メソメソのblogー母が骨髄異形成症候群になる-

2017年3月16日、母が60歳にして骨髄異形成症候群と診断されました。
このブログは母の闘病記録して更新していきます。

カテゴリ: 骨髄異形成症候群




転院前の、ある日の会話。


母は9月2日に61歳の誕生日を迎え、
看護師が来るたびに、外出許可もらいたくてしきりに訴えていた。



『外の空気が吸いたい。です』
『夕方、迎えに来てもらって帰ろうかなー♪♪』
『17時に、家族が迎えに来るんです』
『1泊だけでも、だめですか?』
『ケーキを買って帰るんです。ウナギと、マグロも』
『おうちに、帰りたい・・・・お願いします・・・・』


誕生日だというのに。
母の、なけなしの願いは叶わなかった。

やっと帰れる・・・・
でも、こんな状態で、家に帰ることになるなんて。


デイルームへ、看護師が呼びに来た。
母の体についていた沢山のコードたちはすべて外され、
人工呼吸器、心電図モニターなどはすべて撤収。
部屋には、母が着替えさせられて静かに横たわっていた。


私たち家族は、声にならない声をだし、
目を開けぬ母にすがりつき、泣き続けた。


看護師たちによって目を閉じさせてもらい、
母の顔に薄くではあるが化粧が施されていた。


血色がよく、口元は少し微笑んでいるかのように開いていた。
純粋に、ただ寝ているだけのようにも見える。

まるで、肩を揺らせば起き上がりそうな・・・・
適切な表現が思い浮かばないが、母の佇まいは故人として見えなかった。


『おかーさん。とても綺麗だよ』


不謹慎だが、こんな言葉を口にしてしまうほどだった。
人工呼吸器が付いていた喉は、
白のバンドエイドでテーピングされていた。


葬儀屋さんが到着し、静かにベッドを車へと運ぶ。
私が助手席に同乗し、自宅までナビゲーションをした。


自宅に到着したのは午前2時半過ぎ。
仏間に布団を敷き、母をゆっくり寝かせた。
おじいちゃんの遺影がすぐ近くにあるのだが、少しほの暗く見えた。


母『ただいまぁぁぁ!!!』


ドアを開けた瞬間は、
いつもの張り切った元気な声が聞こえるようだった。
しかし、もう二度と母の声を聞くことはできない。


翌日、、、と言っても数時間もすれば夜明けなので、
お通夜や告別式のスケジュールの打ち合わせなどは
同日22日の朝9時から行なうこととし、
ひとまず葬儀屋さんにはお帰りいただくことにした。


22日は金曜日。
不幸ごとがあったからと言って、
会社を休業するわけにもいかなかった。


父は、終日自宅にて待機し
葬儀屋と打ち合わせと親戚や母のご友人たちへの連絡をすることにした。


私含め弟・旦那・他スタッフ2名の合計5名で
会社を切り盛りすることとなるので、
少しでも睡眠をとり、業務に備える準備をした。



page14へつづく。








父『・・・それは、まだ使わんとこ。』
私『でも・・・すぐにどうなるっていうものでもないんやで?』
父『呼吸抑制がかかるんやろ?そんな変な薬、使う必要ない』
私『変な薬って・・・おかーさんをこれ以上頑張らせる気??』
父『そうや。姉さんたちが来るまで、頑張ってもらわなあかん』
私『・・・・気持ちは、わかるけど・・・』
父『せめて、生きてるうちに会わせてやりたい。明日には来るんや。それまで、何とかもたせたい・・・酷なのはわかってる。お前が夜通し看病してて、つらいのもようわかる。わしも辛い・・・でも、みんなで辛さを乗り越えたい。これはわしのワガママや』 




私は、夜通し苦しそうな母の様子を見かねて、
『鎮痛剤』を投与したほうがいいのではないかと感じ、
看護師に相談してみた。


確かに、苦痛を伴う苦しみなら使ったほうが本人もラクだ。
しかし、呼吸器をつけている以上は、下手を打てば呼吸抑制がかかり
血圧が低いまま投与すれば、そのまま目が覚めない、なんてこともあり得るらしい。


看護師も医師も、今こそ使うべき時だと言う。
これ以上頑張る必要はないと。
苦痛をやわらげ、しっかり睡眠をとらせ、
穏やかに、眠るように旅立ちの準備をゆっくりと始めるのだ。
私も、同意見だった。


でも、父と弟は、これには反対意見だった。


『姉さんたちが来る連休まで・・・投与は待ってください』


私は、父に従った。
どっちが正しいかなんてわからん。
母の気持ちを考えれば・・・・
考えたって、わからない。


姉たちに会いたい、と願っているようにも見えるし
・・・・そろそろ、ゆっくりしたい、ともとれる。


おかーさん、頑張らせてごめん。
でも、離れたくないよ。
遠くに行かないでほしいよ。
くやしい・・・・
数か月前まであんなに元気に入院生活を送っていたのに。
こんなになるまで母を苦しめた、病気が憎い。



鎮痛剤を投与することはないまま、
いよいよ姉たちが到着する日となった。



page8へつづく。






早朝。
病院から連絡を受け、父・弟・私の3名は、母の元へ急いだ。
カーテンを空ければ、看護師が胸に聴診器を当て、
血圧測定をしていた。


母は昨日までのような面影はなく
クチを大きく開け続け、
目はうっすらと開いたままだが、
眼球の動きはあまり見られない。
苦しそうに、浅い呼吸を繰り返していた。


顔面蒼白。。。。
呼びかけるが、応答はない。
意識が浮上しない。
駆け付けた3人の涙が止まらない。。。。。


傍に立っていた医師が口を開く。


医師『血圧が下がっていて、呼吸回数も非常に多い。不整脈により、心拍数が安定しません。血圧を上げる薬はあるにはあるのですが、体の事を考えると、、、あまりお勧めできません。熱は今40度まで上がっています。恐らく、自身の滞在菌をコントロールできず、感染症による症状かと・・・』


父『・・血圧の薬は、要りません・・治療は、結構です。静かに、見守りたいです・・・』
医師『わかりました。抗生物質と、栄養剤のみ引き続き投与し、様子を看ますね』
父『・・・・はい、お願いします・・・・』



父は会社へ向かい、
母の容態が落ち着くまで、弟と私は待機することになった。


弟が泣きじゃくっているので、
相部屋の人に悪いと思った私は、
弟に『落ち着くまでデイルームで居なよ』と言った。


弟は言われるがまま、デイルームで待機することにした。
しばらくして、師長がやってきた。


師長『おはようございます。今日は、ずっと付き添われますか・・・?』
私『はい、そのつもりです』
師長『ずっと付き添っていただけるのでしたら、個室をご用意できますが移動されますか?』
私『えっ・・・いいんですか??』
師長『ええ。先日も申し上げましたように、迅速な対応に若干不安はあるのですが、ご家族様が常に待機していてくださるのなら、個室へ移っていただけます。ただ、移動するにしても呼吸器を一瞬外さなければならないので、リスクは伴います。それでも、よろしいですか?』
私『・・・はい!ぜひ、お願いします・・・!!』
師長『わかりました。それでは、病室を調整してきますのでしばらくお待ちください』


私は、母に個室へ移動できることを伝えた。
母の反応はなかったが、耳は聞こえてると思い、
相部屋の人に迷惑にならない程度に、語りかけつづけた。


移動は、滞りなく済み・・・・
ようやく、静かな環境にホッとした。


父にも奄美の親戚たちにもLINEで報告し、
前病室で飾っていた千羽鶴や写真など、
自宅から持ってきて、病室の壁に飾ることができた。


みんなの願いのこもった、守り神たち。
母の周りに置き、親戚たちが来る9月14日まで
なんとか持ち直すよう、お祈りした。


今までだって、何度も窮地を脱出してきたんだ。
今回だって、きっと持ち直すに決まっている。


その夜、私は泊まり込みで母のそばに付き添った。
心拍数上昇、呼吸回数上昇、血圧低下により
頻繁にアラームが鳴り響く。



まるで、母の不安な気持ちを表しているかのよう・・・
母の髪をなでながら、安心させるように語り掛け続けた。


『おかーさん、おかーさん。呼吸回数、早いよ。もう少し、落ち着いて。ほら、ゆっくり深呼吸・・・そうそう、上手だね。その調子。怖いよね。つらいよね。一緒に闘おう。姉さんたちが来るまで、お願いだからもう少しここに居てね・・・私が傍に居るよ』


おかーさんにとって、一番の守り神は私。
願いが通じたのか、60を下回っていた血圧は80台まで回復。


意識の回復は薄いが、表情は和らいでいるように見えた。
でも、昨日の夜は本当に辛そうで・・・
まるで、母の寿命を縮めているような感覚に陥った。


父に、ある相談を持ち掛けた。


page7へつづく。





☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
9月10日(日)
糖鎖パウダー投与14日目。
昼の投薬と共に小さじ1杯分を注入。
熱は37℃台、表情は比較的やわらかい。
オシッコは、頻尿に戻ってしまった。
特別な治療は、10分x3回おこなった。
夜は、眠れなかった様子。
母はしっかりと答えていた。
寝不足がやや心配ではあるものの、
せん妄症は、ひとまず落ち着いたようである。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★


奄美から、2人の姐さんがやってきて二日目の今日。


母の様子は、少々微熱気味ではあるものの
姉たちに弱っているところを見せられないと気を強く持っているのか
私と居るときのような脱力感・倦怠感な表情ではなく
むしろ心配になるほどの元気っぷりを発揮していた。


姉たちが滞在中、母は姉たちの体を心配していた。


遠方から来てくれているのだし、
長旅で疲れているのではないかと。


病室に長居していても体が休まらないだろうから、
家でゆっくりしてほしい、と筆談で何度か書いてあった。


しかし、頑なに姉たちは帰ろうとしなかった。
時間の許す限り、傍に居たいのだという。
明日には、奄美へ帰ってしまうからだ。


私は、母は姉たちに対する気遣いの気持ちは本物ではあるものの、
自分の弱っているところを見せたがらない性格なので
少し休みたくて、1人になりたいんじゃないか?と思った。


家族にしても大好きな姉たちにしても、
誰かが病室に居れば、気を遣う。それが母なのだ。
おちおち、寝ていられないはずである。


明日は転院の日だし、無理をさせて高熱が出た・・・
なんてことにもなりかねない。


かと言って、なんとか都合をつけて来てくれた母の姉たちの
気持ちも無下にもできない。


どちらの気持ちも分かるがゆえに、口を出すのを止めた。
結果、母が折れた(笑)


明日は、主治医が同伴で移動車に乗り込み、
私も同乗し、父は車で追いかける手筈になっている。


約5か月ぶりの外出。
短かったようで、ものすごく長く感じた入院生活。


人工呼吸器の離脱が難しいほどまでに
容体は悪化したまま、転院の日を迎えることになってしまったが、
これが今の医療の現実である。


どこの病院も、長期入院は歓迎されないみたいだ。
患者をなるべく退院させ、ベッドの回転率を上げなければ
病院の利益が下がる、と何かのサイトに書いてあった。


・・・そっか。そうなんだぁ。
もう、治る見込みのない患者は出て行けってことなのね。


医者も看護師も、精いっぱいやってくれた。
でも、結果駄目だった。


これが、大きな病院の後始末なんですね。
なんて冷たいんでしょうか。


母が入院できたのは、
以前入院されていたかたが退院したから。


そんなこと、わかってます。
そのかたがどういう理由で退院したかは知りません。
病気が治って、退院できたのなら良かったですよね。


でも、母はまだ治っていないんです。
骨髄異形成症候群も、肺線維症も。


なのに、設備が対して整っていない病院へ移動させられるわけです。
古臭い病院じゃありません。
建て直したばかりなので、新しくてきれいな病院です。


でも、医師や看護師の人数が現病院に比べると
圧倒的に少ないのです。


緊急事態が起こった場合、
人手が足らないという理由でほったらかしにされるんでしょうか。


あんまりですよ。
母が、誰に、どんな迷惑をかけたっていうんですか。。。
こんな仕打ち、本当にひどすぎます。


歳をとり、大病を患ったとしても・・・・
病院をたらいまわしにされたあげく、
入院できる病院がないなら自宅で死ねということなんですね。


この先の医療に、明るい未来はない。
母を見ていると、そう思わざるを得ません。


最後まで診てもらえることなく、
格下の病院へ転院させられるんですから・・・


外に出たいと、空気を吸いたいと願い続けて
やっと明日、少しの時間ではあるけれど・・・
ようやく外に出れるよ、おかーさん。


晴れたらいいね。転院しても、体調崩さないでね。
頑張っていこうね。


-SEASON3 page1-へつづく。





☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
9月9日(土)
糖鎖パウダー投与13日目。
昼の投薬と共に小さじ1杯分を注入。
熱は38℃台・・・解熱剤を入れたとの事。
オシッコの量が徐々に増えてきているようだった。
特別な治療は、10分x1回、
20分x1回おこなった。
夜は、少し眠れたようだったが
熱があってしんどそうだったので、
起こすことをせず、寝かせてあげた。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★


今日は朝から良い天気。


洗濯物を片付け、奄美の姐さんたちが
泊まるのでお布団を干したり家の掃除を頑張った。


とにかくこの家の住人は(メソ夫婦除く)
掃除をしない('A`)!


なので、この家にはあらゆるところに
ホコリやカビルンルンが出現している。
yjimage[1]
こんな可愛らしくはないんですがね(笑)
グロ注意画像が多かったので、
無難なものを選びました( ;∀;)

まぁどこの家にもカビやホコリなんてあるのでしょうが、
それでも、限度ってもんがあると思うんです。。。


この家、築5年ほどになるのですが
ほとんど掃除をしていないっ!


特に水回り(キッチン・風呂・洗濯機・洗面台・トイレ)が
汚すぎてヤヴァイ!


私が時々訪れ、家政婦のように掃除をしていた時期もありましたが
それも新築1年ぐらいまでで、
私自身も仕事が増えて来て忙しくなってきたため、
掃除をする機会が減ったわけです。


この家に住み始めた7月は、
体中がかゆくてかゆくて地獄のようでした。。。


ようやく、念入りに掃除をし続けた結果
ホコリやカビを抑制することが出来・・・
薬を飲まずとも、体のかゆみは治まってきました。


お掃除って大事ですよね。
潔癖症ではないのですが、それでも人並みに掃除をしないと
健康を害する原因の一つになると思うんです。


父も弟も、風邪を引いているわけではないのに
年中咳をしています。


体の中に、徐々に蓄積して行ってるんでしょうねー
カビ菌が(´・ω・`)


母も、まだ病気になる前は頻繁に掃除をするタイプではなかったので
結構ほったらかしにしていたので、よく私に怒られていました。


私が母の代わりに掃除を定期的にしてあげれてれば、
こんな難しい病気にならずに済んだのかなぁ・・・


なぁんて思ったり。


専門医からすれば、特に関係はないと言われましたが
カビもホコリにも、少なからず菌は居る訳ですから
徐々に蓄積されれば、数年かけて毒されていくと思うのですよ。


いつか母が退院できたときに・・・と思い、
実家をこまめに掃除をしています。
汚れは溜まっていきますからね(・ε・`*)


掃除が終わったあとは、母へ会いに病院へ行きました。



page44へつづく。





(スマホから投稿)


今日、発言した母の言葉。


『髪の毛、切ってあげる。カミソリ持ってきて』

『目が見えない』

『聞こえるよ』

『しっかりしてるよ、大丈夫』

『メソメソ、泣くな』

『私に触らないで』

『置いて行くよ』

『また、シチュー作るわ』

『子供らにうどんあげる。おかーさんは、昼の残りでいいよ』

『ご飯のスイッチ』

『洗濯物、乾いてるはず』

『用事?ないよ』

『メソメソが居るから、安心』

『もう5時』

『そこ、誰かいる。また来た』

『男…女…知らん人』

『ずっとこっち見てる』

『メソメソ、危ないからもう帰り』

『おかーさんは大丈夫やから』

『またあした、おつかれ』


明日の夜は、念願の姉たちに会える日。



page43へつづく。



すみません、今日もスマホからの更新です…
ウチのネット環境、どしたんや(笑)


アップロードするにもローディングが長く、エラーになる始末。
それでもめげずに更新ボタンをタップし続けて、、、


そんな事するくらいなら早めに寝るべきですな(ノω`*)笑

さてー
本日の母の様子。

筆談で転院の話をし、母なりに理解してくれたようです。

むしろ、転院の事よりも
お風呂に入りたかった模様…

看護師さんの話では、
朝からずっとお風呂に入りたいと訴えているようで、筆談で何度もやりとりした形跡がありました(´・ω・`)

看護師さんも、母の気迫にタジタジ…

何とかうまく誤魔化しながら、
私が到着するまでの間、取り次いでくれたようです。

母は、私にも言いました。

母『これからお風呂に入ってくるね』

そう言いながら、パジャマのボタンを外し始めた。

私『え、これから?』
母『うんうん』
私『今日、入浴の予定なんて聞いてないけど?』
母『ひとりで入れるから大丈夫』

そう言って、笑顔でドアの方を指さす。

私『おかーさん、ここ病室だからこんなとこで服脱いだらあかんで。脱ぐなら、脱衣場で脱がなきゃ』
母『…?え、…お風呂、そこに…』
私『病室にお風呂ないよ!移動しないと!』

母の眉間にシワがより始める。

私『看護師さんのお手伝いがないと、おかーさん入れないよ?』
母『…入れるよ…』
私『…』
母『…』

母は、イライラした様子で
パジャマを引っ張り始める。

私は、母が外したボタンをとめた。

母『…ブツブツブツ…』

よく読み取れない口の動きだったので、
なんて言っているか理解できなかった。

私『おかーさん、しっかりしてよ!』
母『…しっかりしてるよ…』
私『…』
母『…ブツブツブツ…』

手を握っていたが、母の手が離れようとしたので強く掴んだが、もう片方の手で私の手を引き剥がそうとした。

私は、手を話すしかなかった。

看護師さんがちょくちょく様子を見に来てくれて、母に話しかけてくれた。

私に対する不機嫌な様子は全く無く、
『大丈夫』『ありがとう』とにこやかに対応していた。

看護師さんが退室すると、途端に無表情になり、白目を向きながらブツブツブツとクチや手を動かし、まるで母にしか見えない誰かと話している風にも見えた。

私『おかーさん、白目やめて!笑』

肩をゆすれば、すぐ黒目に戻る。

母『…何?』

イライラしながら私を見る。

私『今、誰と話してたの?』
母『おにーちゃん』

母は、9人兄弟の中で5番目の子供。
死別してしまったので今では4姉妹だが、
母の枕元に兄が居るらしい。

私『…おにーちゃんて、どんな人?』
母『そうやなぁ…ふつう。』
私『おにーちゃん、なんて言ってるの?』
母『何も言ってへん』
私『まだ居る?』
母『うん』

私には見えないけど、
母の傍に立っているであろう母の兄に手を合わせ、お願いをした。

私『まだ、母を連れて行かないでください。お願いします…』

願いは届くのか。
わかんないけど、母は私が退室するまでせん妄症は収まることはありませんでした。


昨夜は眠れなかったようなので、
今夜は薬の量を増やすようです。


page42へつづく。







家のネット環境が不調なので…
今回はスマホからの投稿です。

ひかりテレビ導入してから、どうもラグいんですよねー
それをひかりテレビの担当者に電話で言ったら、関係ないですよと一蹴(笑)

解約したらわかることやけどね。
ウチはイオ光契約してるんですが、
ひかりテレビはあとから契約しました。
それまでは問題なく使えてたのに、不思議ですなー

さて、本題。

転院の話、午前中に私のケータイへ連絡くるはずだったのが一切鳴らず。

午後、仕事が落ち着いたので病院へ行き、
ナースステーションで緩和ケアのスタッフを呼び出してもらい、主治医に『まだ転院の正式な返事が来ていない』と伝言を頼みました。

ほどなくして、主治医が病室に到着。
別室に移動し、説明を受けました。


日程は9月11日の月曜日。
朝10時、との事。
出発なのか、到着なのか。
よーわからん。

もう頭がぐわんぐわんしていて
主治医や看護師の顔をまともに見れず
話が終わったあとみっとも無く泣き崩れ
しばらく途方に暮れていました。

話が終わってから30分ほどして。
緩和ケアのスタッフが来てくれて、
私の心のわだかまりを聞いてくれました。

呼吸が苦しくて、
胃が痛いのかお腹なのか肺なのか
よくわからない部分が痛くて
意識が遠のいていくような感覚になったり
食欲はなく
気分が浮上せず
声を出すのも嫌で
とにかく母と一緒に居たくて。。。

いい歳したオトナが恥ずかしい、ですが
色んなことをコントロール出来なくなりました。

帰り道、横断歩道を渡ろうとしていた女性を危うく車で跳ねてしまうところでした。

幸い、事故にはならず…でした。

私は女性に対して頭を何度も下げ、
女性は特に怒る風でもなく、
軽く会釈をして渡って行きました。

しばらく、運転控えたほうがいいかもしれない。

運転が怖い



page41へつづく。





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9月5日(火)
糖鎖パウダー投与9日目。
昼の投薬と共に小さじ1杯分を注入。
熱は37℃台・・・少し上がり始めた。
特別な治療は、私が離席することが多く
5分以内を3回程度しか行えず。。。
昨日頻繁に出ていた便は、
さほど出ていないようだった。
何か薬を使われたのかもしれない。
担当看護師に確認が取れずだった。
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今日は!



