいとは言え、
自分の事を忘れられている事実を突きつけられ、
弟のショックは大きかった(´・ω・`)


これまでに、父と弟は、面会へ毎日来るものの
長居すると母の負担になると思い早々に退室していた。


私は2人に比べ比較的長い時間居るので
(休みの日などは特に)私の顔はよく覚えているようだった。


しばらくすると、看護師さんがお薬を持って入室してきた。


看護師『あ、面会中ですね。後ほどきます^^』
私『・・・ああ、例のお薬ですか?』
看護師『はい、そうです。昨日眠れていないみたいでしたので・・・』
私『ありがとうございます。私たちはそろそろ退室しますので、お薬の投与お願いします』
看護師『お薬を入れるとすぐ眠りに落ちてしまいますが、大丈夫ですか・・・?』
私『はい、大丈夫です。面会時間過ぎていますし、他の方にも迷惑になりますので・・・』
看護師『わかりました^^お気をつけてお帰り下さいね』


母は私の手を握って離さなかったが、
私はなるべく穏やかに、母を安心させるように言葉を紡いだ。


私『おかーさん、時計見て?今、夜の10時すぎ。みんなそろそろ休む時間なので、静かにしないといけないから、私らもそろそろ病院出ないといけないんよ。おかーさんに早く良くなってほしいから、しっかり睡眠とらんと元気にならへんで。看護師さんが、おかーさんのためにゆっくり眠れるようにお薬用意してくれたよ。明日になったら、元気に治療頑張れるよ。だから、そろそろおやすみ(*'ω'*)』


母は、手のチカラを緩め。。。
小さくうなずき、手を振ってくれた。


その夜、母は覚めることなく・・・・
静かに、静かに深い眠りについたようだった。


次の日の面会時に、
ゆうべは穏やかな表情で寝ていたと看護師さんが教えてくれた。



page15へつづく。











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ご無沙汰しています、メソメソですm(_ _"m)
私事ですが、ようやく引っ越し作業が落ち着きを取り戻し
ホッとした途端、私自身が体調を崩してしまい
ブログ更新が滞ってしまいました(笑)
アクセス数が減っていくのに恐怖を感じつつ←
また更新頑張っていきますので、
ご拝読よろしくお願いいたします!('◇')ゞ
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私『おかーさん、首には大事な機械がついてるの。これ、絶対外したらだめなやつ!』


つい、キツイ口調になってしまった。
母はみるみる表情が変わり、私に対して怒るのかと思いきや・・・
意外な事をクチにした。



母『・・・・ひ・・・・・・ひ・・・・・!!』


ドアのほうがとても気になるのか、
表情はみるみる強張っていき、
瞬きを忘れてしまったのかと思うほど目を見開き、
必死な表情で私に訴えかける。


私『ひ?ひって・・・・燃える火のこと?』
母『燃える火!そこ、燃えてる!!』
私『ドアのほうが燃えてるの?』
母『うん、うん・・・燃えてる!』
私『火、消してこようか?』
母『・・・・消さなくていい・・・・』
私『消さなくていいの?怖くない?』
母『・・・・怖い・・・・けど、大丈夫。メソがいるから・・・・』


そう言って、私の手をぎゅっと握る。


私『うん、わかった。傍にいるよ』
母『・・・・・・・・。』


時計をみると、いつのまにか面会時間はとっくに過ぎていて、
8時前だった。旦那に連絡しなければ。。。と思って
ケータイを取り出し、


私『ねぇ、おかーさん。旦那に電話してきていい?私の帰りが遅いから心配してると思うし。すぐ戻るから』
母『だめ!ここに居て!旦那って誰!?』
私『え・・・・旦那って、私の旦那さんやで?』
母『メソは結婚してないよ!電話しなくていいから、ここに居て!!』
私『んじゃ、ここで電話していい?』
母『・・・・・いいよ。』


私は簡潔に現状を話し、旦那に今日は帰りが遅いことを話した。
旦那に適当にご飯を食べてもらい、先に休んでもらうよう伝えた。
私も、夕ご飯はまだだった。
手をぎゅっと握って離さない母は、私の電話の様子を
不安な様子でじーーーっと見ていた。


次に、父へ電話を入れた。
長いコールの後、弟が出た。


私『もしもし?おとーさんは?』
弟『これから風呂はいるとこ。どうしたん?』
私『実はまだ病院にいるんやけど・・・おかーさんが寂しがって手を離さなくて(笑)ご飯食べてないので、急に言うて悪いんやけど、どちらか交代に来てくれんかな??詳しいことは病院で話すよ。おかーさんは大丈夫だから。』
弟『わかった。風呂から出たら声かけたあと、僕が交代に行くよ』
私『うん、ごめんね。』


電話を切った後、弟が来てくれることを伝えた。


母『え、なんで??』
私『ご飯食べてなくてさ。お腹ペコペコなんよ(笑)今すぐ食べて来ていいん??』
母『あかん』
私『そやろ?(笑)んで、弟呼んでここにご飯もってきてもらうねん(*'ω'*)』
母『・・・・・・・・』
私『そういえば、火は消えた?ドアのほうの』
母『消えた。』
私『そっか、良かったね^^』
母『・・・・・・・・・・』


奄美の姉さんの曲をかけてあげた。
面会時間は過ぎているので、音量を小さくして。


私『聴こえる?みっちゃん(一番上の姉)の歌声やで』
母『・・・・・・・・(首を横にふった)』
私『そっか。小さすぎて聴こえんのやね。また明るい時間にかけるね』


すると、主治医の先生が入ってきた。
私が居ることに驚いていた。
私は簡単に、これまでの経緯を説明をした。


主治医『夜は特に※せん妄症の症状が酷くてですね。せん妄症を抑える薬もあるにはあるんですが、体の事を考えるとあまり薬は使いたくないんです。ですが、昨日眠れていないようでしたし、自分で呼吸器を外したという事故の報告も受けています。メソさんも心配で帰れないでしょうし、今夜はよく眠れるようにお薬を使いますね。』


※せん妄症・・・意識混濁に加えて奇妙で脅迫的な思考や幻覚錯覚が見られるような状態。

※症状・・・「入院した途端、急にボケて(痴呆のように見える)しまって、自分がどこにいるのか、あるいは今日が何月何日かさえもわからなくなってしまった。」というエピソードが極めて典型的である。
通常はこういった障害は可逆的で退院する頃にはなくなっているので、安心してよい所見である。


また、高熱とともにせん妄を体験する場合があり、とくに子供に多い[2]大半の患者はせん妄を覚えており、苦痛な経験だったとの調査報告がある。せん妄は意識障害だから覚えていない、というのは全くの誤解である[3]

こういった症状をおこすせん妄という病態の背景には意識障害、幻視を中心とした幻覚、精神運動興奮があると考えられている。※ウィキペディアより抜粋※


母はしきりに文句を言っているようだった。
私はちゃんと寝ている、おかしくない、薬は嫌だと訴えるかのように。


私『おかーさん、何にも心配することないよ』
母『・・・・・・・』
私『先生はおかーさんの体の事よく知ってるから、辛いの取り除いてくれるって』
母『・・・・・・』
私『今夜はゆっくり眠れるよ。起きたらいつも通り、気分爽快になるよ』
母『・・・・・・・』


声が出ず、言いたいことを伝えられずもどかしいのか、情けなく感じたのか、
それとも嬉しいのか・・・、本心は定かではないが、母の目に涙がにじみでた。
私は、子供の頃母に頭を撫でてもらったように、
同じように前髪をかき分けながら優しくなでた。


私『おかーさん、泣くと呼吸器と喧嘩して息苦しくなるよ』
母『・・・・・・・っ・・・・・・っ』
私『昔、私が喘息で夜眠れないとき、こーやって頭撫でてくれたよね』
母『・・・・・・(ニコっと笑った)』
私『そうそう、そうやって笑ってると、良いことがあるよ。頑張ろうね。』


すると、弟がやってきた。


弟『姉ちゃん、お待たせ』
私『来てくれてありがとう。ご飯買ってくるまでの間、おかーさんの手、握っててくれない?』
弟『うん、わかった』
私『おかーさん、時々いろいろ言うけど・・・・うんうんって聞いてあげてくれる?』
弟『わかった』


弟が手を握ると、パッと嫌がって離した。


母『・・・・・!・・・・・!?・・・・・っ』
弟『・・・・かーさん・・・・・』


私に何か訴えていたが、うまく読み取れず・・・・
弟の手を握りたくないのなら、そのままでも良いと弟に伝え、
なるべく早く戻るからと言い、病院の売店へ買い出しに出た。


買い出しを終え、エレベーターホールにあるベンチに座り、少し一息ついた。
母の事を考えると、どうしても涙を堪えきれなかった。




page14へつづく。












7月6日(木)の面会。
いつも通り仕事を終えた私は、
母の病室へ足早に向かった。


母は私の顔をみるなり、とてもホっとした表情を見せた。
・・・・が。
いつもと、何か様子がおかしい。
眉間にしわを寄せ、両手の動きに落ち着きが無く、
興奮した状態、鬼気迫る表情で私に何かを訴えていた。


人工呼吸器をつけているので、声は出ていない。


母『・・・・!・・・・!?・・・・・っ・・・・・・』
私『どうしたん、おかーさん?』


首を激しく横に振り、
泣きそうな表情や、とても困ったような表情で、
私に必死に何かを訴えてきた。


いつもならゆっくり唇を動かして、
こちらにわかりやすく単語で話してくれるのに
このときは、やたら早口で話していたため理解するのに難しく、
とにかく母の焦燥感が尋常じゃなかった。


汗をびっしょりかいている。


呼吸数は普段より早く、心拍数も高い。
私は数値を気にしながら、とにかく母をなだめることにした。


私『おかーさん、ちょっと心拍数高いよ。少し落ち着こう?』


母はコクコクと頷き、ふーっとため息をついた。
私は汗を拭いてあげた。


私『汗すごいね。暑い??』
母『暑い。タオルケットとって』
私『ん、わかった。寒くなったら言ってね。』
母『あのね、あのね・・・、かばん、見せて』
私『かばん?おかーさんのカバンね。・・・・はい!カバンどうするの?』
母『買い物に行く』
私『え、買い物??』


カバンの中身を一生懸命見ようとする母だったが、
人工呼吸器が妨げとなり、自分で体を起こすチカラがまだないので
また眉間にしわが寄り始め、私にイライラしながらこう言った。


母『カバンの中身全部見せて!!』


私は母に言われた通り、ひとつひとつ取り出し
説明をしながら、母の体の周りに母の私物を置き始めた。


私『・・・・はい、これで全部よ?』


カバンを広げて見せて、すべて出し終えたことを伝えた。
すると・・・・母は途端に暴れだした。



母『財布!!財布が無い!!!取られた!!!!』
私『いつも持ってた長い財布やんね?あれはおかーさんが集中治療室に入ったとき、病室の私物はすべて撤収したから、ちゃんと自宅に置いてあるよ。おとーさんが持ってるから、今ここにはないよ(笑)』
母『そんなはずないよ!?・・・お金10万はいってるし、免許証はいってるし、キャッシュカードとか・・・・』
私『うんうん。とても大事なものがはいってたから、病室に置きっぱなしにはできないので、ちゃっと自宅に置いてるよ。お財布探してたんやね?』
母『・・・・・そうなんか・・・・・通帳、見せて。』
私『通帳?明日でもいい??』
母『通帳記入して、明日必ず持ってきて!ドロボウがいるかもしれんから!』
私『ど、ドロボウ??家に??』
母『うんうん。鍵かけてないから、ドロボウが入るから!』
私『・・・・ん、わかった。明日、ちゃんと持ってくるよ^^』
母『・・・・・・・・』


母は、お金に対してこんなに不安になるような性格ではない。
そもそも、眉間にしわを寄せて怒鳴りたてるような、
鬼気迫る表情で話をする人じゃない。
ドロボウが入るとか、人を疑うような事は一切考えない人なのに。


・・・・なんだか、おかーさんじゃないみたいだった。



母の右手は、とてもイライラしていた。


私『おかーさん、どうしたの?』
母『どうもしないよ!』
私『なんだか今日は、とてもイライラしてるね?』
母『すっごくイライラしてる!』
私『珍しいね。何か嫌な事でもあった??』
母『ないよ!!いつも一人だからとてもイライラしてる!!』
私『・・・・あ・・・・ごめんね。いつも一人で辛いよね。』
母『車に乗って買い物行きたい!!』
私『買い物かぁー、いいね♪どこに買い物行きたいの??』
母『オークワ(地元のスーパー名)!!』
私『うんうん、いつも買い物してたよね。オークワで何買うの??』
母『みかんの缶詰と、バナナ1本。じゅーす!』
私『甘いものが欲しいんやね( *´艸`)おかーさんが食べるの??』
母『違う!!看護師さんに差し入れする!!』
私『そうなんやぁ!偉いね、おかーさん!(*'▽')』
母『あまったらちょうだい』
私『うん、わかった!だから、あんなにカバン気にしてたんやね?』
母『そうそう。代わりに買ってきて!』
私『おっけぇ!看護師さん、喜んでくれるといいね(*'ω'*)』


眉間に深いしわがあったのに、いつの間にかなくなっていた。
しばらくして、今度は目がキラキラと輝き始めた。


母『見て!見て!』


壁を見ながら、嬉しそうに話しかけてきた。


私『ん?』
母『めっちゃキレイ!』
私『ん、何が??』
母『海!うみーーー!!』
私『今、おかーさん海辺に居るん??』
母『そうそう!ほら、ほらぁ!!』
私『今アトレー(母の車)に乗って運転してるの??』
母『うん、楽しい!!』


周りを見渡すように、目の動きが激しい。
運転してるつもりのようで、体が左右に動いている。


ふいに、母の右手が人工呼吸器に軽く当たった。
アラームが鳴った!


私『おかーさん、危ないって!!』


私は慌てて母の右手を押さえつけた。
母は訳が分からないというように、私の手を叩き始めた。


私『おかーさん、首には大事な機械がついてるの。これ、絶対外したらだめなやつ!』


つい、キツイ口調になってしまった。
母はみるみる表情が変わり、私に対して怒るのかと思いきや・・・
意外な事をクチにした。




page13へつづく。



タブレットを使ったリハビリを始めてから、2日後の事。


母『こんにちは』


母が約2か月ぶりに、奄美グループのチャット欄に
LINE発言キタ――(゚∀゚)――!!


もう、気分は『立った!クララが立ったー!!』でした(笑)
yjimage[2]
ネット情報によれば「クララが立った」のセリフ・・・
ハイジは発言しておらず、ペーターのセリフのようですね。

まぁ、どうでもいいですね(*ノωノ)w


発言できたのはその一文のみ。
そりゃーもう、奄美メンバー達はお祭り騒ぎですよ!


あっという間に自分の発言が流されていきます(笑)


使用しているタブレットは11インチのものなので、
結構大きくて重いんです(;´・ω・)


なので、手で持ちながら入力することが出来ないし
テーブルに置いてうつむきながら入力する、という方法も難しいので
タブレットを固定してアームが自在に動くボード?のようなものをセットし、
顔を俯かせることなく腕さえ動かせればタップすることが可能なようです。


以前に比べると、肘はだいぶ上がるようになってきました。
利き腕が右なので、左肘はまだまだ筋力は甘い感じですが
右腕は結構チカラがついてきているように思えます。


手を握ると、なかなか離してくれません(笑)


リハビリにより、体の機能は順調に回復してきていました。
体は少しずつ回復しているものの・・・・、


このころから、母の『言動』について
少しだけ、気になることが出てくるようになってきたのです。




page12へつづく。







7月1日(土)の面会。



母『ケータイ、持たせて』
私『ん、なんで?』
母『看護師さんに文字を打って、伝えたいことがあるから』
私『・・・おお!』



↑唇の文字を必死で読みました(;´Д`)



母に頼まれ、ケータイを持たせてみた。


私『・・・・・どう?文字、打てそう?』
母『・・・・・・・。』


顔をしかめながら、文字を押そうと頑張っている。
顔が段々赤くなってきている。。。
一生懸命打とうとして、リキんでいるのだろうか。。。。


母『・・・・ケータイ、重いな^^;』


諦め笑顔でそう伝えた。


母『ごめん。ケータイはやっぱいいや』
私『そっかぁ(´・ω・`)・・・ケータイ、昔は肌身離さず持ってたのにね』



母はしばらく考えた後・・・・私に提案してきた。


母『・・・ねぇ。沢山のメモと、ペン持ってきて。筆談する』
私『筆談かぁ、いいね!明日早速用意して持ってくるよ!』


そして、母のカバンに奄美の親戚が送ってくれた
お守りをつけました♪
キイロイトリの中には貰った手紙が何通か入ってます!
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その日のリハビリの成果は、
10秒ほど支え無しで自分のチカラでベッドサイドへ
座り続けることができました!ヾ(≧▽≦)ノ



今日は特に、母の闘志がメラメラと燃えていたキガスル!




7月2日(日)の面会。



昨日頼まれていたメモ用紙と、ペンを数種類用意して入室。


母は、待ってましたと言わんばかりに
手をパタパタさせて


母『ペン、ペン!』


と連呼していました(笑)


最初はマジックを持たせたのですが
少々重い・・・ということで普通の軽いボールペンに持ち替え。


書きにくいだろうと思って下敷き用に購入した
ファイルバインダーも、重たいからとこれも拒否。


体を起こしながら筆談するのはまだできないので
とりあえず寝ながらの状態紙を見ずに筆談する
というスタイルで行くようだ!


母『ひらがなの練習する!』


そう言い放ち(もちろん声は聞こえないので読唇)、


あ、い、う、え、お、ア、イ、ウ、エ、オ


と書き始めた。


私『読めるよーおかーさん!』


母はニンマリ笑った(笑)



母の頑張って書いた筆談の一部を公開します('◇')ゞ
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明日の月曜日から、リハビリの新たなメニューとして
タブレット操作を開始するようです( *´艸`)


入院をきっかけにタブレットを持たせていたので
主治医も看護師さんもリハビリの先生みんな、
母がタブレット操作ができることを知っていた。


今は筋力が落ちているので持つことさえできないが・・・、


リハビリが本格的に始まれば、
みんなとLINEチャットが出来る日も近いかもしれない!




page11へつづく。

















これは、母のとても大事なものである。
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母が肌身離さず持っていた、黒のガラケー。

5月5日の夜、
自発呼吸が難しくなり人工呼吸器を余儀なくされ、
ICUへ移動直前までずっと手に持っていたケータイ。


『電話したい・・・お願い・・・ケータイ・・・・』


消え入りそうな声で先生へお願いするも、
ケータイを没収され、通話やメールをさせてもらえなかった。


伝えたいことが沢山あって、
連絡とりたい友達が沢山いて、
受信メールの返信がしたくて。。。


ICUは高度医療清潔区域領域になるため、
私物を持って入ることは不可能だった。


母がICUへ入っている間は、
母のケータイの電源を切り、自宅で保管していた。


母の容態が良くなったら、親しい友人に連絡しよう。
父の判断だった。


電源を切ってから、およそ1か月。
母は人工呼吸器をつけたままだが、
容態は著しく回復し、元の病棟へ戻ることが出来た。


病棟に戻ってから、10日ほど経過したある日。
家族の精神的不安定さも解消され、
穏やかな日常へ戻りつつあった。
母の親しい友人に連絡を入れるべく、ケータイの電源を入れた。





メールの受信件数ががががgggg



無菌病棟に戻った母は、
人工呼吸器装着により話すことはできないが
目も耳も聞こえるので、簡単な意思疎通はできた。

勝手にケータイを見る訳には行かないので、
母の了解を貰い、メールの内容を目の前で確認させてもらった。


奄美の親戚たちからの心配メール。
和歌山の親友たちからのランチのお誘いメール。
母の同級生たちからの同窓会のお知らせメール。
会社の同僚たちからの心配メール。
幼馴染からの何気ないメール。


メールだけじゃない。
お留守番センターからも通知が来ていた。


きっと、返信がないので電話をくれたのだろう。
最初は他愛ない内容だったメールも、
徐々に心配しているので連絡くださいと書かれている内容ばかりになり
心から母を慕ってくれている人たちがこんなに居るんだ、と改めて知った。


父に頼まれ、母の友人たちひとりひとりに電話をかけた。
母の代わりに、メールの返信もした。


詳しい病気をほとんどの人に伝えておらず、
ただ『しばらく入院するね』としか伝えていないようだった。


母の事だから、大ごとにして心配させたくなかったんだと思う。
願わくば、何事もなかったかのようにみんなの元へ戻りたかったに違いない。


自分の声で真実を話すことが出来ず、
指を動かす力が無いため、
ご友人たちへの連絡が大幅に遅れてしまったことをなるべく丁寧に詫びた。


家族以外は面会を断っている状態なので、
人工呼吸器が離脱できれば即連絡します、と伝えると


『ありがとうございます。ご家族様もどうか、体調ご自愛ください』


とあたたかい言葉をかけてもらえた。


母は毎日、沢山の人から気持ちを受け取っている。
早く良くなってください。元気になってください。会いたいです。

ガラケーにメールが来れば読んで聞かせているし、
タブレットには奄美の親戚たちからのわいわいLINEが盛りだくさん
詰まっているので、文字サイズを最大にして、
顔の前へかかげて、読んでもらっている。


本当に嬉しそう。
見ているこっちも、すごく嬉しいし安心する。


この瞬間はいつも、生きててくれて良かったって思える。
明日の治療の糧は、周りの人たちのお陰で満ち足りている気がします。


いつも本当にありがとうございますm(_ _"m)
感謝の言葉が止まりません。


母の回復が、最大の恩返しになると思うので、
病気にくじけそうになったらメールを読んで聞かせ、
生きる希望を与え続けたいと思います。






page10へつづく。


主治医『今日は人工透析の予定でしたが、今日も尿毒素の値は基準値ですので、見送りしましょうか』

先日から幾度となく、見送りが続いていた人工透析。
週二日透析を回す予定だったのが見送りとなった。

そして、6月26日(月)。
ついに、主治医から聞きたかったアノ言葉を聞くことが出来た。

『おめでとうございます。人工透析卒業ですよ^^』

やっと、腎臓の機能が復活した!!
母も私たち家族も、安堵した。
尿毒素がたまり始めれば、また透析をしなければならないのだが
ひとまずは安定という事だった。

ただ・・・・、
オシッコが出すぎているため、
若干脱水症状が出ているとの事。

身体は全体的にむくんでいる。
特に、手足が酷い。
が、血液中の水分が足りて無いようで
全体的な水分バランスの調整が難しそうだった。

喉が渇くようで、よく『喉乾いた』を連呼するようになる。
しかし、飲み水を飲ませることが出来ないため、
水分を含ませたスポンジで口の中を塗布する頻度が増えた。

リハビリは極めて良好。
ベッドサイドに座っていられる時間が、少しずつ長くなってきているし
まだ肘を上げるチカラはないが
指先から手首にかけてはかなり動けるようになり
文字盤を滑らせたり、握手をして握り返すまでに回復。

呼吸量は『260~320』あたりが平均値。
リハビリをするとどうしても体力を使うため下がってしまうが、
ベッドに横たわり、安静にしていれば問題のない数値である。

あとは・・・ひとつ、気になることが出てきた。
それは

不整脈。。。
yjimage[4]
6月27日(火)の面会は、
仕事が終わって18時回ったころに向かったのだが
何やら病室が騒がしく、看護師さんの出入りが目立った。

病棟医も病室へ来て、事の経緯を簡単に説明してくれた。

私たちが来る1時間ほど前、不整脈が出ていたとの事。
しかも、結構危険な波形だったらしい。
循環器専門医を呼び、原因を突き止めるため
しばらく病室の外で待機していてほしいと依頼があった。

不整脈が出ていることは、ICUの時もちょくちょく出てはいた。
ICU担当医の口ぶりからしても、
そんなに深刻な事でもないだろうと思っていたので
今回の不整脈は、想定の範囲内だろうと安易に考えていた。

しかし、軽視できるような波形ではなかった。
心臓が止まってもおかしくない。そんな波形だったであると。
家族に電話をしようか、判断を決めかねるほど悪い状態だった事を知る。

母の場合、血小板数値が2万台しかないため
心停止した場合、心臓マッサージはできない。

何故なら、心臓マッサージはチカラを込めて押し込むため
内臓出血をする患者さんもいるのだとか。
母が内臓出血してしまえば、命を取り留められなくなり
さらに危険が増すとの理由・・・・


心停止だけは絶対阻止したい。
yjimage[7]
≪不整脈の原因と対策≫
①人工呼吸器の酸素供給量の減少。

人工呼吸器離脱を目標に、モードをサポートに切り替え、
圧は20%、濃度を35%維持していたが、
これにより、リハビリ時は常に酸素不足だったのではないかと推測。
今後は人工呼吸器のモードと圧はそのまま、
濃度を45%まで引き上げ様子を見るとの事。

②脱水症状(血液中の水分不足)

尿の排出量が増えたので、人工透析を離脱。
血液中の水分が不足しはじめたため、
今後は点滴により水分を補うとの事。







ひとまず、原因と対策はハッキリした。
母の不整脈は、次第に落ち着きを取り戻した。


昨日は、懸命にリハビリを頑張っていて。
文字盤を指で触るようになってきていて。
買ってきた壁掛け時計を見ながら、少し微笑んだり。
甘いものが食べたい、と連呼していたり。
寝ている顔はとても穏やかだったのに。。。

体調崩すときは急降下。。。

でも、まぁ。
入院している以上は、何もないはずはない。
辛いけど。びっくりするけど。

マラソンだって、長距離になればなるほど
体が悲鳴をあげる。

おかーさんは、病名を告知されてから3か月経ち、
入院して2か月が過ぎた。

もっと長く入院している人からすれば
『2か月しか経ってないじゃん』って思うかもしれない。

でも、ごめんなさい。。。
2か月という期間、ホントに長く感じました。

4月18日に入院生活が始まり。
4月20日に抗がん剤治療開始。
4月25日に無菌室へ移動。
5月5日に肺炎を患いICUにて人工呼吸器装着。
5月8日に顆粒球輸血処置開始。
5月16日に24時間人工透析処置開始。
5月24日に気管切開手術。
5月31日に、ICU卒業。無菌病棟へ帰還。
6月1日から口腔外科的処置、皮膚科的処置開始。
6月2日からリハビリ開始。
6月26日に人工透析卒業、オシリの管も卒業。





