メソメソのblogー母が骨髄異形成症候群になる-

2017年3月16日、母が60歳にして骨髄異形成症候群と診断されました。
このブログは母の闘病記録して更新していきます。

カテゴリ: 家族



奄美大島縦断の旅!つづき☆


2日目。
ホテルをチェックアウトしてから、
車を数時間かっ飛ばし、
山ふたつ?くらい超えたあたりで・・・


ようやく、街並みが見えてきました。
道中、スーパーへ立ち寄り、
ご飯を軽く食べながら、
ひたすらひたすら、休憩しつつ車を走らせました。
この日は、母の住んでいた故郷へ足を運びました。
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目的地は、嘉鉄(かてつ)というところ。


今はだれも住んでいないので、
母の妹さんが時々家に足を運び、
窓を開けたり、掃除をしてくれています。


台風の被害に合いやすい奄美大島では、
なるべく被害を最小限に抑えるために
平屋の1軒屋が多い印象。


母の実家は、駄菓子屋をやっていたらしい。
ネコを何匹か飼っていて、
近所の子供たちが小銭を握りしめて、
買いに来ていたようだった。

そういうおうちで育った母は、
生前、小さなお菓子屋さんをしたいのだと言っていた。


海の見える、とてもいい場所に実家があった。
お墓は、とても立派だった。
高さはおよそ3メートルくらい?
幅も結構広い。
私の家のお墓よりも、3倍ほど大きい・・・
奄美大島のお墓は、どこの家も大そう立派なものでした。


お線香を添えて、手を合わせました。
すると、墓地の前に停めていた、
軽トラックの持ち主であるおじいさんが話しかけてきました。


じいさん「あんたら、○○さん(母の旧姓)とこの?」
私「あ、はい。そうです。娘です。」
じいさん「昔、よう遊んでたんやで。この海で。」
私「母を知ってるんですか??」
じいさん「もちろん。ワシのほうが年上やから、生まれた時から知ってるよ」


嘉鉄に住んでいる人たちは、
血縁は違えど
みんながみんな家族のようなお付き合いをしていました。
鍵は開けっ放し。
家に上がり込むと、ごはんやお茶が出てくるのだとか。


・・・こちらでは考えられないことだけど、
こうした地域のつながりや人間関係のおかげで
犯罪が少ないのも頷ける。


おじいさんは、母がここで育った時のことを
懐かしむように、私に話してくれた。


そして、「またおいで」と言ってくれた。
素直に嬉しかった。
私とおじいさんは初対面なのに、
またおいで、と言ってくれたことが。


母妹さんが実家の鍵を開けてくれていたので、
お供えを済ませ、お線香を炊いた。


しばらくそこで休憩していたら、
母の妹さんと、その娘さんが来てくれた。


お餅をついたのだと言い、
わざわざ持ってきてくれたのだ。


お仏壇にお花を活けたあと、
母妹「戸締りは私がするから。ゆっくり休んでていいよ」
と言い、その後旦那と2人でしばらくアルバムなどを眺めてくつろいだ。



夕方になってきたので、
母妹さんに「そろそろ出ます」と伝え、ホテルへ向かうことにした。


道中、こんな場所をみつけた。
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休憩がてら車を停めて、
しばし休憩することにした。


ハートは、、、私には見えなかった(笑)
おかしいな、ココロはピュアなはずなのに((
とりあえず撮影テクニックゼロだけど画像載せておきます。
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あと、もう一軒寄り道したので画像をぽぽいっ。
なんとなく、立ち寄った場所です。
パイナップルっぽい果実?が成っていました。
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パイナップルではないようす。
もう一枚、ナショナジオ風な写真を撮れました。
モデルは旦那です(笑)
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パイナップル風果実を発見した場所で撮影しました。
ただ逆光になっているというだけで、
全然雰囲気が違う写真になりました(笑)
夕方と言っても、全然明るかったんですけどね。


この日の大半は、移動にだいぶ時間を使った日でした!