母の同級生3名に面会へ来ていただきました❤
懐かしい思い出話に花が咲き、時間はあっという間に過ぎていき・・・


写真を眺めたりスマホで撮影したライブ演奏、
ハーモニカ実演もしていただきヾ(≧▽≦)ノ
奄美大島の貝殻のプレゼントまでしてくれました!



母は終始笑顔( ;∀;)。。。
やっぱ、友人たちの影響力は凄いなぁ。


少し体調が優れなくなってきたようなので、
面会時間は約30分で終了とさせていただきました。


本当はもう少し、時間の許せる限り居てもらいたかったです・・・



でもこの次は、母はもっと元気になっているハズ!?なので
その時までのお楽しみにしていただこうと思いました。



さて、母の転院のスケジュールが差し迫ってきました。


転院の主な理由としては、
現状、大学病院で可能な治療がないので、
治療が出来ない患者を置いておくスペースはないんですって。


・・ははっ
少し悪意のある書き方になってしまいました。
主治医の説明時、こういうストレートな言い方ではなかったですけどね。
分かりやすく言えばそう言う事です。


人工呼吸器を外し、自分の脚で歩けるくらいの体力が無ければ
抗がん剤を入れても耐えれないため、自殺行為になるのだそう。


念入りに説明をしてもらったので、
しぶしぶではありましたが納得しました。

悔しい気持ちはありました。
でも、リハビリを頑張って
将来奇跡が起こると信じることにしました。


という理由から、現病院よりも
リハビリに特化した病院へ転院するよう、勧められていました。
明るい部屋で個室なら・・・と言う事で要望を伝え、了承しました。


日取りが9月7日で決定・・・しそうだったのですけど
信頼を裏切るような事態が起こったため、
転院の話を白紙に戻すよう、
病院側に強く抗議しました。



今日は転院の話で揉めに揉めたので、
母が入院してから今まで疲れなど感じた事なかったのですけど
ほんとに・・・本当に最高に疲れてしまいました。。。。


なので、この話の詳細は割愛させていただきます。。。
(書く気が起きたら書こうと思います)


書く馬力もないくらい、まじで疲れました。
ひとまず、明日ケータイへ連絡が来ることになっています。


体はとても疲れているのに、目がとても冴えています。。。
今夜は眠れそうもありません


はぁ、ほんとにこまった。
しぃま、たすけて。
おじーちゃん、チカラをかして。。。



page40へつづく。



※私信※
フォロワー様方々、いつも拝読ありがとうございます。
応援していただいてる身でありながら、
ブログ応援行けず申し訳ありません・・・
心と体が落ち着きましたらお返しさせていただきます。
いつも本当にありがとうございます。







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9月3日(日)
9月4日(月)
糖鎖パウダー投与7~8日目。
昼の投薬と共に小さじ1杯分を注入。
熱は36℃代までさがった!
特別な治療はモード3で20分x2回行った。
最近、便がよく出るようになった。
栄養補給はもっぱら点滴なので、
固形ではない。(食事中の方スミマセン)
糖鎖の効果が表れ始めたのか・・・?
引き続き様子を見ます。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★


やっと完成しましたーーーー


特大ウナギ寿司クッション❤
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・・・ウナギに見えますか!?(;'∀')

一応・・・モデルはこの子なんですよ。
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手と顔はつけてませんが(笑)



見よう見まねでやっちゃいました。


しかも製作期間2日!!!


ミシン縫いなんて高度なスキルは持ち合わせていないので
手縫いで頑張りました((((


ウナギ部分は綿を詰め込み、
シャリ部分はビーズを敷き詰めました。


ふー、なんとかなるもんですね^^;
母はとても喜んでくれました。



私『ね、これ何に見える??』
母『ウナギ!!!』



そういって、食べるしぐさをしてくれた母。


枕にするには高すぎて首がしんどいので
肘置きか抱き枕として使ってもらうようにしました。




入院生活のお供として、またお守りとして
傍においてもらおうと思います。



page39へつづく。










主治医『治療は、この先難しいです・・・・』


医師からの通告を受けてから、
父もまた、眠れない夜が続いていた。


母の病気をどうしても諦めたくなくて、
何か良い方法が無いか、日々ずっと考えていた。



父『・・・・』
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父には弟が居て、弟は結婚しているので
私との関係は『叔父夫婦』にあたる。


父は、叔父夫婦によく相談をしているようだった。


話は少し遡るが、
母の病気が発覚し、今の病院へ入院すると決めたとき
叔父夫婦はとても反対していた。


理由はいくつかある。


☆すぐに手術をしたがる。
☆若い医師が多いので、頼りにならない。
☆患者を研究材料(臨床)として見ている傾向がある。
☆健康よりも、金儲けの事を優先で考えている。
☆名誉教授が居るような、有名な病院ではない。



などだった。
つまり、母が入院している病院をとても嫌っているようだった。
・・・過去に病院との間で何があったのかはしらないが。


それでも母は母なりに考え、
今の病院へ入院することを自分で決めた。
会社からも近いし、みんなに会える。
ただ、それだけの理由で決めた。


医師のキャリアがどうこうとか、
治療方針などは・・・・
そういうのは母にとって特に重要な問題ではなかったようだ。


母『遠くは嫌や。近くがいい』


母自身の病気の事だし、私も遠く離れるのは嫌だったので
本人の意思を尊重したくて・・・・
そうしようと、家族みな納得済みだった。
叔父夫婦はずっと反対し続けていたが、押し切った。


マルトフィリアに感染した経緯も、
人工呼吸器をつけなければならなくなったことも、
黄疸が出て、人工透析を余儀なくされたことも
母が医療の終末期を迎え始めていることも、
すべて今の病院に入院したからだ、と
叔父夫婦は父を責めた。


”あの病院じゃなければ”


”義姉さんはあの病院に殺されるんや”


”だから最初から反対だったのに”

”止めなかった兄貴のせいやで”








勝手なことを言うなよ!



私は、声を大大大にして叫びたい。

ねえ、叔父さん。叔母さん。

母が病気になって、何度面会に来た?

仕事が忙しい?
時間がなかなかつくれない?
体調が良くない??
それで、何回面会きたの?
母とどんな話をした?できた?
主治医や医療チームの話をどこまで理解してる?
てゆか、母の経緯もよくわからんくせにそんなこと言えるよね?
主治医の誠実さとか一生懸命さとか。
母にとってどの治療が最善なのかとか。
看護チームも、母が不安がらないように手厚く対応してくれてるよ?


この病院を選んだおかーさんを責めないで!!
同意したおとーさんを責めないでよ!!
他の病院だったら、
もっと早く別れてたかもしれんやん!!



・・・叔父夫婦には、面と向かって言ってない。
言えるわけがない。


叔父も叔母も、


母がとても大好きで、
病気に負けてほしくなくて、
とても感謝してくれているからこその
必死な気持ちだってことは理解している。



行きつく先は、言葉は違えど想いは同じ。


父は、弟夫婦の気持ちを汲み、黙って言い分を聞いている。
なんて自分たちは無力なんだ。
医者に任せるしかできない。
他にできることは・・・・?


母の傍にいて、不安な気持ちを取り除いてあげる事。
それぐらいしか思い浮かばない。


父は、セカンドオピニオンを思い立ち
主治医に時間をもらって面談をし、カルテを準備してもらった。
受け入れ先が見つからなくても良い。。。
とにかく行動を起こしたかったようだ。


私は、父のセカンドオピニオンをサポートするつもりだ。
それで、母が助かるなら。
それで、父の想いが叶うなら。


一緒に頑張ろう、おとーさん。おかーさん。



page38へつづく。











☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
9月2日(土)
糖鎖パウダー投与6日目。
昼の投薬と共に小さじ1杯分を注入。
熱は37.6℃。
担当看護師が誰かわからなかったので
睡眠管理や変化など、聞けずじまいだった。
特別な治療はモード3で15分x2回行った。
治療中眠ることはなく、誕生日プレゼントの
知恵の輪で遊び、さらにオセロゲームをして
楽しんだ。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
image[2]
朝からLINEコールの嵐!



この日は、母の誕生日だったからである。



メンバー全員、母が誕生日を迎えられたことを祝福してくれた。


母は今日、作業療法(タブレット使用)が休みだったので
自身でLINEの確認が出来ていなかった。


弟が午前中病室へ赴き、
タブレットを見せて母に読んでもらい、
代わりにタイピングをして返事を返していた。



旦那と私は、昼から向かった。
せん妄症の気配は全くなく!
いつもの母の表情でひとまず安心( ;∀;)
旦那が母の誕生日にと、購入してくれていたオシャレな知恵の輪。



肩は上げられないけど肘は上がるので、
これなら寝ながらでも退屈しのぎになるだろう、と選んでくれた。




私は・・・・・、



母のプレゼント
何一つ用意
してない!!( ゚Д゚)




誕生日だって知ってたのに、
プレゼントにまで頭が回らなかったー・・・・


今からでも遅くはない!と思いなおし←いや、遅いヨ


何にしようか考えた。


・・・・そうだ。
お寿司クッションにしよう!
しかもウナギ❤



母の大好きなウナギのお寿司。
誕生日に、お寿司屋さんでウナギをたくさん食べたいと
目を輝かせながら話してくれていた。


病院の所有物である(薄汚い)クッションより
ウナギやマグロと言った、母の大好物の
お寿司クッションを置いてあげる方が
喜ぶんじゃないか・・・と考えた。


早速ヤフーショッピングを物色。。。



私『!!( ゚Д゚)』


あったあった、ありましたーお寿司クッション!
しかもウナギバージョン!
worldsealine_au-b01c6wyjjm[1]
お値段、15100円・・・
輸入商品(アメリカ産)の為、注文後約1か月かかる・・・だと!?



あーだめだめ・・・



遅いうえに高い!!


んー、どうしよう^^;







いっそ自分で作るか!!?(>_<)
家庭科の成績
『1』のこの私が!!!





とりあえず、私よりはるかに器用でセンスのある旦那に相談してみた。



旦那『んーーーー!!どやろ!?』
私『・・・無謀かなぁ・・・でも、作ってみたい』
旦那『・・・作ったことないけど、やってみるか!!』





という訳で、母へ見舞いに行ったあと
ホームセンターへ買い出しに行くことに♪


シャリ部分はビーズクッション、
ウナギ部分は綿素材でひとまず案を立てた。


ブログを書き終わったこの後、作ってみようと思います・・・!
旦那に助けてもらいながらだからまぁ
下手なものは出来ないだろうけど
こういうのは気持ちが大事だよねっ☆てことで
なるべく急ぎつつ、制作にとりかかってみまーす('◇')ゞ



☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
母が『今日5時ごろ外出したい。
空気を吸ってみたい。外出許可は
おりますか?』とメモで訪ねてきた。
私は筆談で『外出するには長時間車いすに
座り続けなければならないのと、人工呼吸器を
付けているので医師の同伴が必ず必要になるんよ。
だから、外出させてあげられなくてごめんね』と
返事をした。母は、少し寂しそうな表情で
指でオッケーサインを出した。私は胸が苦しくなった。
誕生日なのに、また我慢させてしまった。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★




page37へつづく。










☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
9月1日(金)
糖鎖パウダー投与5日目。
昼の投薬と共に小さじ1杯分を注入。
熱は37℃台をキープ。
昨日の夜は数時間眠れたようで、
午前中のみ、比較的せん妄症は
落ち着いていたと報告。
糖鎖摂取量を増やしてもらおうと、
今までは昼のみだったが、
朝・昼・夜と回数を増やしてもらうよう
相談をした。
特別な治療はモード3で15分x2回行った。
特に目立つ行動はなく、おとなしく寝ていた。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
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8月31日。
急性骨髄性白血病に移行した可能性がある、と電話を受けて
その日の面会の時の事。



目をあいているのか、いないのか。


白目なのか、黒目なのか。


うつろな表情で、時々笑っていて。


かとおもえば、眉間にしわをよせ、
しきりにタオルケットをちぎろうとする。


ナースコールを探すようなそぶり。
握らせると、途端に放り投げる。


手を握ろうとすれば、
嫌がり私に暴言を吐くかのような表情で
モゴモゴと口を動かしている。


白目をむいて、天井をつかむかのように手を伸ばし・・・
それから、人工呼吸器の管を力の限り引っ張ろうとした。


私『・・・・おかあさん!!!』


母『・・・・・、・・・・・・。・・・・・』


私『そんなことしちゃだめ!おかーさん、しっかりしてよ!!!』


母は、私に視線をうつした。
表情は変わらない。
生気のない、眼。
私は両手で包み込むように手を握りながら、懸命に訴えた。


私『おかーさん!!おかーさんてば!!!しっかりしてよ!!!もっと、もっとしっかりして!!!!病気治すんでしょう!!!?心配するやんか!!!!みんな、おかーさんの事応援してるねんで!?』


母『・・・・・・ボソボソボソ』



私は母の前で泣いた。
しちゃいけないことなのに。
これじゃ、母に誤解させてしまうのに。
涙、どうやったら止まるんやろう。。。。


いつからか、母の目に色が戻っていた。


母『・・・・だいじょうぶやで』
私『・・・・・、大丈夫なん・・・・?』
母『だいじょうぶ、ぜったいなおるよ。しっかりしてるよ?』
私『・・・・・・・・』




母は、おいでというように両手を広げた。
私は、母のお腹の上に頭をうずめた。


私『・・・・おかーさん、おかあさん・・・・!!お願いやから、元気になってよ・・・・』


私の頭を、ぽんぽんとしてくれた。


母『・・・・おかーさんはぜったい、だいじょうぶ。だから、なくな』


私『・・・しっかりせなアカンのは私のほうやな。泣いてしもてごめんね。おかーさんのほうがしっかりしてるわ・・・』


母はこのときだけ、いつもの母に戻った。
私の顔をよく見ながら、微笑んでくれた。
ピースもしてくれた。


良かった、おかーさんだ。


私が泣き止むのを確認した母は、また眠りについた。
私は、決意を新たにする。



最期まで、絶対あきらめない!





page36へつづく。





☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
8月31日(木)
糖鎖パウダー投与4日目。
昼の投薬と共に小さじ1杯分を注入。
熱は37.4℃だったが・・・
せん妄症が酷く、意識がはっきりとしない。
特別な治療を15分実行しようとしたが、
数分後に異変が起こる。
クチを大きく開けて叫んでいる様子であったり
ナースコールを投げつけたり、
体を掻きむしるなどの行為に
及ぶなどしたため、途中で断念。
この日は8分のみ治療をした。
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(つづき)
人工呼吸器をつけたままの、母の入浴方法。

ベッドごとの大移動なので、
通常の入浴方法ではなく、
ベッドからベッドへ体をスライドさせ、
お湯を張って入浴を楽しんでもらう方法。
文面ではイメージしづらいと思うので、
それに近い画像を貼り付けます。
yjimageNJILW1Q9
こういう立派なお風呂ではありませんでしたが、
横たわれるベッドがあり、お湯を溜め、
シャワーで流しながら丁寧に体の隅々を洗っていただきました。


裸になったのは母のみで、
看護スタッフと私はガウン&手袋を装着して母の体を磨いてあげました。


とれるとれる、たくさんの垢!
看護スタッフ3名、主治医1名の超過保護入浴!


真っ黒だったカラダは、みるみる本来の色になっていきました( ;∀;)


カラダじゅうのただれが酷かった皮膚。
アザになっているものの、キレイに傷口はふさがっていました。


母は本当に幸せそうだった。


お風呂は命の洗濯


。。。なぁんて何かのアニメで言ってたっけ。
yjimage560AICRK
うん、この人だな(笑)


準備から完了までおよそ1時間程度かかり、
特に容態が急変することもなく無事終了!


入浴後病室にて、手足の爪を切っていただきました。


母の顔が少々赤らんでおり、
熱が上昇したのか不安だったので測ってみた。



36.7℃!!!!



意外と下がってて安心(;´Д`A ```


母はここ数日眠れていないらしく、
せん妄症がどんどん酷くなっていた。


その夜、せん妄症を抑える薬を投与されたが・・・
それでも、眠ることはなかったと翌日報告を受けた。


母が眠れない。
白目を向いて、ボーっとしていることが増えた。
時々笑っている。
ナースコールを持ってくれない。押してもくれない。
眉間にしわがより、何を言っているのかもうわからない。


入浴から翌日、主治医より電話を受けた。



『白血球の数値が2万を超えています。詳しく検査をしていないので断定はできませんが、恐らく急性骨髄性白血病に移行しているかと。このまま病状が悪化すれば高熱が続き、体がもちません。治療のための抗がん剤ではなく、緩和のための抗がん剤を投与したいのですが・・・


と打診を受けた。


『・・・・はい、お願いします・・・・』


私は、力なく答えた。



page35へつづく。







☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
8月30日(水)
糖鎖パウダー投与3日目。
昼の投薬と共に小さじ1杯分を注入。
昼1時ごろ熱が38.3℃あり、
特別な治療を15分間やり終えたのち
37.7℃まで下がる。
入浴後、さらに体温は36.7度まで下がった。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★


沢山のタオルを抱え、病室に到着。
今日は、母の入浴日。
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熱が何度あるのかとても気になっていたので、
早速体温を測った。


38.3℃!!!?


母が『もう一度』と言ったので
リセットしてもう一度計測・・・・


38.4℃!!!!


れ、レイテンイチド増えちゃったよママン。。。。


母はものすごくがっかりした。
お風呂に入れないかもしれない。
私はすぐさま、特別な治療の準備にとりかかり
モード3で15分間おこなった。



私『・・・よし。もう一度はかってみよう。』
母『(ゴクリ)』



37.7℃!!!!