そして、現在に至ります。
振り返ればあっという間だったかもしれないけど
この一件で、まだまだ長く険しい道のりなんだなぁ
と思い知らされた日でした。

おかーさん。
みんな応援してくれてます。
頑張ってるおかーさんの姿は、みんなを元気にします。
頑張ってくれてありがとう。
生きていてくれてありがとう。

おかーさんは、みんなにとってなくてはならない存在です。
頑張っていこうね。



page9へつづく。







昨日の面会時。
母がちょうどリハビリをしているところに立ち会えた。

母は、私を目でみつけると嬉しそうに笑った。

『頑張るからね。見てて。』

クチパクで私に伝えた。
このときの唇の動きは、不思議と一度で読み解くことが出来た(笑)
いつもなら、文字盤でたどりながら会話しないとわからないのに。
本当に不思議だ、親子のチカラかな(*ノωノ)

理学療法士さんは、母に語り掛けながら
指についているセンサーを丁寧にはずし、
ベッド上部をゆっくりとあげ、
足元のベッドをさげ、
人工呼吸器の管の向きや画面を触り、
酸素濃度設定も変更していたようで
アラームが頻繁に鳴り始めた。

療法士『足、コッチ(ベッドサイド)へ下しますよー』
母『・・・・・(コクコク)』


ゆっくりゆっくり、コードが絡まらないように
理学療法士さんは母の両足をかかげ、
ベッドサイドへ下した。

療法士『体、起こしますよー頑張ってくださいね~』
母『・・・・・』


理学療法士さんに支えてもらいながら、
無事にベッドサイドへ座る事が出来た!
※モザイク下手ですみません(´;д;`)※
DSC_0501
メソ『お・・・おおおお~~~!』

さすがに表情は苦しそうで、
頭を持ち上げるチカラはまだないらしく、
だらーんとチカラなくもたげたままだった。

普段、寝ている姿しか見たことがなかったが・・・
2か月ぶりに起き上がった母の姿は、
かなり痩せているような印象だった。。。

クチから食べ物を摂取しておらず、
オシッコもウンチも、管から排泄だから・・・
動きがかなり制限された状態が
2か月以上も続いたわけだし、筋力が落ちているのも無理もない。

首を上下左右にゆっくり、ゆっくり動かす。
体を少し動かすだけで、かなり体力が消耗するのだろう。
酸素量が徐々に減っていってるようだった。

理学療法士さんは酸素濃度を調整しながら

療法士『深呼吸しましょう~~吸ってー吐いて~~』
母『・・・・・、・・・・・、・・・・・っ』
療法士『吸ってー吐いて~~、吸ってー吐いて~~』
母『・・・・っ、・・・・・っ』


と、理学療法士さんの動きが止まった。

療法士『・・・・メソさん、今、声聞こえました?』
メソ『え!?』
母『・・・・・、・・・・・・っ、・・・・・・(深呼吸中)』

私はベッドから少し離れた場所から
見守っていたので気づかなかったが、
理学療法士さんにだけ

『シンドイ』

と、かすかに母の声が聞こえたようだった。

療法士『気管切開している間は、声は出せないはずなんですけどねぇ・・・』
メソ『そ、そうですよね・・・・』
療法士『でも、確かに聞こえたんです。というか今回が初めてではなく・・・今までにも何度かありまして^^;』
メソ『え!?おかーさん、喋れるん!?( ゚Д゚)』
母『・・・・・??・・・・っ、・・・・っ(深呼吸中)』


喋ってないよと言わんばかりに首をかしげ、
また深呼吸のリハビリを自発的にし始めた。

メソ『・・・・声、聞いてみたい。』
療法士『そうですね。何かの拍子に声が出ることがありますので、楽しみですね^^』
メソ『ハイ!( *´艸`)』


ベッドサイドに座っていた時間はおよそ10分程度。
ここまでが体力の限界のようだった。

ゆっくり、ゆっくりとベッドへ体を横たえ、
呼吸器の角度の調整を行い、痰吸入を施し、
次は手足のマッサージ処置に入った。

メソ『おかーさん、お疲れ様。めっちゃ頑張ったね!』
母『・・・・・(ニコニコと頷く)』
メソ『ご褒美に、奄美の曲かけるよ!・・・聴こえる??』
母『・・・・・・』
メソ『・・・・・・・』
母『・・・・(聴こえないと首を横に振る)』
メソ『じゃ、もう少しボリュームあげてみるね。・・・どう?』
母『・・・・・・・』
メソ『・・・・・・・・』



その時。


母『・・キコエル・・』


メソ&療法士『!!!!!』


聞いた!確かに聞いた!!!!
少ししゃがれた、母の声!!!!!
呼吸器のせいで、母の本来の声色ではなかったが
確かに聞こえたーーーーーー!!!

メソ『おかーさん!!今!!自分の声出てたで!!』
母『・・・・!?(ウソ!?の唇の動き)』

それから、何度か声を出そうと必死に頑張っていたが・・・・
体力の低下が気になっていたこともあり、
無理させたくなくて、おかーさんに休むように伝えた。

母は少し残念そうだった。

私が聞いた言葉はこの1回だけだったけど
嬉しくてうれしくて、奄美メンバーへラインを送ってこのことを伝えた。

動画も撮影したので、編集をし、拡散した(笑)
だってだって、ほんまにすごいんやもん!!!
母の事を心配してくれている友人や会社の同僚たちには
面会我慢してもらっているので、
動画を見せて安心させてあげたかった。

人工呼吸器を装着している姿に驚きを隠せないで居る人が多かったが
(当たり前だけど(;´Д`))
それでも、退院に向けて一生懸命頑張っている母の姿を見て
元気づけられている人がとても多かったのが嬉しかった。

おかーさんは病気になっても、
周りに元気を与えている。
それが誇らしくもある。

先日、闘病の末逝去された小林麻央さん。
周りに元気と勇気と、愛情を与えながら全うされたのだと思う。

『愛してる』の言葉。
命尽きる最後の時まで、思いやりの心を持ち続けた女性。

市川海老蔵氏の記者会見は、本当に泣けた。
私自身、麻央さんのブログの読者であり、
母の病気の事で気落ちしていたときに
真央さんのブログを読んで勇気づけてもらったことが何度もある。
いつか病を乗り越え、梨園の妻として再び活躍されるだろうと願っていた。
本当に悲しかった。失礼なことだけど、母と真央さんを重ねて見ていたから。

悲しかったけど、小林麻央さんの人生を乳がんでひとくくりにするのだけは
止めておこうと思った。彼女自身が、そう伝えていたからである。

「がん」になったことだけが、私の人生すべてではない。
愛する人と出会い、2人の宝に恵まれ、私は幸せだ、と言っていた。


素敵な言葉だし、母をそういうふうに考えるのをやめようと思わせてくれた。
うまく言葉が出ないけど。。。。
病気になっても、それがすべてではなく
長い長い人生のほんの一部なんだと真央さんが教えてくれた。

真央さんのように下を向かず、明るい未来を夢見て、
これからも母と一緒に歩んでいきたい。




小林麻央さんのご冥福、心よりお祈りいたします。






page8へつづく。






さて、本日はXデー・・・いやいやちがうちがう。

華麗に滑り倒したところで、本題に参りましょう。
以前、顆粒球輸血の為に白血球促進剤を投与したことを
読者の皆様は覚えてらっしゃるだろうか。

ワスレチャッタヨ!!ってかたは復習をどうぞ!


記事タイトル:気分は『一定時間無敵状態』

http://kanngaetudukeruhibi.blog.jp/archives/1992473.html
※リンクの貼り方いい加減勉強しないとなぁw※

本日は採血の日。
血液に異常がでていないか調べる日でした。
ハイ、検査結果は良好でした!
伏線貼ってたわりに期待を裏切りすいまてん(笑)

あれからひと月以上。
ホントに目まぐるしい日々だった。

それが今はどうだ。

人工呼吸器、人工透析をしながら生きてそこに母が居る。
回復状態はさらに上々な仕上がり!

今の状態は・・・・

・人工呼吸器装着(サポートモード、濃度35%)
・人工透析処置(週2→週イチ、離脱濃厚!)
・唇の動きがハッキリとしてきた。
・口腔内の出血はほぼなし、歯磨き開始できるようになる。
・リハビリの甲斐あって手足が結構動くようになってきた。

そして、今日の母の訴え。

『ココア!!ココア!!コ・コ・ア!!!』
『お茶飲みたい!お茶!お茶!!』
『飴!飴!!飴なめたい!!』


・・・・・

・・・・・・・・

えー、声は勿論出ていません(笑)
ではなぜ、言いたいことがわかったのでしょうか??

回答時間は30秒です。





















はいっ時間切れ!!!


正解は、、、


『文字盤を使ったから』
でしたー!!


文字盤とは、コレ。
yjimage[2]
ちなみに。
おかーさんの手が動くと言っても、
頭を書いたり手をあげるほどのチカラはまだありません。

なので、ある程度頭文字の唇のカタチをみて、
文字をさし、あたり文字なら頷いてもらい
ハズレ文字なら首を振ってもらうというやり方です。
結構大変な作業になるのですけど、
母にとっても良いリハビリになるので、
母自身がしんどくなるまでこの方法で会話しました(。-∀-)

読唇術にはほど遠い('A`)

話はもどりますが、母がしきりに訴えていた

『ココア飲む』
『お茶飲みたい』
『飴食べたい』


ですが、人工呼吸器をつけている間は
飲み込むことができないので、我慢してもらうしかないのです。

ただ、口腔内に甘い蜜などを塗布することはできると
仰ってくださいましたので、母にそう伝えると・・・

『・・・・・・』
yjimageK70R0JCB
明らかに落胆してました(´・ω・`)

誤飲、水分が気管に入ってしまうと
むせるどころの騒ぎではなくなってしまうので・・・・
  
思わぬ事故になり兼ねないとの事でした。


欲求が出てくることは、正直嬉しいことですが
同時に残酷だなぁと感じる事でもありました。

自分の体を自由に動かせない。
声を出して話をすることができない。
食べたいものも満足に食べれず、いつも流動食。。。

我慢、我慢な毎日なのに
強制的に我慢させなくはならない。


ストレスたまりそうだよね、これじゃ・・・
何かストレス解消になる事をさせてあげられればな。

おかーさんの唯一の武器であるキモチが弱ってしまいそう。

なーんて私の心配とは裏腹に
母は毎日のリハビリの甲斐あって

左手にナースコールを所持!??


『自分で押せるようになったで!( ゚Д゚)ドヤァ』

満足げな表情で私をみつめる母。
かーさん・・・まじで根性凄すぎ(笑)



page7へつづく。





17日、18日、19日、そして20日。

この4日間、奄美大島から
母の妹親子が面会に来てくれることになっている。
予定通り、17日の夕方6時に妹親子が病院へ到着した。

手を握り・・・嬉しそうに語り掛ける母。
涙ぐみながら、頷き返す妹。
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その娘たち。
1497784144266
声はやはり出せないけれど、
久々に会えた親戚たちに伝えたいことが沢山あるのか、
母は一生懸命会話をしようと頑張っていた。

母の気持ちが、今にも溢れだしそうで
時折顔をしかめ、涙を堪えていた。

『大丈夫だから。心配しなくていいから。』
『来てくれてありがとう。』
『頑張って病気治すからね。』


母の妹も、前々から大きな病を抱えていて
7月に入院が決まっているようだった。

これまでに年に2回、検査入院をしていたらしい。

自分の体調の事を考えれば、今回の和歌山訪問を見送るべきか
最後まで悩んだみたいだけど・・・・、

入院してしまえば、しばらくは退院できないかもしれないと思い
娘たちに連れて来てもらったようだった。

妹『メソちゃん、ありがとう。私、ホントに来てよかった。しばらく来れないけど、姉ちゃんの事、頼むね。。。』

母と言葉を交わせれば・・・会話が出来れば・・・、
どうしても、そう考えてしまう。

でも、母には会話ができなくても十分なように見えた。
会えただけで幸せ。そんな風に見えた。

本当のところは、わからないけど・・・、

和歌山の家族と会っている時よりは、
奄美の親戚たちと会っているときのほうが
笑顔の時間はかなり長いように思えたから(*'ω'*)


そして主治医の先生から、明るい未来のお話を聞けた。

近々、人工透析を離脱できるかもしれません。


『かもしれない』でも良い!ぜんっぜんイイ!!
『かもしれない』=可能性の話だからヾ(≧▽≦)ノ


ずっとし続けなければならないと覚悟していただけに
このお話は、本当にありがたかった。

母の腎臓が、着実に回復しているようで
自分でオシッコを出せるようになってきたらしい。

体中に水分が溜まっているので
全体的にむくんでいるが・・・・、

人工透析を離脱して、様子を見るのだという。

人工透析を始めてしまうと、
一生付きまとうものだと思っていたが。

一時的に離脱なのか。それとも卒業なのか。
人工透析についての詳しい話を、後日聞くことにした。



今週22日(木)。
この日、私自身の血液検査を血液外来で行う事となる。




page6へつづく。







母の状態をお知らせします!

主治医となかなか会えないため、
病状などの詳しい内容をお伝えすることができませんが
面会時の様子を書いていきます!
yjimage4702EG4K


6月15日(木)現在

❤肺炎の状態、良好!
❤心拍数、血圧、酸素濃度・・・良好!!
母の自発呼吸量が増えてきたため
呼吸器のモード?設定??を変更!
『強制』だったのが『サポート』に切り替え!
❤人工透析の頻度は毎日→火&土のみ!
❤首に刺していた人工透析用の針をわき腹に移動!
❤リハビリの時間延長に伴い、起きている時間が増えた!
❤支えをしてもらいながらベッドサイドに座ることができた!
❤口腔内の出血、完全に止血完了!唇が綺麗に生成された!
❤声は出ないけどニコニコしながら喋るようになった!!


△鼻からチューブを挿入し食事をとる
△手足などがむくんでいてはち切れそうである。
△意思の疎通などのコミュニケーションに難アリ。
△本来の治療『抗がん剤治療』を停止したままである。
△大腿部分の皮膚のただれが酷い。
△体温が落ち着かない。微熱~37℃後半。



こんなところでしょうか。
今までは悪い状態の割合が8、9割くらいだったのが
今では6割くらいまで下がった気がします。


ドナーは見つかっているのですが、
5月5日に母が肺炎を発症してしまっていたため
仕切り直しと言う事で、ドナー側の検査などは休止状態にあるようです。


無菌病棟へ移動して16日が経過しました。
何もトラブルが起きないよう・・・
このまま、順調に進んでもらいたいものです。


以上、中間報告でした!
今日は短めの記事です(*ノωノ)


読んでくださりありがとうございました┏○))ペコ


page5へつづく。



無菌病棟移動してから2日目の事。

この日は、仕事終わりに旦那と共に面会をした。
ちょうど処置の最中であったため
すぐに入室することが出来ず、しばし待機。。。

入室許可が出たので、母と面会をした。

私『・・・・!?』

母の口元には、血液が付着したガーゼを複数枚施されていた。
この状況だけを見たら、吐血したのかと勘違いする。。。

しかし、そうではなかったようだ。

母は口腔内を常に出血しており、
あまり衛生的とは言えない状況にある。
そのため、出血を止めるべく口腔外科的処置が必要となり、
衛生に保つためにも外来診察が必要となった。
yjimage[5]
午前中、口腔外科の医師の処置の過程で
唇に付着していた『かさぶた』を除去したため、
血小板の低い母は自ら止血することが出来ず・・・
絶えず血が流れ続けているのだという。

このとき、私は口腔外科医師に対して強い疑念を抱いた。
治療過程にせよ、かさぶたを『剥がした』となれば
出血が伴うことは容易に想像できるし、
結果、黴菌が侵入し再び肺炎が起こったらどうするんだろう・・・と。

看護師に詳しい説明を要求しても、
日勤と夜勤が交代したばかりでよくわからない、と言われ
要領を得ずにさらに悶々とする(笑)

こうなったら、主治医に説明を仰ごう。
次の日、主治医に説明をしてもらうよう看護師に伝えた。

おかーさんの口元のガーゼを交換したり、
拭ってあげたりした。

母はクチパクで『ありがとう』と言ってくれた。

時折、苦しそうな表情になる。
呼吸が辛いのか、体が痛むのか・・・・
その辺をどうしてもわかってあげられないのが歯がゆい。
わかったところで、自分にはどうすることも出来ないのも歯がゆい・・・

母は心配そうな表情の私に『大丈夫』とでも言うように
何やら唇を動かし、声は全くでないけど一生懸命しゃべり、
最後に『ニコッ』と笑ってくれた。

次の日。

仕事が終わり、父と一緒に面会へ向かう。
母は寝ていた。おそらく、治療の日々で疲れているのだろう。
看護師さんが点滴の交換に入室して来たので、
主治医と少し話が出来ないか尋ねてみた。

看護師『いらっしゃいますよ、呼んできますね^^』

と、わざわざ呼びに行ってくれた。
しばらくして、病棟医と主治医が来てくれた。

血液の診断結果を携えて、細かく説明してくれた。
肺炎のCRP値はゆるやかに下がっているのでまずまずの結果であること。
肝臓のビリルビンの値も減少傾向にあり危機的状況は離脱できた。
血小板の伸びが悪いこと以外は、比較的良好との見解だった。

昨日の口腔外科処置について、思い切って尋ねてみた。。。

主治医『およそ20日間ほど喉の奥にチューブが入っていたままでしたので、ICUに居たころは乾燥が酷く、口内炎もあり、ひどいただれなどの傷が多数みられました。その治療を施すために、クチを大きく開けてもらわなければならないのですが、口周りにべったりと『かさぶた』があったので、大きく開けることができませんでした。なので、無理やりということではなく、いけるとこまで時間をかけて、ゆっくりと除去させていただきました。放置し続けていても衛生面で言えば悪影響になりますので・・・元々、口角に口内炎があったのですが、主な出血の原因はそこからのようでした。もちろん口腔内も傷だらけだったのですけど、気管切開にしてからはみるみる口腔内のただれは回復してきているので、今は特に問題はないようです。』

はー、聞いてよかった。。。。w
まぁ、病院のすることだからほぼ間違いはないんだろうけど(;´・ω・)
聞いておかないと、どうしても不安になるし。。。

唇の周りが痛々しいのも含め、
口腔外科的治療によるケアをしてくれていたようです。


こちらの質問に対し、きちんと説明してくださるので
お医者様に恵まれたなぁ・・・と改めて思いました。


page4へつづく。



父『・・・!?おい、大丈夫か!?』
母『・・・・・、・・・・・、・・・・・っ』


とても苦しそうな表情の母に、
何をどうしていいのかわからず
ひとまずナースコールを押すが・・・
ナースステーションからの応答がない。

父『すぐ呼んでくるからな!』

母にそう言い、ナースステーションを覗いても誰も居ない。

父『・・・・、なんで誰も居おらんねや・・・!』

静かな病棟。人の気配がない。
就寝時間はとっくに過ぎているため、廊下は当たり前のように薄暗い。
yjimage[2]
父は看護師を探し続けた。
すると、緩和ケアから歩いてくる1人の看護師を見つけた。

父『すんません!アラームが鳴ってて。。。診てもらえませんか!?』
看護師『はい!確認します!』


病室へ看護師と入室した時にはアラームは止まってはいたが
心拍数上昇、酸素供給、血圧が低下していた。

看護師は、痰の吸引が必要だと判断。
母に断りを入れ、吸引の処置に取り掛かった。

看護師『・・・・はい、すぐ終わりますよーもう少し、頑張ってください・・・・』
母『・・・・・っ』
父『・・・・・』
看護師『・・・終わりましたよ、お疲れ様でした^^』
母『・・・・(うんうんと頷いた)』

父はホッとした。

看護師『頭の位置はどうですか??』
母『・・・・・』
看護師『ちょっと下げますかー??』
母『・・・・(うんうんと頷いた)』
看護師『はーい、じゃ、少しさげまーす・・・どうですか??』
母『・・・・(苦しそうな表情で首を振る)』
看護師『ん、もうちょっと下げますー??』
母『・・・・(イヤイヤと首を振る』
看護師『下げ過ぎたんですね、ごめんなさい。少しあげまーす・・・どうですか?』
母『・・・・(うんうんと頷き、目を瞑った)』


父『・・・・今、どういう状態だったんですか??ちょっと、よーわからんくて・・・』
看護師『あ、はい。人工呼吸器をつけているかたは定期的に吸引処置が必要になるのですけど、溜まってくると呼吸がしづらくなり、患者さんの心拍数が上昇してくるので、アラームが鳴るんです。アラームの種類はいくつかありますので、まずはモニターをチェックし、どれが原因として一番疑わしいかを判断しています。酸素が正常に供給されるようになったので、奥様はお休みになられたようですね^^』
父『・・・あぁ、そういう状況だったんですね。ナースコールを鳴らしてもすぐ来てくれなくて、結構焦りました・・・』
看護師『そうですよね、申し訳ありません(>_<)必ず誰かはナースステーションに1人常駐していなければならないのですけど、今日は3人しか居なくて・・・・言い訳をするつもりではないのですけど、たまたま全員出払っているときにナースコールが鳴り、対応が遅れてしまいました(>_<)お母様はご自身でナースコールを押すことができないので、他の患者さんより優先して診ては居るのですけど・・・・コールが被ってしまうと、迅速な処置が非常に難しくて;;;』
父『たった3人なんですか!!それは忙しいですね(>_<)』
看護師『看護師不足が深刻でして、病棟は何人もの患者さんを掛け持ちで看なければならないので、特に続かない人が多くて;;;不安にさせて本当に申し訳ありませんでした(>_<)』
父『いえいえ・・・大変ですね、看護師さんも・・・・』
看護師『なるべく迅速に対処させていただきますね!ではまた何かありましたら仰ってください。失礼しますm(_ _"m)』
父『どうも、ありがとうございました┏○))ペコ』


父は、看護師さんが出て行ったあと
母の顔を覗くと・・・・起きていた。
さっきの会話を聞いていたのだろう。
しきりに何かしゃべりたそうにクチを動かしていた。

母『・・・・・、・・・・・・。・・・・・・・!』
父『・・・・ん??もう一度呼ぶんか??』


母は首を振り、しきりに何かを説明する。

父『・・・・・?』

母は視線をドアの方へ向け、さらに何かを説明した。

父『・・・・ひょっとして、帰れって言ってるんか?』
母『・・・・(うんうんと頷いた)』
父『お前、しんどくなっても自分でナースコール押せやんのやぞ?』
母『・・・・・』
父『傍におるから、もう休め』
母『・・・・(首を振り、か・え・れのクチの動きを繰り替えした)』
父『・・・・・わしが居ると、休めんのか??』
母『・・・・(うんうんと頷く)』
父『・・・・わかった。泊まらなくても大丈夫なんやな??』
母『・・・・(ニッコリと頷いた)』
父『じゃ、今日はこれで帰るわ。また明日来るからな。』
母『・・・・・(目を瞑る)』



父は、深夜2時ごろ帰宅したようだった。
次の日、会社にて私に昨日の出来事を話してくれた。

母は、ナースコールを押せない体でも
家族に頼ろうとせず病院側を強く信頼し、
『私の事はいいから休んでください』とでもいうように
この日を境に家族との長時間の面会を拒むようになった。



page3へつづく。





無事に引っ越しが済んでからその日は、
レントゲン撮影、エコー、CT、人工透析、体のマッサージケア等々・・・
母にとってはイベント盛りだくさんのめまぐるしい1日となった。

私は引っ越し当日、病棟医から心配停止した時の話を聞き終え
母が落ち着いて病室へ戻ったのを確認してから会社に戻り、
病棟医に言われたことを報告し、相談をした。

報告は心配が停止したときの対処方法や検査の概要、結果。
相談内容は、強制ではないが今夜家族の誰かが
母の病室へ泊まることが可能であれば
傍についててやってほしい、と言われた事だった。

病棟医は私に言った。

病棟医『今まではICUで24h、患者1人につき1人の看護師がついていたので手厚い看護が出来ていたのですが・・・ICUに比べると看護師の人数が極端に減ってしまうので、日中は看護師1人がおよそ5~6人の患者を兼用で看ることになります。お母様は特別観察室で治療しているので、他の患者さんよりは優先して診てもらえる状況下にあります。1時間に1度の頻度でお伺いすることになるのですが、夜になると、看護師の人数がさらに減ってしまうのでなかなか来ることができない可能性もあるんです。お母様は声が出ず、腕を動かすチカラがないため、用事があってもナースコールを押すことが出来ません。センサーで拾うにしても、チカラが弱すぎるため反応しないのです。お母様はひょっとしたら不安に思うかもしれないので、ご家族の誰かが傍についていてくれれば、万が一看護師がなかなか来れない状況下になっても、多少は心強いかと・・・』
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・・・そっかぁ、そういう状況なんだ・・・
ナースコールが押せないなら、確かに不安がかなり大きい。
息が苦しくなっても、ただ待つしかできないのだから。

【人工呼吸器のデメリット】
・痰が定期的に溜まる。

気道がふさがってしまい、息苦しくなる。

詰まってしまう前に除去。

吸引している間は呼吸ができない。

患者の苦しさは変わらない・・・。

除去後は、気道確保ができるので呼吸がしやすくなる。

また、痰が溜まる。

繰り返し・・・・・
「痰吸引」の画像検索結果
こんな感じで処置していただいております・・・。





吸引している間は、心拍数が上昇している。
チューブを取り外しているためアラーム音が鳴り響く。
装着している間は、これが延々と続く・・・・(>_<)

また、人工呼吸器を装着しているとはいえ
母も多少は自発呼吸が出来ている状態なので・・・

・時々、人工呼吸器と喧嘩する。

つまり、規則正しく酸素を送り続けている人工呼吸器に対し
母の自発呼吸とタイミングが合わず、苦しくなるようで
眉間にシワがよることがしばしば起きた。

息継ぎのタイミングがうまくできないのだ。

水面はすぐそこに見えているのに
顔を出したくても出せない状況に陥るのだろう。。。

想像でしかないけど(´・ω・`)
こんな状態でどうやって寝るんだ・・・・


・ベッドの角度によって息苦しさが変化する。

チューブが正常な状態(屈折していない状態)なら
酸素供給は安定しており、痰が詰まらない限りは
息苦しさはさほど感じ無いようである。

が・・・・、

ベッドの上部を上げたり下げたりしたとき、
チューブが屈折してしまう事があるようで
操作をするときは充分に気を付けなくてはならない。

少しだけベッド上部を上げた状態のほうが
母は落ち着いて寝ていられるようだった。






父がこの日、泊まることにした。
看護の観点では何もできないが、
母の異変に気づけばすぐナースコールを押してやれるから・・・
理由はそれで十分だった。

仕事を終えて、風呂と食事を済ませ
病室へやってきた父。
特に何をするわけでもなく、
ただ、看護師の処置を眺めていたり
母に言葉少なに語り掛けていたようだ。

夜はどんどん更けてゆき・・・
父もうとうとし始めた頃。


けたたましいアラーム音が病室中に鳴り響いた。


page2へつづく。


こんばんわ、メソメソです。

今日は『患者の家族の在り方』について
私の独断的価値観を話したいと思います。

というのは・・・・

母が集中治療部で治療を受けている際
面会申請をして呼ばれるまでの間、
家族待機室に居なければならないのだが
病院の事をとても悪く言う人が何組も居たので
聞いてるうちに段々腹が立ってきたからである。
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まぁ、結論から言えばこの記事は
『病院に対して愚痴を延々と言っている人をディスった内容』
となるため、興味の無い方は華麗にスルーお願いします(*'ω'*)

それでは、早速参りましょう。

文句を言い続けているご家族様にお尋ねします。
あなたたちは、
自分の家族の病気を
どこまで理解できていますか?