つづく☆













こんばんは、メソメソです。


すっごい今更なんですが、、、
書きたくても書けなかった記事を書かせてください。

昨年末に行ってきた、奄美大島の思い出話。


初めて過ごした、奄美大島のお正月!
レンタカーを借りて、奄美大島を駆け抜けてきました。


空港に着いたとたん、、、、


「あっつ!!!!」


着ていたコートを脱ぎ捨てましたよ(((


とても過ごしやすい、良い気候でした。
当時は12月末頃ですよ・・・
本当に寒くなかったです。


現地のかたなどは、
体格のいい男性に限り、半そで半パンでした(笑)


観光してきた場所をご紹介していきますね。
奄美大島マジでいいとこです、
ぜひ観光にお勧めです!!!


まずは・・・


(*゚∀゚)っ【ハートロック海岸】


参考サイトを載せておきます!
http://www.town.tatsugo.lg.jp/kankou_bunka/sizen_siseki_meisyo/heart-stone.html


潮時時のみに現れる、パワースポット認定場所??
カップルで訪れたい、または恋を頑張りたい方にお勧めな場所。


私たちが訪れた時間帯は午前9時過ぎでした。


潮の時間帯などはまったく調べもせず、
ただ宿泊したホテルから近かったという単純な理由から訪れました。


目的地へはカーナビの恩恵もあり、迷うことなく付近まで到着。
ただ、駐車場がわからずで、、、、


親戚にLINEで聞いてみました。



親戚「路駐でいいよー(・∀・)ノ」


・・・・なるほど!
さすがは奄美。
路駐したところで駐禁は取られないということなんですね!

※場所にもよると思いますので悪しからず!※


ちょうど茂みというか、空き地っぽいスペースがあったので
そこへ駐車し、歩いていくことに。


すぐに看板をみつけました!
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手作りってところが愛着わきますね!


この看板から先へ、茂みを抜けていきます。
足場が悪く、なんだかジャングル奥地のよう。
ハブに注意をしなくては。。。。


あ、余談ですがハブを捕まえて市役所??へ持っていけば
お小遣いをくれるそうですよ!!
捕獲時、噛まれないよう気を付けてください!!


そして・・・
茂みを抜けた先に見える景色がコチラ!
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スッゲーーーーーーキレイ!!!!


砂がとてもサラサラしているので、
靴の中に砂がめっぽう入ります・・・
訪れる際は歩きやすい恰好で行くことをお勧めします。


遠方に見えるのが、
私をさっさと置いて進んでいく旦那(笑)


何組かの先客がいました。
スマホ片手にベストショット(つまりインスタ映え)を狙って
バシャバシャと撮影しまくってます!


私たちも、何とか頑張って撮ってみました。
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インスタやってないけど、イイネいっぱいもらえるかな!?(笑)
写真以上に、ナマで見る景色はご利益ありそうなスポットでした。


旦那が必死で撮影を行っているのを撮影してみると・・・
ナショナジオ風な画が撮れましたので掲載(笑)
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逆光が逆にイイカンジ♪('◇')ゞ

1時間ほど遊んだので、
汗を軽くかいてしまいました・・・


のどが渇いたので、
近くのファームカフェで休憩!


旦那はソフトクリーム、
私はスムージーを注文♪
名前忘れました、ごめんなさい((+_+))
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濃厚で冷たくて、めちゃウマかったっす!!
お値段は・・・・ムフフ(笑)

牧場の従業員さんの飼い犬かな?
やたら吠えられました(笑)
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そして同じスペース内に黒ヤギさん白ヤギさん!
ケンカしないのが不思議・・・・
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オウムもいましたよ!
「コンニチハ!」
「コラァ!」
「アホー!!」
の3つの言葉を発していました(;´Д`)


観光客がいたずらに教えたのでしょうか。
オウムの鳴き声がとても面白かったので、
粘り強く動画を撮影しました!



つづく☆










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ある日の会話。


父「メソメソ。おかーさんのケータイ、解約してもいいか?」
私「・・・・あー・・・・」
父「おかーさんのケータイ、メール受信してへんやろ?」
私「・・・まぁ、頻度は減ってるけど。まったくないってわけじゃないよ。」
父「そうか。まぁ、会社で契約してるってのもあるしなぁ・・・」
私「うん、そうやね。お父さんがそれでいいなら、解約しよっか」


2月17日(土)に、母の携帯を解約することにしました。
本当は、解約なんてしたくなかったけど。
お金かかるし、ガラケー自体将来使えなくなる、とのことだったので、
やむおえず、といった感じでした。