やった!
少しだけ下がった!!
でもまだ熱は高いほうだよなぁ・・・・・(´・ω・`)


どうなんだろう、入浴できるのかなぁ。。。
と、担当の看護師さんが来てくれた。
熱がある事を報告した。


看護師『あぁ・・午前中と変わらないですねぇ;どうしようかなぁ・・・』
私『母は入る気マンマンなので、可能なら・・・』
看護師『ですよねー・・・とても楽しみにしてましたもんね』
母『・・・・・・(じっとみつめている)』
看護師『お熱が高いのが心配なんですけど、気合で入っちゃいますか!先生も付き添いしてくれますし!!』
私『ありがとうございます!!m(_ _"m)』


というわけで、ベッドごとの大移動が始まった。
酸素ボンベを2本?準備、移動用の人工呼吸器に切り替え、
痰吸引用のタンク、お風呂セット、体重計、もろもろもろ・・・


12Fへ移動し、海が見える景色の良い、明るい入浴場へ到着。
母は初めて見る景色に目を輝かせていた( *´艸`)





すみません、今日は疲れたのでここまでとさせていただきます(;´Д`)
続きは後日で!中途半端ですみませんです。
拝読ありがとうございました┏○))ペコ



page34へつづく。












☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
8月29日(火)
糖鎖パウダー投与2日目。
熱は36.6度まで下がった。
しかし、汗をかき続けている。
少々ウトウト気味ではあるものの
本を読む、アルバムをみるなどして
昼寝をせず、夜寝るように睡眠管理を
頑張ると私に筆談で宣言。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
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さて、表題の件。
少々オーバー目に書いてしまいました、スミマセン(笑)


でも、あながち嘘ではありません。
私にしかできない治療の許可を、主治医にいただきました。


特別な治療とは、手術でも、投薬でも、マッサージでも
リハビリでも・・・何モノでもありません。


詳しい内容は後日公開とさせていただきますが
実施してから今日で6日目となります。


メニューは私が決めたのではなく、
始める前に回数を母に決めてもらい、
医療的処置以外の時間にさせてもらっています。



初日は5分程度行いました。
2日目は、10分x1回。
3日目は、10分x2回。
4日目は、10分x3回。
5日目は、10分x3回。


そして本日6日目は、15分x2回。


5日目の日、本当は10分x4回やりたいと
母が希望していましたが
医師や看護師の出入りが特に多かった日だったので
途中で中断せざるを得ず、
4回目は断念しました。


特別な治療中は、眠くなることが多く
リラックスしながら受けてくれています。


気分がノッてるときなどは、
手首を捻るなどした沖縄的民族舞踏??を踊ったりしています。


さらに、治療中に限りですが咳の回数が減っています。
頻尿気味だった状態が、尿の量が増えてきました。


今日も治療中はウトウトしていたものの、
筆談で沢山おしゃべりをしました。


体の事、明日のお風呂の事、友人の事、家族の事。


無菌室時代に購入した、帽子をかぶりたいと言ったので、
かぶせてあげました。


顔がつややかになっていて、
とても良い笑顔をみせてくれました♪
DSC_0540


明日は念願の入浴の日。
熱が上がりませんように!!





page33へつづく。






☆★☆★☆★★☆★☆★☆★☆★★☆★☆★
8月28日(月)
糖鎖パウダー投与1日目。
お昼の薬投与時小さじ1杯経管にて摂取。
嘔吐することはなく、問題なく摂取できた模様。
投与する前は熱は37度だったが、
夕方16時ごろには38度6分まで上昇。
体内の中で、糖鎖とがんが戦っているのか?
ステロイド投与、経過を観察中。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

yjimage[3]

緩和ケアを視野に入れるように、との話から数日経った現在。
毎夜ではないが、夜、眠れないときがある。



スマホの検索バーに
『モルヒネ』『緩和ケア』を入力し
明け方までサイトを見続けることが増えた。



色々考えさせられた。


正直、モルヒネや緩和ケアと聞くと
良いイメージなど皆無なわけで・・・
前記事にも書いたが、



『生きることを諦めてください』



と、案に言われているような気がして、
消えてしまいたい気持ちでたまらないほど辛かった。


でも、サイトに書かれていることは真逆だった。


・・・・うーん、真逆ってわけでもないんだろうけど。
うまく書けないな。


とあるサイトには
モルヒネは最高の鎮痛剤であると書かれていた。


傷みや苦痛をやわらげることにより、
患者の病状によって延命期間は様々なようだが
早くて数時間、最長で6か月生きた人も居るらしい。


モルヒネを使ったからと言って
死期が早まるものでもないようだ。

これには目からウロコだった。


ある意味麻薬的な存在だと思っていたし、
モルヒネを使えば、錯乱状態となり
誰も何もかもわからなくなる、と思い込んでいた。


使い方を間違えば・・・という記述をよく目にした。
痛みを感じなくなるくらいの量を投与する、という
意味なのだろうか?


欧米では早期段階でモルヒネを投与し
患者の寿命が延びているという研究結果もでているようだった。


日本人は我慢強い人が多く、
モルヒネの使用を拒む人が多いのだとか。


今年6月に乳がんでご逝去された小林麻央さんも、
モルヒネ・・・ではなく、オキノーム(中度~高度痛みを抑制するオピオイド鎮痛剤)
を使用したと書かれていた。
※記述に誤りがあれば申訳ありません※


早期段階でオピオイド鎮痛剤を使用することにより
穏やかな最期を迎えられるとも書いていた。



痙攣が起き、皮膚を掻きむしり、苦しさは増す一方の
ただ死を待つだけ・・・の最期は誰だって嫌なものである。


オピオイドを使用すれば、意識が混沌となり、
眠るように息を引き取る人が多いらしい。



だったら、母にモルヒネを・・・と一瞬考えてしまった。



苦しくないのか?
痛くないのか?
辛くはないか・・・?



母はいつも『大丈夫』と即答し、
『ありがとう』と返事をする。



家族に『つらい』と言えば、家族を悲しませると思い
本音を言い出せずにいるんじゃないか?



あるいは、痛みや辛さはあるけど
耐えうるだけのメンタルがあり、
生きたいと強く願うから、大丈夫だと自己暗示をかけるように
返事をするのだろうか。



母の本音は、おそらく誰にもわからない。
本音を聞きづらい内容でもあるので、
母に確認することはおそらくないだろう。
娘の私でさえも、わからない。



page32へつづく。







母に渡した1冊のノート。


体調が良い時に、日記を書くなどして
記録するようにと伝えていた。


その日思ったコト。
治療の経過報告。
日々の体調の変化。
愚痴。
なんでもいいから、寝ているだけではもったいないので
手を動かすなどして、日中起きているようにと宿題をだしていた。


そのノートには主に熱が何度あったという記録しかなく、
ほとんど空白なページが多かった。


私『おかーさん!さぼりすぎ!笑』
母『・・・(ニコニコ♪)』



ノートではなく、一枚のメモにしっかりと書いているのを発見した。
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食べたい欲求を抑えられないらしい。


・・・・・・・無理もない。


5月5日から現在まで、クチから栄養を摂っていないのだから。


紙に書いたのは、これが初めてではない。
何度も何度も紙に書いて看護師や主治医にお願いするも、
人工呼吸器をつけているからという理由で
いつも答えは『NO』だった。


そのたびに、母の気持ちは殺されていたんだと思う。
強制的に『我慢』しなければならない。

そうしなければ、命の危険を伴うから。

お風呂にも入れてもらえていない。
人工呼吸器をつけているから。

ジンコウコキュウキヲ、ツケテイルカラ・・・・


せめて甘みだけでも感じてもらえるように
ポカリやいろはすのフルーツ味(りんごやみかん)を購入し
凍らせてもらい、アイスキャンディーのようにクチに含ませ、
糖分をクチから摂取していた。


しかし、それももう出来ない。。。


痰の色が悪くなり、肝臓の数値が徐々に悪化してきたからだ。
絶食することによって今は回復しつつあるが、
食事を摂ればまた肝臓の数値が悪くなるだけでなく、
誤嚥(ごえん)しかねない。


食べることは生きる事。


それを抑制されたら・・・・まともで居られるはずがない。
でも、母は食事を摂れない体になりつつある。
嚥下障害を伴うため、栄養は点滴へ切り替えたのだ。


母は決心し、先生に筆談で訴えた。


『熱が出てもいいから、おかゆと海苔をがっつり食べたいです!キムチも!お願いします!!』




”熱が出てもいいから”







その言葉に、先生は、母の気持ちを汲み、、、、承諾してくれた。
リスクがあるのは百も承知。
それでも、母は食べる事(生きる事)を選んだ。

キムチは発酵食品なので出せないが、
おかゆと海苔の佃煮を用意してくれることになった。

お風呂は、熱が下がって容態が安定していれば
8月30日に入浴が可能となった。


食事をするときも入浴時も、
私が立ち会う事を申し出、病院側は快く承諾してくれた。


私は母にとってお守り的な存在。


顆粒球輸血も、人工透析も、気管切開も・・・
重要とされる処置はすべて母の傍にいた。
(処置室には入らず、待合にて待機してました)


だから、入浴も食事もうまく行くと信じて
傍にいてあげたい。


入浴し、容体が安定していれば『念願の食事』ができる。
母は一番の笑顔を見せてくれた!


目がキラキラと輝き、決意新たに表情が変わった。
病人らしくない、いつもの母の表情になった。


8月ももうすぐ終わり。
9月にはいれば・・・・
母は61歳の誕生日を迎えることが出来る!!



page31へつづく。









yjimage[2]

『肺がかたまる』
『肺の繊維化』
『呼吸困難』
『乾いた咳』
『人工呼吸器』
『痰』



などなどを入力し、検索した結果・・・
ひとつのキーワードに着目した。


『間質性肺炎』


肺の間質組織に炎症を来す疾患の総称で、
非常に致命的であると同時に治療も困難な難病のこと。

間質性肺炎は、繊維化によって線維状の肺の組織が壊れてかたくなってしまう。

間質性肺炎にはいくつかのタイプがあるのだが、
進行して炎症を起こした細胞が線維化し、
肺胞の外側が厚く硬くなって呼吸が困難になった状態は肺線維症と呼ばれる。
(サイトより一部抜粋)






詳しい内容は割愛させていただくが
サイトを読むと母の症状と非常によく似ている。

間質性肺炎、肺線維症・・・でさらに調べてみる。

どのサイトにも、これと言った治療法が書かれていない・・・
投薬のみで、回復はあまり見込めず、状態を悪化させないために
治療を続けていく・・・というのがほとんどである。

私は、どこかに埋もれてるであろう情報を探し続けた。

・・・・すると。
ウェブページの下部のほうに、なにやら広告を発見。

何の気なしにクリック。

医者に見放された間質性肺炎患者向けの、
効果のあるサプリメントのサイトへ移動した。

私『サプリか・・・呑み込めない母にとって意味がないな・・・』

あまり期待することもなく、目で文字を追っていく。
しかし、そのサプリを飲んだ人からの
驚きのメッセージの内容にいつしか夢中になって読んでいた。

私が読んだ記事は、

『健康を支える糖鎖』
http://blog.goo.ne.jp/tousa-eiyouso

というサイト。





初見は・・・はっきり言って怪しいなと感じた(笑)
でも、、、
現代の医学で治せなくても、
このサプリで治るなら・・・・!!
と、そう思わずにはいられなかった。
旦那には反対された。
騙されるとか詐欺とか、そんなものはどうでもいい。
何か私にできることは・・・そんな思いでいっぱいだった。

母には時間がない。
手を打つなら早いほうがいい。
父にこのブログを見せて、
主治医と病棟医にも印刷した文献を読んでもらい、
薬とともに糖鎖を投与できるか相談してみた。

答えは、『YES』だった!

糖鎖サプリの主成分などを書いた文献を細かくチェックしてもらい
看護師に投与するよう指示します、とのことだった。
クチからの摂取は難しいが、鼻に経管をしているので、
サプリが水に溶けるなら可能だと言ってくれた!

 取り寄せるために、ブログ管理人に連絡してみた。

母の状態をなるべく細かく説明し、
主治医に了解をもらえたことも伝え、
経管による摂取で試みる、と伝えた。


管理人は速やかに商品を出荷してくれた。
本来なら入金確認後の出荷になるのだろうが、
お急ぎでしょうからという事で気持ちを汲んでいただき
後日の入金で構わないと言ってくれた。


商品が無事に到着。
糖鎖は8月25日(金)に届き、
早速仕事がひと段落したあと、主治医に持っていくことにした。

了解をもらえたので、担当看護師に溶かし方を簡単に説明。
1日40g摂取が理想だが、水の量が少ないとペースト状態になるため
量はひとつまみ程度にしてもらい、水で溶かして
サラサラの状態で投与してもらうよう頼んだ。

初めて体内に入れるので、
容体が急変することはない・・・とも言い切れない。
看護師さんの負担が増えてはいけない・・・と思い直し、
スタッフが多い時間帯のみの投与でも構いません、と伝えた。

看護師からの返事は、
『土日はさむので、来週月曜のお昼にお薬と一緒に投与しますね』
とのこと。

私は、これに承諾した。


どうか・・・どうか。
母の体内にあるワルイモノが、
出て行ってくれますように。


その夜。
天国へ行ったおじいちゃんやご先祖様、
しいまに手を合わせ、必死でお祈りをした。


おかーさんを助けてください。。。




page30へつづく。








私たちが出した結論は・・・・




『1日でも長く、生きてほしい』
yjimage[5]

経管栄養を止め、
点滴による栄養補給をお願いした。


緩和的処置も視野に入れてもらうよう言われたが、
治療を止めてしまえば、、、
生きることを諦めてくださいと言われているようで心苦しかった。


『最後まで諦めたくありません』


治療を続けていけば、痛みや苦しみを伴うのは良くわかっている。
母に対して、とても複雑な気持ちである。
それでも、きっぱりと、先生に言い切った。
なにより、母はまだ、諦めていない。
母が諦めたのであれば、私たちはそれに従う気持ちだったから。

なので、医療的には終末期なのかもしれないが
転院することによって心機一転、
気持新たにリハビリを頑張り、
肺の機能が奇跡的に回復し、
MDS(骨髄異形成症候群)の進行が致命的でなければ
母はまた、生きるための活力を得ることができる。

人とは違う何かをもっているのだし、
自分の事は後回しにして、
誰かのために優しくなれる人。

致死率が高いと言われていたマルトフィリア肺炎を
一度は跳ね返すほど、母の生命力は強い!

奇跡が起こると信じたい。
諦めたくない。
まだ離れたくない・・・・


それでも、いずれは『その時』がやってくる。


母が苦しみに耐えられなくなったときは・・・・
その時は、『モルヒネ』の投与をお願いした。


肺の繊維化さえ、なんとかなれば・・・
現代の医学では、肺の繊維化を完治させる方法はない。
私は、あらゆる情報を求めてネットを検索した。



page29へつづく。







私『はい・・・はい。では、明日4時に伺います』



電話を切り、運転していた旦那が心配そうに見ていた。


旦那『・・・なんだった?』
私『・・・・・うん』


言葉に詰まった。
なんて言っていいのかわからない。
頭が割れるように痛い。
視界がゆがむ。


私『・・・あした、4時に父と弟の3人で話し聞きに行ってくる』
旦那『わかった』
私『血液検査の結果が出て・・・内容は、とても厳しいみたい』
旦那『・・・そうか・・・』
私『・・・・・』


帰ったら父と弟に何て言おう。
このあいだ面談したばかりなのに。
転院して、リハビリを頑張ろう。
治療は、体力が回復し人工呼吸器が離脱できたら
再開しよう・・・という話で終わっていた。


しかし・・・


この話には続きがあったのだ。


ICU入院時、父と弟のメンタル的な部分を考慮し
病院側に内容の厳しい話は控えてもらうよう頼んでいた。


なので、父と弟が相席していた面談時は、
主治医の配慮であえて話さなかったのだと言う。


何をどう伝えても、最悪の事態を連想させるような
言い回しになってしまいそうだった。


私の被害妄想だったらそれが一番良い。
ひとまず、主治医から話があるので4時から
時間を空けてほしいと短絡的に伝えた。


父も弟も、うすうす察しているようだった。


8月23日の面談日。


仕事がひと段落したので午後に会社を抜けて、
早く会いたくて、母のもとへ急いだ。


この日、母は拍子抜けするくらい元気だった。
普段通りのリハビリメニューをこなし、
LINEには『今日もリハビリ元気に頑張っています!やった』
みんなに報告をしていたほど。


熱が下がって、調子が戻ったようだった。
赤かった顔も、ふつうの顔色に戻っていた。


ただ、汗をものすごくかいていた。
尋常じゃない汗の量。
タオルでこまめに拭いてあげると、気持ちよさそうに目を閉じていた。
解熱剤が効いているのだろう、体が熱を逃がすため
汗をかき、体温を下げている。


黄色いタオルを頭に巻いてあげると
黄色のキノコのよう?な風合いになった。
ものすごく似合いすぎていて・・・
思わず吹き出してしまった。


おかーさんもつられて笑う。
鏡を見せて、と言われ渡したら


母『・・・・・!?』


目を見開き、いやだいやだと言わんばかりに
笑いながら首を左右に振る。


人工呼吸器が外れて酸素が漏れ、アラームが鳴り響いた。


私『もう、暴れるからー(笑)看護師さん飛んでくるやろ!』


おどけた態度の母が面白おかしくて、私は人工呼吸器を装着させた。
母は悪びれた様子もなく、ニコニコしている。
案の定、看護師さんがすっ飛んできた。


私『すみません、母がふざけてとれちゃいました^^;』
看護師『いえいえ。お元気になられたようで良かったです♪』
私『お忙しいのにすみませんでした(>_<)』


看護師さんが、こそっと耳打ちをしてきた。


看護師『今日の4時の面談ですが・・・』
私『・・・はい。聞いております。父たちは4時にきます』
看護師『わかりました。時間になったら呼びに来ますね』
私『お願いします』


4時からだった面談は、主治医の到着遅れにより
30分後に開始となった。


内容は・・・
私の被害妄想が的中する内容だった。


血球が徐々に下がってきていて、
マルトフィリアの脅威が、また顔を出し始めたらしい。
肺の線維化は悪くなる一方で、
容態はゆっくりと下降中。


転院の話が出ていたが、容態次第では難しいと言われてしまった。


食事は経管栄養を続けるか、
点滴のみで栄養補給をするか選択を迫られた。


経管栄養を続けるとなれば、この間のように高熱が出て
寿命を縮まらせてしまうかもしれない。



点滴による栄養摂取だと、今後移植を考えるのであれば
リハビリによる体力向上は望めず、非常に難しいのだそう。


いずれにせよ、どちらも延命治療の一環でしかない。


私たちが出した結論は・・・・
yjimageOAG1EOD6





page28につづく。









yjimage[5]
※上の画像はネットから引用しています※



8月21日。


母が高熱を出した。


40度近い高熱だった。


顔はまっかっか。


汗が噴き出している。


まるで・・・


5月5日にタイムスリップしたかのよう。


すぐさま採血をし、検査をする。


原因はおそらく、誤嚥(ごえん)による肺炎だろうという見解。


10日間以上絶食ののち、


肝臓のCRP値が下がってきていたので


白湯の投入を二日前から始めたのだ。


調子が良かったので、流動食をゆっくりと


鼻から管を通して注入。


その直後容態が急変。


嘔吐をしたらしい。


食事を中断せざるを得ず、解熱剤を投与。


一晩しっかり眠れたようで・・・


8月22日、翌日。


熱は37度台まで下がっていた。


ひとまず、安心。。。


それでも、母の手を握るととても熱かった。


母は『大丈夫』と言う。


・・・口癖になっている。


疑う訳にもいかないので、『良かったね』って


いつも通り返事をする。


普段通り、普段通り。


熱なんて、いっときの事。


おかーさんは良くなっていってるんだから。


リハビリ頑張ってるし、タブレットでパチンコやってるし。


LINEだって時間かかるけど最後まで諦めず入力している。


看護師さんや先生が来たら、


『ありがとう』と笑顔で手を振っている。


ハイタッチだってする。


そうそう、このままこのまま。


ゆっくり回復に向けて歩いていこう。







8月22日の夜、病院の帰り道。


私の携帯が鳴った。


病院の先生からだった。


・・・・もうやめて。


嫌な予感しかしない。



page27へつづく。







今回は高額医療養費制度のお話。
※実話を元に書いてます※



以前にも書いたのですが
なぜ、また・・・と思われている方、
少なからずいらっしゃるような気がします(笑)


高額医療養費制度について書こうと思ったのは、
5月分の請求書が家に届いたのがキッカケでした。


ん?
5月分!!?

おかしいですよね、8月ももうすぐ終わろうかというのに
今更5月分の請求がくるんですか?
って話ですよね。

実は、私たちが今まで入院費を払ってるのは
4月分・6月分・7月分のみしか支払っていません。
5月分に関しては、特殊な理由があるのです。

順を追って話していきましょう・・・

母は4月18日から現在に至るまで、
一度たりとも退院することなく、
約4か月間入院生活を送っています。

母は5月5日にマルトフィリアによる肺炎にを患ってしまい、
5月31日までICUで集中治療を受けておりました。

その間の治療内容、母の容体を簡単にまとめると・・・
☆喉の奥へ人工呼吸器の管を挿管
☆両方の肺が真っ白。水が溜まっていた。
☆血縁者による顆粒球輸血治療(臨床)
☆血圧が低い状態だったのでノルアドレナリンなどの蘇生薬投与
☆抗生物質、赤血球・血小板輸血投与
肝臓のビリルビン数値が高く、黄疸が出始める。
☆肺血症の症状が出る。
尿毒素が蔓延し、24時間人工透析を回す。
☆体がはち切れそうなほどまでにむくむ。
☆皮膚のただれがひどい。
☆人工呼吸器を喉の奥へ挿管していたのを気管切開へ切り替える。
☆鼻に管を入れ、経管栄養(流動食)が始まる。





この時は、さんざんICU担当医に脅され、
心身ともに休まる日々ではありませんでした。
父ともケンカするし^^;


明日はどうなるかわからない状況が続いた5月でしたし
人工透析、気管切開、顆粒球輸血(臨床)など特殊な処置をしたので
医療事務的に計算がややこしかったそうです。

あ、ちなみに顆粒球輸血は臨床として協力したので
請求はありませんでした!