これが病院の悪口を言う家族へ対する一番の疑問。
私たちの世代なら、今やインターネットの普及に伴い
ありとあらゆる情報が網羅されているため、
正確な情報か否かは別として『自分で勉強することができる』。
大体文句を言う人たちって、70代以上??の方が
比較的多いような気がする・・・・。

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
『やっぱりここの病院はアカンで。』
・・・?何がアカンのですか?

『ここに来てから一段と悪くなったわ。』
・・・・どんな病気か知らんけど、じゃあ
他の病院だったら治るって言いたいの?


『一生懸命説明してくれるけど、よーわからへんねん。』
・・・わかってないなら医者のやることに文句言うなよ。

『若い先生多いし、大丈夫なんやろか。』
・・・まぁ、そこは同感やけど。
でも、ウチの主治医は若いなりに
一生懸命対応してくれてるけどな~。

『なんせ待たせるよな。はよしてくれたらいいのに』
適当な処置されるより全然良いと思うけど?
医者の数より患者の数のほうが圧倒的に多いし、
大学病院なんやからしゃーないやん。
同じ待つ身なら患者のほうが体しんどいわけだし、
自分ら優先で物事を考えるのいい加減やめたらどう?

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

説明してくれてもよくわからない、とか
いつまで待たせるんだ、とか
薬ばっかり出されて一向に良く治らないとか、
このあたりの愚痴がとても多かった。

病気って患者によってさまざまなケースがあると思うし
その人に合った治療法、薬物が見つかればいいのだけど
なかなか一朝一夕では行かないことのほうが多いと思う。

すべての医師に該当するかどうかはわからないけど
だいたいの医師は丁寧に説明してくれる人が殆どだと思う。
なるべくわかりやすく、砕けた言い回しで。
患者の家族に対しても親切に対応してくれていると感じている。
邪険にされたことない。
カンファレンスでも上から目線ではなく、
常にありのままをお話ししてくれているので
内容によっては精神的につらいこともあったが・・・
それでも、母の主治医はとても誠実に、
前向きに治療をしてくれていると実感している。


でも・・・大きな病院であればあるほど・・・
本当にいろんな先生が在籍しているので
医師対患者の相性の問題は、少なからずあると思う。
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主治医に心無いことを言われ、
治療に前向きになれないとか。

言葉足らずな説明に納得がいかず、
高額な治療を強いられ病院を変えたいと思ったりとか。

担当看護師がガサツで、
とにかく落ち着いて行動してほしいとか。

いろんな要素を含んでの、
セカンドオピニオンなんだと思う。

要は、この病院で治療はしたくないという結論なのだろう。

私たちもこのセカンドオピニオンについて、
相当揉めたものである。

父はセカンドオピニオン派。
私は反対派。
父がセカンドオピニオンを希望する最大の理由は、
『肺炎になったのは医者のせいだ』と強く恨んでいることと
主治医の年齢が圧倒的に若く、頼りないと思っていることにあった。

この病院で果たして良いのだろうか。
第一任者の居る、他府県の国立がんセンターへ行くべきではないのか。。。
おかーさんの病気を治したい。でも・・・・
他府県の病院だと、一緒に居られる時間が極端に減ってしまうし
この間のように、すぐ来てくださいと病院から連絡が来ても
他府県だとすぐに行ける距離でもない。

病院を移動するかどうかについては
まだ結論が出ないままである。

私は、父を含め病院の対応について文句を言う事しかできない
家族様にヒトコト、申し上げたい。

人間の体に潜む『病気』は、カラダが生きている以上
『病気』だって生きているんだと言う事を意識し、
病気は現在進行形であることをまずは認識しておくべきだ。と思う。

早期発見、早期治療を行い・・・・
良くなっているにしろ、悪くなっているにしろ
『現在進行形』であるのは間違いないと思っている。
何故なら、患者の体は『生きている』のだから。

では、病気は死なないのか?
私は、カラダが死ねば病気も死ぬと考える。

数値は安定し、退院をして普通の生活ができるようになっても
なりを潜めているだけで、病気が大人しくしているだけで
体の中に存在し続けると思っている。

私は今健康だけど、
自覚症状がない(気づかない)だけで
ひょっとしたら病魔が息を潜めているかもしれないと思っている。

だから、毎年健康診断に行く。
健康診断で見つかった時には、ひょっとしたら手遅れなのかもしれない。
治るかもしれない。予防できたかもしれない。

かもしれない、かもしれない、カモシレナイ。

ぜーんぶ、後付け。
結果論。

この病院に居なければ、
母は人工呼吸器をつけるほどまでに
容態は悪化しなくてすんだのか??

他の病院だったら良かったのか??

違う医師が担当していたら、
母はこの場に居なかったかもしれないのに??

肺炎になったことを病院に対し責めるなら
家族の健康について普段からどんだけ気にかけてたんだよ。

おかーさんが元気な時は、特に気にかけてなかったじゃん。
おかーさんが具合悪い時、会社早退させなかったじゃん。
まったく心配してなかったわけではないのだろうけど
なんで口内炎がどんどん酷くなっているのに
無理に病院連れて行こうとしなかったんだよ。
顔めっちゃ青白かったやん。。。。

言い出せばキリがないよそんなもん(笑)

父ばかり責める私も同罪である。
日ごろから母に甘えてばかりで想いやってやれなかったから
病気にどんどんカラダが蝕まれていくのを見過ごしてしまった。

悔やんでしょうがない。
誰を責めようもない。
なるべくして、成った事。

だから、私たち家族にできることは
病院を責める事でも、悔やむことでもない。

主治医の話をきちんと理解し
病気を真正面から受け止め
病気に負けまいと治療に励む患者を全力でサポートすること。

納得した上で、治療にのぞむことが一番重要だと感じた。

文句言って治るんなら、
いつまででも文句言い続けてやる。

でも、母はそれを望んでいない。
母は、高望みをしない。
ただ、生きてさえいれば幸せ。
そう考えることができる人なんだ。

だから、私は誰かのせいにするのを卒業した。
先生の話をしっかり聞き、理解し、
病院の言いなりではなく、後悔のないように治療をしてもらいたい。
時間を許す限り、私は母のチカラになるように支えたい。



独り言にお付き合いくださりありがとうございました┏○))ペコ




☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
当記事に関してですが、実際の体験を元に
書いておりますが、私の誤解により事実と
異なる記述があるかもしれません。
気になる箇所があった場合は訂正しますので
個別にご連絡お願いいたします。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★


こんばんわ、メソメソです。

今更ですが・・・・
今回は入院保険について少しだけお話しさせてください。
あと、高額医療制度についても記述しておきます。


高額医療制度とは!

医療費が高額となった場合に、患者の負担を軽減する制度。暦月(月の初めから終わりまでの1か月間)で、医療機関や薬局の窓口で支払った医療費の自己負担が一定額を超えた場合、超えた金額が健康保険組合などの公的保険から支給される。ただし月をまたいで医療費を合算することはできない。給与所得者などが加入する健康保険自営業者のための国民健康保険など公的医療保険制度に共通の仕組みで、支給額は加入者の年齢が70歳以上かどうかや所得水準によって異なる。たとえば、70歳未満で一般的な所得(月収53万円未満)の人の場合、1か月の医療費が100万円かかり、そのうちの3割(30万円)を窓口で自己負担した際に、実際の負担上限額は8万7430円で済み、21万2570円が高額療養費として支給される。直近1年間で3回以上高額療養費の支給を受けると、4回目からは自己負担の上限が4万4400円にさらに下がる。同じ月であれば複数の医療機関の自己負担額を合算でき、同じ世帯に住むほかの人(同じ医療保険加入者)の自己負担額を合算して支給を受けることも可能である。ただし、入院時の食費や差額ベッド代(個室代)、先進医療にかかる費用などは対象外である。
 高額療養費制度を利用するには、健康保険組合などの公的保険に支給申請書を提出しなければならず、支給までに3か月程度かかる。診療を受けた月から2年間は、過去にさかのぼって支給申請できる。血友病の因子補充療法や人工透析など、高額な治療を長期間続けなければならない人には、個人負担上限を1万円とする支給特例がある。事前に「限度額適用認定証」か「限度額適用認定・標準負担額減額認定証」の交付を受けて医療機関に提示すれば、自己負担額を超えている分について、医療機関に支払う必要はない。なお、毎年8月から1年間にかかった医療保険と介護保険を合算して高額となる場合に、その負担を軽減する制度として高額医療・高額介護合算療養費制度がある。[編集部]

ふー^^;コピペ感満載な文章ですけども
読むのだけでも億劫になりますね。
yjimage[6]
そんな貴方に要約すると!

つまり!対象となる人の所得や年齢に応じて限度額が異なり
限度額が超えると支給は数か月後になってしまいますが
ちゃんと払い戻しがあるっていうありがたい制度なんですね。

これは社会保険事務所に申請を出しました。
必要書類は自宅へ送付してもらい、
申請は入院して1か月経ってしまいましたが
ちゃーんと入院日から現在に至るまで適応できたようです。


請求金額みるだけで心臓麻痺が起こりそうですね。。。
yjimage[9]
ちなみに皆さんは自分の保険について、どのくらい把握されていますか??
私は・・・保険の事って、ぶっちゃけよくわからないことが多いし
何よりもめんどくさいし・・・どうでもいいやと言わんばかりに放置しておりました。

そもそも、
いい歳なのに
親に任せっきりで
無知ときた!!


本当にお恥ずかしい限りです。。。

わからないまま放置している間にも、
母の病気は進行し
通院で治療が始まり
入院して退院の目処が立たず・・・・、
肺炎を患い集中治療部へ緊急処置を施さなければならなくなり
人工呼吸器を装着、約1か月寝たきり生活・・・
今では自分の体を自由に動かすことが出来なくなってしまいました。

忙しいのを理由に大事な手続きを怠ってしまったことにより
母の直筆サインが必要な書類の提出が出来ず
すごく手間がかかり、結果苦労することになってしまいました。


準備って本当に大事です。
まず・・・・

母は『かんぽ生命』と『アフラック』に加入しています。
いずれも、入院保険や生命保険、がん保険などに入っているのですが
給付金をもらうためには『医師の診断書』が必要となり、
1通につき発行手数料4千いくらほどかかり、
しかも基本的には退院の目処が立たないと
給付金が受け取れないとゆー
仕組みのようです。。。。

まぁ、苦労はしましたが結果、受け取ることはできましたw
yjimage[8]
ジェバンニは一晩でやっちゃったかもですが
メソメソは2週間以上かかりました(笑)
その経緯に至るまでをなるべく詳しく書きますね。



私のバヤイ。
※一時給付金を貰えるまで※

①保険窓口に提出するための医師の診断書を貰いに病院窓口へ向かう
②診断書を書いてもらうための『申込書』を書く
③約1時間ほど待たされて窓口で案内されるも、退院日が決まっていないので門前払いされそうになる
『病名が確定すれば一時給付金が貰えると保険員から聞いた』と必死で訴え、なんとか書類を押し付ける
⑤『お母様の直筆サイン』を求められ、集中治療部で処置中のため意識がなく提出できないと答えると・・・
⑥『診察券』の提出を求められ、本当に入院しているのか確認をするため数分待たされた
⑦確認がとれたようなので、『診断書』が出来上がるまでに2週間かかるらしい。出来上がり次第電話をくれるようだ
⑧受け取る際、母の直筆のサインがないので娘であるための証明『戸籍謄本(抄本?)』が必要になるので必ず持参をするようにとしつこいくらい言われた。あと、私の身分証明書と引換書も。
⑨2週間以上経過し、ようやく電話が鳴ったので取りに行った。待ち時間は相変わらず長かったが、無事に受け取ることが出来た。
⑩受け取った診断書、保険給付請求書、母の保険証のコピーを同封し、保険会社へ書類を送る。
⑪10日後、指定口座へ一時給付金が振り込まれた。(100万円)


今回すぐ貰えたのは一時給付金なのですけど
これは病名が確定したから貰えた給付金でした。

本来は退院日が決まらないと保険金はもらえないのだそうです。

しかし、長期入院となると・・・・
お金なんてすぐなくなっちゃいますよね^^;
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には行きませんよねー。。。。

なので、長期入院の場合は
発行手数料が都度かかってしまうのですが
1か月単位で診断書を発行してもらい、
保険金をいただきながら不足分は自己負担で
支払われているケースが多いのだそうです。

つまり、私が当記事で言いたいことは・・・・、

本人が元気なうちに必要な書類にすべてサイン!!
受けられる保険をできる限り把握しておく!!

もう・・・本当コレに尽きます。。。。

後回しになんて絶対にしてはいけません。
放っておくと、
大変なことになりますよ。





今回もお付き合いくださりありがとうございました┏○))ペコ






5月31日(水)。

この日は母の集中治療室卒業式!
おかーさんはベッドに横たわったままお引っ越し。
でも、ちゃーんと意識はある!

午後2時、私は病棟で必要なものをすべて携え
母と一緒にベッド専用エレベーターへ乗り込み
約1か月ぶりの無菌病棟へ戻ってきた。


『おかえりなさい!!お久しぶりですね^^』
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無菌病棟のスタッフの方々が、口々にお迎えしてくれた(*'ω'*)
良かった。本当によかった・・・・


約1か月、母にとっても家族にとっても・・・
何度も苦しい死線を乗り越えてきた。
それが今、母は上り調子にある!
ゆっくり、ゆっくり階段を踏みしめて登っている!

だけど・・・・、
やはり心配なのは肺の機能がこれ以上悪くならないようにと言う事と
本来の病気である『骨髄異形成症候群』がどのくらいまで進行しているのか・・・

ICUにて呼吸を完全に確保するために、
肺炎を治すべく強度な薬を長期期間にわたり服用したため
副作用として多臓器不全を併発、肺の硬質化・・・神経障害。
臓器が弱っているのに抗がん剤治療などできるはずもない。
体をうつぶせにできないのだから骨髄検査も当然、できない。
芽球がどのくらいまで増えているのか。
ひょっとしたら、すでに急性白血病になってしまっているんじゃないのか・・・
WT-1の値は・・・・?

・・・・・、
言い出せばキリがないのはわかってはいる。
現実に引き戻すのは、いつだって医師の言葉なのだ(>_<)

嬉しい気持ちも束の間。
病棟医から『心肺停止』したときの対処法について説明を受けた。

病棟医『万が一、心配が停止すれば・・・の話なのですが、通常なら気道確保を行い心臓マッサージを行うのですけど、胸元へかなりチカラ強く圧力をかけるんです。大袈裟な話ではなく・・・・中には内出血をするかたもいらっしゃるんです。お母様の場合、内出血をしてしまうと・・・血小板数値が低いため、出血をさせてしまう可能性のある処置は出来ないんです。仮に心臓が蘇生したとしても、今度は出血多量で・・・・と言う事になりますので、ご理解いただけますでしょうか。』
メソ『・・・わかりました。でも、そうならないように全力を尽くしてください。私たちも、協力できることは何でもやります。話は充分、理解しました。でも、声に出して言えば本当にそうなるような気がするので、家族としてはあまり考えないようにしたいのです。自分のココロが参ってしまうと、母を応援できなくなってしまうので・・・』
病棟医『お母様もメソメソさんもとても前向きなかたで、本当に助かります。課題が沢山あって大変ですが、時間をかけてでも着実に快方へ向けて頑張っていきましょう。』
メソ『先生、今後ともよろしくお願いいたします』
病棟医『こちらこそ。』


医師だって、できる事なら良いニュースを伝えたいに決まっている。
でも、現実をちゃんと伝えておかなければならないのは
『患者』にもしものことがあったら『遺族』に訴えられてしまうからだ。
医療ミスだのなんだのと、騒がれかねない。

私は母を外来へひとりで行かせたことを今でも後悔している。
だから、私は医者ではないけど母と一緒に歩み
病気の事を理解し、医師の説明を聞いて少しでも理解できるように
予習・復習をして、いかに母にとってプラスになるのか・・・
医師や看護師ともよくコミュニケーションをとり
情報提供をしてもらおうと思っている。

私にできることは、すべてやりたい。
おかーさん、何にも心配しなくていいからね。
幼いころ病気がちだった私を、寝ないで看病してくれたこと忘れてない。
次は、私がおかーさんを助ける番。
お医者さまじゃないから医療的な事は何もできないけど
おかーさんの病気がこれ以上悪くならないように
全力を尽くすからね。

さあ、次はリハビリとの闘いだ!!









以上を持ちまして、SEASON1-集中治療部編-は終わります!
↑今、サブタイトル付けました(笑)\(^o^)/

とてもヘヴィな内容となってしまい、
読むのが大変つらかった方も多かったのではないでしょうか。
それでも変わらず拝読いただけました事・・・
私自身の励みとなり、ここまでブログ更新を頑張る事が出来ました。
本当に・・・・心より、感謝を申し上げます。

モコ『これからも応援頼むでっ!(ぺこり)』
シーマとモコ (7)
引き続き、6月から母のなが~~~く険し~~~~い
無菌病棟にて治療が始まる訳ですが、
集中治療部に居た時ほど、あまり環境がめまぐるしく
変わることが無い(といいな笑)事を祈りつつ、
母に関しての更新頻度が減ってしまうかもしれませんが、
息抜きに適当な記事をアップするので
その辺はサラっと読み飛ばしてください\(^o^)/



それでは、SEASON1ご愛読誠にありがとうございました┏○))ペコ






気管切開翌日の面会。

未だかつてないほど、ご機嫌な母。
なにやらクチパクで訴えており、
話し終わった後、最後に『ニコッ』と頻繁に笑うようになった。

母『しゃべれないだけでめっちゃ元気やで!心配するなよ!』
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周りに元気を与える母。
本当に尊敬する。私はあなたの娘で良かった。

気管切開後から少しずつ治療方針が変わり始めた。

まず、24h回し続けていた人工透析を、各日で行うようになれたこと。
薬を使わずとも血圧が安定してきているので、
通常の患者のような透析処置でも、充分な対応が可能となった。

次に、呼吸サポートを施すのに使われていた
おびただしい数の薬の使用を停止できたこと。
沢山ぶら下がっていた点滴袋は、明らかに数が減った。
薬を使うと必ず何らかの副作用が出るので、
薬の使用頻度を減らし、体内臓器の回復を優先させるためであった。

さらに、皮膚にも変化が現れ始めた。
肝臓のビリルビン値が高かったのだが、薬を止めたことにより
数値が徐々に減少。黄疸が目立たなくなってきたのと、
クチ周りに酷い血のりが付いていたのが
少しずつ剥がれて来ていて、新しい皮膚が再生し始めていた!

つまり、気管切開にしてから母の負担が減ってゆき、
薬の量を減らすことができたおかげで・・・・
肺以外の臓器が、
少しずつ回復してきていた!!( ;∀;)


ICU担当医『お母様の呼吸器のサポートはこれで以上となります。あとは病棟に戻っていただいて、まずはベッドにもたれた状態で体を起こすなどのリハビリから始まるでしょう。もうすぐ集中治療部から出られますよ^^』

現代の医学では、固まった肺を治す方法は移植しかない、との事。
これ以上肺が悪くならないようにリハビリ療法を以って阻止、
圧を徐々に下げ、自発呼吸を促すよう最善を尽くしてくれることになった。

病棟でも集中治療部でも同じ療法を施すため、
より長い時間家族と居られるように病棟への移動が決まった。

・・・裏を返せば、これ以上集中治療部の処置は打ち止めとなる。
つまり、これ以上呼吸状態が悪くなってしまうと・・・
手の施しようがないことを意味していた。

母は少しずつ回復してきているとはいえ、
専門的にはまだまだ低空飛行状態だと言われている。
いつまた急変してもおかしくない・・・・と。

不安がらせるようなものの言い方にいい加減辟易していたが、
それはあくまでも『万が一』の話であるし
入院している以上は避けられない事実な事も理解している。

でも、私は集中治療部を出れることが素直にうれしかった。
ひとまず、最悪の危機を脱出できたという実感が沸いたから。
面会時間を気にすることなく、いつでも母に会う事が出来るし
病室に寝泊まりだってできるようになるのだ。
何よりも母の大好きな奄美の曲を聴かせてあげられるようになる。

体を動かせるようになるのはまだまだ先になるけれど
耳は聞こえるし目もしっかりと見えているようなので
アルバムやラインを見せたり、おかーさんの好きな曲をかけながら
今後も治療に励んでもらいたい。

あとは、喋れないおかーさんの要望をいかに理解できるか・・・。
私たち家族にとっての最大の難問である!(>_<)


最終回『ただいま!無菌病棟!!』へつづく。





5月23日(火)、気管切開まであと1日。

今日も意識は薄かったものの、
モニターを見る限りでは平常値だった。
寝顔も、比較的穏やかに見えた。

メソ『・・・・ん?』

おかーさんの周りに何か違和感があった。
なんか、機材が少ない・・・?

メソ『・・・・あ!!』

人工透析の機械がない!!

メソ『おかーさん!人工透析卒業したんか!!』
母『・・・・・(寝ている)』
メソ『明日の切開に備えてるんやね!お疲れさまやったね(*^^*)』
母『・・・(寝ている)』
メソ『ああ、だから血圧こんなに高いのかぁー(150/80?くらい)』
母『・・・・(目を開けた)』
メソ『あ、おかーさんおはよう!起こしてごめんね』
母『・・・(また目を閉じた)』
メソ『・・・明日は大仕事なんやし、体力温存しておいてね・・・』
母『・・・(寝ている)』


ICU担当医の本日の話の内容は、
明日の気管切開のスケジュールと
全体的な薬の強度の緩和及び停止、
血圧の薬の投与停止、
人工透析も停止し、容態を観察中とのことだった。

人工透析については、各日で行うものとし・・・
通常外来で処置を行う方針に決まったようだ。

メソ『明日は家族待機必要でしょうか・・・?』
ICU担当医『いえ、特に必要ないですよ。血小板が届き次第、ころあいを診て処置を開始しますので・・・時間を決められないのです。30分ほどで完了しますし、血小板を輸血しながら、止血に関しては電メスを使えば問題なく行けると思います』
メソ『わかりました。明日はよろしくお願い致します。』


病院側の準備は整ったようである。
あとは、母の体力次第・・・・。

きっとうまくいく。
大丈夫・・・・・・!
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気管切開当日

この日も、2時からの面会へ向かった。
人工透析を昨日、今日と休止しているが、
数値を見る限り、致命的なほどの毒素は溜まっていないようだった。
心拍数、脈拍、酸素濃度は共に安定。
血圧の薬は今日も投与なし!
血小板は、午後3時前後に届くようだった。

附き添おうかな・・・と思ったけど
仕事の合間に抜けてきたので、いったん戻ることにした。

夕方18時、仕事帰りに父と弟が面会に行ってくれた。
気管切開は無事に終了し、
数値的にも容態は落ち着いている・・・との事。

クチまわりがとんでもないほどのキズ跡になっていて
痛々しそうだったが・・・・
管が外れた分、少しだけ母の負担が軽くなったように思えた。
↓イメージ画像です↓
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しゃべれないのは相変わらず・・・だが(>_<)

肺が固まっている、とのお話だったので
肺移植でないと完治はない、と断言された。
年齢や今の容態の事を考えると、肺移植はもはやハイリスクでしかない。
人工呼吸器を一生外せないかもしれない、と言われたが・・・
これまで何度も奇跡を起こした母なので、
時間はかかるけれど、人工呼吸器をいつか外せる時が来ると信じ
快方に向けてリハビリを頑張る母を応援していこうと誓った。

まずはベッド上部を起こし、
もたれたままの姿勢を維持できるか。

そして、ベッドサイドに座ることが出来るか。

ベッドサイドで立ったり座ったりなどの練習。

これらができるくらいまで筋力が回復してくれれば
車いすでの移動が可能となるし、
食事制限はあるだろうが、院内をお散歩くらいは
できるようになるのではないだろうか。

ICUへ入室して20日が経過した。
最後の試練を無事に乗り越えることができた母。
・・・・・ICUを出る日も近づいてきている!