通信できなくなった黒のガラケーは、
母の仏壇の前に置いてあります。


メールの通信記録、アドレス帳。
何も触ってません。
当時のまま、置いてあります。


友人が多い母なので、少しずつでも、、、
携帯を解約したことを
ご友人たちにお知らせしていこうと思います。




おわり





こんばんは。


こちらのブログ更新、かなり久々となってしまいました。
母の葬儀から数か月経った今、
私の身の回りの様子が、少しずつ変化してきております。


近況報告としまして・・・


まずは仕事のほう。


昨年11月末に新入社員様に入社していただき、
今年1月中旬にも二人目の新入社員様に入社していただくことになりました。


新入社員研修は、私の担当です。


主な業務内容としては、事務職を全般にやってもらう予定です。
私が今までやってきた雑務全般を振り分け、
経営側の勉強をこれからしていかなくてはなりません。。。


要は、出世したってことです^^;


今は父親が会社の代表になるのですが、
世代交代の時期がやってきました。


と言っても、すぐにということではありません。


何事においても、引継ぎ期間がないと・・・ですしね。
やらなければならないことは沢山あります。


会社のことは、だいたいこんな感じです。


次は、プライベートのほう。


おばあちゃんちのリフォームの話が、
徐々に現実味を帯びてきました。


今までは賃貸物件をウロウロしてきていましたが、、、
いよいよマイホームを手にすることができるのです。


その打ち合わせで、結構手間を取られますが、
そこはまぁ旦那に協力してもらって・・・
まぁなんとか(笑)(笑)(笑)


業者は父の弟。。。つまり叔父です。
身内なので気を遣わなくて済むので、
結構ありがたかったりします。


プライベートの動きは、まぁそんなところです。
旦那も元気、私も元気。
父は血圧高めで、弟は喫煙者特有の咳が出ていますが、
どちらも即入院、というほど具合は悪くありません。


そして、母の事。


気持ちの整理ができてきたのか、
泣くことはほとんど減りました。


年明けに、私の友人たちや
母のご友人たちが実家に訪れてくれて、
お供え物とお線香をあげてくださいました。


…本当に、ありがとうございます。
嬉しくて涙が出ました。


母は生前、「80歳まで仕事する!!」と息巻いていたので
年明けからは、母の写真をもって出勤するようにしました。


カウンターへ置いて、
ドアが開いたら「まいどぉ!」って
いつもみたいに元気よく挨拶しているように思えます。
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画像が暗めですが、ご容赦くださいm(_ _"m)


ケータイは、時々メールを受信しているようで、
ディスプレイが光っています。



母が乗っていた車は、弟が出勤時乗っています。


母が使っていた服は、
着れそうなものを奄美の叔母たちに差し上げました。


仕事着は、会社に置いてます。


ちょっとした用事でさえも、
母の写真を持って、母が身に着けていた腕時計をつけて
出かけています。


私の体に母が宿っているような錯覚に陥るときがあり、
ウソみたいな話ですみませんが
無性にウナギを食べたくなる時があるんですね。



とても大好きだったウナギ。。。



入院時、ウナギのクッションを抱いて、
微笑んでくれた母。



新しい年が始まってもうすぐ1か月経ちますが、
気持ち新たに頑張っていきます。



応援、よろしくお願いいたしますm(_ _"m)
本年もどうぞよろしくお願いいたします。













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久々の更新です。



少し前の事になるのですが、
奄美の旅行から直後、
父と弟が体調を崩してしまいました。



弟は、1週間ほど会社を休み、
39度台まで高熱が出て、喉の腫れ・痛みを伴い
食欲は低下し、胃腸の機能も低下していたようだった。


父に関しては、何時からかわからないほど
咳が続いている。熱はなし。ダルさもなし。。。


弟は市民病院で受診をしたあと、扁桃腺が腫れていたので
4日間ほど抗生剤を含めた点滴通院となった。
内視鏡検査とレントゲン、血液検査をしてもらったが、
インフルエンザでも、肺炎でもなかったようだ。



父も喉を診てもらったが、
風邪と診断され咳止めの薬をもらった。
むしろ咳よりも、血圧がとても高いと言われ(170程度)
血圧を下げる薬をもらいながら、
自分で毎日血圧を測定するよう指示されて帰ってきた。