高額医療制度を申請していなければ・・・
ざっくりいうと3割負担で
数百万は
超えてましt・・
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5月分だけで、ですよ?
総額じゃないんです。
もうびっくりですよ、まじで・・・・
いくら金持ちな私でもすぐに出せない金額ですよ⇐


それがそれが・・・


5月分の請求金額は
16万円程度!!!!


はぁ??????


け、計算間違ってません??( ゚Д゚)


医療事務『高額医療適応中なので、この金額です』


mjk--!!!
高額医療万歳!!


病気や怪我をして入院を余儀なくされた場合は、
主治医に高額医療制度が適応できるかどうか
相談してみるのもよいかもしれません。


ほんとに、ほんとに経済的にかなり助かりました!!
知っておいて損はないです。
いやもうほんとに。


ただ、受けられる条件があるようなので
必ずしも誰もがこの制度を受けれる、というのではないようです。。


気になる方。。。
ぜひサイトでggってみてください❤⇐


page26へつづく。








 


yjimage[3]
人工呼吸器が外れて、父と熱心に仕事の話をする母の夢。
病気になる前に、母と食べに行ったお寿司屋さんの夢。
母がもっと若く、私が幼い子供だった頃、一緒に遊んだ夢。
私の※子供(孫)の面倒を嬉しそうに見てくれた母の夢。


※現実では子供に恵まれていません※


夢に出てくる母は、いつも幸せそうに笑っていて・・・
私は・・・母の横でいつも泣いている。
私が泣いているのを見て、少し困ったように笑う。
母は、頭を撫でながら『大丈夫』って口癖のように言う。
それを聞いて安心する自分。


夢から覚めたら現実に戻る。
そして、無性に母に会いたくなる。
会社へ行かずに、病院へ行きたくなる毎日。



私って、めっちゃマザコンやな(笑)
明日も良い1日でありますように。




page25へつづく。















先日、ネット通販で購入したものが届きました。
早速病室へ持って行く事に!
それがこちら!
DSC_0533
『タブレットスタンド』購入~❤


本当は起き上がって操作できれば一番良いのだけど
すぐに苦しくなるし、ふいに呼吸器が外れたりすることもあるので
背もたれを起こすにはリハビリ扱いとなってしまうため
どうしても医師か看護師が同伴しなくてはならない。


退屈だし寝てばっかりの母なので、
なんとか日中起きていて欲しくて。。。
良いもの見つけました~~~ヾ(≧▽≦)ノ


これで、寝ながらでも操作可能となりました!
奄美グループチャットのLINE画面に設定し、
指でスクロール☆読むことに成功!!


なにやら入力まで始めました(笑)
DSC_0536
左手で右手首を支えながら、頑張って入力しています。
が・・・・
うまく入力することが出来ず、しばらくして諦めてしまいました( ;∀;)



でも母の目はイキイキ(*´ε`*)♪



LINEを中断。
次は『パチンコ!』と私に言いました(笑)



お盆休み中の会話では、
『今日から盆休みやで。もし入院じゃなかったらどこ行きたかった?』
と聞くと、母は少し考えてから
『・・・パチンコ!』
と張り切って答えてました(笑)


さすがに人工呼吸器付けてパチンコホールへ行けないので(笑)
せめてタブレットへパチアプリをインストール⊂⌒~⊃。Д。)⊃w


私『おかーさん、パチンコの何打ちたいの?』
母『・・・・うみ!海物語!』



と言う事で、病院内のwi-fiエリアへ移動←
海物語の沖縄ver?をインストールしてきました('◇')ゞ



早速遊ばせてみました。
すると・・・


タブレット『~~♪~~♪♪~~~LUCKY!』
母『大当たりーーーー』




タブレットを手でたたき、めちゃくちゃ大喜びヾ(≧▽≦)ノ
15ラウンド消化して、単発で終わった模様(笑)
パチ画面を眺めている母の目は立派なギャンブラーでした(笑)
yjimage[6]
いやいや、
所詮グリパチだからwwwww



およそ30分ほど遊んだ沖縄海物語。
収支は・・・


マイナス10000パチドルッッ!!
※新規登録で貰えたパチドルすべて※


母にマイナス収支の事を伝えました。
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などと言ってませんが、とても残念そうな表情でした^^;


グリパチはログインボーナスを貰えたり
ガチャを回せば無料でパチドルやアイテムが貰えるらしいので、
毎日ログインするようにと伝えました(笑)


母はよくわからないまま『うんうん』と頷いていました。


ひとまずこれで、日中の眠気予防??に
ブレーキをかけれたように思えます。


見過ぎてしまうと目が疲れるし肩も凝るので、
ほどほどにしないといけませんがね(´・ω・`)


明日は月曜日。
お互いにとって忙しい1週間が始まります。




page24へつづく。














母のおおまかなタイムスケジュールを書きます。


【午前中】
6:00~8:00    
起床 or  寝
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8:00~12:00   
経鼻栄養補給、点滴交換
外来医訪問(歯科&皮膚科&消化器)
主治医による診察・経過観察
採血・採尿検査、レントゲン
洗髪、全身を拭いてもらう


【午後】
12:00~13:00  
寝てるかボーっとしてる。
経鼻栄養補給は無し。
点滴交換。

13:00~14:00  
作業療法士訪問リハビリ(タブレット操作)

14:00~17:00  
人工呼吸器管交換及び本体の点検
仕事を抜けた娘が面会に来る。(多忙日は来ない)
眠いのに娘に起こされつづけ、
しぶしぶトランプやアルバムを見るなどして遊ぶ。
具合の悪い日は遊ばない。
娘にホットタオルを用意させ、顔を拭いてもらう。
娘の手を握りながら、いろんな話をする。聞く。

17:00~18:00  
理学療法士が訪問リハビリ(ベッドサイドでの立ち座り)
主に足メインのストレッチ。

18:00~19:00  
父・息子が面会。娘と面会交代。
足をさすったり、マッサージをしている。
色々な話をする。
経鼻栄養補給。
主治医経過観察。
19:00で面会時間終了。
   

19:00~21:00  
多分寝てるかボーっとしてる。
21時就寝時間。でも眠れずに起きてる(と思う)


21:00~翌朝   
尿意があり、1時間に1度のペースでナースコールを押す。
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眠れない夜は用がないのにナースコールを押し、
看護師さんを少々困らせている模様。
睡眠薬を入れられ、寝かしつけられてしまう。







平日はほぼこんな感じで過ごしていると思います。
面会していない時間帯の過ごし方は、
看護師さん数名に情報提供していただきました(´・ω・`)


土日は外来診察が無く、特にこれといった検査もないので
特に暇な時間が増えるようです。。。


まぁ、その分家族が面会に赴き、
話し相手になったり、寝ないように監視しています(´Д⊂


昼夜逆転だと、日中のリハビリに影響が出てしまいます・・・
あまりの眠さに、リハビリに消極的になることもしばしばありました。

恐らく、睡眠薬がまだ体に残っているせいだと看護師さんは言います。

でも、夜起きていると看護師の人数が少ない時間帯なので
用があってナースコールを使用するならいいのですが、
特に用が無いのに呼んでしまっては、
看護師さんの負担が増えてしまいます。


せめて夜、もう少し長い時間居てあげたいのですが・・・
週末ぐらいしか協力できそうもありません。


せめて母が自分で歩けるようになれれば、
昼夜逆転も少しはマシになる、と思います・・・
                      

悪循環なこのジレンマループから、
なるべく早く脱出したいものです(>_<)
            


page23へつづく。







考えたいこと。


明るい将来の妄想。
母の容態が回復して、
退院したら、何しようかな。
母の好きなウナギを食べさせたい。
巻きずしもいいな。

パチンコ好きだし、行かせてあげたいな。
あ、でも空気悪いし止めといたほうが良いかな。

奄美大島だったら空気がきれいだし
生まれ育った故郷だから
連れてってあげたい。
歌も踊りも大好き。
幼馴染や同級生たちに会わせてやりたい。

温泉もいいな。
花火も見に行きたい。
もう終わったけど、地元で祭りがあった。
おととしは一緒に地元祭りに出展したなー。
フリマも出たし。
楽しんで接客してた姿が懐かしい。


前のような生活に戻りたい。
それが一番の望み。



考えたくないこと。



考えたくないことは、、、、
望みが叶えられなくなる事。


母と離れ離れになってしまう事。
考えるのをやめたい。
頭に電源があるなら、『OFF』にしたい。


昨日、思考回路が止まらなくて眠れなくて・・・
朝なんてもう気分サイアク。


雨は夜中のうちに降ったみたいだった。良かった。


時間が止まったらいいのに。
少しくらい、待っててくれてもいいのに。
時間は誰にでも平等で、時を刻み続けてる。



今夜は眠りのツボをギュウウウウっと押して
念入りにストレッチをして、
スマホやパソコンをいつまでも眺めずに、早く寝てしまおう。



また明日が始まるから。










※お詫びと訂正※
前記事で書かせていただきました、
『母が人工呼吸器が離脱できない理由』の答えですが、
私の見当違いな部分がありましたので訂正しております。
訂正した文面は、本日医師との面談で確認したことです。
誤解を招くような書き込みをしてしまい、申し訳ございませんでした。




今日は、父、弟、私、私の夫の4名で午後から家族面談をしてきました。
結論から言うと『転院』の話でした。
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母の大まかな状態は前記事の通りですが
具合が悪くなったから転院してください、とか
もう手の施しようがありません、ということではないようでした。


1か月に1度のペースで血液の精密検査をしており、
WT-1(がん遺伝子)の数値は、
入院当初(4月18日)は14000程度あったのが、
抗がん剤治療(キロサイド・ダウノルビシン)を投与した結果
6月、7月には50程度まで減少していました。


WT-1は誰もが持っている遺伝子ですが
健康状態な人ならば50未満なのだそうです。


このWT-1が14000あった母は、すぐにでも治療を始めないと
急性骨髄性白血病に移行してしまうと言われていました。


二つの強力な抗がん剤によって、
母の骨髄を破壊し、リセットすることに成功。
集中治療室中に母の骨髄は見事に生成、
ひとまず元来の病気である
MDS(骨髄異形成症候群)は、治まっていたように思えました。



そして、8月の検査結果をみると・・・・
4400という数値を割り出しており、
WT-1の数値が増えてきたのです。


それに伴い、白血球もゆるやかに減少。
死滅したと思われていたマルトフィリアが
腎臓や胆のうに少量ではあるものの反応が出たというのです。



抗がん剤治療をしようにも、
母は体力が無く呼吸器をつけていなければ
満足に酸素供給が出来ない状態であるため、
抗がん剤治療を受けることが出来ません。


病院側の意見としては、血液内科の治療よりも
リハビリによる体力向上を最優先で考え、
人工呼吸器を離脱し、歩けるくらいにまで回復してもらわなければ
血液疾患の治療が出来ない、という結論でした。



母が入院しているW大学病院は
リハビリテーション科は特に優秀らしく、
噂を聞いて他府県から受診したいとやってくる患者さんが多いのだそう。
そのくらい、他の病院には負けず劣らずの
優秀な医療スタッフ(作業・理学)が揃っています。



しかし、そこは大学病院のシステム・・・とも言うべきか
リハビリよりも治療に特化した病院であるため、
徹底的に望むようなリハビリができる環境ではない、と言われました。



平日と土曜日は作業療法と理学療法をやっていただいてます。
リハビリ時間は最長で1時間、
短ければ30分程度で終わってしまいます。
これは、母の容態が思わしくなければすぐ終わってしまう事もあり、
また医療処置とかぶってしまうがために
メニューが途中であっても、中断せざるを得ないのだそうです。



さらに、日祝日はお休みとなるので、
リハビリを休んでしまうと体はリセットになってしまいます。



WT-1が上昇、白血球が減少し始めているとわかった今、
モタモタしているわけには行かなくなってきたので、
リハビリを集中してできる病院へ転院し、
体力が回復したらW大学病院へ戻り治療を始めましょう、

という打診でした。



これもすぐに、と言う事ではないようです。
母は今肝臓の数値が上昇していたため、
10日間以上絶食状態にありました。
※点滴にて栄養補給をしているので餓死はありません※



消化器内科の医師と相談し、母が食事を再開することが出来て
容態が落ち着き次第・・・・早ければ9月頃に転院になるかも、という予定です。



・・・・ふう。
ダラダラと書きなぐったのでわかりにくい!
という読者様のために簡単にまとめてみます。



まとめ!!
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明るい未来を手に入れるために、
強いては母の血液治療を行うため、
リハビリに特化した病院へ転院を勧められた!

と言う事を言いたかったのです( ;∀;)



要するに、
次の治療段階に上がりましたよ
というお達しでした(笑)


捉え方によっては、
転院させたいがための言い訳・・・と思う人もいるかもしれません。
大学病院などの大きな病院では、平均的に3か月以上の入院は
させてくれないところが殆どだそうです。(父談)
まぁ、モノは良いように捉えておきましょう・・・うん。


ぶっちゃけ、話を聞く前は最悪の想定をしていたので・・・・
昨日は思い込みすぎて涙が止まらず、
母のせん妄症に打ちのめされてココロがズタボロになっていました。



まだ・・・・『まだっ!!』希望はあるんだと言い聞かせ、
落ち込むことが日々増えてきていますが
それと同じくらい気持ちが浮上することもあると信じ、
とりあえずこの暑い夏を乗り越えて頑張ろうと思います。



支えてくださっている読者の皆様。
お知り合いの各々方。
日々治療に専念していただいてる医療チームの皆さま。



本当に、いつもありがとうございます。



page22へつづく。







こんばんわ。

お盆休暇も残すところあとわずかですね。
今頃帰省ラッシュで高速・一般道路は
大混雑と言ったところでしょうか。

メソメソんとこは明日まで休みですが、
お盆最終日と言う事で、念のため会社に出勤し、
発注状況などを把握するために
休日出勤となりました。

長期休暇になるとどうもグデグデになっちゃいますねー・・・
image[1]

さてさてさーて。
ぐでぐで文句はこの辺にしておいて!


前記事の答え合わせに参るとしますか( ゚Д゚)!


Q.自発呼吸80%できているにも拘わらず、
何故人工呼吸器の離脱が難しいのか??



A.肺は風船のようなものであり、一度しぼんでしまうと
膨らみが困難になるので、常に圧力をかけ
膨らませ続けなくてはならないため。(※訂正済※)



という事でしたっ!!
人工呼吸器を少しの時間なら外しても大丈夫ですが
数分もしないうちに肺がしぼんできてしまうので
呼吸困難に陥るのだそうです。※追記※


80%自発呼吸出来ていてもそれは人工呼吸器のサポートがあってこそ。
人工呼吸器がなければ、肺活量が低い母は肺を膨らましきれず、
たちまち酸欠状態に陥いってしまうのです。※追記※




寝ているだけなら問題なく呼吸が出来ているのです。

この記述は間違いです。申し訳ありません!





なぜ、こんなに悪化してしまったのか?
理由は。
5月5日に発症してしまった肺炎が元凶です。


肺炎ウイルス(マルトフィリア)を完治させるために
顆粒球輸血(かりゅうきゅうゆけつ)を施し
多臓器不全のリスクにも目を瞑りつつ
ありとあらゆる投薬をされ、
人工透析や肝機能障害が起こり、
ついには気管切開をせざるを得なくなりました。


約1か月、集中治療室で徹底看護管理のもと、
母はなんとか一命をとりとめ、5月31日には
無事に無菌病棟へ戻ることが出来ました。


しかし・・・肺のダメージがかなり深刻な状態で、
人工呼吸器の離脱は長い目で・・・というお話があったほど。


母の肺細胞が炎症により固まってしまい、
ポンプの役割を果たすことが出来なくなってしまったのだ。


リハビリをすることで運動量を増やし、
酸素量を増やせば肺の活動が活発になり、
固まった肺細胞が復元するのではないか・・・という期待を込め
少しずつ少しずつ、リハビリを頑張り続ける母。


これからも、人工呼吸器がいつか離脱できるまで、
ステップアップしながら頑張るしかない。


リハビリの甲斐あって、タブレットを打てるようになりました。
ちゃんとメガネをかけています。
DSC_0516
指が震えるため、誤タップが多く、
文字を打つのに相当時間がかかっていました。
DSC_0517
諦めることなく、サポートをしてもらいながら最後まで入力しています。
声を出せない分、文字にして自分の気持ちを綴っていました。
奄美グループのLINEチャットをしています。
DSC_0523
送信アイコンを押し、やっと一息♪
作業療法が終わった後、テレビを観ながらまったりモード❤
DSC_0512
本人は、テレビを観ている画像のベッドの角度が一番ラクなようです。
タブレットを操作するときはベッドの角度を鋭角にしないといけないので、
とても辛そうにしています・・・。
腰が痛むのと、人工呼吸器が重力により引っ張られてしまい、
付着部分が痛いのだそうです。


・・・・でも。
痛いから、辛いからと言ってリハビリを止める訳には行きません。
止めてしまうと、せっかく今までやってきた努力が水の泡になってしまうからです。
体の衰えは、あっという間なんです。


見ているのが辛い事、正直沢山あります。
でも、目を背けずに母の努力をちゃんと見守るようにしています。



腕も足も、やせ細ってしまいました。
体重は、40キロもありません。


しかし、今までどんな困難にも逆転勝ちしてきた母なので、
数年先どこまで奇跡的に回復するのか、とても楽しみです。


明日は、母の事で今後の話がしたいと
家族全員が呼ばれました。


内容については、、、なんとなく皆目ついています。


たぶん、転院の話か、胃瘻処置の話か。
骨髄異形成症候群の治療方針か、ドナーの話か。
それとも・・・・・・


とりあえず午前中は会社へ出社した後
母の未来についてお話を聞いて来ようと思います。



page21へつづく。









4月18日から入院し、3か月と25日が経過しました。

ということで、
経過報告します!