つづく。


会社にはカレンダーが沢山あるんだけど
コレはそのうちのひとつ。
主に、母のスケジュールを書いたりしていた。
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病気が発覚する前、、、
おそらく、今年の1月か2月くらいに書き込んだもの。
母の直筆(笑)

この日を、とても楽しみにしていた。

奄美の姉さんたちがこの日、上京してくる日。
本当なら大阪で待ち合わせをして、
神戸にいる叔母に会いに行ったり大阪ウロウロしたり
1週間くらい休んで遊び倒す予定だった。

母『メソメソ!この日からしばらく休むからね!!』
メソ『いいなぁー楽しんでおいで( *´艸`)』

ウキウキしながらカレンダーに書き込んでいたあの日。
あの日に戻れたらいいのに・・・・
もっと前に戻れたらいいのに。

集中治療室で、治療を頑張り続けている毎日。
容態は、一進一退の繰り返し・・・・
良くなっているところもあれば、悪くなり続けているところもある。

父と仲直りした翌日から、私が2時の面会に向かい
ICU担当医の話を聞く。

人工透析で毒素は抜けているけど
肝臓のビリルビンという数値がすこぶる悪い。
黄疸が目立つ。
意識が薄い。。。。
血小板が絶対的に低い。。。
肺の細胞が固まりつつあり、
この先2度と人工呼吸器を手放せないかもしれない。

良いことと言えば、白血球数値は上がり続けていること。
これで、少々のウイルスが体内に入っても抵抗することができ、
常在菌をコントロールすることができる。
血圧をあげる薬を入れずに自分のチカラで
正常値の血圧を維持できるようになった。

そして・・・・気管切開の日程が決まった。
5月24日(水)。
母の血圧が落ち着いていることが絶対条件で、
血小板輸血をしながら30分ほどで装着は完了するとの事。

これが、母によって最期の山越えとなるでしょう・・・と言われた。



つづく。






病棟医『それで、メソメソさんのご相談とは・・・?』
メソ『・・・はい。実は、父の事なんです。』


私は、父について語った。
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母が集中治療室に入ってから、
日に日に、元気がなくなって行く事。

母の事で頭がいっぱいで、食欲がなくなって行く事。

携帯がとても気になり、寝ていてもすぐ目が覚める事。
携帯が鳴っていないのに、鳴っているような感覚に陥ってること。

2時からの面会へ出向く足取りが、とても重たいこと。
面会の度に、泣いてしまう事。
ICU担当医の話の内容をすべて悪いほうへ捉えてしまう事。

大好きだったゴルフをやる気力が無くなっていること。
母がいつも座っていたソファを見ては、涙を流している事。
いつも母と一緒に寝ていたので、ベッドが広く感じて泣いてしまう事。

仕事関係で母の話が出ると、声が詰まり話せなくなってしまう事。
仕事の経営に頭を抱えている事。
自分の母親(メソメソの祖母)の容態が思わしくない事。

そんな父の姿を見て、
一緒に住んでいる弟も空気にあてられてしまい
父の悲しみが伝染してしまっている事。


私の知っている現状を話すことは、
身内の恥を晒すようで心苦しかったが・・・
父と弟の不安や悲しみをなるべく改善させたいと思い、
病院側にも協力を申し出たくて、言葉を選びながらゆっくり話をした。

協力要請は、2つのみ。

【緊急時は私へ連絡する事】
睡眠不足はかなり深刻だった。
まずはゆっくり寝てもらいたい。
携帯が気になるようで眠れないのも一つの要因なので
母に関しての緊急な用事がある場合、父の携帯へ連絡をしてもらっていたが
それを1番は私、2番目は父、3番目は弟にしてもらった。
ワンクッション置くことで、少し心の余裕ができるような気がした。


【深刻な話の回避】
昼2時からの面会は、今までは父に行ってもらっていたが
今後は父に代わり私が参加することを表明した。
ただ、仕事の都合上・・・どうしても私が行けないときは
父が向かう事になるのだが、その時は出来るだけ
当たり障りのない説明をしてもらえないか伝えた。
医師は、ありのままの容態を家族に説明し、
納得させなければならないのは重々承知している。
無理を承知でのお願いだが、可能な限り回避してもらえるよう伝えた。


メソ『なんとか、お願いできませんでしょうか・・・・』
病棟医『そう言う事でしたら、協力させていただきます。しかし、ひとつ気になる事があるんですが。。。お父様と弟様の精神的負担は軽くなるとしても、メソメソさんご自身は大丈夫なんですか・・・?』
メソ『・・・ああ、大丈夫です。父や弟よりも、少し耐性があるだけなので。』
病棟医『・・・耐性?』
メソ『はい。実は私、10年ほど前にこの病院で働いていたことがあるんです。2年間だけでしたけど^^;』
病棟医『あ、そうだったんですか!?看護師で?』
メソ『いえ、ただの清掃員です(笑)でも、母と同じ病気で苦しむ方々の病棟を担当しておりましたので・・・なので、少し知識があるだけなんです。高度清潔区域を担当していましたので、手術室とかICU、HCU・・・無菌準無菌室も出はいりしていました。母の病気について、他の人に比べれば若干理解があるほうだとは思います。』
病棟医『そうでしたか。それで、質問の仕方が・・・なんていうかこう、素人臭くないな、と思ったんですよ。ツッコミが鋭いというか(笑)』
メソ『ICU担当医が父へ話をするよりも、私なら冷静に聞けますし、少々ですが知識はありますので・・・話していただきやすいかと思います。』
病棟医『わかりました。では、私の方からICUの方へ依頼しておきます。電話の優先順位も、メソメソさんへ変更と言う事で手続きしておきますね。』
メソ『はい。お手数をお掛けして本当に申し訳ありません。』
病棟医『いえいえ。メソメソさんご自身も、どうかお体にお気をつけて。』



私は話を済ませた後、
軽い足取りで会社へ戻り・・・・
ドナーが見つかったことと、母の骨髄が完全に再生したこと。
そして・・・・
父親に対して言い過ぎたことを謝ることにした。


つづく。



斎●工似の
病棟医だったらいいな。

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あ、すいませんつい心の声が漏れてしまいました。
虚言はこのくらいにして・・・どうぞお進みくださいm(_ _"m)

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
病棟医『お母様の事は、先ほどICU担当医からご説明を受けられたと思うのですけど・・・』

肺のレントゲン撮影時、
白くなっている原因はまだ特定できてはいないのだが、
ウイルス感染によるものではなく、
恐らくマルトフィリアによるダメージの損傷が絶望的であったため、
肺の細胞が硬質化し、十分にポンプ機能を果たせずにあるらしい。
したがって酸素濃度を上げざるを得ず・・・、
上げ過ぎると気胸(肺が破れる)も懸念されるため
一進一退を繰り返している、とのお話だった。

そして、クチから管を入れ始めて2週間以上経過しているため・・・・
そろそろ人工呼吸器をクチから入れるのではなく、
気管切開(喉に3センチほどの穴を空けて管を差し込む処置)を申し出られた。
もちろん、すぐに・・・という話ではない。
母は今酸素濃度が60%~70%、血圧はノルアドレナリンを入れて無理やり上げ、
心拍数が早い。走った後の心臓の状態を想像してもらえば、わかりやすいと思う。
これらが落ち着いてこないと、気管切開はできない。

この気管切開には、やはりメリットとデメリットが存在する。

まず、メリット。
この術式は、至極簡単なものであるらしい。
施術時間はおよそ30分ほどで完了。
気管切開が成功すれば、クチの開閉ができるようになり
口腔内の衛生環境を保つことができるようになる。
そして、見た目の緩和。
痛々しいほどの見た目が、管の数が少なくなり
スッキリするようになる。
麻酔の投与も不要、意識が常にある状態となり、
意思の疎通が容易となる。
更に、ベッドから起き上がるなどの簡単なリハビリが可能となる。
手足をまず動かすことから始まり、ベッドサイドで
立ち座りが出来るようになれれば、車いすでの移動が可能となる。
そして、クチから食事ができるようになる。
今までは鼻からチューブを入れての食事だったが、
重湯やゼリーなど、やわらかい食事をとれるようになる。
声は出せないが、筆談やスマホなどの操作がリハビリ次第では可能になる。


そして、デメリット。
術式は簡単とはいえ、それはあくまでも通常の話。
血小板数値が低い母には、なるべくメスを入れたくない。
希望は7、8万ほどあれば問題はないらしいが・・・・
母は2万ほどしかない上に、肝臓の数値が悪くて
血液の糊の成分を分泌することが出来ず、血液の状態がサラサラなのだ。
ドロッっとしていないので、なかなか止血ができないらしい。
いかに止血をしながら、血圧を保ち続けられることができるか・・・
これが大きなカギとなる。

次に、カテーテル(カニューレ?)からの感染の問題。
白血球が低い患者には、どうしても感染リスクが伴う。
しかし、母の白血球は6000台をキープできているとの事なので
通常の人と変わらない抵抗力があるため、特に問題視していないようだ。
そして、気管切開終了後、大出血の可能性。
どういうことかというと、酸素濃度は最大100まで上げることができるのだが
できることなら20~30で保ち続けたい。
圧を上げ過ぎてしまうと、皮下気腫になるばかりか
血管を傷つけてしまい、体内大出血になりかねない、との事。


※皮下気腫・・・皮下組織内に空気がたまった状態です。空気の侵入経路としては、皮膚の損傷による外部からの侵入、損傷された壁側胸膜へきそくきょうまくをとおしての胸腔内空気(気胸ききょう)の侵入、気管・気管支損傷や食道損傷などに伴う縦隔からの侵入があります。

 縦隔気腫は、胸部の中央にあって左右の胸郭きょうかくを分けている縦隔内に空気がたまった状態で、頸部けいぶ(首)の気管損傷や胸部の気管・気管支損傷に伴って起こります。気管・気管支損傷では、損傷部から縦隔内、胸腔内、さらには皮下組織まで空気が侵入し、縦隔気腫、気胸、皮下気腫を合併します。


気管切開を行わなければ、母に負担をかけ続けることになり・・・・、
年齢と体力を考えれば、本当にギリギリなのだと言う事はよくわかった。

とりあえず気管切開へ向けて今後の治療方針としては・・・
沢山投与している薬を極力減らすこと。
血圧をあげる薬も徐々にレベルを下げていく。

且つ、人工透析は24時間回し続けるのではなく、
一時離脱できるほど腎機能の回復をさせること。

これで容態が落ち着いてくれれば、
気管切開を決行することができるのだ。

そしてさらに話は続く。

病棟医『お母様の骨髄は、入院時抗がん剤によって完全に破壊したために白血球がほぼゼロの状態になったので、感染しやすい状況下を回避するべく、無菌室に入っていただきました。造られる血液が『異形成』なものなので、リセットをかけるために一度破壊しておかなくてはならなかったのです。しかし、破壊された骨髄はまた再生するものなので、時間がたてばは血球は上がるだろう・・・という見込みでした。しかし、ほぼゼロの状態でマルトフィリアを発症してしまい、なかなか数値が上がってこなかったので・・・・顆粒球輸血を行い、様子を見るしか手立てはありませんでした。しかし、現在は減ることはなくむしろ増え続けているので、完全に骨髄が『再生』したという判断に至りました。これでお母様の体内にある常在菌をコントロールすることが出き、ウイルス感染したとしてもおそらく撃退できるくらいに回復してきています^^』
メソ『・・・・おかーさんの、骨髄が・・・・・!』


泣くのを我慢しているメソメソに更に嬉しいニュースが続いた。

病棟医『あと、お母様にドナー1人、見つかったんです^^』
メソ『・・・・・・!!!!』

声が出なかった。
心臓が早鐘を打つ。
声は出なく、ただ涙が出るばかりだった。

病棟医『ファーストコンタクトをとり、ドナーさん自身に再度協力の意思があるかどうかを確認取りましたら、OKをもらえました。これからドナーさんには、お母様へ骨髄移植をするために、長い期間をかけて、沢山の検査を受けていただかなくてはなりません。移植準備が完了するまでに、およそ半年ほどかかると思われます。それまでに、本体であるお母様の体の状態を回復させておかなくてはなりません。体内のダメージが酷いと、移植をすれば命の危険を伴うからです。移植のためにも、快方に向けて全力で取り組みます^^』

私は、感謝の気持ちでいっぱいで、何度も何度も頭を下げ続けた。
おかーさんに、
ドナーが見つかった!!

奄美大島出身だから、母と近しい遺伝子・・・
白血球の型(HLA)が見つかるかどうか、
探すにしても可能性は低いと、
入院当初に言われたことがあった。

ありがとう。本当に、ありがとうございます・・・!
見ず知らずの他人のために時間を費やし、
母に骨髄を提供していただけるなんて。
まだ移植をしたわけではないが、希望の光が見えた瞬間だった。
どこの誰だかわからないけれど、命の恩人として直接御礼がしたい。
しかし、プライバシー保護のため。。。
素性を明かすことが出来ないのだそう。
ドナー側にも、レシピエントの情報は公開されないのだそうだ。
しょうがないこととは言え・・・、歯がゆく感じた。

悔やんでもしょうがないので、まずは当面の問題を一つずつ解決していくしかない。
体を治さなければ、どのみち移植はできないのだから。
病棟医から、いい土産話を貰えた。
父と喧嘩したけれど、ドナーが見つかったことを報告して一緒に喜ぼう!

病棟医『私の話は以上です。で、メソメソさんのご相談とは・・・?』
メソ『・・・あ、はい。実は・・・・』



つづく。



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父『お前の言うてることはおかしい!!アタマおかしいんちゃうんか!!』
メソ『だからぁ!!おかーさんの前で泣かないでって言うてるだけやんか!!会うのはかまへんよ!!でも毎度泣かれたらおかーさん、自分の体の事誤解するやんか!!』
父『そんなん、涙なんか抑えられるわけないやろ!!できたらとっくにやっとるわ!!』
メソ『よく考えてよ。おかーさんに必要なのは涙や哀れみじゃなく、明るい未来の話とか病気は少しずつ回復してるっていう自覚を持たせて、気持ちを安定させることなんよ!!自分の事で泣かれるのが一番嫌がるの、わかれへんの!?』
父『そんなもんわかってるに決まってるやろ!!でも、泣けてくるのはどうしようもないんよ・・・!!メソメソみたいに、明るい声で励ましたりとか、手を握ってあげたりとか・・・そんなんできへん!!』
メソ『悲しむなら病室の外でってさっきからいうてるやんか、ちっともわかってないな!!おかーさん、生きようと必死なのに目を背けるって、応援してないことと一緒やで!私は強くないよ、おかーさんが頑張ってるから私もがんばらなきゃって思ってるだけや!!喜びの涙は流していいんよ。でも、もうアカンいいながら泣くの絶対やめて!!まだおかーさんは生きてる!!』
父『・・・・わかってるよ・・・・泣くのがそんなにアカンことなんか。お前の言うてることはめちゃくちゃや。言うてることがサッパリ理解できん。悲しんで何が悪い。金輪際お前とは一緒に面会行かんからな!!』
メソ『ああ、そうや。悲しんで泣くって、おとーさんの中ではおかーさん助かれへんってことになってんねやろ。私だってそんな諦めた人と面会一緒に行きたくないわ。私まで気が滅入るしな!!別行動しよう、私も勝手にするわ!!』
父『・・・っ、なんや親に向かってその言い方は!!!』
メソ『それはお互いさまやろ!!アタマおかしい言われて腹が立たんと思てんのか!?おかーさん治したいんだったら泣くのいい加減やめぇゆーてんねん!!!』

弟『・・・・・・・。』


言い合いは、5月19日(金)の朝に起こった。
透析が無事に済み、24時間人工透析を回し続けなければならないが
母は少しずつではあるものの、回復していった。
しかし、それとは裏腹に・・・父と弟は、
どんどん元気をなくしていき、悲しみに暮れる日々が続いた。

このままでは母に続き父と弟が倒れてしまうのではないかと思い、
旦那に相談をしながら意見をまとめ、なるべく刺激しないように話をしたかった。

でも・・・結局私の話の持って行き方が悪くて、
『二度と会うな』と認識されてしまったようだ。

違うのに。そうじゃないのに。
うまく伝えられへんかった。
怒鳴りあうなんて、おかーさんが嫌がることなのに。
優先するべきはおかーさんのキモチで、カラダで。
それを支えるのが医療チームであり、私たち家族であり。
生きる希望を与えてやってほしいって言いたかっただけなのに。

ドラマを見たことある人は、病院のお見舞いへ行くワンシーンを思い出してほしい。
面会に来る人たちは、果たして泣きながら入室していただろうか。
勤めて明るく、患者と他愛ない話をしているんじゃないか。
患者の最期なら、まだしも・・・・・・。

おかーさんの性格からすれば、自分の事でしんみりされるのが嫌だから
静かにされるのを嫌うから、人の気配を感じていたいから
個室ではなく、大部屋がいいなって常々言っていた。


意識が回復してきて、クチに太い管があるので
喋れはしないけど耳が聞こえ、目も見えるんだから
悲しくて泣いてるのを察知させてはいけないと思う。

時々ならまだいい。

毎度、となると・・・・
おかーさん自身が『ああ、もう助からないのかな』と
諦めてしまうんじゃないか。
そうなれば、今までの治療が無駄になる。
おかーさんが諦めてしまう。
もう二度と会えなくなってしまう。

そうならないために、周りも頑張って支えて行くべきだと思うんだ。
患者一人にがんばらせてはだめだ。
おかーさんが諦めるまで(心臓が止まる事)・・・・
回復を信じて、私は笑顔で会いに行き続ける。





父と大喧嘩したその日、昼の面会は私ひとりで行く、と伝えた。
父は反対せず、自分は夕方会いに行くと返事が返ってきた。


昼の面会は、14時-15時30分の間。
その間に、家族が訪問し、ICU担当医から説明を聞く義務がある。
父はこれまで、優先的にこの面会へ毎日参加していた。
行きたいという純粋な気持ちというよりも
『自分の妻だから行かなければならない』という義務感のほうが強い印象を受けた。
先生の話の内容は悪い報告しか耳に入ってこず、
良い話ももちろんあるのだろうが、
とにかく悪い話ばかり頭の中を占領されてしまうようで
冷静に話を聞ける精神状態ではないことは明らかだった。

そのため、2時の面会への足取りは重かったように思う。

私は逆である。

まずは母に会える喜びのほうが大きい。
先生の話は、ぶっちゃけ二の次(笑)
もちろん、先生の話は必ずしも良い話ばかりではない。

割合でいうなれば、ICU入りたての頃は
良い話 : 悪い話=0 : 10 だった。

いつどうなってもおかしくないですよ、と散々脅され(?)たものである。

しかし、2週間以上が過ぎた頃。
顆粒球輸血を施し、人工透析処置もスムーズに行っている現在は・・・
良い話 : 悪い話=2 : 8 ぐらいにまでなっている。


おかーさんは『命綱なし』で『目を閉じながら』1本のロープの上を
そろり、そろりと歩いている状態なのだ。
踏み外せば、真っ逆さまに落ちてゆく。。。


飛行機で例えるなら、まだ滑走路をゆっくり移動しているに過ぎない。
離陸にはまだまだ準備が必要な状態なのだ。
飛べるかどうかは、おかーさん次第・・・であると言う事。

母の状態は現在、
酸素濃度を50→70まで引き上げ。(通常は20~30)
人工呼吸器装着、口腔内の出血が止まらず。
血圧はやや低めのため、ノルアドレナリン等の薬を服用。
人工透析処置により、毒素は体外へ排出し続けている。

そして・・・・

マルトフィリアによる肺炎の危機は脱出したものの、
肺のレントゲンを撮ると、また白くなってきているようだった。。。

医師たちは、ウイルス感染なのか?と疑って検査をしたものの
ウイルス検出は特になし。
血小板は2万台、白血球は4000台をキープ。
白血球数値を診る限り、ウイルス感染の線は低いだろう、との見解になった。
原因については、もう少し時間がかかるとの事だった。

あと、肝臓のビリルビンという値が徐々に上昇中であるとの事。
肝臓は重要な臓器であり、主に解毒をする臓器らしいのだが
アンモニア濃度が上昇しているため、解毒作用が働かずに
全身に黄疸が出ていた。意識もやや薄い。
奄美の姉さんたちが来ていた頃より、意思の疎通ができにくくなった。

おそらく、腎臓と肝臓のダメージが酷いのだろう。
体内に毒素が蔓延すると、意識がひくくなるようだ。
人工透析により尿毒素は出ているが、肝臓が機能を果たせていないので
アンモニア濃度が濃ゆくなっている。。。

『人工肝臓』なる医療的処置は、現代の医学にはない。
本人の回復力に賭けるしかない、らしい。。。


ICU医師の説明を聞いてる最中、病棟医の先生が来てくださった。

病棟医『このあと、少しお時間いただけないですか??』
メソ『わかりました。私も、ちょうどご相談したいことがあるんです。』


ICU担当医の説明が終わった後、私はICU内の『家族説明室』へ呼ばれた。


つづく。




5月15日(月)。
母の肺炎は、ひとまず回復傾向にあり、落ち着いた。
気持新たに、私たちは週明けの忙しい業務をこなしていた。

その日は、私自身の病院(整体)へ行きたかったのもあり、
いつもなら面会へ行くのだけど、日曜日の時点では
比較的調子良さそうに見えたので、
父たちに任せて、あえて面会は行かなかった。

そして、5月16日(火)の朝。
月曜日に比べて、比較的穏やかな雰囲気の事務所。

と・・・・

父の携帯へ、病院から電話がかかる。

父『もしもし。・・・・あ・・・・はい、はい・・・・、ハイ・・・・』

医者からの話の内容で、父の顔色がみるみる悪くなっていき・・・
返事をする声にもチカラが入っていなかった。

父『・・・そうですか・・・わかりました、失礼します・・・』

うなだれながら、私のほうへ向き直り、チカラなく言葉を発した。

父『メソメソ・・・すまん。すぐ、おかーさんのとこ行っちゃってくれ・・・』
メソ『・・・わかった。ICU行ったらええの?』
父『おかーさん、もう助からないかもしれない・・・・!』
メソ『ちょ・・・縁起でもないこと言わんといて!行先はICU??』
父『でも、でも・・・・・』
メソ『お父さん!!ちょっと落ち着いて!!!』
父『・・・・・・』
メソ『呼ばれてんねやから、これから向かわなアカンやんか?どこに向かったらええの?』
父『・・・集中治療部・・・・』
メソ『おっけ。ちょっとおとーさんのこと頼むわ!』
弟『う・・・うん・・・・』
メソ『詳しいことは先生から聞いて、それから連絡する。おとーさんにあたたかい飲み物飲ませてやって!じゃあ行ってくる!!!』
弟『き、気を付けて行ってきて!連絡待ってる!』
父『・・・・・もうアカン・・・もう、、・・・・・・』

私は焦る気持ちを抑え、安全運転で病院へ向かった。

駐車場へ到着、そしてダッシュ。
息を整えながら、ICUのインターフォンを鳴らした。

メソ『すみません、メソメソです。母の事で先ほど連絡ありまして・・・』
ICU『すぐ向かいますので、待機室でお待ちください』


しばらくして、主治医が来た。

主治医『突然お呼びして申し訳ありません。実は・・・』

肺炎の炎症数値は下がり、白血球数値が上昇しているのだが、
やはり薬の副作用で、他臓器に深刻なダメージが出ていた。

肺・肝臓・胆のう・・・・
腎臓のダメージが特にひどいらしい。
尿がうまく排出されず、体内に毒素が蔓延。
つまり腎不全になりかけている、との事。

通常であれば人工透析を行えば済む話だが、
母の場合は不安要素を含んでいるため、
なかなか踏み切ることができずにいるようだ。

理由は『血圧数値が圧倒的に低い』こと。
血液を抜いて浄化する処置を行う場合は、
安定した血圧数値であることが絶対条件らしい。
なぜなら、処置中は血圧が低下し、体温が下がるからだそう。

そして、カテーテルを入れる場所は
母の場合、首から入れなければならないらしい。
医師は腕からではなく股の付け根から挿管したかったようだが
皮膚の炎症がひどいため、難しいようである。
首へ入れるとなると動脈があるため・・・
傷をつけないように挿管しなければならないらしい。

提案としては、24時間透析を回し続け・・・
血圧の様子を診ながら、ゆっくりゆっくり回すこと。そして・・・

血圧が低いため、心肺蘇生時などに使用するノルアドレナリンと
もういっこ・・・薬銘忘れた('A`)とにかく血圧を上げるための
強めの薬を使用しなければ、人工透析はできないとの事だった。
この薬を使うと更にダメージを与えることとなる・・・

しかし、人工透析をしなければ母の体内から毒素が排出されない。
透析中、血圧が低下すれば命の危険が伴う。
もはや母の体力にかけるしかなかった。

またしても、悩んでいる暇はない。
これで何度目だろうか('A`)などと悲観に陥いることもなく・・・
ただ、助けてほしい一心で。母を何とかしてもらいたくて。
人工透析の処置をしてもらうため、私は同意書にサインをした。
事後報告になってしまったが、そのあと父へ連絡を入れた。

父と弟が、仕事を切り上げ午後1時に合流。
私はお昼を食べていなかったため、遅めの昼食をとった。





人工透析の処置は、午後3時から執り行うようだ。
血小板輸血待ちの状態である。
待っている間、3人でいろんな話をした。
父と弟のクチから出てくるのは、またしても悲観的な事ばかり。。。

もう、うんざり('A`)

気持ちは痛いほどよくわかるんだけどね?
でもさぁ、悪い方へ考えれば考えるほど、
自分も暗闇へ落ちていく感覚になっちゃうから
すっごく危険なんだよ、おとーさん・・・・・
ココロが折れれば、体だって壊れかねないのは良く知っている。

やばい。
このままだと、父も弟も鬱になるんじゃないか。
何とかしないと・・・。
私まで、2人の悲観的な気持ちが伝染しかねない。
主治医に相談してみようかな。
いや、まずはちゃんと2人の話をちゃんと聞いて、
意思の確認をしないと、かな・・・・

下手なことをいう訳にもいかず、
父たちへ慎重に言葉を選びたかったため
頭の中で整理しようとした。
yjimage[4]
・・・・あ”---ッだめだ。

何も整理できん。冷静になれない。私も精神的に相当キテるな。
場所も場所だしな。家に帰って旦那に相談しながらまとめよう・・・

適当に理由をつけ、私は2人から離れることにした。
父はまた眠れていないようで、車で寝てくる、と言い離れた。
弟は家族控室で待機。

この家族控室も、少々難儀なスペースだったりする(>_<)

状況が状況なだけに、本当にしょうがないことなんだけど・・・

ため息をつきまくっているひとや、
どこか憔悴しきったひと、
明るい大声でしゃべりまくるひと、
いびきをかきながら寝ている人、
病院の悪口を言っている人、
待たされていることにイライラしているひと、
幼い子供たちがとにかく騒がしい・・・・・

お願い、静かにさせて(´;ω;`)
本当にどうしようもないんだけどね。がまん、がまん・・・・

家族待機を余儀なくされている場合は、
必ずこの控室に誰かが居なければならないのがルール。

やむを得ず退室する場合は、一言声をかけなくてはならない。
そのルールすらも、守れていない人もいて・・・・
家族さんに説明しなければならないのに、
待機室にいないせいで探し回って
余計な時間を消費している集中治療部の看護師さん。。

はぁー、和歌山人ってほんとアレやな。
ほんと、てがえんわー・・・・


あー、だめだめ。
おかーさんが大変な時だからこそ、
他人を批判するのは止めよう!

そんなこんなで、人工透析の処置が終わったらしく
集中治療部へ呼ばれた。

入室できたのは6時過ぎだった・・・・

担当医『お待たせしました。お母様の透析処置は、無事完了しましたよ^^』
3名『・・・・ありがとうございます!!!!』


うまく行った。
大きな出血をすることもなく。
血圧も特に大きな乱れはなし。
但し、ノルアドレナリン等を服用しながら。。。なのだが。
もう、さすがとしか言いようがない。
お陰でまた、次の治療への道が開いた。


母がまたひとつ、先生たちと本人の頑張りで試練を超えたが・・・・
この頃から、私が越えなければならない壁の存在が、くっきりと現れ始めた。



つづく。



母に一目会いたくて、奄美大島の親族たちが和歌山へ上京。
甥っ子夫婦、母の姉2名と妹、そして一番上の姉の娘の4名が病院へ来てくれた。
↑説明がややこしくてすいません(笑)
とにかく、この日は大所帯での面会となった(。-∀-)w

人数が多いので、1組4名で入室。
姉さんたちを優先し、パーティを編成。←
父と私がそれぞれ分かれて、母と面会させるべくICUエリア内を引率をした。

母はこの日、おめかしをしていた(*^^*)
といっても、黄色の帽子をかぶせてもらっていただけなんだけど(笑)
集中治療部の看護師さんのイキな計らいなんだと思う。
髪の毛が少し抜けていたので、かぶせてもらったようだ。

しゃべることが出来ず、体のあちこちはボロボロになってしまったけれど、
幼いころから一緒に過ごしてきた姉たちとこうして
同じ時を過ごせることができて、、母は本当に幸せそうだった。
姉さんたちから、沢山の元気をもらえたようである。
逆もまた、しかり。会いたい、と思っていても、すぐに会える距離ではない。
LINEで都度報告しているとはいえ、限界がある。
目を見開き一生懸命応えていた母に、姉たちも涙が絶えず流れていた。

そして次の日も、病院で可能な限り面会時間を有意義に使った。
母の体は、この日だけはむくんでおらず、
顔の赤みも消え、熱が下がっているような印象を受けた。
嬉しさのあまり、母の体に奇跡が起こっているのか・・・、
または特別なお客さんのお見舞いのため
ICUの方々がお薬を調整してくれたのか。
その辺は確認していないけれど、前者だと思っておこう(*'ω'*)♪

宿泊先は、父と弟のいる実家で休んでもらい。。。
ご馳走をたくさん作ってくれた。しばらく食べ物に困らないほど(笑)
父も弟も、お腹が出ているとはいえ(肥満体系w)
さすがにこの量は捌ききれないだろう^^;

食事が済んだあとは、
アルバムを見ながら思い出にふけっていたようである。
私には帰る家が他にあるので、旦那と一緒に家で休むことにした。

本当に、楽しい時間はあっという間に過ぎてしまった。
いい土産ができた、これで安心して奄美へ帰れると
口々に喜んでいた叔母たち。
いよいよ、帰る日が迫ってしまった。
このまま、このまま・・・うまく快方へ向けて進んでくれれば良いな。


定刻通り、姉たちは奄美へ飛び立った。
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・・・が、私たちの願いとは裏腹に・・・
幸せな時間は、長くは続かなかった。


次なる試練の幕開けとなる。


つづく。



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5月11日(木)。

その日は特に電話がかかってくることもなく・・・
普段通り、仕事に打ち込めた。

旦那は『次は俺の番(脱血処置)か・・・』
と、若干憂鬱そうである(笑)

私の血液で肺炎回復が望めなかった場合、
声がかかるだろう…ということで、
いつになるかわからないが、しばし待機をしてもらうようだ。

夕方、仕事を済ませて母のもとへ。

メソ『おかーさん!来たよー!!具合はどう!?』
母『・・・・・、・・・・・!』

母は目をパッチリ開けていた!
何か言いたげに、管が邪魔そうな感じで舌が動いていた(笑)
心配かけまいと『大丈夫!』のアピールを必死でしているのだろう。
しかし時折、眉間にシワが寄ることがあった。
麻酔がいつから切れたかわからないが、管の挿管で苦しいのだろう。。。

母『・・・・・・・、・・・・、・・・・・・!』
メソ『わかった!わかったから(笑)あまり動くと苦しくなるよ( *´艸`)』
母『・・・・、・・・・っ』
メソ『よかったぁ、元気そうで^^でも、血圧はまだ低めやなぁ・・・』
母『・・・・?・・・・・・、・・・・・・!』
メソ『そうやね、少しずつ回復してるもんね!この調子で頑張ろうね』
母『・・・・(うんうん、とうなずき、目を閉じた)


目を見開いたり、うなずいたり、目をきょろきょろしたり・・・
手を握ってあげると、握り返しはできないが、ピクピクと動いていた。

看護師さんが入室してきた。

看護師『失礼します。メソメソさん、こんばんわ^^』
メソ『こんばんわ^^いつもありがとうございます!』
看護師『今日のお昼の面会のお話では、マルトフィリア(肺炎)をほぼ撃退できたようですよ。とても心配されてましたもんね、いい結果になって本当に良かったですね!』
メソ『・・・・わぁ・・・・・っ』


思わず母を見た。
目を少し開けて、こちらを見ていた。
どのくらい私の顔が見えてるのかわからないから・・・、
顔を近づけ、おかーさんの耳元で肺炎がほぼ治ってることを話した。

母『・・・・・・・・・・。』

母の目に、涙が沢山あふれていた。
鼻もひくひくしている(笑)
私もつられて泣いてしまった。。。

看護師『あたたかいタオルで、お顔を拭いてあげてください(*^^*)』

タオルを受け取り、母の涙をぬぐってあげた。
あたたかくて気持ちよいのだろう。
顔がほころんでるように見えた。

顔を含め全身がむくみ、肌は薬の副作用で大量の発疹、ただれ、ひびわれ・・・
毛も抜け始めている。目が赤く充血している。
暴れないように、手足は固定され、抑制剤を投与され・・・・

クチには人工呼吸器であるチューブを喉の奥まで挿管。
強制的に酸素供給を施されつつ、
尚且つ、片側の鼻からチューブを挿管。
胃を傷つけないように直接濃度の濃ゆい栄養剤を入れている。
栄養を入れないと、回復するチカラが出ないのだ・・・・。

激闘の末、致死率が高いといわれていた
『マルトフィリア』に見事打ち勝てた母。
肺のレントゲンを見せてもらったが、
真っ白だった肺がほぼ真っ黒の状態。
CRP(炎症数値)も『5』まで下がっていた!

そして母の血小板と、白血球は・・・・

血小板『9000』→『45000』UP!
白血球『15』→『3800』UP!!



やったやった!!
YATTA--!!(∩´∀`)∩


明日はいよいよ母の姉たちが奄美大島から上京してくる。
対面が本当に楽しみだ( *´艸`)♪♪♪

ちなみに・・・・
旦那が気にかけていた脱血処置は、
弟と私の血液により肺炎を撃退し、
母自身の白血球、血小板数値は徐々に上昇してきているので、
白血球弐号機(旦那)の出動は不要となりました(。-∀-)w


つづく。





主治医は、どこか浮かない様子で私に告げる。

主治医『メソメソさん・・・申訳ありません・・・』
メソ『・・・・え・・・・?』
主治医『今日は予定通り、メソメソさんの脱血処置を行う予定だったのですが・・・』
メソ『は、はい、そうですよね。・・・何か、私に問題でも・・・!?』
主治医『あ、いえ・・・そういう事ではありません。実は、お母様の容態が安定していないんです。』

yjimage2EVQOVKB
----と、すみません。
えー、一部映像が乱れてしまいました・・・??
大変失礼いたしました。。。。

昨日、母の体内へ弟の新鮮な血液を入れ、一時的に容態は悪化した。
心拍数、脈拍、酸素供給数値・・・すべて。
でも、それは自分以外の血液が入ることで起こる化学反応だと、
前もって説明されていたのでまた、容態は回復するのだと思っていた。
しかし、あくまでも予定は予定。
機械を相手にしているのではなく、生身のニンゲンなのだ。
予定通りに行かなくて当たり前。
輸血は本来、本体(母)の血圧や心拍数、酸素供給が安定していなくてはならない。
なので、結論としては・・・・

主治医『お母様のペースに合わせた治療を優先したいので、ゆうべ薬を服用してもらったのですけど・・・受け入れられない状態なので、今日は見送りということにさせてもらえないでしょうか。』
メソ『・・・ああ、そういう事でしたか!!ぜんっぜんオッケーですよ(*'ω'*)!母を思っての内容ですし、むしろ安心しました(笑)』
主治医『お仕事のご都合もあるでしょうし、本当に申し訳ありませんでした』
メソ『先生、謝らないでください。仕事なんて、母のことに比べれば大したことないんです。他にもスタッフがいるんで、仕事はなんとかなります。でもドナーは特別でしょ?私たちにしかできないことは、なんとしても優先させたいですから。では、母の容態が落ち着いたらもう一度準備ということで宜しいんですよね??』
主治医『はい、そういう事です。明日、午前中になんらかのご連絡させていただきますね。明日、お母様の容態が落ち着いていれば、メソメソさんの脱血処置を行います。本当によくご理解いただいて大変感謝していますm(_ _"m)』
メソ『助けたい思いはみんな一緒ですから(笑)では、明日ご連絡お待ちしています』


私はひとまず父へ簡単に経緯を説明し、
薬の影響もあり殆ど睡眠がとれていなかったため、
明日の処置に備えて休暇をもらうことにした。

その夜、母へ面会に出向いた。

母は、相変わらず目をうっすらと開けている。
しかし、意識が薄いようで・・・少々反応が乏しかった。

ちょうどICU担当医が来てくれたので、私に簡単な説明をしてくれた。

ICU担当医『午前中は全体的に数値が低く、顆粒球輸血に踏み込めなかったのですが・・・、夕方から徐々に回復してきていますので、このまま行ってくれれば明日は予定通り、処置できそうですよ^^』

おかーさん、すごいよ。
おかーさんが頑張ってるから私も頑張れるよ。
明日は私の血液を輸血してまたしんどくなるかもしれないけど・・・
次こそは肺炎、治るといいね。

ICU担当医『あ、あと嬉しいニュースがありますよ』
メソ『えっ??な、なんですか!?』
ICU担当医『安定してきたので、先ほど血液を採血して、血球中の数値をみたのですが・・・お母様の体内に、白血球の赤ちゃんが5個産まれてました。お母さま自身で治そうとするチカラが芽生えたってことです。』
メソ『・・・・・・!!』


泣き崩れた。
すごくすごく嬉しかった。
なんて言っていいのか言葉が出ず、緊張の糸が切れたような感覚に陥った・・・・

ICU担当医『弟さんの顆粒球を入れたことにより、白血球と血小板数値が少し上昇、肺炎数値は少し下がりました。時間がたってしまっているので、弟さんの白血球をすべて使い切ってしまったため・・・また元の数値に戻ってしまったのですけど、元々が『10』だったのが今は『15』になってるんです^^』

健康な人ならば、白血球数値7000~8000程あるのに対し
母は「15」しかない。だから、肺炎を治せずにいる。
白血球が少ないから、自分の体内にある億単位の菌をコントロールできずにいる。
弱毒菌をやっつけるチカラさえもない。
でも、自分の白血球が生まれてきたってことは、希望が出てきたという事!

私は病院を出てすぐ、父へ連絡を入れた。

5月10日(水)。
朝、メソメソのケータイへ主治医からのコール。
母の容態が安定期に入ったため、これからすぐに病院へ来てほしいと言われた。
脱血の準備を行いたいのだという。
会社を抜けて、すぐ向かった。

昨日は体感的に辛かった症状も、今日はバッチリだった。
しっかり眠れたし、若干腰の鈍い痛みがあるだけで、特に問題はない。

痛み止めのテープを貼り、2本目の白血球増力剤を左肩へ注射。
時間が経ってしまっているので、念のため打つことにしたようだ。

2~3時間ほどで効果があらわれてくるので、
12時半より脱血処置を開始すると言われた。

時間をつぶすため、病院内にあるレストランでひたすら
タブレットをパチパチとタイピング。
ここぞとばかりに、ライブドアブログを書き貯めていた(笑)





時間になり、いよいよ処置開始。
かちゃかちゃと、機材を運び始めセッティングし始める。
主治医の右手には注射器が・・・・、

ふ、ふ、・・・
太っ!!!!
めっちゃ太い針!!
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まさにドドリアさんのような心境でした。

こ、これを刺すんですね・・・ゴクリ。
左腕はストレートに1本、右腕は3か所ぶち込まれた。
右腕はうまく血管が出てこず、右手の甲より刺す。
つまり、こんな感じ(。-∀-)
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後ろの洗濯物はスルーしてくださいwww\(^o^)/

いたそーって思ったけど、
言うほど痛くありませんでした(*ノωノ)w←●ゾじゃないYO☆
女は痛みに耐えれるようにできてるんですね。感謝感謝♪

脱血中の状況をスマホで撮影したかったのだけど
両腕に極太針が刺さったままだったので
身動き取れず・・・・_(:3 」∠ )_w

とりあえず、脱血中の状態としては・・・

寒さ!
血液を抜くと、血圧と体温が下がるようです。
ガチガチと唇が震えはじめ、
膝もガクガクと震えはじめました。
電気毛布を用意してくれたので、寒さはなんとか軽減。

舌がしびれる!
医療的説明を聞くのを忘れたのだけど、
献血中ならだれでも起こる当たり前の現象なんだそう。
装着完了後、おねいさんと楽しくおしゃべりできていたので
これは特に問題なかったようだ。

とにかく摂れる!搾れる!!
弟の時もそうだったらしいが、血液が良く摂れる家系だと褒められた(笑)
どんなに若く健康な人に、同じ処置を施したとしても
なかなか摂れない人も居るのだそう。
弟は途中、血液の流動が止まったりしていたので時間がかかったようだが
私の血管は太く健康であるため、血圧も安定しており・・・
作業を中断することなく、脱血時間は2時間ほどで完了。
弟とほぼ同じ量が摂れたらしい。
きっと、ドーピング2回してるからだな(*ノωノ)w

終わった後、特にふらつくこともなく・・・
直帰してよい、との事だったので、
自分で車を運転し、晩御飯にマクド買って帰りました(笑)

今夜、母を苦しめている肺炎ウイルスとの闘いが始まる。
私の血液は優秀だから←
肺炎をやっつけた後は速やかに消滅してくれるだろう(笑)

でも・・・ひとつだけ気がかりなことが(´・ω・`)
私の血液、優秀なんだけどかなり気が強いから・・・・
おかーさんの体内で暴れすぎないかが不安だったりもする(;´Д`)w

考えていても、しゃーない。
その日の夜は、早めの就寝をした。



つづく。





5月9日(火)、時刻は21時。

次なる攻撃をしかけるべく、
白血球零号機操縦士のメソメソは
碇指令(主治医)の元へやってきた。

左肩をあらわにしたメソメソを前に、
右手に白血球増力剤を持ちながら
yjimage[1]




いや、主治医は
こんなセリフ
言ってないですYO!

でもまぁこんなニュアンスのようなことをメソメソへ言ってました。

要は『お母様を一刻も早く治しましょうね』ってことです。←

ステロイドを2錠のみ、注射器によるドーピングが終わったのち、
少しだけ、おかーさんに会えるかな・・・と思い、
集中治療部へ足を運んだ。

ICUのインターフォンを鳴らす。

ICU『はい、ICUです』
メソ『あ、夜分にすみません・・・メソメソと言いますが。少しだけ母に会いたくて来たのですけど、無理でしょうか??』
ICU『あ、はい娘さんですね。大丈夫ですよ、どうぞお入りください^^』


夜9時回っているため、病室内は消灯していた。
母の病室のみ電気がついていた。
きっと、私が面会に来たのでわざわざ付けてくれたのだろう。
母を起こしてしまったと思い少し申し訳なく感じたが、
入室前にガウンなど着用したのち・・・静かに入室した。

メソ『・・・・あれっ?』

母はうつぶせで寝かされていたのに、
仰向けに寝かされていた。

メソ『・・・おかーさーん・・・お邪魔しまぁす・・・』

母はうっすらと目をあけていた!
ちょっとびびった・・・・(笑)

メソ『おかーさん、起こしちゃった??メソメソだよ。ごめんね、こんな夜遅くに・・・』
母『・・・・・(またたきを何度かしている)』
メソ『おかーさん、今日から仰向けに寝てるんだね・・・』
母『・・・・(目を閉じる)』
メソ『仰向けで寝れるってことは、肺にたまってた水が抜けたのかな・・・』
母『・・・・・(目をきょろきょろしている)』
メソ『今日は弟の血液がおかーさんの体内に入ったんやで。これで肺炎をやっつけるんだって!私らもおかーさんの治療に協力できるんよ??明日は私の血液がおかーさんを助けるからね。一緒に頑張ろうね・・・』
母『・・・・・(目を見開きながら、うんうん、と頷き返してくれた)』

看護師さんが入室してきた。

看護師『ちょっと点滴の交換させてもらいますね~。お母様、今朝から意識が戻ってるんですよ♪』
メソ『あ、そうだったんですか!じゃあ、麻酔は効いてないから意識が浮上してるんですね・・・!』
看護師『そうなんです^^麻酔が切れた分、おクチの管が痛いかもしれないので、様子を診ながら痛みを緩和させるような処置になります・・・今はちょうど切れてますので、起きてますね~^^』
メソ『そうですよね。こんな太い管が喉の奥にあったら・・・・おえってなりそう(>_<)』
看護師『面会が終わったら麻酔入れますので意識がぼんやりになっちゃいますが、今のうちにメソメソさんのお声を沢山聞かせてあげてくださいね(*'▽')』
メソ『あ、先ほど少し喋りましたし、痛いのも辛いと思いますのでそろそろお暇しますm(_ _"m)お気遣いありがとうございます!』
看護師『いえいえ^^今日は注射打ったんですよね??夜、寝づらいと思いますが・・・明日に備えて、可能な限りゆっくり休んでくださいね♪』
メソ『ありがとうございます。失礼します┏○))ペコ』


その夜。
私の体の中で覚醒が起き始める。

マリオカートで例えるなら、
両手に赤のカメの甲羅を所持しつつスーパースター状態(一定時間無敵)で
怖いもの無しのままルートを爆走中なイメージ⊂⌒~⊃。Д。)⊃www
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んー懐かしい!!よく遊んだわ、コレ。スーファミのやつね(笑)

症状としては・・・・、
まず、腰のあたりがすっごい疼く!!!
生理痛の重たいやつ・・・男性にはわかりづらいか(;'∀')
鈍器・・・いや鋭利な物で腰をぐりぐりされてるような感覚??
とにかく骨髄があるであろう場所が痙攣しっぱなし。
血球が量産されているのだろう(笑)

そして下半身の痺れ!
んと・・・長時間正座してたらビリビリくるような、あんな感じ。
そしてこむら返りが起こりそうなほど足の筋肉が張っている(笑)
歩くと剣山の上歩いてるようで足の裏がチクチクと痛む('A`)

若干の息苦しさ。
興奮してる状態だから、しゃーないか・・・
変態さんが『ハァハァ』してる情景を思い浮かべてください(笑)

喉の不快感!
魚の骨、喉にささったことあります?^^;
あんな感じで、唾飲み込むと違和感アリアリで気持ち悪かったです。
痛くはありませんでした。

大量の発汗!!!
これが一番参りました_(:3 」∠ )_・・・・
眠りが浅いようで何度か目が覚めて起きるのだけど、
全身汗びっしょりなんですわ。
3回ほど起きたかな・・・・よく覚えてないけど(笑)

自分の汗でひんやりと体が何度も冷えたので、
大事な献血が控えてるのに風邪ひかないかヒヤヒヤモノでした。





よく寝付けないまま、再びNERV(-ネルフ-)へ向かう。←しつこいか(笑)

主治医に呼ばれ、診察室へ入ったメソメソは・・・
予想だにしていなかったことを主治医より通告されてしまった。



つづく。



ついに、母の肺を蝕むウイルスが断定した。

弱毒菌と呼ばれる『マルトフィリア』。
この菌は環境に存在し、極めて発見しにくい菌であり、
主に水回りに存在するらしい。
感染経路としてはヒトからヒトではなく・・・・
カテーテルや医療器具、
抗生物質などの薬物の中に微量だが存在するようだ。

では、母は院内感染だったのか??

正直なところ、カテーテルやその他医療器具、
どの抗生物質にマルトフィリアが付着していたのか
特定が非常に困難であると説明された。
可能性がある、という仮定の話なので
院内感染ではないのかもしれない。

ただ、抗がん剤治療を始める前に医師から説明はあった。
『お母様は一時的に白血球が減るので、感染症になりやすい』と。
おそらくこのとき示唆していた感染症とは、
弱毒菌に侵されやすくなることなのだと悟った。

医師は説明する。
『外部からの強い毒性をもったウイルスならば、毎日抗生物質を投与していたので細菌が体内へ侵入したとしても、すぐ死滅します。しかし、中には抗生物質が効かない菌もいるんです。これにかかると、自身の白血球でしか治す方法がありません』

肺炎のウイルスも色々種類があるようだが
母が今回患ってしまったのは『マルトフィリア』であり、
抗生物質に対して耐性のあるウイルス。
しかも感染すれば致死性が高いとはっきり言われた。
治すには自身の白血球を以って治す以外治療法はなく・・・
尚且つ、元々の病状が『骨髄異形成症候群』なため、
血球数値が正常ではない・・・・。

そこで、荒療治として健康な白血球を輸血し、母の体内へ注入。
いわゆる『白血球の増援』を行うのだ。

先日の記事にも書いたが、
これは日本では普及していない治療法であり、リスクもある。
白血球は本来、骨髄移植をして生産されるもの・・・
しかし、ドナーが見つからず肺炎が発症してしまった現在、
待っている余裕が無い。

マルトフィリア(大魔王バラモス)討伐の為
ドナーに選ばれし3血士(さんけつし)たちは、見事試練をクリア。

マルトフィリアのいる最終ダンジョンへ向かうべく、
攻略に向かうための下準備に取り掛かった。
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『顆粒球輸血(かりゅうきゅうゆけつ』
マルトフィリア討伐スケジュールは、下記の通りである。

5月8日(月)夜21時。
白血球初号機操縦士の弟へ、白血球増力剤を注射。
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ステロイド2錠服用。その後帰宅。

夜、全身筋肉痛が起き興奮状態にあり(覚醒!?)
なかなか寝付けないまま夜を過ごし、
朝9時になり初号機はNERV-ネルフ-(つまり血液内科外来)へ訪問。

およそ5時間激闘の末、無事に脱血処置完了・・・・・。
弟はおよそ13か所極太注射をぶっさされ(肉厚体型だったので)、
血管が細いため脱血スピードを落としながらの処置になったとの事。

その後白血球初号機の血液は放射線を照射され、浄化。
母の体内へ侵入。。。マルトフィリア討伐へ向けて始動した。

母の容態が一時的に低下。
体の中で、大魔王バラモス vs 初号機のバトルが繰り広げられていた。
心拍数、血圧、酸素濃度が下がりはじめるも。。。

戦闘結果は、
CRP値(肺炎):36→28、
白血球:10→350
血小板:9000→27000。

顆粒球を入れたことにより、数値は少々ではあるが回復!!
臨床は成功したと言える。
が、しかし・・・まだまだ大魔王バラモスの勢力は強いままである。
追い打ちをかけるべく、次は白血球零号機(メソメソ)を始動することとなった。


※ドラクエとエヴァのみっくす文章で混乱した内容となりすみませんでした※



つづく。




5月8日(月)AM9時過ぎ。
慌ただしい職場の中、私の携帯が鳴る。

メソ『はい、メソメソです』
先生『おはようございます、主治医の●●です。今、少しお時間大丈夫でしょうか??』
メソ『はい、大丈夫です。どうされましたか??』
先生『はい、実は頼みたいことがありまして・・・急で申し訳ないのですが、メソメソさんと、弟さんと、メソメソさんの旦那様に血液提供の協力を申し出たいのです。できればメソメソさんだけではなく、3名様一緒に来てもらいたくて。詳しいことは病院でお話しさせてもらいたいのですけど、どうか来ていただけませんか??』
メソ『わかりました!何時ごろお伺いすればいいですか?』
先生『昼1時頃、都合大丈夫ですか?』
メソ『もちろんです。何とかして向かいます。』
先生『ご協力ありがとうございます。それではお待ちしております。』


父に電話の内容を伝えると、
会社のことは任せて行ってきてくれ、と即答。
こんな時、家族経営で助かるなぁ・・・と痛感。
他の企業に勤めていたら、すぐ抜けれなかったかもしれない。

できるだけ今ある受注注文出荷の準備を急いで行い、
午後から3名抜ける段取りを組んだ。





午後、1時。

主治医から、協力に関しての詳しい説明をされた。
母の酸素供給が安定期に入ったため、
次なるステージアップ(肺炎の本格的な治療)を行いたいのだと言う。

本来ならば、赤血球と血小板輸血は
血液センターから病院が購入しているのだが、
どうしても日数がかかるので、
母の容態は一刻を争うため待っていられないらしい。
(最短で1週間~10日ほどかかる)
血液センターから購入する血液は鮮度も落ちているので、
なるべく鮮度の良い血液が理想なのだそうだ。

納品するのを待つとなると、
肺に更に深刻なダメージを与え続けることになるばかりか、
その多臓器もダメージを追ってしまうため、、、
早急に手を打たなくてはならない。

ここからが本題である。
日本ではまだ普及されていない治療方法になるのだが
同じ血液型の家族・親族が居る場合
白血球濃度をあげたのち血液を提供してもらい、
血液中に含まれる白血球・血小板を母へ輸血し、
健康な白血球・血小板を以て母の肺炎ウイルスを撃退し、
母自身の白血球回復を臨むという治療法を行う
ようだ。
費用はすべて病院が負担。
『臨床』として協力してほしいのだそう。

ただし、これにはリスクも当然伴う。

まず、レシピエント(患者)への負担。
自分以外の血液が入ることで、反応がどうしても起こってしまい
一時的にすべての数値が低くなる。
他、肺炎を治すどころか他臓器を破壊しかねないという事。

やってみなければわからない、という極めて不透明な治療法であるとの事。

そして、ドナー(私たち)への負担もある。
一時的に白血球濃度を上げるために、
ステロイド2錠服用、腕に注射を打って24時間後に脱血を行う。
脱血時間はドナーの健康状態にもよるが、
平均して3時間脱血処置、最大で10リットル摘出をする。

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
普通に考えれば10リットルも抜くとなると
絶命しかねないのですけど、様子を診ながら血液を抜き
必要な分の血液を採取(??)、不要な血液は体へ戻す
というルートを作っているので、気を失う事はありません。
カルシウムを多く消耗するため、点滴処置も施されるようです。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

これにより、一時的に体温・血圧の低下、体の痺れや全身倦怠感、
のどの不快感・腰椎の鈍い痛み、大量の汗が出るなどして
副作用が伴う。これらの副作用は、ドナーによりけりらしい。

大前提として、ドナーがレシピエントと同じ血液型であることと、
若く健康な血液保持者でなくてはならない。

採血、採尿、心電図・エコー、レントゲン、血圧測定、身長・体重計測。

説明が終わり、私たち3名は同意書を記入し、提出。
検査の結果、3名とも健康な血液であると診断された。

つまり・・・・、
私たちはドナーとして合格した!!
これでおかーさんの治療に協力できる!!