8月13日(日)現在、母の現在の容態は。。。


☆人工呼吸器装着
☆絶食(肝臓の数値が上昇したため)
☆体重減少
☆咳が止まらない
☆微熱が続く
☆リハビリ時、腰が痛む
☆せん妄症の兆候あり
☆頻尿気味
☆やや便秘気味




な感じです。
これを後退と捉えるか、前進と捉えるか・・・
私には判断が非常に難しいです。


医療的に診れば、『横這い』なのだそう。


元々、明日の容態が分からないと言った疾患のため
『絶対大丈夫』ということは残念ながら言い切れません。


細かい事を言えばキリはないですが
それでも母は、いつか来る退院を夢見て
毎日治療に励んでいます。


そんな母に、『人工呼吸器』について少々・・・いや、
大きな変化がありました。


基本的にはずっと人工呼吸器を装着し、
寝たきりの状態が続いています。


人工呼吸器をつけている患者は、
定期的に痰吸引処置をしなければならず、
呼吸がしづらい状況になるのだそうです。


以前から、咳き込みはありましたし
痰が絡まり、痰吸引をする頻度も増えてきていました。


しかし最近は咳き込みがとても酷く、
痰が絡まりやすくなっているのか
とても苦しそうに表情を歪めています。


喘息を患ったことのある方ならイメージしやすいと思いますが、
呼吸するたびに『ひゅーっひゅーっ』と音がします。
(毎日ではありません)


今までなら、痰吸引は人工呼吸器をつけたまま
管を喉へ押し込み、圧力をかけながらゆっくりと引っ張っていました。
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↑の画像はイメージです。
人形へは口から挿管していますが、母は喉に装着しているので
喉へ吸引カテーテルを押し込んでいます。


ある日の、リハビリ時。
呼吸器のアラームが頻繁に鳴るので
看護師さんが心配して、ちょくちょく見に来てくれていました。


リハビリは体を動かすのが目的なので、


運動量が増える

呼吸量が減り、呼吸回数が増える

心拍数上昇、軽い酸欠状態になる

アラーム警報



は、至極当然なこと。
だから私は、アラームが鳴り響く中
ハラハラしながらリハビリを見守っていたけれど
今ではようやく、余裕を持って母の事を応援できるようになりました。


今では支えアリで(数分間)立つことが出来、
一度きりでしたが車いすへ座る事ができました!
※車いすに乗り、部屋からの脱出は出来ていません※


時折、立ち上がったりベッドサイドへ座るときに
人工呼吸器が予期せぬ時に
外れることがあるんです^^;



酸素音『シューーッシューーッ』
アラーム『ピピピピピピピ!』

yjimageSX2UQGHQ
※↑の画像は正常値ですので特に問題の無い表示ですが
以上数値だと赤や黄色などに色が変化します


私『(゚Д゚;)!!!?』



もはや場は騒然としています(笑)
でも、実はリハビリの先生自身、慌ててないんです。


理由は簡単。


自発呼吸を80%程度出来ているからです。


外れれば、人工呼吸器とメソは大袈裟に騒ぎ立てますが
当の本人たち(母とリハビリの先生)はいたってフツウ(笑)


私『・・・おかーさん、苦しくないの・・・?』
母『うん。苦しくない』




なんて頼もしい回答なんだろう!
じゃあ、人工呼吸器外してもいいんじゃないの!?
素人ながらにそう考えてしまいました。


でも、80%自発呼吸が出来ているにも拘わらず、
外すことはできないと言われてしまいました。
何やら理由があるようです。


・・・・さて、母はなぜ人工呼吸器を離脱できないのでしょうか?
答えは、次号で掲載したいと思います(*'ω'*)!



page20へつづく。






yjimage[6]

小さな卓上カレンダーをテレビ台の上に置いていたが、
文字が小さく横になりながら見ることが出来ないので
会社にあった大きめのカレンダーをパクり←
母の病室のロッカーへ貼り付けた。


母『・・・・・・(ジーー)』


ホワイトボードに何月何日何曜日、そして天候を大きめに書き、
その下にカレンダーを貼り付け、
母の事ふくめ家族の予定を書き込むことにした。


8月5日、6日は母のもとへお客さんがやってくる日。
土曜日は母の同級生、日曜日は私の義父母と面会。


カレンダーを見ながら、
その日が来るまで嬉しそうにカウントをしていた。


私『この日は体調崩したらあかんで!』
母『・・・・(コクコクとうなずく)』


週末、台風5号の進み具合が心配だったが、
見事に晴天に恵まれた!


母の同級生2名が地元の駅に到着したので、
車を走らせ、迎えに行った。


久しぶりの逢瀬に、同級生たちはやや興奮気味?( *´艸`)
車中で簡単に今の症状を伝えて、心の準備をしてもらい・・・
それから母と対面してもらった。


母も同級生たちも、感動の涙を流し
手をしっかりと握りしめながら、
学生時代のころの話や同窓会の話、
そのほか楽しかった思い出話をたくさん話してくれた。


およそ2時間ほど、楽しい時間を過ごし・・・
2人の同級生たちは、それぞれの家に帰って行った。
再会の約束を忘れずに(*^^*)!







次の日の日曜日。


この日も、お昼頃病室へ向かうと
スヤスヤと寝ていたので起こした。


夜は、眠りが浅かった様子・・・
しんどさはなく、ただ眠いとの事だったので、
予定通り、私の義父母と面会をしてもらった。


母は、義母に握手を求め
『ありがとう、ありがとう』を繰り返し
目をそらさず、義母の言葉をじっと聞いていた。


義父母両名は、母よりも年上夫婦だ。
2人とも、今のところ健康状態にある。
やはり、どうしても義父母の事を羨ましく感じてしまう。


母のほうが年が若いのに・・・とか。
母の何がいけなかったんだろう・・・とか。
呼吸器さえなければ・・・・とか。


もちろん、義父母にはこれからもずっと健康で居てもらいたい。
それは、私の父と母にも言えることであって・・・
知り合う人すべてに、願う事でもあって・・・・


もちろん、私自身にも言えることで。


母は言葉を発せない分、
きっと色んな感情が、常に渦巻いているんだと思う。


それをなるべく、緩和して
軽減させてあげて
理解してあげて
いつか退院できたときに、
思い出話として、過去のことを笑い飛ばしたい。


この日の夜、母は自分のケータイを操作し
メールをひたすら読んでいた。
無菌病棟引っ越しして間もないころ、
重くて持つことさえできなかった、自分のガラケー。
あの頃を振り返れば、本当に回復してきたなぁって実感する。
DSC_0530
どうか、このまま・・・
『頑張れない日』が、永遠に来ませんように。




page19へつづく。








看護師さんの許可を貰えたので、次は美容師さんに電話♪


美容師『カットのみなら、寝たままの体勢で可能ですよ^^』


す、すげーーーーーー・・・!!
どうやってカットするんだ(笑)
ベッドの頭部分がガクンて変形しないのに。
看護師さんに何らかの協力を仰ぐんだろうけど・・・
見当がつかない!


予約を7月27日(木)の昼2時にとり、
当日、看護師さんに協力要請をした。







カット日当日。
この日は、私が同伴することに(*'ω'*)♪
仕事を早めに切り上げ、1時半過ぎに病室へ入室。


母『Zzz・・・・』
私『おかーさん、起きて!』
母『Zzz・・・』
私『今から寝てたら、夜寝られへんで!!』
母『・・・・(目をあけた)』


時計を見て、また寝ようとする母(笑)


私『ちょっと、おかーさん!!・・・しんどいん??』
母『・・・・ねむい・・・・ダケ・・・・Zzz』
私『寝たらあかーーーん!!!www』


うっすら目を開けて、睡魔と格闘中の母・・・
そんなこんなで看護師さん&美容師さん到着。


美容師『おまたせしましたー』
母『・・・美人にしてください(ニンマリ)』


そういって美容師さんへ向けてピースを連発する母。
本当にうれしそうだ(*'ω'*)♪


※ここからは画像でお楽しみください※



まずは、ケープをセッティング。
このときは、洗髪はせずにすぐカットに入ってました。
コームで髪を整えながらチョキチョキ。
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反対側もチョキチョキ♪

患者さんのカットにとても手慣れているようで(当たり前か笑)、
鮮やかにカットしてゆきます。

看護師さんに頭を少し持ち上げてもらいながら、
後ろの髪の毛もちゃんとカット!
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カットはおよそ30分で完了。
髪を洗ってもらい、ドライヤーで乾かしてもらいました。
このときの母の表情は、ほんっとに気持ちよさそう!!
2348
きれいさっぱりしたところで、
看護師さんにタブレットで写真撮影をお願いしました(笑)
これもめっちゃ笑顔!
2351
耳のあたりが特にスッキリしたので、
とても満足げな表情で、散髪に協力してもらった
看護師さんと美容師さんに、母は心からありがとうと伝えてた。


リハビリの先生がそのあとにやってきたけど、
髪を洗ってもらって少し疲れ、ウトウトしはじめていたので・・・
眠いからと言ってリハビリを断固拒否(笑)

が、先生に無理やりたたき起こされ・・・・
ハードスケジュールをしぶしぶこなし、
この日もリハビリ頑張りました('◇')ゞ!



page18へつづく。







ある日の会話。


母『・・・・・、・・・・・』
私『何々?どうしたん?』


筆談にもかなり慣れたようで、
自分でバインダーとペンを持ち、軽やかにペンを滑らせた。


『まごのてとうちわかってきて』


この間、背中がどうしてもかゆくて
ナースコールで看護師さんを呼んだのだけど、
クチで痒いポイントをうまく伝えられず、
結局我慢したのだという。
それで、孫の手を使って背中を掻きたいらしい。


私『いいけど、どうやって掻くん?(´・ω・`)』
母『・・・・こうやって・・・・』


体を少しねじろうとするも、まだまだ起き上がる力が足りない。
奮闘するも、呼吸数が上昇、心拍数が徐々に上がってきた。


母『・・・・・・(息切れ中)』
私『がんばれー!ガンバレー!』


平常値を超えてしまったので呼吸器のアラームが鳴り、
ふたりで思わず苦笑い(笑)


母『・・・・^^;』
私『・・・・^^;』


アラームはすぐに鳴りやんだ。


うちわは、自分で体温調整が難しいので
暑いときに煽ぎたいらしい。


さっそく、大手100円ショップへ買い出しに!
さすが○○ソー、なんでも置いてるわ(*'ω'*)♪
なるべく軽いものを選び、レジへ持って行った。


母に見せると、ベッドに置いてと言わんばかりに手をパタパタ♪
DSC_0529
さっそく、伸縮自在な孫の手を使い、顔を掻いている(*ノωノ)
もう片方の手で、ウチワをパタパタ♪
うちわが呼吸器のチューブに当たっているけど、、、
母は特に気にしてない様子だった(笑)


私『・・・風、くる??涼しい??』
母『・・・あんまり・・・笑』
私『じゃ、煽いであげるよ。貸して』


うちわでゆるーく煽いであげると、
久しぶりの風を感じ、目を細める母。
孫の手でなおも顔を掻いている。


私『ちょ・・・おかーさん、そこ鼻やから孫の手入らんで(笑)』
母『・・・・(ニンマリ笑う)』
私『鼻に管入ってるから、取り扱い注意ね!』
母『・・・管入ってるん?』
私『うんうん、入ってるよ。気づかなかった?なんか、イタソーやけど^^;』
母『痛くないよ。ちょっと、鏡みせて』



鏡をカバンから取り出し、持たせてあげた。


母『・・・・!!』


目を見開き、顔の角度を変え・・・
自分の顔をまじまじと見ていた。


母『・・・・・』
私『・・・・どう?久々に自分の顔を見た感想は?』


母『・・・・髪伸びたなぁって笑』
私『・・・・ソコかい!笑』


母は、手に持った孫の手で
耳にかかった髪の毛をなんとかしようとしていた。


私『・・・ねぇ、髪の毛カットしてもらえないか聞いてみよっか?』
母『・・・たぶん無理よ。』
私『難しいかわからんけど、ダメもとで聞いてみようよ♪』
母『うん、そうやな。』


看護師さんが入ってきたときに、相談してみた。


看護師『美容師さんが出張で来てもらえるなら、可能ですよ♪』
私『支えありなら最長で30分くらい座り続けられるんですけど、いけそうですかね?』
看護師『カットのみなら、そのくらいの時間配分でできると思います(*'ω'*)ただ、看護師とご家族さん同伴が必須条件となりますが。平日の朝9時から3時までの間なら、看護スタッフが最も多い時間帯なので、できればその時間帯に予約をとってもらえると助かります(>_<)』
私『わかりました。美容師さんへ一度相談してみますね(*'ω'*)』


会話を聞いていた母が、
両手を握りしめガッツポーズをしていたのを私は見逃さなかった(笑)



page17へつづく。









良質な睡眠をとるための薬を投与されてから、
母はいつもの調子に戻ったようだ。


笑顔が増え、ゆっくり話してくれるようになった。
でも・・・手首に巻かれた「それ」は、
母の手の動きの自由を奪っていた。


せん妄症の症状が出て、自分で呼吸器を外した事故があってからは
両手首に「抑制」を巻かれるようになったのである。
yjimage[4]
つまり、重しをつけて動きを制限させ、
危険な事故を防ぐための手段だった。


家族が面会中の時は、ナースコールを鳴らし、外してもらえる。
しかし、面会が終わるとまたナースコールで呼び出し、
「抑制」を手首に巻かれるのだ。


優先して診てもらえる病室に居るとは言え・・・・
看護師さんの勤務人数が少ないこともあり、
ましてや夜勤になると更に人数が減るので
呼び出しをしても待たされることが多いのだという。


この状況の中、命の綱とも言える呼吸器を自ら外す行為は、
看護師さんの負担をさらに増やすことになる。


・・・抑制を付けることは、しょうがないこと。
抑制が嫌ならば、家族が寝泊まりすれば問題は解決する。


自営業なので、ある程度時間の自由はきくものの・・・
仕事を頼める代わりの人間が居ない。


そして夜、寝泊まりできるほどの体力も精神的余裕もない・・・


私は、父に提案した。
面会時間は7時までだけど、なるべく消灯の9時まで居るようにして、
休みの日は交代で母のそばに居てあげよう、と。
そうすれば、夜寝るときだけ抑制が巻かれてしまうけど
たとえ数時間でも抑制無しで居られるから、母の負担の事を想えばこそ・・・
とにかく、何とかしてあげたかった。
体は回復してきても、抑制を巻かれることで
さらにストレス負荷を与えているような気がしてならないからだ。


父と弟、私の3人で、せん妄症が改善されるまで。。。
しばらく、交代で面会時間を長く調整するようにした。





母は、手首を自分の衣服へこすりつけるようになった。
巻かれた部分が痒いのだという。
代わりに掻いてあげると、気持ちよさそうに顔がほころんだ(*'ω'*)


抑制を巻かれる理由については、本人も理解はしているようだった。
でも、なんとなく諦めたような、辛そうな表情。
いたたまれず、看護師さんへ聞いてみることにした。


私『せん妄症の症状はその後、どうでしょうか?』
看護師『以前に比べたら、だいぶマシだと思います^^』
私『そうですか。なら、良かったです。・・・あの、抑制なんですけど・・・』
看護師『ああ、本人も辛そうですよね。事故を防ぐためとはいえ、私も正直辛くて・・・』
私『症状が落ち着いてきているのなら、離脱するのは難しいですか??』
看護師『うんうん、そうですね!主治医に確認して、なるべく早く離脱できるよう相談しますね^^』
私『お願いします!ストレス負荷も気になりますので(;´Д`)』


抑制を巻かれてから数日経過した。
抑制中は、主治医が問診する前に必ず、
本人の名前と年齢、今いる場所、入院している目的、今の時間を聞いていた。


ほどなくして、抑制は無事に離脱することが出来た(∩´∀`)∩!



page16へつづく。









病室にもどると、弟が母に語り掛けていた。
母は、うつろな表情で一点をみつめ、何も反応が無い。


私『ごめん、お待たせ。』
弟『・・・おかーさん・・・僕の事、覚えてないみたい。』
私『え』
弟『僕がしきりに話掛けても、首を傾げて「誰?」みたいな感じなんよ』
私『・・・そんなはずないと思う』


母は私を目でとらえると、また何か話し始めた。
普段なら言いたいことをしっかりと最後まで聞いてあげるのだけど・・・
私は弟の横に立ち、聞いてみた。


私『ねぇ、おかーさん。この子の名前は?』
母『・・・・・・・?』
私『・・・この子、誰だかわかる?』
母『・・・・・・・』
私『・・・・・・・』
弟『・・・・・・・』


一生懸命考えてる感じだったが、ついにわからないと答えた。


私『私の弟やで。』
母『・・・・!』


思い出したようで、母に笑みが広がった。
せん妄症のせいとは言え、
自分の事を忘れられている事実を突きつけられ、
弟のショックは大きかった(´・ω・`)


これまでに、父と弟は、面会へ毎日来るものの
長居すると母の負担になると思い早々に退室していた。


私は2人に比べ比較的長い時間居るので
(休みの日などは特に)私の顔はよく覚えているようだった。


しばらくすると、看護師さんがお薬を持って入室してきた。


看護師『あ、面会中ですね。後ほどきます^^』
私『・・・ああ、例のお薬ですか?』
看護師『はい、そうです。昨日眠れていないみたいでしたので・・・』
私『ありがとうございます。私たちはそろそろ退室しますので、お薬の投与お願いします』
看護師『お薬を入れるとすぐ眠りに落ちてしまいますが、大丈夫ですか・・・?』
私『はい、大丈夫です。面会時間過ぎていますし、他の方にも迷惑になりますので・・・』
看護師『わかりました^^お気をつけてお帰り下さいね』


母は私の手を握って離さなかったが、
私はなるべく穏やかに、母を安心させるように言葉を紡いだ。


私『おかーさん、時計見て?今、夜の10時すぎ。みんなそろそろ休む時間なので、静かにしないといけないから、私らもそろそろ病院出ないといけないんよ。おかーさんに早く良くなってほしいから、しっかり睡眠とらんと元気にならへんで。看護師さんが、おかーさんのためにゆっくり眠れるようにお薬用意してくれたよ。明日になったら、元気に治療頑張れるよ。だから、そろそろおやすみ(*'ω'*)』


母は、手のチカラを緩め。。。
小さくうなずき、手を振ってくれた。


その夜、母は覚めることなく・・・・
静かに、静かに深い眠りについたようだった。


次の日の面会時に、
ゆうべは穏やかな表情で寝ていたと看護師さんが教えてくれた。



page15へつづく。











☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
ご無沙汰しています、メソメソですm(_ _"m)
私事ですが、ようやく引っ越し作業が落ち着きを取り戻し
ホッとした途端、私自身が体調を崩してしまい
ブログ更新が滞ってしまいました(笑)
アクセス数が減っていくのに恐怖を感じつつ←
また更新頑張っていきますので、
ご拝読よろしくお願いいたします!('◇')ゞ
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★


私『おかーさん、首には大事な機械がついてるの。これ、絶対外したらだめなやつ!』


つい、キツイ口調になってしまった。
母はみるみる表情が変わり、私に対して怒るのかと思いきや・・・
意外な事をクチにした。



母『・・・・ひ・・・・・・ひ・・・・・!!』


ドアのほうがとても気になるのか、
表情はみるみる強張っていき、
瞬きを忘れてしまったのかと思うほど目を見開き、
必死な表情で私に訴えかける。


私『ひ?ひって・・・・燃える火のこと?』
母『燃える火!そこ、燃えてる!!』
私『ドアのほうが燃えてるの?』
母『うん、うん・・・燃えてる!』
私『火、消してこようか?』
母『・・・・消さなくていい・・・・』
私『消さなくていいの?怖くない?』
母『・・・・怖い・・・・けど、大丈夫。メソがいるから・・・・』


そう言って、私の手をぎゅっと握る。


私『うん、わかった。傍にいるよ』
母『・・・・・・・・。』


時計をみると、いつのまにか面会時間はとっくに過ぎていて、
8時前だった。旦那に連絡しなければ。。。と思って
ケータイを取り出し、


私『ねぇ、おかーさん。旦那に電話してきていい?私の帰りが遅いから心配してると思うし。すぐ戻るから』
母『だめ!ここに居て!旦那って誰!?』
私『え・・・・旦那って、私の旦那さんやで?』
母『メソは結婚してないよ!電話しなくていいから、ここに居て!!』
私『んじゃ、ここで電話していい?』
母『・・・・・いいよ。』


私は簡潔に現状を話し、旦那に今日は帰りが遅いことを話した。
旦那に適当にご飯を食べてもらい、先に休んでもらうよう伝えた。
私も、夕ご飯はまだだった。
手をぎゅっと握って離さない母は、私の電話の様子を
不安な様子でじーーーっと見ていた。


次に、父へ電話を入れた。
長いコールの後、弟が出た。


私『もしもし?おとーさんは?』
弟『これから風呂はいるとこ。どうしたん?』
私『実はまだ病院にいるんやけど・・・おかーさんが寂しがって手を離さなくて(笑)ご飯食べてないので、急に言うて悪いんやけど、どちらか交代に来てくれんかな??詳しいことは病院で話すよ。おかーさんは大丈夫だから。』
弟『わかった。風呂から出たら声かけたあと、僕が交代に行くよ』
私『うん、ごめんね。』


電話を切った後、弟が来てくれることを伝えた。


母『え、なんで??』
私『ご飯食べてなくてさ。お腹ペコペコなんよ(笑)今すぐ食べて来ていいん??』
母『あかん』
私『そやろ?(笑)んで、弟呼んでここにご飯もってきてもらうねん(*'ω'*)』
母『・・・・・・・・』
私『そういえば、火は消えた?ドアのほうの』
母『消えた。』
私『そっか、良かったね^^』
母『・・・・・・・・・・』


奄美の姉さんの曲をかけてあげた。
面会時間は過ぎているので、音量を小さくして。


私『聴こえる?みっちゃん(一番上の姉)の歌声やで』
母『・・・・・・・・(首を横にふった)』
私『そっか。小さすぎて聴こえんのやね。また明るい時間にかけるね』


すると、主治医の先生が入ってきた。
私が居ることに驚いていた。
私は簡単に、これまでの経緯を説明をした。


主治医『夜は特に※せん妄症の症状が酷くてですね。せん妄症を抑える薬もあるにはあるんですが、体の事を考えるとあまり薬は使いたくないんです。ですが、昨日眠れていないようでしたし、自分で呼吸器を外したという事故の報告も受けています。メソさんも心配で帰れないでしょうし、今夜はよく眠れるようにお薬を使いますね。』


※せん妄症・・・意識混濁に加えて奇妙で脅迫的な思考や幻覚錯覚が見られるような状態。

※症状・・・「入院した途端、急にボケて(痴呆のように見える)しまって、自分がどこにいるのか、あるいは今日が何月何日かさえもわからなくなってしまった。」というエピソードが極めて典型的である。
通常はこういった障害は可逆的で退院する頃にはなくなっているので、安心してよい所見である。


また、高熱とともにせん妄を体験する場合があり、とくに子供に多い[2]大半の患者はせん妄を覚えており、苦痛な経験だったとの調査報告がある。せん妄は意識障害だから覚えていない、というのは全くの誤解である[3]

こういった症状をおこすせん妄という病態の背景には意識障害、幻視を中心とした幻覚、精神運動興奮があると考えられている。※ウィキペディアより抜粋※


母はしきりに文句を言っているようだった。
私はちゃんと寝ている、おかしくない、薬は嫌だと訴えるかのように。


私『おかーさん、何にも心配することないよ』
母『・・・・・・・』
私『先生はおかーさんの体の事よく知ってるから、辛いの取り除いてくれるって』
母『・・・・・・』
私『今夜はゆっくり眠れるよ。起きたらいつも通り、気分爽快になるよ』
母『・・・・・・・』


声が出ず、言いたいことを伝えられずもどかしいのか、情けなく感じたのか、
それとも嬉しいのか・・・、本心は定かではないが、母の目に涙がにじみでた。
私は、子供の頃母に頭を撫でてもらったように、
同じように前髪をかき分けながら優しくなでた。


私『おかーさん、泣くと呼吸器と喧嘩して息苦しくなるよ』
母『・・・・・・・っ・・・・・・っ』
私『昔、私が喘息で夜眠れないとき、こーやって頭撫でてくれたよね』
母『・・・・・・(ニコっと笑った)』
私『そうそう、そうやって笑ってると、良いことがあるよ。頑張ろうね。』


すると、弟がやってきた。


弟『姉ちゃん、お待たせ』
私『来てくれてありがとう。ご飯買ってくるまでの間、おかーさんの手、握っててくれない?』
弟『うん、わかった』
私『おかーさん、時々いろいろ言うけど・・・・うんうんって聞いてあげてくれる?』
弟『わかった』


弟が手を握ると、パッと嫌がって離した。


母『・・・・・!・・・・・!?・・・・・っ』
弟『・・・・かーさん・・・・・』


私に何か訴えていたが、うまく読み取れず・・・・
弟の手を握りたくないのなら、そのままでも良いと弟に伝え、
なるべく早く戻るからと言い、病院の売店へ買い出しに出た。


買い出しを終え、エレベーターホールにあるベンチに座り、少し一息ついた。
母の事を考えると、どうしても涙を堪えきれなかった。




page14へつづく。












7月6日(木)の面会。
いつも通り仕事を終えた私は、
母の病室へ足早に向かった。


母は私の顔をみるなり、とてもホっとした表情を見せた。
・・・・が。
いつもと、何か様子がおかしい。
眉間にしわを寄せ、両手の動きに落ち着きが無く、
興奮した状態、鬼気迫る表情で私に何かを訴えていた。


人工呼吸器をつけているので、声は出ていない。


母『・・・・!・・・・!?・・・・・っ・・・・・・』
私『どうしたん、おかーさん?』


首を激しく横に振り、
泣きそうな表情や、とても困ったような表情で、
私に必死に何かを訴えてきた。


いつもならゆっくり唇を動かして、
こちらにわかりやすく単語で話してくれるのに
このときは、やたら早口で話していたため理解するのに難しく、
とにかく母の焦燥感が尋常じゃなかった。


汗をびっしょりかいている。


呼吸数は普段より早く、心拍数も高い。
私は数値を気にしながら、とにかく母をなだめることにした。


私『おかーさん、ちょっと心拍数高いよ。少し落ち着こう?』


母はコクコクと頷き、ふーっとため息をついた。
私は汗を拭いてあげた。


私『汗すごいね。暑い??』
母『暑い。タオルケットとって』
私『ん、わかった。寒くなったら言ってね。』
母『あのね、あのね・・・、かばん、見せて』
私『かばん?おかーさんのカバンね。・・・・はい!カバンどうするの?』
母『買い物に行く』
私『え、買い物??』


カバンの中身を一生懸命見ようとする母だったが、
人工呼吸器が妨げとなり、自分で体を起こすチカラがまだないので
また眉間にしわが寄り始め、私にイライラしながらこう言った。


母『カバンの中身全部見せて!!』


私は母に言われた通り、ひとつひとつ取り出し
説明をしながら、母の体の周りに母の私物を置き始めた。


私『・・・・はい、これで全部よ?』


カバンを広げて見せて、すべて出し終えたことを伝えた。
すると・・・・母は途端に暴れだした。



母『財布!!財布が無い!!!取られた!!!!』
私『いつも持ってた長い財布やんね?あれはおかーさんが集中治療室に入ったとき、病室の私物はすべて撤収したから、ちゃんと自宅に置いてあるよ。おとーさんが持ってるから、今ここにはないよ(笑)』
母『そんなはずないよ!?・・・お金10万はいってるし、免許証はいってるし、キャッシュカードとか・・・・』
私『うんうん。とても大事なものがはいってたから、病室に置きっぱなしにはできないので、ちゃっと自宅に置いてるよ。お財布探してたんやね?』
母『・・・・・そうなんか・・・・・通帳、見せて。』
私『通帳?明日でもいい??』
母『通帳記入して、明日必ず持ってきて!ドロボウがいるかもしれんから!』
私『ど、ドロボウ??家に??』
母『うんうん。鍵かけてないから、ドロボウが入るから!』
私『・・・・ん、わかった。明日、ちゃんと持ってくるよ^^』
母『・・・・・・・・』


母は、お金に対してこんなに不安になるような性格ではない。
そもそも、眉間にしわを寄せて怒鳴りたてるような、
鬼気迫る表情で話をする人じゃない。
ドロボウが入るとか、人を疑うような事は一切考えない人なのに。


・・・・なんだか、おかーさんじゃないみたいだった。



母の右手は、とてもイライラしていた。


私『おかーさん、どうしたの?』
母『どうもしないよ!』
私『なんだか今日は、とてもイライラしてるね?』
母『すっごくイライラしてる!』
私『珍しいね。何か嫌な事でもあった??』
母『ないよ!!いつも一人だからとてもイライラしてる!!』
私『・・・・あ・・・・ごめんね。いつも一人で辛いよね。』
母『車に乗って買い物行きたい!!』
私『買い物かぁー、いいね♪どこに買い物行きたいの??』
母『オークワ(地元のスーパー名)!!』
私『うんうん、いつも買い物してたよね。オークワで何買うの??』
母『みかんの缶詰と、バナナ1本。じゅーす!』
私『甘いものが欲しいんやね( *´艸`)おかーさんが食べるの??』
母『違う!!看護師さんに差し入れする!!』
私『そうなんやぁ!偉いね、おかーさん!(*'▽')』
母『あまったらちょうだい』
私『うん、わかった!だから、あんなにカバン気にしてたんやね?』
母『そうそう。代わりに買ってきて!』
私『おっけぇ!看護師さん、喜んでくれるといいね(*'ω'*)』


眉間に深いしわがあったのに、いつの間にかなくなっていた。
しばらくして、今度は目がキラキラと輝き始めた。


母『見て!見て!』


壁を見ながら、嬉しそうに話しかけてきた。


私『ん?』
母『めっちゃキレイ!』
私『ん、何が??』
母『海!うみーーー!!』
私『今、おかーさん海辺に居るん??』
母『そうそう!ほら、ほらぁ!!』
私『今アトレー(母の車)に乗って運転してるの??』
母『うん、楽しい!!』


周りを見渡すように、目の動きが激しい。
運転してるつもりのようで、体が左右に動いている。


ふいに、母の右手が人工呼吸器に軽く当たった。
アラームが鳴った!


私『おかーさん、危ないって!!』


私は慌てて母の右手を押さえつけた。
母は訳が分からないというように、私の手を叩き始めた。


私『おかーさん、首には大事な機械がついてるの。これ、絶対外したらだめなやつ!』


つい、キツイ口調になってしまった。
母はみるみる表情が変わり、私に対して怒るのかと思いきや・・・
意外な事をクチにした。




page13へつづく。



タブレットを使ったリハビリを始めてから、2日後の事。


母『こんにちは』


母が約2か月ぶりに、奄美グループのチャット欄に
LINE発言キタ――(゚∀゚)――!!


もう、気分は『立った!クララが立ったー!!』でした(笑)
yjimage[2]
ネット情報によれば「クララが立った」のセリフ・・・
ハイジは発言しておらず、ペーターのセリフのようですね。

まぁ、どうでもいいですね(*ノωノ)w


発言できたのはその一文のみ。
そりゃーもう、奄美メンバー達はお祭り騒ぎですよ!


あっという間に自分の発言が流されていきます(笑)


使用しているタブレットは11インチのものなので、
結構大きくて重いんです(;´・ω・)


なので、手で持ちながら入力することが出来ないし
テーブルに置いてうつむきながら入力する、という方法も難しいので
タブレットを固定してアームが自在に動くボード?のようなものをセットし、
顔を俯かせることなく腕さえ動かせればタップすることが可能なようです。


以前に比べると、肘はだいぶ上がるようになってきました。
利き腕が右なので、左肘はまだまだ筋力は甘い感じですが
右腕は結構チカラがついてきているように思えます。


手を握ると、なかなか離してくれません(笑)


リハビリにより、体の機能は順調に回復してきていました。
体は少しずつ回復しているものの・・・・、


このころから、母の『言動』について
少しだけ、気になることが出てくるようになってきたのです。




page12へつづく。







7月1日(土)の面会。



母『ケータイ、持たせて』
私『ん、なんで?』
母『看護師さんに文字を打って、伝えたいことがあるから』
私『・・・おお!』



↑唇の文字を必死で読みました(;´Д`)



母に頼まれ、ケータイを持たせてみた。


私『・・・・・どう?文字、打てそう?』
母『・・・・・・・。』


顔をしかめながら、文字を押そうと頑張っている。
顔が段々赤くなってきている。。。
一生懸命打とうとして、リキんでいるのだろうか。。。。


母『・・・・ケータイ、重いな^^;』


諦め笑顔でそう伝えた。


母『ごめん。ケータイはやっぱいいや』
私『そっかぁ(´・ω・`)・・・ケータイ、昔は肌身離さず持ってたのにね』



母はしばらく考えた後・・・・私に提案してきた。


母『・・・ねぇ。沢山のメモと、ペン持ってきて。筆談する』
私『筆談かぁ、いいね!明日早速用意して持ってくるよ!』


そして、母のカバンに奄美の親戚が送ってくれた
お守りをつけました♪
キイロイトリの中には貰った手紙が何通か入ってます!
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その日のリハビリの成果は、
10秒ほど支え無しで自分のチカラでベッドサイドへ
座り続けることができました!ヾ(≧▽≦)ノ



今日は特に、母の闘志がメラメラと燃えていたキガスル!




7月2日(日)の面会。



昨日頼まれていたメモ用紙と、ペンを数種類用意して入室。


母は、待ってましたと言わんばかりに
手をパタパタさせて


母『ペン、ペン!』


と連呼していました(笑)


最初はマジックを持たせたのですが
少々重い・・・ということで普通の軽いボールペンに持ち替え。


書きにくいだろうと思って下敷き用に購入した
ファイルバインダーも、重たいからとこれも拒否。


体を起こしながら筆談するのはまだできないので
とりあえず寝ながらの状態紙を見ずに筆談する
というスタイルで行くようだ!


母『ひらがなの練習する!』


そう言い放ち(もちろん声は聞こえないので読唇)、


あ、い、う、え、お、ア、イ、ウ、エ、オ


と書き始めた。


私『読めるよーおかーさん!』


母はニンマリ笑った(笑)



母の頑張って書いた筆談の一部を公開します('◇')ゞ
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明日の月曜日から、リハビリの新たなメニューとして
タブレット操作を開始するようです( *´艸`)


入院をきっかけにタブレットを持たせていたので
主治医も看護師さんもリハビリの先生みんな、
母がタブレット操作ができることを知っていた。


今は筋力が落ちているので持つことさえできないが・・・、


リハビリが本格的に始まれば、
みんなとLINEチャットが出来る日も近いかもしれない!




page11へつづく。

















これは、母のとても大事なものである。
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母が肌身離さず持っていた、黒のガラケー。

5月5日の夜、
自発呼吸が難しくなり人工呼吸器を余儀なくされ、
ICUへ移動直前までずっと手に持っていたケータイ。


『電話したい・・・お願い・・・ケータイ・・・・』


消え入りそうな声で先生へお願いするも、
ケータイを没収され、通話やメールをさせてもらえなかった。


伝えたいことが沢山あって、
連絡とりたい友達が沢山いて、
受信メールの返信がしたくて。。。


ICUは高度医療清潔区域領域になるため、
私物を持って入ることは不可能だった。


母がICUへ入っている間は、
母のケータイの電源を切り、自宅で保管していた。


母の容態が良くなったら、親しい友人に連絡しよう。
父の判断だった。


電源を切ってから、およそ1か月。
母は人工呼吸器をつけたままだが、
容態は著しく回復し、元の病棟へ戻ることが出来た。


病棟に戻ってから、10日ほど経過したある日。
家族の精神的不安定さも解消され、
穏やかな日常へ戻りつつあった。
母の親しい友人に連絡を入れるべく、ケータイの電源を入れた。





メールの受信件数ががががgggg



無菌病棟に戻った母は、
人工呼吸器装着により話すことはできないが
目も耳も聞こえるので、簡単な意思疎通はできた。

勝手にケータイを見る訳には行かないので、
母の了解を貰い、メールの内容を目の前で確認させてもらった。


奄美の親戚たちからの心配メール。
和歌山の親友たちからのランチのお誘いメール。
母の同級生たちからの同窓会のお知らせメール。
会社の同僚たちからの心配メール。
幼馴染からの何気ないメール。


メールだけじゃない。
お留守番センターからも通知が来ていた。


きっと、返信がないので電話をくれたのだろう。
最初は他愛ない内容だったメールも、
徐々に心配しているので連絡くださいと書かれている内容ばかりになり
心から母を慕ってくれている人たちがこんなに居るんだ、と改めて知った。


父に頼まれ、母の友人たちひとりひとりに電話をかけた。
母の代わりに、メールの返信もした。


詳しい病気をほとんどの人に伝えておらず、
ただ『しばらく入院するね』としか伝えていないようだった。


母の事だから、大ごとにして心配させたくなかったんだと思う。
願わくば、何事もなかったかのようにみんなの元へ戻りたかったに違いない。


自分の声で真実を話すことが出来ず、
指を動かす力が無いため、
ご友人たちへの連絡が大幅に遅れてしまったことをなるべく丁寧に詫びた。


家族以外は面会を断っている状態なので、
人工呼吸器が離脱できれば即連絡します、と伝えると


『ありがとうございます。ご家族様もどうか、体調ご自愛ください』


とあたたかい言葉をかけてもらえた。


母は毎日、沢山の人から気持ちを受け取っている。
早く良くなってください。元気になってください。会いたいです。

ガラケーにメールが来れば読んで聞かせているし、
タブレットには奄美の親戚たちからのわいわいLINEが盛りだくさん
詰まっているので、文字サイズを最大にして、
顔の前へかかげて、読んでもらっている。


本当に嬉しそう。
見ているこっちも、すごく嬉しいし安心する。


この瞬間はいつも、生きててくれて良かったって思える。
明日の治療の糧は、周りの人たちのお陰で満ち足りている気がします。


いつも本当にありがとうございますm(_ _"m)
感謝の言葉が止まりません。


母の回復が、最大の恩返しになると思うので、
病気にくじけそうになったらメールを読んで聞かせ、
生きる希望を与え続けたいと思います。






page10へつづく。


主治医『今日は人工透析の予定でしたが、今日も尿毒素の値は基準値ですので、見送りしましょうか』

先日から幾度となく、見送りが続いていた人工透析。
週二日透析を回す予定だったのが見送りとなった。

そして、6月26日(月)。
ついに、主治医から聞きたかったアノ言葉を聞くことが出来た。

『おめでとうございます。人工透析卒業ですよ^^』

やっと、腎臓の機能が復活した!!
母も私たち家族も、安堵した。
尿毒素がたまり始めれば、また透析をしなければならないのだが
ひとまずは安定という事だった。

ただ・・・・、
オシッコが出すぎているため、
若干脱水症状が出ているとの事。

身体は全体的にむくんでいる。
特に、手足が酷い。
が、血液中の水分が足りて無いようで
全体的な水分バランスの調整が難しそうだった。

喉が渇くようで、よく『喉乾いた』を連呼するようになる。
しかし、飲み水を飲ませることが出来ないため、
水分を含ませたスポンジで口の中を塗布する頻度が増えた。

リハビリは極めて良好。
ベッドサイドに座っていられる時間が、少しずつ長くなってきているし
まだ肘を上げるチカラはないが
指先から手首にかけてはかなり動けるようになり
文字盤を滑らせたり、握手をして握り返すまでに回復。

呼吸量は『260~320』あたりが平均値。
リハビリをするとどうしても体力を使うため下がってしまうが、
ベッドに横たわり、安静にしていれば問題のない数値である。

あとは・・・ひとつ、気になることが出てきた。
それは

不整脈。。。
yjimage[4]
6月27日(火)の面会は、
仕事が終わって18時回ったころに向かったのだが
何やら病室が騒がしく、看護師さんの出入りが目立った。

病棟医も病室へ来て、事の経緯を簡単に説明してくれた。

私たちが来る1時間ほど前、不整脈が出ていたとの事。
しかも、結構危険な波形だったらしい。
循環器専門医を呼び、原因を突き止めるため
しばらく病室の外で待機していてほしいと依頼があった。

不整脈が出ていることは、ICUの時もちょくちょく出てはいた。
ICU担当医の口ぶりからしても、
そんなに深刻な事でもないだろうと思っていたので
今回の不整脈は、想定の範囲内だろうと安易に考えていた。

しかし、軽視できるような波形ではなかった。
心臓が止まってもおかしくない。そんな波形だったであると。
家族に電話をしようか、判断を決めかねるほど悪い状態だった事を知る。

母の場合、血小板数値が2万台しかないため
心停止した場合、心臓マッサージはできない。

何故なら、心臓マッサージはチカラを込めて押し込むため
内臓出血をする患者さんもいるのだとか。
母が内臓出血してしまえば、命を取り留められなくなり
さらに危険が増すとの理由・・・・


心停止だけは絶対阻止したい。
yjimage[7]
≪不整脈の原因と対策≫
①人工呼吸器の酸素供給量の減少。

人工呼吸器離脱を目標に、モードをサポートに切り替え、
圧は20%、濃度を35%維持していたが、
これにより、リハビリ時は常に酸素不足だったのではないかと推測。
今後は人工呼吸器のモードと圧はそのまま、
濃度を45%まで引き上げ様子を見るとの事。

②脱水症状(血液中の水分不足)

尿の排出量が増えたので、人工透析を離脱。
血液中の水分が不足しはじめたため、
今後は点滴により水分を補うとの事。







ひとまず、原因と対策はハッキリした。
母の不整脈は、次第に落ち着きを取り戻した。


昨日は、懸命にリハビリを頑張っていて。
文字盤を指で触るようになってきていて。
買ってきた壁掛け時計を見ながら、少し微笑んだり。
甘いものが食べたい、と連呼していたり。
寝ている顔はとても穏やかだったのに。。。

体調崩すときは急降下。。。

でも、まぁ。
入院している以上は、何もないはずはない。
辛いけど。びっくりするけど。

マラソンだって、長距離になればなるほど
体が悲鳴をあげる。

おかーさんは、病名を告知されてから3か月経ち、
入院して2か月が過ぎた。

もっと長く入院している人からすれば
『2か月しか経ってないじゃん』って思うかもしれない。

でも、ごめんなさい。。。
2か月という期間、ホントに長く感じました。

4月18日に入院生活が始まり。
4月20日に抗がん剤治療開始。
4月25日に無菌室へ移動。
5月5日に肺炎を患いICUにて人工呼吸器装着。
5月8日に顆粒球輸血処置開始。
5月16日に24時間人工透析処置開始。
5月24日に気管切開手術。
5月31日に、ICU卒業。無菌病棟へ帰還。
6月1日から口腔外科的処置、皮膚科的処置開始。
6月2日からリハビリ開始。
6月26日に人工透析卒業、オシリの管も卒業。