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A型バンザーイ!!




つづく。





『ビーッ!ビーッ!』

少しうたた寝していたとき、控室にコール音が鳴り響き目が覚めた。

メソ『・・・はい、控室です』
ICU『ICUです。お母様と面会できますが、どうなさいますか??』
メソ『・・・あっ、いいんですか!?お伺いいたします。』
ICU『はい。お母様がお待ちですよ^^』

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おかーさんが待っている。
なんて嬉しい言葉なんだろう。
はやる気持ちで、病室へ向かう。
病室前で、担当の看護師さんが挨拶をしてくれた。

看護師『おはようございます。ゆうべは、眠れましたか?』
メソ『あ、はい。まぁまぁ・・・(笑)』
看護師『心配ですもんね。でも、お母様は娘さんが傍についていてくれたお陰で、無事乗り越えましたよ^^』
メソ『・・・・ほんと、ですか・・・!』


母は、まだ麻酔が効いていて意識はないが・・・
昨日の面会に比べれば、やや穏やかな表情に見えた。

メソ『おかーさーん・・・よく、耐えたね・・・!お父さんも忠も、喜ぶよ・・・』
泣きながら語り掛けるメソメソに、看護師さんは優しく背中を撫でてくれた。

私は、先日の大分県の旅で知り合えた、身代わり地蔵様の事を話した。
すると、看護師さんは『病室に置いてもらえないか聞いてみますっ!』と言い、
師長さんへ許可をもらいに行ってくれたのだ。

看護師『メソメソさん、オッケー出ましたよっ!(*'ω'*)』
メソ『わぁ、ありがとうございます!!控室にあるんで、すぐ取りに行ってきます!』

ケースに入った身代わり地蔵様を看護師さんが受け取り、
透明の袋に入れて、病室の窓辺に置いてくれた。
母の方へ体を向け、笑顔で両手を合わせ、お祈りしてくれている。
これでもう、大丈夫だ!!( ;∀;)

おかーさんにしばらく付いていると・・・
母『メソ、昨日あんまり寝てないんだから早く帰って休め( ゚Д゚)』
って言われてるような気がした。
途端に眠くなってしまった(笑)

時間は朝の8時。
お父さんに電話を入れて、無事に峠を越したことを伝えると
声を出せないまま泣き崩れてしまった。
父の体調がかなり心配だったが、めまいはもう無い、とのこと。
ホントによかった・・・。

私は帰宅し、昼まで仮眠をとった。
旦那は9時に会社へ向かい、パートさんと共に出荷準備をする。

無事に運送業者に集荷へ来てもらい、
昼過ぎに業務は終わったようだ。

頼れる仲間に感謝!!
母の容態が好転したことで、何もかもうまく行くような気がする!!

昼の面会は、弟が体調崩しているので
父と私の二人で向かう事なり、
旦那にはゆっくり休んでもらう事にした。


午後の面会。
峠を越えた母に会える。
私たちの気分は、とても明るかった。

・・・・が、やはりそこはICU。
一進一退を繰り返す患者が多いため、
なかなか気が休まる状況ではないことを再認識させられた。。。

峠は、超えた。
しかし、まだまだ深刻な状況であるのは間違いはない。
ICU担当医からの説明は、以下の通りである。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
・酸素濃度の圧力をMAX100%→80%へ下げた。
つまり、20%は自発呼吸が出来ている、という結果である。

・やや不整脈が気になるが、心拍数&血圧&酸素濃度は落ち着き始めた。
心拍数:120~150、血圧:117/90~100/85、酸素濃度:98-100。

・血小板輸血をしているが、一向に止血が出来ない。
肺炎ウイルスは未だ勢力を保ったままであるため、母自体の白血球が
生み出されてこない。つまり、肺炎を治すためには白血球が必要不可欠であり
自身のチカラで肺炎を治すことも出血を止めることもできない。

・肺炎が極めて重篤な症状(マルトフィリア感染の疑い)であるため、
致死率が高いと言う事。これに伴い、肝臓・腎臓の機能も低下。
このまま白血球がうまれなければ、人工透析処置が必要であるとの事。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★


私たちは、絶望しなかった。
だって、母は諦めていない。
医療スタッフも、諦めていない。
まだ、救える方法がきっとある。

父は泣いてばかりで、下向きな事ばかりを言う。
こんなとき、男の人はメンタルが弱いな、とつくづく思う。
悪いことを言葉にすれば、その通りになっちゃうかもしれないのに。
下ばかり向かず、上を向いてほしい。

母はこんなに頑張ってるんだよ。
沢山課題はあるけど・・・おとーさん、今はひとまず喜ぼうよ。
自発呼吸、少しずつやけどできるようになったんやで?
おとーさんにとって、これ以上にない最高のバースデープレゼントやん。

父の中でいろんな葛藤があるんだとおもう。
母の夫であり、二人の子供の父親であり、
会社経営者の立場であり・・・
入院している年老いた母(メソの祖母)の事も心配でたまらない様子だし。

とにかくとにかく、父が心労で倒れないよう、
私たち子供が全力でサポートしないと。

そりゃー、ワタシラ倒れてるヒマなんてないでしょ(笑)


つづく。




5月6日(土)。

家に帰ってもほとんど眠れず家で過ごしたわけだが、
夕べから弟が病院へ寝泊まりしているので交代しようと思い、
昼前に旦那とふたり、病院へ向かった。

家族控室には、すでに父の姿があった。
父も一度帰宅したものの、眠れずに過ごしたらしい。
めまいの不調を訴えた。
弟も、掛け布団を持っていなかったため寒気を感じ、風邪をひいた。
私たち夫婦が引継ぎ、早々に休んでもらう事にした。

今日は父の誕生日なのに、お祝いムードになれるはずもなく・・・

父にプレゼントした商売繁盛のお地蔵様は、家族控え室で優し気に微笑んでいた。
商売繁盛地蔵
もちろん、身代わり地蔵様も持ってきた。
100均ショップで透明のプラケースを買い、
接着剤で完全に固定し、集中治療部へもって入れないだろうと思うものの、
せめて一緒にお祈りしたくて連れてきた。

昼、2時。
入室許可が出たので、母に会いに出向いた。

集中治療部の中は別世界で、
完全に隔離された環境である。
常にアラーム音が鳴り響き、決して静かな環境ではない。

母のほかにも、救命措置を施されている患者が数名いた。
母の病室は、一番奥の角部屋だった。

手指消毒、エプロン、専用マスク、医療用手袋着用にて入室。

メソ『・・・おかーさーん・・・?』

母は仰向けではなく、うつぶせの状態で、顔を横に向けられていた。

体にはたくさんの点滴や薬、管、管、管。
クチには、太い管を入れられており、
出血したのか、血液の付着が見受けられた。
人工呼吸器の装着を終えた母は、静かに眠っていた。

薬の影響で、全体的にかなりむくんでいた。
もはや別人である。。。
でも、母はこうして生きてる。
先生に、感謝してもしきれない。

入室後、しばらくして医師が入室。

集中治療部に入っている患者の家族は、
1日1度、14時-15時半の間に必ずICU担当の医師から
状況説明が施され、今後の治療などを細かく聞くことが義務付けられている。

現状の母の状態は・・・
全身麻酔をかけて、寝かせている。
覚醒すると激痛が起きるため、あえて抑制剤を投与。
暴れないよう、手足を固定。

左側の肺に水が溜まっているので、出さなければならない。
出血も少量だが見受けられる。

酸素濃度100%MAX状態、体に圧力最大値の負荷をかけているが
調整しつつ圧をかけないと肺が破れる可能性あり。
酸素濃度88%。(通常は96~100)
96を下回ると、かなりの息苦しさを感じるという。

赤血球数値は正常、血小板と白血球が乏しいため、
輸血でどのくらい補えるのか。
出血を施すために血小板輸血を24時間投与。

懸念される事項としては、母は血小板輸血にアレルギー反応が
どうしても生じてしまうため、肺胞出血がどのくらい止血できるか
現段階では見当がつかない。

目標は、酸素濃度の圧レベルを徐々に下げ、
気胸(肺が破れる)だけは絶対に避けなければならないので
精密な医療的調整が必要となるが、患者自身の自発呼吸をさせるべく
全力で24時間酸素供給のサポートを行う、との事。

今夜が正念場だと言われたので、引き続き家族待機命令。

・・・です(´・ω・`)

父に
『待機できないことを看護師さんにつたえてるので、今日は帰って休め』
言われたけど・・・・
正念場な今だからこそ、母ひとりにさせたくない。

かと言って父も弟も、体調崩してるので・・・
私はひとり、元気だし(笑)

病院で一夜を過ごすことに迷いはなく、
ただ、体調だけは絶対崩さないようにと
準備万端で徹夜をキメこんだ('ω')

傍にいたかっただけなんだけどね(笑)

次の日は、GW最終日。
おびただしい数の発注書が入っていたので、
急きょ、7日は営業することにした。

私は貫徹なので、旦那とパートさん1名を向かわせ
出来る範囲まででよいから、
月曜日出荷分を少しでも荷造りしてもらうよう指示を出した。

時間がどんどん過ぎていき、、私はひたすらタブレットを打ち続ける。
ありがたいことに、集中治療部からのコールが鳴る事はなく・・・
ただ、静かに夜が更けていった。


つづく。




5月5日(金)、時刻は22時前。

集中治療部へ移動した母へ人工呼吸器の処置が施されている間、
私たち家族が待つ控室に、先生方数名がやってきた。

入院から肺炎が起こってしまった経緯を詳しく話してくれた。
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入院当初(厳密にいえば入院する前から)より熱は37度を行ったり来たりしていた状態。
母の容態は、急性白血病ではないにしろ(芽球4.4%に基づき判断)、WT-1の値(通常は50未満)が14000あるため、いつ白血病に移行してもおかしくない状態だとの診断。一刻も早く、WT-1を下げなければならないと判断し、抗がん剤の中でもかなり強めの薬の投与(キロサイドとダウノルビシン)を迫られる。

ただし、抗がん剤を打つことによってリスクが高まることも説明された。
それは、白血球が一時的に下がるため、臓器炎症を起こしやすくなる、と言う事だった。つまり、感染しやすい状況下になる、と言う事である。
いずれにしても、選択肢があるようで私たちには無い。
モタモタしていたら、母が白血病になってしまう。
やってみなければわからない、という不安要素があるが
助かる可能性に賭けるしかなかった。

抗がん剤初日。投与からしばらくして、体に異変が出始める。
40度近い高熱が出る。手足の震え、悪寒。頭が割れるほどの頭痛、おびただしい発疹。。。
様子を見ながら抗がん剤を止め、抗生物質を打つなどして、母のペースに合わせて投与したとのこと。
その日の夜は食事ができるほどに回復。
昼間に感じた手足の震えや頭痛などの症状はなく、吐き気、フラツキもなし。

数日間、熱は36度台をキープし続け、
リハビリの許可が出る。1人でトイレへ行くようになる。
しかし入院1週間後、再び熱が38度近くまで上がり始める。

無菌病棟の工事が終わったため、すぐさま無菌室へ移動。

母は熱が38度あっても体感的に辛くないようで、
ふわふわとした気分の中、無菌室の快適さにただ感動しているようだった。

入院してから毎日のように、家族が面会へ向かう。
衛生管理の元、入室を許可していただき、
母に直接触れることはできないが、
着替えや読書用の本など、毎日のように差し入れをしていた。

『面会者通路』というものもある。
窓ガラス越しにインターフォンを使用して、顔を見ながら会話が可能となる。
面会者通路は、家族以外の者が面会できる場所なのだ。

大部屋に居るときよりも、無菌室へ移動してからは
本当に順調よく治療が進んでいたのだ。

検査結果は極めて良好。このまま順調にいけば、
5月末には一時退院できるんじゃないか、というお話もあったほどだ。

5月12日~14日は、奄美から母の姉たちがお見舞いにやってくる予定。
なんとしても、このままの状態を維持したい。
欲を言えば、無菌室を出て、デイルームで会話したかったに違いない。

そして、5月3日(水)。
この日は、私が大分県へ旅立つ前の日だった。
つい長居をしてしまい、母に無理させたかな・・・と心配したが
母はなんてことないように笑っていた。
安心して行ってきてね、と。
治るように、しっかりお詣りしてきてね、と送り出してくれた。

5月4日(木)。
父は昼と夕方、母と面会をしている。
昼は元気だったのだけど、夕方から熱が上がってきたので
抗生物質を投与し、様子を診る、との事。
それからしばらくして容態は落ち着いたらしいので、
父は長居することなく、家に帰ったのだそうだ。

5月5日(金)。
また、熱が上がったらしく抗生物質を投与するも、熱が一向に下がらず。
血圧、脈拍を測定すると弱っていたため、酸素供給を施すべく
酸素吸引機を装着したらしい。それは父が昼の面会が終わって、
帰宅直後に起こった事のようだった。
すぐ父へ電話をしようとした看護師に、母は
『大丈夫。すぐ治まるので電話しないでください』
と、心配をかけたくなくて、お願いしたようだった。

その夜。
酸素濃度が低下し、
家族が呼ばれ、
母は集中治療部で救命処置を施されることとなる。

急すぎるやろ・・・まじで・・・。
あんなに元気だったやんか。
病人らしくない、いたってフツウな顔だったし。
何が起こったの??
肺炎て、院内感染??
それとも、私ら家族が毎日出入りしてたから
外部からの雑菌を持ち込んでしまったのか。。。?

先生の話では、肺炎の原因はこう推測されるようだ。

『外部からの持ち込みによる雑菌や、ウイルス性の強い菌であれば、お母様には毎日抗生物質を投与していましたので感染したとしてもすぐ菌自体が消えるんです。しかし、中には抗生物質が効かない菌もいるんです。それが『弱毒菌』と呼ばれる、環境菌・・・または、お母様自身の体内にもともとある『常在菌』が突如変異したか、だと思うのです。抗がん剤を打つと、お薬の副作用で一時的に『白血球が下がる』んですね。しかし、これは本当に一時的なので、また回復するものなんです。なので、白血球がほぼゼロに等しいと、常在菌であっても環境菌であっても、環境菌に抵抗するチカラや常在菌をコントロールするチカラがないので、肺炎や腸炎など、非常に起こりやすいのです。なので、決してご家族様が面会されたから肺炎が発症した、ということではありません。』

さらに説明は続く。

『肺炎になれば、炎症が起こっているわけですから出血する可能性がゼロではありません。出血するとなれば、どうしても血小板が必要になってくるわけですが。。。お母様の場合、血小板輸血をするとアレルギー反応が出てしまい、あまり数値が上がらなかったのです。もともと、血小板を抑制をさせる抗体があるのか、輸血をしても効果が薄い状態でした。ともなれば、肺が出血してしまうと止血が非常に難しくなります。血小板輸血がほぼ効かない状態なので。。。白血球もゼロに近い状態ですし、白血球がなければ肺炎が治りませんし、肺炎が治らないと出血が止まらないばかりか、肝臓や腎臓に影響が出る可能性があります』

つまり、白血球がなければ母の肺炎は治らない。
肺炎が治らないと、肝臓や腎臓に深刻なダメージを与え続けることになる。
となると、たくさんの白血球が欲しい。
しかし、血液センターで買えるのは、赤血球と血小板のみ、とのこと・・・
白血球を増殖させるためには、骨髄移植しかない・・・・

『集中治療部でできることは、肺炎を治すための処置ではなく、酸素供給を安定させることにあります。現在は酸素濃度を100%MAXまで圧をあげて、人工呼吸器を装着し、体内へ酸素を供給させていますが・・・圧がMAXであるため、肺が敗れる可能性もあるんですが、まずは酸素供給が最優先となります。肺が破れないように調整を行いながら、なんとか一命をとりとめている状態です。心拍数、血圧、酸素濃度が安定すれば次の治療へステップアップできます。今は猶予がないので、申し訳ありませんがどなたか、今夜は控室で待機お願いできませんでしょうか・・・』

この日の夜は、弟が1泊することになった。
父も私も旦那も、家に帰っても休まるはずもなく。。。
だが、弟に任せて、深夜2時ごろ帰宅することにした。

すでに白プリウスの姿はなく、
1Fと隣の住人2世帯は帰宅しているようだった。
どちらも、電気は付いているのでまた騒いでいるのだろう。
もう、文句を言えるほど元気はなかった。
車は、会社に停めることにして・・・
ハイツまで、歩いて帰ることにした。
大東建託へは、月曜日に電話することにした。

電話が鳴らないことを信じて、布団へ入った。


つづく。



電話の相手は、病院だった。

メソ『はい、メソメソです』
病院『こんばんわ、○○病院です。夜分に申し訳ありません!すぐ、入院病棟へ来ていただけますか!?酸素濃度が低くて、今酸素吸引機つけている状態なんです。お父様にはすでにご連絡済みです。どうか、気を付けてきてください!!』
メソ『・・・・っ、はい!わかりました、すぐ向かいます!!』


電話を切ってから、弟から不在着信が3度入っていた。
病院との通話中に、かけていたのだろう。
ラインも入っていたので目を通すと、、、

弟『ねえちゃん、すぐ来て!!お母さんの病室***号室やから!お父さんと二人、今向かってるから!!』

私は『すぐいく』と短く返信し、
旦那に簡単に事の経緯を説明し、一緒に病院へ向かった。
迷惑駐車の白プリのことなんて、どうでもよくなった。
それよりも、母が心配でたまらなかった。
が、焦りはあるものの・・・不思議と涙は出なかった。

駐車場からダッシュ、夜間救急出入り口へ到着。
守衛さんが私たちに問いかける。

守衛『こんばんわ。行先はどちらですか?』
メソ『あのっ、無菌室に、、、酸素が、あ、母の娘で・・・今、電話・・・ご、5Fへ・・・』


落ち着いて話せないことを察したのか、守衛さんはすぐ通してくれた。
エレベーターへ乗り、病棟へ向かう。

5Fに到着すると、弟がエレベーター前で待っていてくれた。
そして、病室まで案内してくれた。
無菌室ではなく、違う病室へ移動したようだった。

病室へ入ると、ほんとに・・・・
ドラマで見るような、光景っていうか・・・
先生&看護師さん数名がベッド周りに立っていて、
傍らには泣き崩れている父の姿。
母の口元には緑色の酸素マスクが着用され、
顔がとても赤く、呼吸が荒い。

ベッド横には、心拍数や脈拍がわかるような機械がセットされ、

『ピッ・・・ピッ・・・ピッ・・・・』

静かに、不気味に鳴り響いていた。

母は私に気付いたようで、顔をこちらに向けた。

母『メソメソ・・・旅行・・・・楽しかった・・・??』
メソ『うんうん。身代わり地蔵様に出会えたし、、、ちゃんと、おみくじ引いて・・・』
母『熱上がっちゃって・・・疲れてるのに、ごめんねぇ・・・』
メソ『そんなことないよ。おかーさん、今息苦しいんだから安静にしてようよ・・・』
母『・・・・(にっこり微笑みながら、目を瞑った)』

先生が、静かにクチをひらく。

先生『結論から申し上げますと、お母様は肺炎を患っています。レントゲンを撮りました。左と右の肺は、正常だと黒いのですが、すべて真っ白になっています。肺炎になると、自発呼吸が非常に難しくなるため、今は応急処置として酸素吸引機で呼吸のサポートを施しているのですが、こちらの病棟ではこの処置で精一杯な状況です。そこで、ご家族の方に同意をいただきたいのですが、これからお母様の呼吸を24時間体制で完全なるサポートするため、ICU(集中治療部)でクチから管を入れ、全身麻酔をし、心拍数&血圧&酸素濃度が落ち着くまで救命措置をしたいのです。クチから管を入れることで会話が出来なくなりますし、全身麻酔をかけるため、今までのように意思の疎通もできなくなりますが・・・よろしいですか?』

※写真は母ではありませんが、先生の説明はこのような状態の事を指します※
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父『・・・お願いします、妻を助けてください・・・・!!』
メソ『先生、容態が安定すれば意識が覚醒し、管が取れれば会話できるようになりますよね??』
先生『はい、もちろんです。麻酔を入れる理由は、管を入れることによって起こる激痛を和らげるためなんです。意識があるままだと、暴れてしまって自傷行為になる恐れもあるのです。まずは酸素供給をしないと、全身に血液がまわらなくなりますので、一番最善な処置を提案しております。』
弟『・・・・・・っ(むせび泣く)』
メソ『了解しました。今はまず母が呼吸しやすいよう、全力でお願いします!!』
先生『わかりました。それでは集中治療部へ連絡をとり、移動の準備を行いますね。』


先生たちがバタバタと病室から出ていき、
室内には、私たちだけになった。

母『・・・・メソメソ・・・・ケータイ、充電しといて・・・・』
メソ『あっ・・・、うん。わかった。充電しとく』
母『らいん・・・見れてないから・・・見たい・・・・』
メソ『見せてあげたいけど、少しでも動くと苦しくなるから、酸素が落ち着いたら一緒に見ようね。』
母『ケータイ・・・ケータイ持ちたい・・・・電話、したい・・・・』

奄美の姉や妹、甥っ子や姪っ子、かつての職場の仲間たちや数多くいる友人たちと、連絡をとりたかったようだ。

父『おい、安静にせなあかんねんて。。。頼むから、もう喋るな・・・・』

父の、精いっぱいの言葉。
母を思いやっての、言葉。
でも、私は母に対して『しゃべるな』とは言ってほしくなかった。

集中治療部へ入ったら、おかーさんの声がしばらく聞こえなくなる。
でも、父の言う事も正論である。
喋れば喋るほど、動けば動くほど、酸素濃度は低下していくのだから。

30分ぐらい経っただろうか。
先生たちが、戻ってきた。

先生『お待たせして本当に申し訳ありません。これより移動を行いますので、貴重品などはすべて持っていただき、ご家族様は4F集中治療部の入り口前へ待機お願いします』
母『・・・ケータイ・・・持っていきたいんですけど・・・テレビ台の上にあるから・・・』
看護師『ケータイは持ってはいることができないんです。』
母『お願い・・・・電話させて・・・・お願いしま・・・・』


ベッドで移動しながら、懸命に看護師さんや先生に
消え入りそうな声で訴えかける母。
連れていかれるときの母の寂しそうな表情が、目に焼き付いて離れない。

おかーさん。
集中治療部から出てきたら、
元の病室に戻ってきたら、
退院したら、みんなと電話いっぱいしよう。
仲間に会いに行こう。
たくさん美味しいもの食べよう。
一緒に、仕事しよう。

今は、肺炎を治すことが一番大事。

しぃま。
おじーちゃん。
奄美のおばあちゃん。
そして、無事に巡り合えた身代わり地蔵様。

どうか、お願いします。

母を、助けてください。守ってください。どうか、お願いします・・!!


つづく。







こんばんわ、メソメソです。

今回は、翌日のお話し。
楽しい旅も、今日でおしまい。
本当はゆっくり温泉でも・・・・と思うものの、
早く和歌山に帰って母に身代わり地蔵様の事を
直接話したい。
次来るときは、母の容態が良くなったら来ようと思います。

5月5日(金)天候:☀
☆大分空港、出発までの時間つぶし☆

朝は10時にチェックアウトし、
GW中と言う事もあり寄り道をすることなく
まっすぐ空港へ向かう事に。

夜は外国人観光客が通路でやたら騒いでいたせいで、
夜中になっても、なかなか寝付けなかった3人(´・ω・`)

まぁでも、ホテルが取れただけでも感謝しなければ。
予約とったのが4月中旬だったし、ほんとに奇跡。
眠たかったら、飛行機の中で寝ればいいよね(笑)

ってことで、
心配していた交通渋滞はほぼ皆無!!だったため、
フライト時間より5時間も前に大分空港へ着いてしまった_(:3 」∠ )_w

とりあえず、空港内を散策し・・・・、

スマホをもてあそび・・・・・、

土産物コーナーをぶーらぶら・・・・、





まだ3時間あるってばよ!!


まー、しゃーないわな。
乗り遅れる事思えば、イタクもカユクも・・・・

ということで、食事をとるべく
レストランへ入りましたぁ。

メイン料理の写メ撮り忘れた、申しわけございまてん( ;∀;)

私は日向丼を食べ、弟は琉球丼、旦那はてんぷらうどん。
日向丼はまぐろのヅケが乗っていて、
琉球丼はカンパチ・・・だったかなぁ。
メモさえも忘れてて、ほんと記憶が曖昧ですm(_ _"m)
んでも~、めっちゃ美味かった!!!!