そして、現在に至ります。
振り返ればあっという間だったかもしれないけど
この一件で、まだまだ長く険しい道のりなんだなぁ
と思い知らされた日でした。

おかーさん。
みんな応援してくれてます。
頑張ってるおかーさんの姿は、みんなを元気にします。
頑張ってくれてありがとう。
生きていてくれてありがとう。

おかーさんは、みんなにとってなくてはならない存在です。
頑張っていこうね。



page9へつづく。







昨日の面会時。
母がちょうどリハビリをしているところに立ち会えた。

母は、私を目でみつけると嬉しそうに笑った。

『頑張るからね。見てて。』

クチパクで私に伝えた。
このときの唇の動きは、不思議と一度で読み解くことが出来た(笑)
いつもなら、文字盤でたどりながら会話しないとわからないのに。
本当に不思議だ、親子のチカラかな(*ノωノ)

理学療法士さんは、母に語り掛けながら
指についているセンサーを丁寧にはずし、
ベッド上部をゆっくりとあげ、
足元のベッドをさげ、
人工呼吸器の管の向きや画面を触り、
酸素濃度設定も変更していたようで
アラームが頻繁に鳴り始めた。

療法士『足、コッチ(ベッドサイド)へ下しますよー』
母『・・・・・(コクコク)』


ゆっくりゆっくり、コードが絡まらないように
理学療法士さんは母の両足をかかげ、
ベッドサイドへ下した。

療法士『体、起こしますよー頑張ってくださいね~』
母『・・・・・』


理学療法士さんに支えてもらいながら、
無事にベッドサイドへ座る事が出来た!
※モザイク下手ですみません(´;д;`)※
DSC_0501
メソ『お・・・おおおお~~~!』

さすがに表情は苦しそうで、
頭を持ち上げるチカラはまだないらしく、
だらーんとチカラなくもたげたままだった。

普段、寝ている姿しか見たことがなかったが・・・
2か月ぶりに起き上がった母の姿は、
かなり痩せているような印象だった。。。

クチから食べ物を摂取しておらず、
オシッコもウンチも、管から排泄だから・・・
動きがかなり制限された状態が
2か月以上も続いたわけだし、筋力が落ちているのも無理もない。

首を上下左右にゆっくり、ゆっくり動かす。
体を少し動かすだけで、かなり体力が消耗するのだろう。
酸素量が徐々に減っていってるようだった。

理学療法士さんは酸素濃度を調整しながら

療法士『深呼吸しましょう~~吸ってー吐いて~~』
母『・・・・・、・・・・・、・・・・・っ』
療法士『吸ってー吐いて~~、吸ってー吐いて~~』
母『・・・・っ、・・・・・っ』


と、理学療法士さんの動きが止まった。

療法士『・・・・メソさん、今、声聞こえました?』
メソ『え!?』
母『・・・・・、・・・・・・っ、・・・・・・(深呼吸中)』

私はベッドから少し離れた場所から
見守っていたので気づかなかったが、
理学療法士さんにだけ

『シンドイ』

と、かすかに母の声が聞こえたようだった。

療法士『気管切開している間は、声は出せないはずなんですけどねぇ・・・』
メソ『そ、そうですよね・・・・』
療法士『でも、確かに聞こえたんです。というか今回が初めてではなく・・・今までにも何度かありまして^^;』
メソ『え!?おかーさん、喋れるん!?( ゚Д゚)』
母『・・・・・??・・・・っ、・・・・っ(深呼吸中)』


喋ってないよと言わんばかりに首をかしげ、
また深呼吸のリハビリを自発的にし始めた。

メソ『・・・・声、聞いてみたい。』
療法士『そうですね。何かの拍子に声が出ることがありますので、楽しみですね^^』
メソ『ハイ!( *´艸`)』


ベッドサイドに座っていた時間はおよそ10分程度。
ここまでが体力の限界のようだった。

ゆっくり、ゆっくりとベッドへ体を横たえ、
呼吸器の角度の調整を行い、痰吸入を施し、
次は手足のマッサージ処置に入った。

メソ『おかーさん、お疲れ様。めっちゃ頑張ったね!』
母『・・・・・(ニコニコと頷く)』
メソ『ご褒美に、奄美の曲かけるよ!・・・聴こえる??』
母『・・・・・・』
メソ『・・・・・・・』
母『・・・・(聴こえないと首を横に振る)』
メソ『じゃ、もう少しボリュームあげてみるね。・・・どう?』
母『・・・・・・・』
メソ『・・・・・・・・』



その時。


母『・・キコエル・・』


メソ&療法士『!!!!!』


聞いた!確かに聞いた!!!!
少ししゃがれた、母の声!!!!!
呼吸器のせいで、母の本来の声色ではなかったが
確かに聞こえたーーーーーー!!!

メソ『おかーさん!!今!!自分の声出てたで!!』
母『・・・・!?(ウソ!?の唇の動き)』

それから、何度か声を出そうと必死に頑張っていたが・・・・
体力の低下が気になっていたこともあり、
無理させたくなくて、おかーさんに休むように伝えた。

母は少し残念そうだった。

私が聞いた言葉はこの1回だけだったけど
嬉しくてうれしくて、奄美メンバーへラインを送ってこのことを伝えた。

動画も撮影したので、編集をし、拡散した(笑)
だってだって、ほんまにすごいんやもん!!!
母の事を心配してくれている友人や会社の同僚たちには
面会我慢してもらっているので、
動画を見せて安心させてあげたかった。

人工呼吸器を装着している姿に驚きを隠せないで居る人が多かったが
(当たり前だけど(;´Д`))
それでも、退院に向けて一生懸命頑張っている母の姿を見て
元気づけられている人がとても多かったのが嬉しかった。

おかーさんは病気になっても、
周りに元気を与えている。
それが誇らしくもある。

先日、闘病の末逝去された小林麻央さん。
周りに元気と勇気と、愛情を与えながら全うされたのだと思う。

『愛してる』の言葉。
命尽きる最後の時まで、思いやりの心を持ち続けた女性。

市川海老蔵氏の記者会見は、本当に泣けた。
私自身、麻央さんのブログの読者であり、
母の病気の事で気落ちしていたときに
真央さんのブログを読んで勇気づけてもらったことが何度もある。
いつか病を乗り越え、梨園の妻として再び活躍されるだろうと願っていた。
本当に悲しかった。失礼なことだけど、母と真央さんを重ねて見ていたから。

悲しかったけど、小林麻央さんの人生を乳がんでひとくくりにするのだけは
止めておこうと思った。彼女自身が、そう伝えていたからである。

「がん」になったことだけが、私の人生すべてではない。
愛する人と出会い、2人の宝に恵まれ、私は幸せだ、と言っていた。


素敵な言葉だし、母をそういうふうに考えるのをやめようと思わせてくれた。
うまく言葉が出ないけど。。。。
病気になっても、それがすべてではなく
長い長い人生のほんの一部なんだと真央さんが教えてくれた。

真央さんのように下を向かず、明るい未来を夢見て、
これからも母と一緒に歩んでいきたい。




小林麻央さんのご冥福、心よりお祈りいたします。






page8へつづく。






さて、本日はXデー・・・いやいやちがうちがう。

華麗に滑り倒したところで、本題に参りましょう。
以前、顆粒球輸血の為に白血球促進剤を投与したことを
読者の皆様は覚えてらっしゃるだろうか。

ワスレチャッタヨ!!ってかたは復習をどうぞ!


記事タイトル:気分は『一定時間無敵状態』

http://kanngaetudukeruhibi.blog.jp/archives/1992473.html
※リンクの貼り方いい加減勉強しないとなぁw※

本日は採血の日。
血液に異常がでていないか調べる日でした。
ハイ、検査結果は良好でした!
伏線貼ってたわりに期待を裏切りすいまてん(笑)

あれからひと月以上。
ホントに目まぐるしい日々だった。

それが今はどうだ。

人工呼吸器、人工透析をしながら生きてそこに母が居る。
回復状態はさらに上々な仕上がり!

今の状態は・・・・

・人工呼吸器装着(サポートモード、濃度35%)
・人工透析処置(週2→週イチ、離脱濃厚!)
・唇の動きがハッキリとしてきた。
・口腔内の出血はほぼなし、歯磨き開始できるようになる。
・リハビリの甲斐あって手足が結構動くようになってきた。

そして、今日の母の訴え。

『ココア!!ココア!!コ・コ・ア!!!』
『お茶飲みたい!お茶!お茶!!』
『飴!飴!!飴なめたい!!』


・・・・・

・・・・・・・・

えー、声は勿論出ていません(笑)
ではなぜ、言いたいことがわかったのでしょうか??

回答時間は30秒です。





















はいっ時間切れ!!!


正解は、、、


『文字盤を使ったから』
でしたー!!


文字盤とは、コレ。
yjimage[2]
ちなみに。
おかーさんの手が動くと言っても、
頭を書いたり手をあげるほどのチカラはまだありません。

なので、ある程度頭文字の唇のカタチをみて、
文字をさし、あたり文字なら頷いてもらい
ハズレ文字なら首を振ってもらうというやり方です。
結構大変な作業になるのですけど、
母にとっても良いリハビリになるので、
母自身がしんどくなるまでこの方法で会話しました(。-∀-)

読唇術にはほど遠い('A`)

話はもどりますが、母がしきりに訴えていた

『ココア飲む』
『お茶飲みたい』
『飴食べたい』


ですが、人工呼吸器をつけている間は
飲み込むことができないので、我慢してもらうしかないのです。

ただ、口腔内に甘い蜜などを塗布することはできると
仰ってくださいましたので、母にそう伝えると・・・

『・・・・・・』
yjimageK70R0JCB
明らかに落胆してました(´・ω・`)

誤飲、水分が気管に入ってしまうと
むせるどころの騒ぎではなくなってしまうので・・・・
  
思わぬ事故になり兼ねないとの事でした。


欲求が出てくることは、正直嬉しいことですが
同時に残酷だなぁと感じる事でもありました。

自分の体を自由に動かせない。
声を出して話をすることができない。
食べたいものも満足に食べれず、いつも流動食。。。

我慢、我慢な毎日なのに
強制的に我慢させなくはならない。


ストレスたまりそうだよね、これじゃ・・・
何かストレス解消になる事をさせてあげられればな。

おかーさんの唯一の武器であるキモチが弱ってしまいそう。

なーんて私の心配とは裏腹に
母は毎日のリハビリの甲斐あって

左手にナースコールを所持!??


『自分で押せるようになったで!( ゚Д゚)ドヤァ』

満足げな表情で私をみつめる母。
かーさん・・・まじで根性凄すぎ(笑)



page7へつづく。





17日、18日、19日、そして20日。

この4日間、奄美大島から
母の妹親子が面会に来てくれることになっている。
予定通り、17日の夕方6時に妹親子が病院へ到着した。

手を握り・・・嬉しそうに語り掛ける母。
涙ぐみながら、頷き返す妹。
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その娘たち。
1497784144266
声はやはり出せないけれど、
久々に会えた親戚たちに伝えたいことが沢山あるのか、
母は一生懸命会話をしようと頑張っていた。

母の気持ちが、今にも溢れだしそうで
時折顔をしかめ、涙を堪えていた。

『大丈夫だから。心配しなくていいから。』
『来てくれてありがとう。』
『頑張って病気治すからね。』


母の妹も、前々から大きな病を抱えていて
7月に入院が決まっているようだった。

これまでに年に2回、検査入院をしていたらしい。

自分の体調の事を考えれば、今回の和歌山訪問を見送るべきか
最後まで悩んだみたいだけど・・・・、

入院してしまえば、しばらくは退院できないかもしれないと思い
娘たちに連れて来てもらったようだった。

妹『メソちゃん、ありがとう。私、ホントに来てよかった。しばらく来れないけど、姉ちゃんの事、頼むね。。。』

母と言葉を交わせれば・・・会話が出来れば・・・、
どうしても、そう考えてしまう。

でも、母には会話ができなくても十分なように見えた。
会えただけで幸せ。そんな風に見えた。

本当のところは、わからないけど・・・、

和歌山の家族と会っている時よりは、
奄美の親戚たちと会っているときのほうが
笑顔の時間はかなり長いように思えたから(*'ω'*)


そして主治医の先生から、明るい未来のお話を聞けた。

近々、人工透析を離脱できるかもしれません。


『かもしれない』でも良い!ぜんっぜんイイ!!
『かもしれない』=可能性の話だからヾ(≧▽≦)ノ


ずっとし続けなければならないと覚悟していただけに
このお話は、本当にありがたかった。

母の腎臓が、着実に回復しているようで
自分でオシッコを出せるようになってきたらしい。

体中に水分が溜まっているので
全体的にむくんでいるが・・・・、

人工透析を離脱して、様子を見るのだという。

人工透析を始めてしまうと、
一生付きまとうものだと思っていたが。

一時的に離脱なのか。それとも卒業なのか。
人工透析についての詳しい話を、後日聞くことにした。



今週22日(木)。
この日、私自身の血液検査を血液外来で行う事となる。




page6へつづく。







母の状態をお知らせします!

主治医となかなか会えないため、
病状などの詳しい内容をお伝えすることができませんが
面会時の様子を書いていきます!
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6月15日(木)現在

❤肺炎の状態、良好!
❤心拍数、血圧、酸素濃度・・・良好!!
母の自発呼吸量が増えてきたため
呼吸器のモード?設定??を変更!
『強制』だったのが『サポート』に切り替え!
❤人工透析の頻度は毎日→火&土のみ!
❤首に刺していた人工透析用の針をわき腹に移動!
❤リハビリの時間延長に伴い、起きている時間が増えた!
❤支えをしてもらいながらベッドサイドに座ることができた!
❤口腔内の出血、完全に止血完了!唇が綺麗に生成された!
❤声は出ないけどニコニコしながら喋るようになった!!


△鼻からチューブを挿入し食事をとる
△手足などがむくんでいてはち切れそうである。
△意思の疎通などのコミュニケーションに難アリ。
△本来の治療『抗がん剤治療』を停止したままである。
△大腿部分の皮膚のただれが酷い。
△体温が落ち着かない。微熱~37℃後半。



こんなところでしょうか。
今までは悪い状態の割合が8、9割くらいだったのが
今では6割くらいまで下がった気がします。


ドナーは見つかっているのですが、
5月5日に母が肺炎を発症してしまっていたため
仕切り直しと言う事で、ドナー側の検査などは休止状態にあるようです。


無菌病棟へ移動して16日が経過しました。
何もトラブルが起きないよう・・・
このまま、順調に進んでもらいたいものです。


以上、中間報告でした!
今日は短めの記事です(*ノωノ)


読んでくださりありがとうございました┏○))ペコ


page5へつづく。



無菌病棟移動してから2日目の事。

この日は、仕事終わりに旦那と共に面会をした。
ちょうど処置の最中であったため
すぐに入室することが出来ず、しばし待機。。。

入室許可が出たので、母と面会をした。

私『・・・・!?』

母の口元には、血液が付着したガーゼを複数枚施されていた。
この状況だけを見たら、吐血したのかと勘違いする。。。

しかし、そうではなかったようだ。

母は口腔内を常に出血しており、
あまり衛生的とは言えない状況にある。
そのため、出血を止めるべく口腔外科的処置が必要となり、
衛生に保つためにも外来診察が必要となった。
yjimage[5]
午前中、口腔外科の医師の処置の過程で
唇に付着していた『かさぶた』を除去したため、
血小板の低い母は自ら止血することが出来ず・・・
絶えず血が流れ続けているのだという。

このとき、私は口腔外科医師に対して強い疑念を抱いた。
治療過程にせよ、かさぶたを『剥がした』となれば
出血が伴うことは容易に想像できるし、
結果、黴菌が侵入し再び肺炎が起こったらどうするんだろう・・・と。

看護師に詳しい説明を要求しても、
日勤と夜勤が交代したばかりでよくわからない、と言われ
要領を得ずにさらに悶々とする(笑)

こうなったら、主治医に説明を仰ごう。
次の日、主治医に説明をしてもらうよう看護師に伝えた。

おかーさんの口元のガーゼを交換したり、
拭ってあげたりした。

母はクチパクで『ありがとう』と言ってくれた。

時折、苦しそうな表情になる。
呼吸が辛いのか、体が痛むのか・・・・
その辺をどうしてもわかってあげられないのが歯がゆい。
わかったところで、自分にはどうすることも出来ないのも歯がゆい・・・

母は心配そうな表情の私に『大丈夫』とでも言うように
何やら唇を動かし、声は全くでないけど一生懸命しゃべり、
最後に『ニコッ』と笑ってくれた。

次の日。

仕事が終わり、父と一緒に面会へ向かう。
母は寝ていた。おそらく、治療の日々で疲れているのだろう。
看護師さんが点滴の交換に入室して来たので、
主治医と少し話が出来ないか尋ねてみた。

看護師『いらっしゃいますよ、呼んできますね^^』

と、わざわざ呼びに行ってくれた。
しばらくして、病棟医と主治医が来てくれた。

血液の診断結果を携えて、細かく説明してくれた。
肺炎のCRP値はゆるやかに下がっているのでまずまずの結果であること。
肝臓のビリルビンの値も減少傾向にあり危機的状況は離脱できた。
血小板の伸びが悪いこと以外は、比較的良好との見解だった。

昨日の口腔外科処置について、思い切って尋ねてみた。。。

主治医『およそ20日間ほど喉の奥にチューブが入っていたままでしたので、ICUに居たころは乾燥が酷く、口内炎もあり、ひどいただれなどの傷が多数みられました。その治療を施すために、クチを大きく開けてもらわなければならないのですが、口周りにべったりと『かさぶた』があったので、大きく開けることができませんでした。なので、無理やりということではなく、いけるとこまで時間をかけて、ゆっくりと除去させていただきました。放置し続けていても衛生面で言えば悪影響になりますので・・・元々、口角に口内炎があったのですが、主な出血の原因はそこからのようでした。もちろん口腔内も傷だらけだったのですけど、気管切開にしてからはみるみる口腔内のただれは回復してきているので、今は特に問題はないようです。』

はー、聞いてよかった。。。。w
まぁ、病院のすることだからほぼ間違いはないんだろうけど(;´・ω・)
聞いておかないと、どうしても不安になるし。。。

唇の周りが痛々しいのも含め、
口腔外科的治療によるケアをしてくれていたようです。


こちらの質問に対し、きちんと説明してくださるので
お医者様に恵まれたなぁ・・・と改めて思いました。


page4へつづく。



父『・・・!?おい、大丈夫か!?』
母『・・・・・、・・・・・、・・・・・っ』


とても苦しそうな表情の母に、
何をどうしていいのかわからず
ひとまずナースコールを押すが・・・
ナースステーションからの応答がない。

父『すぐ呼んでくるからな!』

母にそう言い、ナースステーションを覗いても誰も居ない。

父『・・・・、なんで誰も居おらんねや・・・!』

静かな病棟。人の気配がない。
就寝時間はとっくに過ぎているため、廊下は当たり前のように薄暗い。
yjimage[2]
父は看護師を探し続けた。
すると、緩和ケアから歩いてくる1人の看護師を見つけた。

父『すんません!アラームが鳴ってて。。。診てもらえませんか!?』
看護師『はい!確認します!』


病室へ看護師と入室した時にはアラームは止まってはいたが
心拍数上昇、酸素供給、血圧が低下していた。

看護師は、痰の吸引が必要だと判断。
母に断りを入れ、吸引の処置に取り掛かった。

看護師『・・・・はい、すぐ終わりますよーもう少し、頑張ってください・・・・』
母『・・・・・っ』
父『・・・・・』
看護師『・・・終わりましたよ、お疲れ様でした^^』
母『・・・・(うんうんと頷いた)』

父はホッとした。

看護師『頭の位置はどうですか??』
母『・・・・・』
看護師『ちょっと下げますかー??』
母『・・・・(うんうんと頷いた)』
看護師『はーい、じゃ、少しさげまーす・・・どうですか??』
母『・・・・(苦しそうな表情で首を振る)』
看護師『ん、もうちょっと下げますー??』
母『・・・・(イヤイヤと首を振る』
看護師『下げ過ぎたんですね、ごめんなさい。少しあげまーす・・・どうですか?』
母『・・・・(うんうんと頷き、目を瞑った)』


父『・・・・今、どういう状態だったんですか??ちょっと、よーわからんくて・・・』
看護師『あ、はい。人工呼吸器をつけているかたは定期的に吸引処置が必要になるのですけど、溜まってくると呼吸がしづらくなり、患者さんの心拍数が上昇してくるので、アラームが鳴るんです。アラームの種類はいくつかありますので、まずはモニターをチェックし、どれが原因として一番疑わしいかを判断しています。酸素が正常に供給されるようになったので、奥様はお休みになられたようですね^^』
父『・・・あぁ、そういう状況だったんですね。ナースコールを鳴らしてもすぐ来てくれなくて、結構焦りました・・・』
看護師『そうですよね、申し訳ありません(>_<)必ず誰かはナースステーションに1人常駐していなければならないのですけど、今日は3人しか居なくて・・・・言い訳をするつもりではないのですけど、たまたま全員出払っているときにナースコールが鳴り、対応が遅れてしまいました(>_<)お母様はご自身でナースコールを押すことができないので、他の患者さんより優先して診ては居るのですけど・・・・コールが被ってしまうと、迅速な処置が非常に難しくて;;;』
父『たった3人なんですか!!それは忙しいですね(>_<)』
看護師『看護師不足が深刻でして、病棟は何人もの患者さんを掛け持ちで看なければならないので、特に続かない人が多くて;;;不安にさせて本当に申し訳ありませんでした(>_<)』
父『いえいえ・・・大変ですね、看護師さんも・・・・』
看護師『なるべく迅速に対処させていただきますね!ではまた何かありましたら仰ってください。失礼しますm(_ _"m)』
父『どうも、ありがとうございました┏○))ペコ』


父は、看護師さんが出て行ったあと
母の顔を覗くと・・・・起きていた。
さっきの会話を聞いていたのだろう。
しきりに何かしゃべりたそうにクチを動かしていた。

母『・・・・・、・・・・・・。・・・・・・・!』
父『・・・・ん??もう一度呼ぶんか??』


母は首を振り、しきりに何かを説明する。

父『・・・・・?』

母は視線をドアの方へ向け、さらに何かを説明した。

父『・・・・ひょっとして、帰れって言ってるんか?』
母『・・・・(うんうんと頷いた)』
父『お前、しんどくなっても自分でナースコール押せやんのやぞ?』
母『・・・・・』
父『傍におるから、もう休め』
母『・・・・(首を振り、か・え・れのクチの動きを繰り替えした)』
父『・・・・・わしが居ると、休めんのか??』
母『・・・・(うんうんと頷く)』
父『・・・・わかった。泊まらなくても大丈夫なんやな??』
母『・・・・(ニッコリと頷いた)』
父『じゃ、今日はこれで帰るわ。また明日来るからな。』
母『・・・・・(目を瞑る)』



父は、深夜2時ごろ帰宅したようだった。
次の日、会社にて私に昨日の出来事を話してくれた。

母は、ナースコールを押せない体でも
家族に頼ろうとせず病院側を強く信頼し、
『私の事はいいから休んでください』とでもいうように
この日を境に家族との長時間の面会を拒むようになった。



page3へつづく。





無事に引っ越しが済んでからその日は、
レントゲン撮影、エコー、CT、人工透析、体のマッサージケア等々・・・
母にとってはイベント盛りだくさんのめまぐるしい1日となった。

私は引っ越し当日、病棟医から心配停止した時の話を聞き終え
母が落ち着いて病室へ戻ったのを確認してから会社に戻り、
病棟医に言われたことを報告し、相談をした。

報告は心配が停止したときの対処方法や検査の概要、結果。
相談内容は、強制ではないが今夜家族の誰かが
母の病室へ泊まることが可能であれば
傍についててやってほしい、と言われた事だった。

病棟医は私に言った。

病棟医『今まではICUで24h、患者1人につき1人の看護師がついていたので手厚い看護が出来ていたのですが・・・ICUに比べると看護師の人数が極端に減ってしまうので、日中は看護師1人がおよそ5~6人の患者を兼用で看ることになります。お母様は特別観察室で治療しているので、他の患者さんよりは優先して診てもらえる状況下にあります。1時間に1度の頻度でお伺いすることになるのですが、夜になると、看護師の人数がさらに減ってしまうのでなかなか来ることができない可能性もあるんです。お母様は声が出ず、腕を動かすチカラがないため、用事があってもナースコールを押すことが出来ません。センサーで拾うにしても、チカラが弱すぎるため反応しないのです。お母様はひょっとしたら不安に思うかもしれないので、ご家族の誰かが傍についていてくれれば、万が一看護師がなかなか来れない状況下になっても、多少は心強いかと・・・』
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・・・そっかぁ、そういう状況なんだ・・・
ナースコールが押せないなら、確かに不安がかなり大きい。
息が苦しくなっても、ただ待つしかできないのだから。

【人工呼吸器のデメリット】
・痰が定期的に溜まる。

気道がふさがってしまい、息苦しくなる。

詰まってしまう前に除去。

吸引している間は呼吸ができない。

患者の苦しさは変わらない・・・。

除去後は、気道確保ができるので呼吸がしやすくなる。

また、痰が溜まる。

繰り返し・・・・・
「痰吸引」の画像検索結果
こんな感じで処置していただいております・・・。





吸引している間は、心拍数が上昇している。
チューブを取り外しているためアラーム音が鳴り響く。
装着している間は、これが延々と続く・・・・(>_<)

また、人工呼吸器を装着しているとはいえ
母も多少は自発呼吸が出来ている状態なので・・・

・時々、人工呼吸器と喧嘩する。

つまり、規則正しく酸素を送り続けている人工呼吸器に対し
母の自発呼吸とタイミングが合わず、苦しくなるようで
眉間にシワがよることがしばしば起きた。

息継ぎのタイミングがうまくできないのだ。

水面はすぐそこに見えているのに
顔を出したくても出せない状況に陥るのだろう。。。

想像でしかないけど(´・ω・`)
こんな状態でどうやって寝るんだ・・・・


・ベッドの角度によって息苦しさが変化する。

チューブが正常な状態(屈折していない状態)なら
酸素供給は安定しており、痰が詰まらない限りは
息苦しさはさほど感じ無いようである。

が・・・・、

ベッドの上部を上げたり下げたりしたとき、
チューブが屈折してしまう事があるようで
操作をするときは充分に気を付けなくてはならない。

少しだけベッド上部を上げた状態のほうが
母は落ち着いて寝ていられるようだった。






父がこの日、泊まることにした。
看護の観点では何もできないが、
母の異変に気づけばすぐナースコールを押してやれるから・・・
理由はそれで十分だった。

仕事を終えて、風呂と食事を済ませ
病室へやってきた父。
特に何をするわけでもなく、
ただ、看護師の処置を眺めていたり
母に言葉少なに語り掛けていたようだ。

夜はどんどん更けてゆき・・・
父もうとうとし始めた頃。


けたたましいアラーム音が病室中に鳴り響いた。


page2へつづく。


こんばんわ、メソメソです。

今日は『患者の家族の在り方』について
私の独断的価値観を話したいと思います。

というのは・・・・

母が集中治療部で治療を受けている際
面会申請をして呼ばれるまでの間、
家族待機室に居なければならないのだが
病院の事をとても悪く言う人が何組も居たので
聞いてるうちに段々腹が立ってきたからである。
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まぁ、結論から言えばこの記事は
『病院に対して愚痴を延々と言っている人をディスった内容』
となるため、興味の無い方は華麗にスルーお願いします(*'ω'*)

それでは、早速参りましょう。

文句を言い続けているご家族様にお尋ねします。
あなたたちは、
自分の家族の病気を
どこまで理解できていますか?


これが病院の悪口を言う家族へ対する一番の疑問。
私たちの世代なら、今やインターネットの普及に伴い
ありとあらゆる情報が網羅されているため、
正確な情報か否かは別として『自分で勉強することができる』。
大体文句を言う人たちって、70代以上??の方が
比較的多いような気がする・・・・。

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
『やっぱりここの病院はアカンで。』
・・・?何がアカンのですか?

『ここに来てから一段と悪くなったわ。』
・・・・どんな病気か知らんけど、じゃあ
他の病院だったら治るって言いたいの?


『一生懸命説明してくれるけど、よーわからへんねん。』
・・・わかってないなら医者のやることに文句言うなよ。

『若い先生多いし、大丈夫なんやろか。』
・・・まぁ、そこは同感やけど。
でも、ウチの主治医は若いなりに
一生懸命対応してくれてるけどな~。

『なんせ待たせるよな。はよしてくれたらいいのに』
適当な処置されるより全然良いと思うけど?
医者の数より患者の数のほうが圧倒的に多いし、
大学病院なんやからしゃーないやん。
同じ待つ身なら患者のほうが体しんどいわけだし、
自分ら優先で物事を考えるのいい加減やめたらどう?

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

説明してくれてもよくわからない、とか
いつまで待たせるんだ、とか
薬ばっかり出されて一向に良く治らないとか、
このあたりの愚痴がとても多かった。

病気って患者によってさまざまなケースがあると思うし
その人に合った治療法、薬物が見つかればいいのだけど
なかなか一朝一夕では行かないことのほうが多いと思う。

すべての医師に該当するかどうかはわからないけど
だいたいの医師は丁寧に説明してくれる人が殆どだと思う。
なるべくわかりやすく、砕けた言い回しで。
患者の家族に対しても親切に対応してくれていると感じている。
邪険にされたことない。
カンファレンスでも上から目線ではなく、
常にありのままをお話ししてくれているので
内容によっては精神的につらいこともあったが・・・
それでも、母の主治医はとても誠実に、
前向きに治療をしてくれていると実感している。


でも・・・大きな病院であればあるほど・・・
本当にいろんな先生が在籍しているので
医師対患者の相性の問題は、少なからずあると思う。
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主治医に心無いことを言われ、
治療に前向きになれないとか。

言葉足らずな説明に納得がいかず、
高額な治療を強いられ病院を変えたいと思ったりとか。

担当看護師がガサツで、
とにかく落ち着いて行動してほしいとか。

いろんな要素を含んでの、
セカンドオピニオンなんだと思う。

要は、この病院で治療はしたくないという結論なのだろう。

私たちもこのセカンドオピニオンについて、
相当揉めたものである。

父はセカンドオピニオン派。
私は反対派。
父がセカンドオピニオンを希望する最大の理由は、
『肺炎になったのは医者のせいだ』と強く恨んでいることと
主治医の年齢が圧倒的に若く、頼りないと思っていることにあった。

この病院で果たして良いのだろうか。
第一任者の居る、他府県の国立がんセンターへ行くべきではないのか。。。
おかーさんの病気を治したい。でも・・・・
他府県の病院だと、一緒に居られる時間が極端に減ってしまうし
この間のように、すぐ来てくださいと病院から連絡が来ても
他府県だとすぐに行ける距離でもない。

病院を移動するかどうかについては
まだ結論が出ないままである。

私は、父を含め病院の対応について文句を言う事しかできない
家族様にヒトコト、申し上げたい。

人間の体に潜む『病気』は、カラダが生きている以上
『病気』だって生きているんだと言う事を意識し、
病気は現在進行形であることをまずは認識しておくべきだ。と思う。

早期発見、早期治療を行い・・・・
良くなっているにしろ、悪くなっているにしろ
『現在進行形』であるのは間違いないと思っている。
何故なら、患者の体は『生きている』のだから。

では、病気は死なないのか?
私は、カラダが死ねば病気も死ぬと考える。

数値は安定し、退院をして普通の生活ができるようになっても
なりを潜めているだけで、病気が大人しくしているだけで
体の中に存在し続けると思っている。

私は今健康だけど、
自覚症状がない(気づかない)だけで
ひょっとしたら病魔が息を潜めているかもしれないと思っている。

だから、毎年健康診断に行く。
健康診断で見つかった時には、ひょっとしたら手遅れなのかもしれない。
治るかもしれない。予防できたかもしれない。

かもしれない、かもしれない、カモシレナイ。

ぜーんぶ、後付け。
結果論。

この病院に居なければ、
母は人工呼吸器をつけるほどまでに
容態は悪化しなくてすんだのか??

他の病院だったら良かったのか??

違う医師が担当していたら、
母はこの場に居なかったかもしれないのに??

肺炎になったことを病院に対し責めるなら
家族の健康について普段からどんだけ気にかけてたんだよ。

おかーさんが元気な時は、特に気にかけてなかったじゃん。
おかーさんが具合悪い時、会社早退させなかったじゃん。
まったく心配してなかったわけではないのだろうけど
なんで口内炎がどんどん酷くなっているのに
無理に病院連れて行こうとしなかったんだよ。
顔めっちゃ青白かったやん。。。。

言い出せばキリがないよそんなもん(笑)

父ばかり責める私も同罪である。
日ごろから母に甘えてばかりで想いやってやれなかったから
病気にどんどんカラダが蝕まれていくのを見過ごしてしまった。

悔やんでしょうがない。
誰を責めようもない。
なるべくして、成った事。

だから、私たち家族にできることは
病院を責める事でも、悔やむことでもない。

主治医の話をきちんと理解し
病気を真正面から受け止め
病気に負けまいと治療に励む患者を全力でサポートすること。

納得した上で、治療にのぞむことが一番重要だと感じた。

文句言って治るんなら、
いつまででも文句言い続けてやる。

でも、母はそれを望んでいない。
母は、高望みをしない。
ただ、生きてさえいれば幸せ。
そう考えることができる人なんだ。

だから、私は誰かのせいにするのを卒業した。
先生の話をしっかり聞き、理解し、
病院の言いなりではなく、後悔のないように治療をしてもらいたい。
時間を許す限り、私は母のチカラになるように支えたい。



独り言にお付き合いくださりありがとうございました┏○))ペコ




☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
当記事に関してですが、実際の体験を元に
書いておりますが、私の誤解により事実と
異なる記述があるかもしれません。
気になる箇所があった場合は訂正しますので
個別にご連絡お願いいたします。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★


こんばんわ、メソメソです。

今更ですが・・・・
今回は入院保険について少しだけお話しさせてください。
あと、高額医療制度についても記述しておきます。


高額医療制度とは!

医療費が高額となった場合に、患者の負担を軽減する制度。暦月(月の初めから終わりまでの1か月間)で、医療機関や薬局の窓口で支払った医療費の自己負担が一定額を超えた場合、超えた金額が健康保険組合などの公的保険から支給される。ただし月をまたいで医療費を合算することはできない。給与所得者などが加入する健康保険自営業者のための国民健康保険など公的医療保険制度に共通の仕組みで、支給額は加入者の年齢が70歳以上かどうかや所得水準によって異なる。たとえば、70歳未満で一般的な所得(月収53万円未満)の人の場合、1か月の医療費が100万円かかり、そのうちの3割(30万円)を窓口で自己負担した際に、実際の負担上限額は8万7430円で済み、21万2570円が高額療養費として支給される。直近1年間で3回以上高額療養費の支給を受けると、4回目からは自己負担の上限が4万4400円にさらに下がる。同じ月であれば複数の医療機関の自己負担額を合算でき、同じ世帯に住むほかの人(同じ医療保険加入者)の自己負担額を合算して支給を受けることも可能である。ただし、入院時の食費や差額ベッド代(個室代)、先進医療にかかる費用などは対象外である。
 高額療養費制度を利用するには、健康保険組合などの公的保険に支給申請書を提出しなければならず、支給までに3か月程度かかる。診療を受けた月から2年間は、過去にさかのぼって支給申請できる。血友病の因子補充療法や人工透析など、高額な治療を長期間続けなければならない人には、個人負担上限を1万円とする支給特例がある。事前に「限度額適用認定証」か「限度額適用認定・標準負担額減額認定証」の交付を受けて医療機関に提示すれば、自己負担額を超えている分について、医療機関に支払う必要はない。なお、毎年8月から1年間にかかった医療保険と介護保険を合算して高額となる場合に、その負担を軽減する制度として高額医療・高額介護合算療養費制度がある。[編集部]

ふー^^;コピペ感満載な文章ですけども
読むのだけでも億劫になりますね。
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そんな貴方に要約すると!

つまり!対象となる人の所得や年齢に応じて限度額が異なり
限度額が超えると支給は数か月後になってしまいますが
ちゃんと払い戻しがあるっていうありがたい制度なんですね。

これは社会保険事務所に申請を出しました。
必要書類は自宅へ送付してもらい、
申請は入院して1か月経ってしまいましたが
ちゃーんと入院日から現在に至るまで適応できたようです。


請求金額みるだけで心臓麻痺が起こりそうですね。。。
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ちなみに皆さんは自分の保険について、どのくらい把握されていますか??
私は・・・保険の事って、ぶっちゃけよくわからないことが多いし
何よりもめんどくさいし・・・どうでもいいやと言わんばかりに放置しておりました。

そもそも、
いい歳なのに
親に任せっきりで
無知ときた!!


本当にお恥ずかしい限りです。。。

わからないまま放置している間にも、
母の病気は進行し
通院で治療が始まり
入院して退院の目処が立たず・・・・、
肺炎を患い集中治療部へ緊急処置を施さなければならなくなり
人工呼吸器を装着、約1か月寝たきり生活・・・
今では自分の体を自由に動かすことが出来なくなってしまいました。

忙しいのを理由に大事な手続きを怠ってしまったことにより
母の直筆サインが必要な書類の提出が出来ず
すごく手間がかかり、結果苦労することになってしまいました。


準備って本当に大事です。
まず・・・・

母は『かんぽ生命』と『アフラック』に加入しています。
いずれも、入院保険や生命保険、がん保険などに入っているのですが
給付金をもらうためには『医師の診断書』が必要となり、
1通につき発行手数料4千いくらほどかかり、
しかも基本的には退院の目処が立たないと
給付金が受け取れないとゆー
仕組みのようです。。。。

まぁ、苦労はしましたが結果、受け取ることはできましたw
yjimage[8]
ジェバンニは一晩でやっちゃったかもですが
メソメソは2週間以上かかりました(笑)
その経緯に至るまでをなるべく詳しく書きますね。



私のバヤイ。
※一時給付金を貰えるまで※

①保険窓口に提出するための医師の診断書を貰いに病院窓口へ向かう
②診断書を書いてもらうための『申込書』を書く
③約1時間ほど待たされて窓口で案内されるも、退院日が決まっていないので門前払いされそうになる
『病名が確定すれば一時給付金が貰えると保険員から聞いた』と必死で訴え、なんとか書類を押し付ける
⑤『お母様の直筆サイン』を求められ、集中治療部で処置中のため意識がなく提出できないと答えると・・・
⑥『診察券』の提出を求められ、本当に入院しているのか確認をするため数分待たされた
⑦確認がとれたようなので、『診断書』が出来上がるまでに2週間かかるらしい。出来上がり次第電話をくれるようだ
⑧受け取る際、母の直筆のサインがないので娘であるための証明『戸籍謄本(抄本?)』が必要になるので必ず持参をするようにとしつこいくらい言われた。あと、私の身分証明書と引換書も。
⑨2週間以上経過し、ようやく電話が鳴ったので取りに行った。待ち時間は相変わらず長かったが、無事に受け取ることが出来た。
⑩受け取った診断書、保険給付請求書、母の保険証のコピーを同封し、保険会社へ書類を送る。
⑪10日後、指定口座へ一時給付金が振り込まれた。(100万円)


今回すぐ貰えたのは一時給付金なのですけど
これは病名が確定したから貰えた給付金でした。

本来は退院日が決まらないと保険金はもらえないのだそうです。

しかし、長期入院となると・・・・
お金なんてすぐなくなっちゃいますよね^^;
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には行きませんよねー。。。。

なので、長期入院の場合は
発行手数料が都度かかってしまうのですが
1か月単位で診断書を発行してもらい、
保険金をいただきながら不足分は自己負担で
支払われているケースが多いのだそうです。

つまり、私が当記事で言いたいことは・・・・、

本人が元気なうちに必要な書類にすべてサイン!!
受けられる保険をできる限り把握しておく!!

もう・・・本当コレに尽きます。。。。

後回しになんて絶対にしてはいけません。
放っておくと、
大変なことになりますよ。





今回もお付き合いくださりありがとうございました┏○))ペコ




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