デザートは忘れず写メ写メ♪
やせうまっていう、きなこ餅のような食感。
弟が注文。
やせうま
言わずもがな、白玉あんみつ❤
メソが注文。
白玉あんみつ
これをほぼ2時間ぐらいかけて食べました( ゚Д゚)!
お店はそんなに混んで無かったのでー・・・w
結構長居キメこんでました(笑)

時間になり、搭乗手続きゲートへ。

スマホを充電しながら、母や知り合いたちにラインを打って報告。
母にラインを送ってみたけれど、既読が付かなかった。

きっと寝ているんだろう。
負担になってはいけないと思い、今は電話をするのをやめた。

伊丹空港へ着き、特に大阪市内の交通渋滞にも巻き込まれることはなく、
スムーズに、心穏やかなまま帰路に着きました。

帰宅後、トラブルが起こるなんて思いもよらずに・・・(>_<)


つづく。



こんばんわ、メソメソです。


GW前に、しまりすな日々。のブログにちょこっと書いたのですが
母の骨髄異形成症候群の願掛け目的で
大分県へ5/4(木)5/5(土)の1泊2日で行ってきました。

キッカケは、この方のブログが決め手でした。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
『ノンの闘病日記-骨髄異形成症候群(MDS)』
https://ameblo.jp/hihi1979hihi1979/
(掲載の許可はご本人様よりいただいております)
記事タイトルは『身代わり地蔵様』です。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

母の病気が発覚してから、
この方のブログへたどり着き、
最初から現在の記事を、くまなく読ませていただきました。
泣いたり感動したり、嬉しくなったり・・・、
母の未来を重ねるかのように、というと
ノン様に大変失礼なことだとは百も承知ですが、、、
骨髄異形成症候群という病気を勉強するために、
また、家族として決意を固めるべく、愛読させていただいております。

それでは、メソメソの旅記録をどうぞお楽しみくださいm(_ _"m)

5月4日(木)天候:☁
☆高塚愛宕地蔵尊、参拝の巻☆



朝、8時45分の伊丹空港発大分空港行きへ乗り、
10時前に空港へ到着。
レンタカーを借りて、走る事約90分!
道は結構空いていたけれど、
山越えをしている最中、霧が発生して雨が降り、
視界がとても悪く走行に難儀しましたが
事故ることなく無事に到着。

お寺はとても良い天気でした♪
なかなか広いお寺だなぁーと感心!
さっそく、お清めしましたぁ(*'ω'*)

※私はカメラマンなので出演しておりません笑※
弟と、一般のお客様のツーショット(笑)
モザイクの編集下手でごめんなさい(。-∀-)。。。
お清めの水
さらに煙でお清め中の弟。
お清めの煙①
お清め終わって笑顔の旦那(左)と弟(右)。
お清めが終わり、次はおみくじへ!
お清めの煙②
母、大吉❤病気:医者と信仰が大切。
願いは将来必ずかなえられる時が来る!
おみくじ大吉母
旦那、大吉❤
願いは長引くが必ず叶えられる!
おみくじ大吉旦那
弟、小吉☆
願いは思い通りにならず、辛抱のしどころ。
おみくじ小吉弟
メソ、末吉('A`)
願いは思わしくないが辛抱しなさい。
おみくじ末吉私






私らキョウダイ、ツイてねぇな!(笑)

でも、おかーさんの病気や願いについては
イイコト書いてたし、それだけでもここまで来た甲斐があったというもの!

ウチらキョウダイが足ひっぱってしまったので、
再度おみくじを引きました~。
このおみくじは、見事大吉❤
願い事を書き記し・・・・
願い札①
弟がおみくじを結び、弟が写メ撮ってる姿を
さらに写メを撮る姉(。-∀-)w
願い札②
本殿の様子に・・・・
本殿
恵みの玉を撫で・・・・
惠の玉
お抱え地蔵様にお祈りなう!
お抱え地蔵旦那
一念洞の中は撮影できませんでしたが、
沢山のお地蔵様が祭られていました。
一念洞
参拝が終わった後は、
メインイベントである身代わり地蔵様を求めて、
お店というお店をめぐり歩きました。





が、意外とすぐ見つかりました(。-∀-)www

『病気回復』と『笑顔地蔵』さまたち。
干支の猿(母)と猪(父)を並べてみました。
青の頭巾はメソメソ、緑頭巾は弟と言う事にしておきましょう(笑)
久々に家族4人が揃いました(*'ω'*)♪
これを透明のガラスケースに入れて、
病室へもっていく予定です。
身代わり地蔵様
あ、あと父の誕生日が5月6日なので
誕生日プレゼントも買いました('◇')ゞ
会社の経営が良くなるようにとの願いで、
父が仕事の失敗をするたびに罰金百円を徴収(笑)
このお地蔵様にお布施したいと思います( *´艸`)
商売繁盛地蔵
おみやげも買い、少し遅めの昼食をとって、
午後3時からホテルへチェックイン。

朝早かったのもあり、GWの疲れがたまっていた私たちは、
ホテルを出ることなくひたすら小休止してました\(^o^)/


つづく。





こんばんわ、メソメソです。

すっかり暖かくなり、少々汗ばんできましたね。
奄美大島出身の母としては、暑さにめっぽう強いので
夏到来に向けて結構テンションMAX気味なのに対し、
デリケートなお嬢様育ちの←メソメソとしましては
早くも夏バテ気味な感じで参っております^^;

さて、こちらの主婦な日々。ブログ・・・
更新がいつぶりでしょうね(;´Д`)

ゆるーく更新というようなスタンスなため、
徐々に読者様から見放されているような気がして少々焦っております(笑)

ちなみにもういっこのブログ『しまりすな日々。』は
ランキング入りしてることもあって、
安定な感じで読んでいただけてるようで、安心しておりますが(。-∀-)w


それでは、本題に参りましょう。
母の経過についてご報告いたします。

4月27日(木)現在、母が抗がん剤治療を開始して7日間経過しております。

現在の容態は、白血球が限りなくゼロに近く、
血小板数値も徐々に下がっている模様。
したがって、大部屋→4/25(火)に無菌室へ移動しました。
駄菓子菓子!!
本人、めっちゃ元気に入院生活をえんじょいしております。
熱は36℃代をキープ中。
肺炎などのウイルス感染も今のところ確認無し。
抗がん剤治療の副作用で、顔と首、手や足に少々じんましんのようなものが
出ており、少々むくみ気味ですが特にひどい痒みや吐き気などはなく、
タブレットを弄び1か月後の退院に向けて少しずつリハビリを頑張っています。

4月19日(水)。
話は抗がん剤を投与する前日に遡ります。

いつものよーに大部屋にて母との面会を満喫していた際、
主治医がメソメソの前に現れたので、
明日はビダーザを投与するのか尋ねてみました。
すると主治医から驚きの発言が!

先生「いいえ。ビダーザは投与しません。白血病患者に投与するお薬を入れての治療になります。」
メソ「え!?母はMDSの中でも症状は軽い・・・んですよね??」
先生「はい。3月の検査結果ではそのようにお伝えしてましたが・・・ちょっとここではアレなので、別室へ移動しましょうか。」
メソ「は、はい・・・・」
母「・・・・・・」

病棟内にある家族説明室へ移動し、遅れてやってきた父と弟も参加して話を聞くことに。

どうやら、入院するまでの間に病状の進行が早まっていたらしく
母は骨髄異形成症候群であるのは間違いないが
※芽球パーセンテージに基づき診断している※
WT-1数値が14000あるので(通常は50未満)
いつ急性白血病に移行してもおかしくない状態だと言われたので
大部屋ではなく、無菌室へすぐにでも入室しなければならない状態だと言われた。

熱が38℃上がっているのも、ウイルス感染に依るものではなく
WT-1数値が高いせいだろうと予測しているようでした。

この数値を早急に下げるために、ビダーザでは効果なしと判断。
強めの薬を投与しないと白血病に移行してしまう危険性があると判断されたためだった。


2種類の抗がん剤(キロサイドともういっこ名前忘れた・・・ダウノルビシン?)を
1週間投与し、WT-1数値がどの程度下がるのかを診るという。
キツイ薬だと副作用がとても心配だが・・・・、
急性白血病だけは避けたいし、母に頑張ってもらわなくてはならない。

順調に治療が進み、WT-1数値が安定し血球数値が落ち着いて来れば
一時退院できる、と言ってくれた。

治療過程では、初期段階で白血球数値が一時的に下がるらしい。
しかし、また数値が上昇してくる、ということだったので
その辺の医療的説明はよく覚えてないが(笑)

とにかくスムーズに治療が進めば、母は帰宅できるということが聞けたので
嬉しい目標ができたわけだし、共に頑張ろう、という気持ちになれました。

なので、白血球がゼロに近い、というのは
薬の影響が大きく、治療上避けては通れないらしい??ので、
容態が悪くなったから減少したというのではなく、
ごく自然な成り行きとして受け止めています。


この説明を前もって聞いていなければ・・・・、
私は医者に掴みかかっていたかもしれません^^;(笑)
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※説明するまでもありませんが左が激昂するメソ、右が医者だと思ってイメージしてください※

抗がん剤治療から7日間経過していますが、
母は元気に治療中です(*'ω'*)
特に主だった副作用に悩まされてはいないようです。
きっと母の強い生命力と、病気に負けまいとする気持ちと、
お薬との相性が良いのかもしれません。
キツメのお薬だから、、辛くないはずはないんですけどね^^;
しぃまが身代わりになってくれたおかげで、
母は快方へ向けて歩み始めているのかもしれません。

※しまりすな日々。http://mesomeso.blog.jp/
『しぃまがくれた奇跡。~黄色のハンカチの中で~をご参照下さいm(_ _"m)※


それではまた、経過報告を書きますね。
お読みいただきありがとうございました。




こんばんわ、メソメソです。

後編は、母が服用しているお薬について
主治医とのやり取りを思い出しながら書いていきます。

【母が薬を飲みたくない?】

今までの外来では、弟が母を病院へ送り、
母ひとりで診察・輸血を処置してもらったのち
迎えに行く、というカンジで通院していました。

4/14(金)は外来日だったので、私が母と同行し、診察室へ一緒に行きました。
お薬の事で、質問したいことがあったからです。
外来に行く前日、母から気になる事を聞いてしまいました。
下記、会話をご覧ください。


母「熱が下がらんから、頓服処方してもらってたんやけどね。それを今まで3回ぐらい飲んだんやけど、熱あんまり下がらなくて。こないだの外来で数値があがってるからお薬変えましょう、ってことで、次はロキソニン処方してもうたんよ」

メソ「ロキソニンね。市販されてる薬やんな。数値って、なんの数値があがったん?」

母「・・・・わからん。とにかく、今までの頓服はやめて、次からはロキソニン飲んでくださいって。」

メソ「んー、なんやろなぁ。何が上がったんやろ?先生はちゃんと説明してくれへんかったん?」

母「・・・覚えてへん・・・」

メソ「うーん、そっか。前に飲んでた薬はなんていうやつ?」

母「頓服。」

メソ「うん、それはそうなんやけど・・・お薬手帳みせて。」

母「・・・・はい、コレ。」

メソ「・・・・あー、カロナールね。これ、インフルエンザの時に旦那が点滴打ってもらったやつやと思う。で、今はロキソニン飲んでるの?」

母「・・・飲んでない・・・」

メソ「え、なんで?お腹緩くなったりとか?」

母「違うけど、なんとなく。飲みたくなくて^^;」

メソ「うーん・・・胃が痛いとか、発疹が出るとか、なんらかの副作用が出るんやったら飲まないほうがええんやけど。なるべく処方してもらった薬は飲んだほうが良いと思うけどなぁ。カロナール飲んで何かの数値が上がったから、ロキソニン飲むのも怖くなったん?」

母「うん・・・ちょっと怖い。」

母の目には涙が溜まっていた。

メソ「・・・このこと、先生に報告しよ?なんの数値があがったのか気になるし。次の外来(4/14)は私が一緒に行くよ。とりあえず、怖いなら薬飲むの止めとこ?あと、熱の覚まし方をネットで検索してみるよ。何か欲しいものない?」

母「りんごたべたい。」

メソ「んじゃちょっと買ってくる!」

スマホで熱さましの方法を色々検索すると、
ポカリスエットを飲むとか、ウィダーインゼリー飲むとか
冷えピタとか、フルーツ等々が良いみたい。
あとは水枕とか。それらを用意しつつ、気になる頓服2種類の薬を調べてみた。

メソ「・・・・・えっ。」

カロナールにもロキソニンにも、同じことが書かれてある。
どっちも血液の病気の人には出せない種類の薬って・・・・
「血小板数値を抑制させる」ってハッキリ書かれていた。



【薬を飲まないという選択肢】
メソ「これ飲んだらダメなやつじゃないの!?( ゚Д゚)」

すぐさま、医大へ電話。
時間は夜20時半過ぎ・・・・
主治医の先生には時間外ということで繋げてもらえなかった。
確認は取れなかったので、ひとまず個人的な判断のため不安はあったけど
母にはロキソニンを飲まないよう指示した。

メソ「医大に電話したけど、電話に出れる状況じゃないみたいだった。明日外来だし、先生に聞いてみるよ。熱上がってて辛くない?」

母「うんうん、大丈夫。熱高いっていう自覚がない(笑)」

メソ「とりあえず水枕とポカリと冷えピタで熱下がればええんやけどなー。処方されてるぐらいだから、先生も考えがあってのコトだと思うけど・・・血小板を減らすわけじゃなくて抑制って書いてるから、その辺をしっかり確認したいなぁ。。。」

母「なんか、ちゃんと話聞けてなくて心配させてごめんね。」

メソ「ううん。体がしんどいのに、集中して聞くほうが大変だし。私のほうこそ、神経質になりすぎなのかも・・・。一人で行かせててごめんね。これからは、なるべく一緒に同伴するよ。私がしっかり説明を聞く。おかーさんは何にも心配せんでええよ。」

母「うん、ありがとう・・・・」


この会話から、何かお気づきになりましたでしょうか。
私たち家族は仕事が忙しいのにかまけて、母を一人で診察室に向かわせ、
主治医の説明を聞き漏らしまたは理解できず
薬を飲むことさえとても不安になっています。


大病や難病であるほど、ある程度知識を持っていなければ
理解が難しく、聞き流してしまう事が結構あると思うのです。
ましてや自分のカラダに対し、大きな不安をもっているわけですから
冷静に聞ける余裕がない人が殆どだと思います。

私は後悔しました。
母に、ひとりで病気と向かわせたことをとても反省しました。
最大限、母に対してできることをやっていたつもりでも、
肝心な部分が抜けていました(´・ω・`)
外来は必ず付き添い、説明をしっかり聞き、
母の状態を報告するように心がけようと思いました。


【薬を処方した理由】
外来当日。
電光掲示板に数字が表示されたので、母と一緒に診察室へ入りました。

入室した時、
先生が『あ、今日は娘さん来てくださったんですね。良かった』
と仰ってくださいました。

先生は目の下のチェックと口内炎の状態、
お腹に聴診器を当てて診察してくださいました。

質問内容については
『熱は下がってますか?』
『食欲はありますか?』
『お腹の調子はどうですか?』
『足の腫れ、むくみはどうですか?』
『何か変わったことはありませんか?』
などなどでした。

母の受け答えに聴き入っていると、
殆どの答えに対し
『はい』か『いいえ』程度しか答えておらず、
あまり詳しい報告をしていないように見えました。


薬に対しての不安とか、
排便時に痛みがあるとか、
熱が下がらずふらふらするとか、
もっと詳しいこと言ったらいいのに、、、(´・ω・`)

我慢しているだけなのか、
ただ忘れているのかわからないけれど
先生は私にも『何か質問したいことなどありますか?』と
聞いてくださいましたので
カロナールやロキソニンについて、質問をぶつけてみました。

≪カロナールについて≫
Q.最初にカロナールを処方していただきましたが、数値が上がったと言って
薬をロキソニンに変えたと聞きました。なんの数値が上がったのでしょうか?


A.肝機能の数値です。断定したわけではないのですけど、服用後に数値の上昇がみられたので、少し気になりました。肝機能の数値が高ければ高いほど肝細胞のダメージが高くなるので、肝機能障害を避けるために
ロキソニンへ変更してもらいました。カロナールは一番副作用が低く、穏やかな作用のあるお薬なので、初回にはこの解熱剤を服用する方が多いのです。



≪ロキソニンについて≫
Q.ロキソニンは「血小板数値を抑制させる働きがある」らしいのですけど、母は服用して大丈夫なんでしょうか?

A.おっしゃる通り、確かに抑制させる働きがあります。しかし、お母様の場合は血小板数値が7万ほどありますので、大丈夫だと判断しました。これが1万を切るようであれば、危険ですので処方はしておりません。
常に採血をし、数値を診ながらの処方になってしまいますので、まるで薬を試されているかのように思われると思うのですけど、この病気は患者様によってさまざまなケースがありますので、一概に「この薬だから絶対効く!」というものがないのが現状なのです。どのお薬がお母様にとって最良なのか現段階では試行錯誤中なので、できればご理解いただきたい部分です。

解熱剤は、絶対飲まないといけないという訳でもありません。症状が収まらず、体がお辛い時にのみ服用してください。

【まとめ】
私が強く痛感したこと。
難病指定な病気程、家族の理解・サポートが要ると言う事です。
父にも弟にも言いました。
「先生の説明をある程度理解できるようになるまで知識を持っておかないと、おかーさんは詳しく症状を話さないから、先生たちも24hずっと診てくれてる訳でもないんだし、限界もあるから、少しでも詳しく伝えられるように、この病気の事を勉強しておいてね」と。
母にちゃんと診察に付き添っていれば、
薬について知識があれば、
母を安心させれたかもしれない、ということです。
先生から回答をいただいたことにより、
母はとても安心しておりました。

4月18日(火)、滞りなく入院手続きが完了し
4月20日(木)より抗がん剤治療が開始します。
辛い症状を少しでも緩和できるように、
毎日仕事帰りに通うつもりです。



今日も閲覧いただき、ありがとうございました┏○))ペコ















こんばんわ、メソメソです。


母の病名が確定してからというもの、
あらゆる情報を収集すべく
主にネットで調べたり
書店に赴き専門書を立ち読みしたり←
今もなお病気に負けまいと必死で治療に励んでおられるかたの
ブログを拝読し、涙を流したり、安心したり、
少しでも母の病気について知識を持っておきたくて、
仕事の合間に知識を詰め込んでおりました。

これには、私なりの理由があるんです。
すごく個人的に思う事です。
それをまとめたいと思います。

【病院へ行くタイミング・理由】
基本的には、体の具合が悪くなると
病院へ行って診察してもらい、
場所によっては応急処置、レントゲンを撮ったり
内視鏡検査を要したり血液検査の有無等々、
先生は患者に対してなるべく詳しく、わかりやすく、
症状、原因、今後の治療方針等々、
ありとあらゆる説明をして下さる方が殆どだと思います。

そして、多くの患者さんたちは、
先生を100%信用&信頼し、治療に向けて
内服薬など処方してもらったクスリや湿布などは、
用法・容量を守ってさえいれば、着実に回復するだろうと疑いもしません。


それが多くの人たちがしてきたことであり、
正しいことのように思います。

私も、「基本的」には正しいと思っています。
その道の専門分野を勉強してきた、医療のスペシャリストですから。

しかし、先生の言いつけ通りで本当に大丈夫なのでしょうか。
薬のアレルギー、食べ物のアレルギー、患者ひとりひとり
体格も違えば薬の効き方・相性が異なって当然です。

実際、私はとても薬が良く効くほうです。
体に優しいものでも、即効きます。
しかし旦那は、効きにくいようです。
点鼻薬にせよ、頭痛薬にせよ、頓服にせよ・・・

この違いはいったい何なのでしょうか?

【薬の効き方について憶測】
薬を長期使用し続けているがために、体が順応し、慣れてしまった。
これが一番良く考えられる原因です。
事実、私は頻繁に薬を多飲しないよう心がけています。
※症状が収まったら飲むのをやめてください、と言われるまでは飲んでいます※


しかし旦那は、用法・容量を基本的に守りません。
鼻が詰まってきたらすぐ点鼻薬を使い、
頭痛がして薬を飲んでも治らないので追加で飲んだり、
以前、インフルエンザ感染した際に
処方してもらった頓服を飲んでも高熱が下がらず、
とても苦しんでおりました。
薬を飲まずにはいられないほど、我慢出来ないくらい辛いんですね。

市販薬を頻繁に使用する旦那は、
薬のパッケージ裏に書いてある説明書きや
中に入ってある使用上の注意を読みません。
大体のお薬には、こう書いてあります。

1か月使用しても改善がみられない場合は、
医師または薬剤師に相談すること。


みなさんはどうですか・・・?
かかりつけのお医者さんに相談されていますか?
ちなみに旦那は、医者に相談しに行くこともありますが
医者から処方してもらった薬はまったく効果がない、と言い
結局通院することなく、再度市販薬で済ませています。。。



【薬が効かないのではなく、患者の心がけ】
薬のアレルギーなんて、服用しないとわかりません。
だからこそ、薬は怖い存在なのです。
治る、という概念であるはずの薬が、
患者にとって「毒」になり兼ねないのです。

旦那は慢性鼻炎でした。今もそうです。
花粉症でとても辛そうにしています。
病院で処方してもらった薬が効かないからと言って
通院をおざなりにし、鼻腔は炎症・膨れ上がり、
鼻呼吸が困難になるまでに悪化してしまいました。
結局、レーザーで鼻腔内を焼くことになったわけです。

通院していれば、違う対処法もあったかもしれません。
薬に頼るのではなく、日常生活において患者自身が気を付ければ
症状を少しでも緩和できることもあるかもしれない。

私は、基本的に薬を飲みたくないので
原因をまず医師から聞き出しています。

してはいけないこと、したほうが良いことの指示を仰ぎ
それでも辛い時は薬を服用し、
先生が外来へ**日来てください、と言われれば
必ず行くようにしていますし、薬を飲むことによって
微妙な体調の変化も都度報告するようにしています。


みなさんは、どうですか?
忙しいからと言って、通院・外来を後回しにしていませんか?
放っておくと、大変なことになりますよ。

次回、【薬とうまく付き合っていますか?後編】をお楽しみに!←
閲覧毎度ありがとうございました┏○))ペコ












こんばんわ、メソメソです。

現在、4月16日(日)14:44。
仕事がひと段落したので、会社にて執筆しております!

今週も忙しかったー。
もはや暇な日なんて皆無w
てゆか「忙しい」がクチグセになってるな('Д')w
いい加減改めたい口癖ですね。
みんなだって忙しいっちゅーねん(笑)

さて!

祖母が入院していた病院⇒介護施設へ移動とか
母の入院日が決まり、手続きやら入院保険やら
どーたらこーたらなどなど
準備!準備!!準備ッ!!!

整体、またしても火曜日しか行けなかった((+_+))


「体調悪いんです、りう”ぁいヘイチョウッッ!」
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なんてほざいてる場合ではありません。
母の入院は4/18(火)に決定しました。
土曜の間に必要なものの買い出し、
そして15日シメの準備のため日曜日は出勤。

最近になって気づいたこと。

私って意外とタフマン!(*ノωノ)

不思議とチカラがみなぎっています。
人間、切羽詰まればヤレナイことはナイ!
火事場のクソヂカラってやつですかね。

平日は、まぁアレですけど(笑)
土日はわりかしエネルギッシュに活動中です。

夕方4時から演劇鑑賞会いかねばだしっ(。-∀-)ムフ♪
自宅へ帰るのは8時回りそうかなぁー。

此度の土日は濃ゆい日を過ごせたし、
充電完了な日々でございました。


次週は執筆時間取れそうな雰囲気ですし、
程よい更新を目標にアップしたいですね!(*'ω'*)



だって、ランキング落ちてるsh(((((


ランキングなんて・・・っ
◎ソ喰らえーッ!!
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ヘイチョウ、顔怖いけど言葉に深みがあってスキ。
今日も閲覧ありがとうございましたm(_ _"m)







こんばんわ、メソメソです。

前々回に引き続き、今回も颯爽と
記憶をたどりつつ、ハードパンチャーで書いていきますよ!
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↑※メソメソがブログを書いてるイメージ画※


☆4/6(木)のコト☆
今日は骨髄検査結果が出る日だったが、
先日救急外来で診察をしてもらえたため
今日はキャンセルとなった。
4/7(金)にとりあえず経過報告というカタチで
容体を診せに行く約束をしてある。

母は今日も自宅療養。
熱は下がったが、体がだるい様子。
薬を飲み、外に出ることなく、
家でずっとテレビを観ていたようで
肩が凝ったらしい(笑)

あまり家の中でじっとしているのもなんだから
気分が良くて動けそうなら
散歩とか、家の掃除とかやれることはやったほうが良いよとアドバイスした。

母「あ、そうなん?全部息子にやらせてた(笑)めっちゃラクやし(。-∀-)」 

動かせるときに体動かしておかないと、
体力落ちると病気に勝てないよ、と言いかけたけど
今は言うべきことじゃないと思い、飲み込んだ。

メソ「仕事も普段通りやっていいって言ってたし、車運転できそうだったら仕事しなくてもいいからさ。気分転換に会社おいで?パートさんたちも喜ぶし^^」
母「そやね。行ける日は行こうかな!メソメソ、ありがとね。少し元気が出たよ。」

この夕方、奄美から母の姉たちが和歌山にやってくる。
妹は都合がつかなかったので5月に来る、との事。

なのでせっかく姉たちが訪ねてくるので
母には1日家でゆっくりしてもらうことにした。

この日も無事に定時で仕事を終えて、
叔母たちに挨拶したくて実家へ向かった。

メソ「こんばんわ!ご無沙汰しています!」
姉叔母「メソメソちゃん、すごく美人になったね~!」
メソ「えっ////(*ノωノ)」
妹叔母「ケイコ(母)に似てないね(笑)」

母「似てないけど私の娘だから(笑)」

叔母たちに会うのは何年ぶりだろう?7年ぶりくらい??
2人とも元気そうで良かった。でもやっぱ、、、歳とっちゃったんだなーと思った。
長旅で疲れてるだろうに、終始ずっと笑顔のままだった。
母も姉たちとの久しぶりの再会で、よく笑い、そして時折涙ぐんでいた。

母の病気の事は、3月の骨髄検査終了後に姉妹全員に連絡していたらしい。

奄美から、心配して駆けつけてくれたのだ。
4/10(月)まで、滞在してくれるとの事。
滞在中、島の郷土料理で元気になってもらおう作戦を決行することに!

私も叔母たちに料理教わろうとしたけど
母に「旦那さんを家にほったらかしにしたらアカンから」
早々に返されてしまった(´◕ω◕)グスン。

姉妹同士で積もる話もあるだろうし、お邪魔虫は早々に退散します(´-`).。oO

その日も21時-23時までゴールデンタイm(以下略)


☆4/7(金)のコト☆
朝から右腕がなんか、ヤバい。
締め付けられてるような、しびれてるような・・・
なんか、変な感じがする(´・ω・`)左腕はなんともないのに。
ストレートネックのせいかな?
今日は整体の日だし、先生に報告しよう。。。
うう、なんか気分もワルイ・・・・

雨のせいだな、ウン。

母は、今日も自宅療養。
奄美から来てくれた姉たちと、楽しい時間を過ごしている。
昼過ぎに、病院へ経過報告??をしなければならず
姉たちと共に病院へ向かったそうだ。

仕事のほうは、金曜日だし新商品入荷の日だし
欠品もあったりで、てんやわんやの営業日だった。

特に電話の対応がチョー大変(;´Д`A ```
TRRRR・・・・TRRRRRR・・・・
他の電話の対応中に別コールが鳴りだすのって
結構、プレッシャー感じるし気が散るし。
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昼休憩はようやく2時ごろげっと。

お腹痛いなぁー。もしや・・ヤツか?('A`)
ちょっと早くね?('A`)
右腕のしびれもヤツの仕業か?('A`)

わからんケド・・・
ご飯食べる気しねぇーーー_(:3 」∠ )_

20分ほど自宅ベッドの上で過ごし、
重い体を操作してユンケル(笑)飲んで事務所へGO!

出荷業務が無事に終了したのは4時過ぎ。
気が緩んだのか頭痛がggggg・・・
ばふぁりんどこー おーいばふぁりーん るなちゃーん
デスクの引き出しにストック無し。

家にしかないフラグ_(:3 」∠ )_

お腹モーレツに痛い。絶対ヤツだわ。
こんなとき、オンナってまじめんどくせぇって思う。

父親に体調が悪くなってきたから帰りたいって言ったら、快く快諾してくれた。

今日は整体の日なんやけど・・・よー行かん。。。。
運転する集中力、皆無。。。。雨止んで~まじたのむ・・・・

帰って薬を飲んでベッドへ倒れ込み、そのまま夢の中へ。

起きたら、20時半過ぎ\(^o^)/!
寝すぎてしまった(笑)

ご飯食べたくないから、ってかお腹痛いから
そのままゴールデンタイムまでテレビ前で待機(。-∀-)❤

カゲヤマくんのボイスのお陰で、お腹痛いの忘れられることできた←

旦那には、コンビニで適当に買ってきてもらいました^^;
ご飯用意できてなくてごめんね。

とにかく、ヤツが来るのが今日で良かった。。。。
明日はゆっくり休んで、日曜日、早退した分の仕事しよう。

しんどいときぐらいは、休んでてもバチ当たらんよね(。-∀-)
土曜日にしっかりブログ書き貯めておこう♪


と、まぁこんな感じで
怒涛の1週間はあっという間に過ぎました(;・∀・)!

書いている今(4/8(土)21時43分)は、腰がなんともまぁー重いっすわ。
でも、昨日よりはだいぶ痛みはマシ。家だし、ストレス負荷がないし♪

4/10(月)~もきっと壮絶な日々の予感。。。。
ぐでたまのように、ゆるーいスタンスで仕事やりたひ。(*ノωノ)
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ぐでぐで雑記を読んでいただき、ありがとうございました┏○))ペコ


それではまた、週末にお会いしましょう♪
しーゆー♪あげーいんっ❤




こんばんわ、メソメソです。


前回に引き続き、振り返りながら
数日間の出来事を書きなぐりたいと思いますので
ご興味のない方はスルーお願いいたしますm(_ _"m)
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☆4/4(火)のコト☆
母は朝から弟と共に病院へ。

この日は歯科口腔外科に行き、
口内炎が治らず食事に影響が出ているため
口腔内をきれいにしてもらい、
口内炎の薬を処方してもらって、
その後、午後2時から血内へ移動し診察&採血&輸血。

終わったのは5時前。
おかーさん、弟よ、お疲れ様 _| ̄|○ヽ(・ω・`)ポンポン♪

さて、会社の方はというと意外と大変でもなかった(笑)
むしろ月曜のほうが鬼仕様だった(;´Д`A ```

出荷作業は2時過ぎですべて完了。
特に緊急を要するトラブル&問い合わせもなく、
社長が不在でもなんなく業務をこなせたのが救いだった。

メソ「よしっ、定時で上がれるな!」

母は処置終わり次第会社へ一度寄る、とのことだったので
昨日教わりたかった支払業務の準備を一緒にすることにした。

パートさんたち(母と世代がほぼ同じ)2名は
母の顔をみると、心底安心したようだった。
みんなに気を遣わせたくない気持ちでいっぱいだろうけど
病気が治るまでは、自分の体を第一に考えるように、と母に伝えていた。

母は私に一通り支払業務を教え、パートさんたちに挨拶をしたあと、
すぐに帰宅した。少し声がしゃがれていた。
でも、熱は36.7℃まで下がっていたようだった。
良かった。ε-(´∀`*)ホッ

6時過ぎに私は整体の受付へ滑り込み、
リハビリ&電気治療をしてもらった。

先生「あーららメソメソさん、こんなに肩周りがガチムチになってるで」
メソ「ハハ、すいません~鍛えすぎました^^;」
先生「しびれとかは?ない?」
メソ「今のところ平気です~」
先生「そっかそっか。仕事大変やろけど、ちゃんと休憩しぃや~」
メソ「ハイ、そうですね~・・・」


治療が終わって体が軽くなり、また明日も頑張れそう(*ノωノ)
先生、ありがとうございます。

この日は自宅へ寄らず、まっすぐ家に帰り
夜9時から11時までアニマックスを見て
その後入浴。深夜0時に床につきました(笑)

アニメは私の大事なガス抜きの時間(。-∀-)w
カゲヤマくん、大好きです(*ノωノ)❤
image[3]


☆4/5(水)のコト☆
母は自宅療養、会社は全員出勤!
はぁー、ヒトが居るってこんなにも頼もしい。
今日も特に何もなく、無事に終了。

休憩もちゃんと取れた。

父は、祖母(ますちゃん)が入院している病院の先生に呼ばれたので
午後から少しの間だけ抜けた。

体調がだいぶ回復してきたので、ますちゃんの退院の日取りを決めたいとのこと。

通常は喜ばしいことなのだが・・・・、
ひとつ、問題が。

去年祖父が他界し、今はますちゃんが家に一人で住んでいる状態で
足腰が悪く、一人で生活をするのが困難な状態であり
かと言って祖母が同居をすることに猛反対。常に一人で居たいらしく
介護認定も受けたがらず(お金がもったいないとの理由)、
なんとも困ったますちゃんなのです。

今までは母がますちゃんの家へ行き、
ご飯を一緒に食べたり用事をしたりしていたのだが
母も大病を患い、いつ入院するかわからない身であるため、
その後、入院先へは父が行くようにしていた。

なので、退院しても、ますちゃんの家に行ってご飯やその他もろもろ
面倒を見る人が居ない、と言う事でして(´・ω:;.:  (´:;....::;.:. :::;.. ....

具合は以前から悪かったものの、頑なに病院へ行こうとせず
(お金がもったいないとの理由)極限まで我慢した結果
救急車を呼ぶハメになってしまいました(´・ω・`)
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お金お金って・・・・そりゃ大事だけど
健康がお金で買えるなら安いもんや。
生前、祖父がよく言っていました。

ますちゃんが入院したばかりの頃は顔色がとても悪く、
両足がパンパンに腫れ上がり
心臓・大腸に疾患があって、いつの間にか
糖尿病を患っていたようです。

とりあえず暫しの入院措置で状態は回復。
病院も早めにベッドを空けたいので
いつ退院できますか、とのご相談でした。

介護認定を受け、退院するまでの間に
受け入れ先の施設もなんとか決まりました。

ますちゃんには本当に申し訳ないけれど、
母も父もこれ以上無理させられないし、
会社もこの状況だし我慢してもらうしかなく・・・・

ますちゃんの退院は4/13(木)に決まりました。
と、同時に施設へお引っ越しです。

本当に慌ただしいです。
体調だけは、なんとか崩さないようにしないと・・・・

この日も定時で仕事を終わり、栄養をつけるべく
今夜は家で焼き肉きゃっほーい((((oノ´3`)ノ♪

そして夜は、21時-23時までゴールデンタイム!
image[4]
「ハイキュー!」のあとは、「進撃の巨人」!
存在自体は知っていたけど、
コミックス読んだことないしアニメはこれが初。
なんともまぁー寝る前に観るアニメじゃないね(笑)
でもこーゆーの好き(。-∀-)w
程よい刺激のある画を観た後は、何故かスッキリ爽快ですな。


・・・・ふう、4/7(金)まであとちょっと。
もちょっとコンパクトに文章まとめられたらいいのに(;´Д`A ```
どうしてもくどくど説明臭くなるな(笑)

と言う事で、次回に繰り越します┗(^o^ )┓三
今日も読んでいただきありがとうございました┏○))ペコ




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こんばんわ、メソメソです。

今日は久々のオフ!
部屋の掃除&ブログを書き貯めるべく執筆中(*ノωノ)

週末でしかブログ更新が困難なので、
ここ数日間の出来事をまとめて書き出したいと思います。
※ただの雑記なのでご興味のない方はスルー推奨です※


☆4/3(月)のコト☆
母、普段通り9時に出勤。
仕事をするものの、どこか辛そうだったので
無理をさせないために早々に帰ってもらった。

休日明けの職場は騒然_(:3 」∠ )_
発注書多すぎてゲンナリモード。
いや、会社的にはありがたいっす。
でも、人手不足でこの激務はほんとキツイ。
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なーんて愚痴る暇もなく、
休憩をとることもままならず
気が付けば3時すぎ。。。(´・ω・`)
ああ、昼ごはん食べれなかった・・・

「ちょっと30分休憩とるー」

と父に伝え、会社から徒歩1分の自宅へ戻る。

空腹がピーク過ぎると、何故かお腹いっぱいになりますね(。-∀-)
食べる気が起きないのでとりあえずお茶を飲みながら、
母と少しメールのやりとりをした。

メソ「今休憩。熱はどう?何か食べたー?」
母「遅かったなぁ!熱はー・・・37.5℃!お昼は食べた」
メソ「またオークワで買った巻きずしと、もずく食べてるんちゃうやろな?笑」
母「なんでバレたんよー!!見てたん?」
メソ「見てないけど、なんとなく(笑)それにしても微熱続くなぁ」
母「でもそれ以外は特になんてないよー」
メソ「今日仕事終わったらそっち行くー」
母「はーい!待ってる

メールが終わって、
少し目を瞑って5分くらい仮眠して、また事務所に戻った。

戻ったら出荷業務はほぼ終わってたので、
顧問のデザイナーさんへ連絡を取り、
新商品のパッケージデザイン打ち合わせに取り掛かった。

仕事終わって、旦那が作ってくれていたカレー(こくまろ中辛)を食し
支払いの小切手とか手形とかの道具一式を持参して
母に教えてもらうべく、車でおよそ30分くらいの実家へ向かった。

メソ「ただいま、おじゃましまーす」
母「おー、お疲れ」
メソ「おつかれー。あれから熱は上がってない?」
母「さっき測ったら38.1℃あった」
メソ「・・・・38℃!?」
母「うんうん。」
メソ「起きてて大丈夫なん?(;'∀')」
母「うんうん。それより支払いの準備しよう」
メソ「・・・待って。仕事より病院行こ」
母「・・・大丈夫やって」
メソ「大丈夫じゃないって。もっと高熱になったらどうすんの?」
母「・・・・・・・・」
メソ「夜、あんまり眠れてないんやろ?」
母「うん・・・・」
メソ「仕事は明日やるし、ちょっと医大へ電話してみるよ」
母「うん、わかった」

電話をかけること十数分経過。

メソ「血液内科の先生居るんで、診察してくれるみたい。今病棟の回診してるみたいだから、すぐ診てくれるかわからんけど・・・救急外来で受付すれば、診察しますって。これから準備できる?」
母「うん、これから準備する。」
弟「僕も行く!僕が運転するわ」
父「気を付けて行っておいでよ。一緒に行けなくてごめんよ」
母「ごめんね、ちょっと行ってきます」
メソ「まずは熱下げてもらおう。絶対ラクになるから。大丈夫」

父は翌日東京へ日帰り出張なので、早めに休んでもらう事にした。

20時30分頃、救急外来に到着。
受付を済ませ、結構待たされるのかと覚悟していたものの
意外とすぐ案内してくれた。
前もって電話したのが良かったのかな(。-∀-)

看護師さんから問診中の際、主治医の先生が来てくれた。
穏やかな雰囲気の、わりかし若い印象の男性医師でした。
※今後はH先生と呼びます※

H先生「今日、昼過ぎに受付から携帯へ電話を掛けたときは大丈夫ですって返事もらえたんですが、やっぱりしんどくなっちゃいましたか?」
母「あー・・・木曜日(4/6)にこの間の結果が出るし」しんどくはなかったので、お電話では『大丈夫です』とお返事したんですが・・・娘に熱の事を言われて、連れてきてもらいました・・・・」
H先生「そうでしたか。○○さん、我慢なさらずに些細な事でもいいのでなんでも仰ってくださいね。この病気はじっとしていれば治る、というものでもないのですから」
母「はい・・・・」
H先生「で、今日はそちらのお二人は・・・?」
母「あ、娘と息子です。」
H先生「お子さんはお二人で?」
母「はい」
H先生「病気のことは、どこまで・・・?」
母「・・・・あのう・・・・・20%が超えると、っていう・・・・えっと・・・」
H先生「はっきりとは、まだ?」
母「・・・・はい・・・・」

どくん、どくん、どくん。
メソメソの心臓の音が、やけにはっきり聞こえた。
H先生は、私たち姉弟に向き直り、穏やかに、しっかりと告げた。

H先生「お母さんは、「骨髄異形成症候群」で間違いありません」
母「・・・・・・」
メソ「・・・・確定、なんですか?」
H先生「はい。今後の治療方針を話を4/6(木)にする予定でした。今日はお子さんお二人いらっしゃっていますし、できれば○○さんのご主人さまと○○さんのご兄弟、血縁関係に当たる方も一緒に移植についての詳しい説明と、骨髄提供のご協力をお願いしたいと思っています。ご兄弟はいらっしゃいますか?」
母「奄美大島に姉がふたり、妹がひとりいます」
H先生「65歳以下の方は、何人いらっしゃいますか?」
母「・・・・妹、だけです」
H先生「妹さんの骨髄が合えば、移植は可能になるんですが、健康体であることが第一条件です。一度こちらへ日程を合わせて来てもらうことは可能ですか?」
母「聞いてみないとわかりませんが・・・妹は、年に2回病院へ検査で通院しているらしいのですが、どんな病気なのか、検査なのかも、ちょっと・・・・」
H先生「そうですか。もし、ご兄弟の中で適合者がみつからなければ、ほかのドナー登録の方から探して・・・・・」


その後、先生の説明は続いた。
後ろから見ていたけど、
母は、しっかりと話を聞いているだろうか。
少しぼんやりしているように思える。
弟は、涙をこらえられず、声を殺して泣いている。
私は、冷静に先生の話を聞き漏らすまいと集中して聞いた。

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『骨髄異形成症候群』(MDS)
骨髄中の細胞に形態異常が生じるとともに、
血球数の減少を来す病気。
血液細胞の種にあたる造血幹細胞ぞうけつかんさいぼう自身に異常が起こったため、
血液細胞がうまくつくられないことが血球減少の原因と考えられている。
この病気の特徴は、血球減少の経過をみているうちに、
白血病に移行する例があるという点である。
このため、かつては前白血病ぜんはっけつびょうと呼ばれていた。
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芽球が4.4%。

どうやら発熱の原因は、白血球数値が下がっているので、
自分の中の常在菌をうまくコントロールしきれず
熱が上がったり下がったりしているのだと先生は言った。
赤血球や血小板は今のところ大丈夫らしい。
感染症による高熱ではない、との診察結果だったので
ひとまず安心した。

結局家族で説明を受ける日程は後日返事します、とだけ伝え
その後、もう一度採血をして抗生物質を点滴で投与してもらい、
帰宅したのは0時回っていた。

・・・はぁ、母を連れて行って良かった。
我慢してほしくないんだけど
本人は本当にしんどくないから、言わないのかもしれないけど・・・
熱が上がってきたら慌てるでしょ('A`)
なんでそんな大事な事黙ってるかなぁ、もう・・・・。

青白い顔色だったのが、少し持ち直したように思えた。
熱が38℃もあるのだから、もう少し赤いのがふつうだと思う。
汗もかいていないようだし、やっぱり特殊な病気なのだろう。
薬が効けばいいな。今夜はよく眠れますように。

明日も母を病院へ連れて行く事になったので、
弟が抜け、父は出張。

今日以上に大忙しになりそう(;´Д`A ```
自分の病院、行けるかなぁ(笑)

・・・えーん、まとまらなかった_(:3 」∠ )_www
疲れたので、今日はここまで(。-∀-)
続きは後日書きます。

お付き合いありがとうございました┏○))ペコ








「It’s a  Piece of  cake!」
「楽勝だよ」

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※「宇宙兄弟」より抜粋※


こんばんわ、メソメソです。

前回の近況報告。の記事ではお騒がせして
申し訳ありませんでした。

と言っても状況は可もなく不可もなく、、、といった感じですので
好転はしていないのですけど

最近は私が涙を流す頻度が減ってきており、
精神的にようやく持ち直してきたように思います。

母は相変わらず微熱が続いていて、口内炎が治らず
少々疲れやすさを感じてはいるものの、
主治医の指導?のもと
マスクを常備着用、人ごみは避ける、
それ以外は普段通り生活しても良いとのお話でしたので
自分で車を運転し、会社へ出勤してきております。

普段よりも勤務時間を短くして、
母のペースで仕事をしてもらっています。

家族としては、骨髄検査の結果が出るまでは
なるべく自宅療養してほしいと思っているのですが
本人の強い希望で、無理をしないという約束で勤務をしてもらっています。

今のところ顔色は青白いですけど
食事を3度とり、吐き気&下痢などの症状はなく
夜はよく眠れているようです。

なるべく食をもって栄養を補ってほしいので
病院へ行かない日は仕事が終わり次第実家へ立ち寄り、
鉄分不足を補う料理をメインに用意すると
母はとても美味しそうに時間をかけて完食してくれています。

クックパッド先生、まじありがとう!(´;д;`)ブワッ

最近の母の楽しみは、昼3時ごろに帰宅し、
父たちが帰るまでの間は、撮りだめしておいたドラマを
全部観るのだとはしゃいでおりました(。-∀-)

容体が悪化するのだけはなんとしても阻止したいところですけど
かと言って病人扱いするのもなんだか気が引けてしまうし・・・
これはもう、「なるようになれ」と願うしかないように思います^^;

当の本人はいたって普通で(のようにみえるだけかもしれませんが)
周りの家族が心配しすぎなように思えるほどです。

このまま入院や通院することなく、
経過観察で済めばいいなぁ。。。と希望を抱いてしまいます(*'▽')

私はというと、慢性的な肩こり痛、首コリ通の為
週2回ほど整形外科へ通院し、リハビリ終了後会社へ戻り
仕事をする日々でしたので
帰宅するころにはブログを書く体力がゼロに等しく(;´Д`A ```
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ここ1週間で体重が約2キロ減っておりました。ヤッタ!

レントゲンでの診断結果は頸椎ヘルニアになる恐れ(まだなってはいない)
と言われたものの、骨的には「ストレートネック」だと言われました。

※首の並びがまっすぐな状態のこと。
 正常な頚椎(首の骨)の並びだと
 首の角度が30~40°の自然なカーブが保たれている状態だが、
 ストレートネックの症状は、
 生理的前弯(首の前カーブの事)の角度が30度以下 の首の状態を言う。
 症状としては、
 肩こり・頭痛・めまい、吐き気・自律神経の乱れといったような事が挙げられる※



現代人、特に若い女性に多いそうです(?)
肩こりや首凝りに悩んでいる方々は、
一度受診することをお勧めします。

今日は土曜日なので会社は休みでしたが
やることが盛りだくさんなのでひとまず出勤~┗(^o^ )┓三♪

3月末〆の請求書発行業務をメインに行い、
母から経理の細々としたイロハを教えてもらったり、
小切手・手形の発行の仕方やその他諸々・・・・

・・・・はぁー、もっと早く教えてもらっておけばよかった・・・・
覚える事沢山ありすぎて頭から湯気が出そう(笑)
maya_400x400[1]
昨日リハビリして肩も首も背中も軽くなったのに
数時間でガッチリ凝ってしまいました_(:3 」∠ )_w

後悔ってほんと先にたたないですね。

今日で作業が終わらなかったので
明日も1日休みがつぶれそうです^^;


結構慌ただしい日々なので、ブログ更新&フォロワー様の応援は
しばらく週末限定になりそうですm(_ _"m)

最後まで読んでいただきありがとうございました┏○))ペコ








こんばんわ、メソメソです。


一難去って、また一難・・・・。
今年はなんや?厄年なんか?^^;

こないだの連休は東京遠征行って
風邪治ったらじっくりゆっくり
東京で体験したことを赤裸々に書くつもりでいたのに
宿泊先でやらかされたこととか
東京で食べたおしゃれなカフェごはんとか
写真撮りまくって面白おかしくアップしたろー思ってたのに
吹っ飛んでしまうくらいの出来事が起こってしまった。

東京へ行ってる間、父と弟から連絡が入っていたので
3/20(月)は実家へ行った。

内容が、さー・・・
もう、頭を鈍器で殴られたような感覚でしかなかった。
細い、細い糸が、切れたような。
「芽球」って聞いただけで理解してしもた。
「骨髄検査」をしなきゃいけないんだって。
つまり、

母が重い病気になってしまったってこと。

「骨髄異形成症候群」

・・・・・血液のガンだって。
白血病には「まだ」なっていない。
現状は白血病予備軍、ってことみたいです。

まってまって、いつから?
いつからなん?
元気で食欲あるし、運転できるし仕事できるし
ちょおまってよ・・・・

免疫力低下とか・・・
体がだるいとか、肩がこるとか頭痛がするだの
そんなん、誰だってよくなる症状やん。

現代人なんて免疫力低い人いっぱいいてるんちゃうの。
アレルギー症状に悩む人、たっくさんいてるやん。
アレルギー症状=免疫力低い人 じゃないの?
お母さんもあれやろ、免疫力低下ってそういうことじゃないの?
なんで芽球発見されてるんよ・・・
まじでうそやろ・・・・

もう、仕事どころじゃない。
でも、仕事しなきゃ。
でも、集中できん。
うつむいたら泣くし。

てゆか、泣きたいのは母のほうやん・・・

母は今年60歳になって
今までずっと父のそばで仕事をささえてきて
私も弟も私の主人も、まだまだ一人前じゃないけど
それでも頑張って仕事覚えてきて。

年金もらう手続きをして、さ
これからはたくさん遊ぶでーって笑ってたのにさ

どんな仕打ちなんよ
そんなタイミングで病気にさせないでよ
もっとあとでええやんか
90歳とか、100歳とか
60歳で発症って
はやすぎるやろ

きっとこの病気になったひとや
家族がなってしまったひとは
ぜったいネットでありとあらゆる情報を探すんやろうけど
私ももちろんさがした

高齢者がなる病気らしいとか書いてたけど
お母さんまだ60歳やし高齢者ちゃうわぼけ
一般論では60歳は高齢者ってゆうけど

・・・言うけどさ!お母さんはまだ若いんよ!
足腰しっかりしてるし骨も健康で
食欲旺盛、ボケてもいないし!
年寄り扱いすんなよ!


でも若くして発症してしまった人がいることもしって
高齢者に限らず誰でもなる可能性のある病気なんだって知った

ふつうに、ふつうに接したいんやけど
おかんの顔みたらめっちゃ泣けてくる

とりあえず、3/23は仕事終わってからご飯を作りに行った

肉吸いとホウレンソウとマカロニサラダ(リンゴ入)と
パプリカ&赤み肉のソテーと
お母さんのリクエストで、まぐろの刺身。

一番高いやつ買った。

口内炎が治らんらしくて
染みるんちゃう?って心配したけど

食べたいから

って言われたら買っちゃうよね。
食べたいんやったらしょーがないわ。
ナマモノは本当は避けたほうががええんやけど
あれだめ、これだめってのは
なるべく言いたくないから
そういうのは先生に任せよう((

3/24に骨髄検査をしたので4/6に結果が出るらしい。
検査おつかれさまやったね。

ほんまは付いていきたかったけど
ホントに抜けられない状態なので
弟が母を病院まで送り迎えをして
父と私と私の旦那の3人で忙しい金曜日を切り盛りした。

あー、ほんとに誰か手伝って。
出荷ミスありませんように!!

6時で無理やり仕事を切り上げて
残りは土曜日に出勤して片づけようと。

私の首・肩・背中・腰。
すんげー限界でいったいのなんのって・・・・

6時半で受け付け終了なので
病院着いたの6時25分くらい。

駆け込みセーフで診察&レントゲン&リハビリで
少し痛みが和らいだ。。。

先生、遅い時間だったのに丁寧に診察してくれてありがとうございます。
頸椎ヘルニアになる恐れ(まだなってはいない)がある、とのことなんで
しばらくは通院になりそうです。やれやれ・・・


そして3/25。
朝から昨日の残りの仕事を片付け&
明日はバザー出店のため準備をするべく作業に奮闘。
まじで昨日整形いっといてよかったー。
痛みが和らいでるので多少無理出来るわ、ウン←

昼過ぎに実家へ母の様子を見に行きました。

少し元気がないように見えた。
家に一人でいたから不安になってたんかな。
まずはおじーちゃん(お仏壇)に挨拶をして
必死にお願いをした。

「お母さんの病気を絶対治してください」
「おじーちゃんも寂しいだろうけど」
「お母さんをまだそっちへ連れて行かないでください」
「どうかお願いします・・・お願いします・・・・」

また涙が出てきたんで慌ててぬぐった(笑)

母に熱を測るように伝え、熱は36.8℃とのこと。
食欲はあり、下痢も嘔吐も今のところないらしい。
よかった(。-∀-)

こないだ骨髄検査した部分がかゆくて痛いらしく、
患部をみると結構血がにじんでいて服にまで付いていたので、
せめてバンドエイドを交換してあげたかったけど替えがないとのことだったんで
清潔なガーゼやらワセリンやらバンドエイドなどを買いに
ドラッグストア&スーパーへ母と一緒に買い出しへ行きました。

まだ本格的な治療は始まっていないから
なるべく外へ連れ出して気分転換してもらいたかったし
足を動かして体力をつけさせたかった。

もちろん、熱があったりしんどかったら連れ出していません。

仕事を優先させずにお母さんを優先したいけど
お母さんはそれを許してくれないので
私にできることは仕事をがんばること。

でも、仕事が終わったらなるべく一緒に居るようにしたい。

かなり重い近況報告になってしまってすみません。。。
しぃまの結膜炎が治ったのは結構救いでした。
でも母の病気は骨髄移植をしても完治は難しいみたいです。
むしろハイリスクの可能性が高いのだとか。

気持ちをしっかりもって、母と一緒にがんばります。
とりあえず明日は、バザーなので早く寝ないと・・・です。




読んでいただきありがとうございました┏○))ペコ




































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