私はと言うと、実は少し風邪っぽい症状が出たのは出た。
喉のかゆみ、倦怠感、関節の痛み、熱っぽさ。食欲若干なし。


会社を休むわけにもいかないこの時期、
私は早々に会社近くの町医者で診てもらい、
PL(粉薬)と解熱剤を貰って仕事が落ち着いた後早退させてもらった。



横になっていると、ふいに耳がキーンとなった。
耳鳴りは時々するが、じきに消えるので大して気にしなかったが
このときだけはやたら長かった。



ひょっとして・・・・・、



私『おかあさん?』



なんとなく、近くに居るような気がした。
お見舞いに来てくれたのかな、とか思ってしまった。



私『風邪ひいてしもうた。ごめんやけど、風邪持って行ってほしいー』



独り言をいってしばらくして、耳鳴りは止んだ。
薬が効いてきたのか、すごく眠くなってきたので寝た。


2時間ほど寝て起きたら、喉のイガイガはなくなっていた。
食欲がわいてきたので、たまごがゆを作って食べた。



次の日には、完全復活。
バリバリ仕事を頑張れた。



薬が効いたのもあるし、お母さんが持って行ってくれたのかもしれないとも思う。
父と弟の容態も、少しずつではあるが回復していった。



ありがとう、おかあさん。
困ったら、また助けてにきてね。














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画像は奄美で宿泊した『山羊島ホテル』に居た白ヤギさん。
実はホテルの館長だという噂が・・・あったりなかったり。
先日アップするのを忘れていたので投稿しました。
今回の記事とまったく関係ないので、悪しからずm(_ _"m)





帰宅時間は夕方6時ごろだった。
モコを旦那の実家に預けていたため、
荷物を置いてすぐお迎えに行った。



父と私ら夫婦は旅疲れもあり、早めに就寝。
弟は、夜遊びに出掛けていた。


日曜日、父と私ら夫婦は
旅行バッグの片付けや洗濯物を片付けた後、
会社に溜まっているであろう発注書の確認&仕事をするべく、
会社に向かった。
弟は、体調が悪いとの事で1日中家で寝ていた。


月曜日。
臨時休業含め、連休明けでとても忙しい日。。。
そして、新しい仲間となる従業員の出勤初日でもある。


弟の容態が思った以上にひどく、
熱が39度ある、とのことだったので
仕事を休まざるを得なかった。
高熱で運転できないので、父が弟を病院まで連れて行った。


人手が足りず、現場は騒然('A‘)
日曜日、仕事しといて良かった。。。
本気でそう感じた日だった。


弟は、胃カメラ検査と2時間ほどの点滴を打ち、
インフルエンザの検査を受けた。
インフルエンザではなかったようだが、
扁桃腺が腫れ上がっていて声が出ず、
食事が喉を通らないという。


咳が止まらなくて、とても苦しそうだ。



弟が先陣を切って体調を崩し、
翌日の火曜日、続いて父も風邪を引いたようである。
声が全く出なくなった。。。。
でも、熱はない、と言い切り仕事をしている。
病院に行って!と言っても聞かない。
どうしたもんか・・・・と、途方に暮れていると



次の日の水曜日。
私も風邪ひいちまっただよ!


喉がなーんかイガイガムズムズするし、背筋が寒い。
でも、食欲は今のトコある。。。熱はなし。
変な汗はでている(笑)



ごめん!病院行ってくるわ!!



お昼前、少し手が空いたので
会社から徒歩3分にある、町医者の元へGO。


医者『喉が少し赤いですね。夜は熱が出るかもしれないので、咳止めと熱さましの薬出しておきますね。お大事に』


早速、昼ごはんを食べた後薬を飲んだ。
眠気が容赦なく襲ってくるものの・・・
出荷が落ち着くまでは、ユンケル飲みながら仕事を頑張った。


夕方、落ち着いたので早退させてもらい
たまごがゆを作って食べ、薬を飲んですぐ寝た。
父と弟は、容態回復の兆し無し。


そして木曜日。


私の体調はほぼ回復!
背筋の寒気や変な汗は出なくなったが、
油断は禁物と言う事でマスクを装着して出勤。
早退することなく、無事に業務を終えた。
我ながら素晴らしい回復力だわ♪
初期症状のうちに病院へ行った、というのが功を奏したのだろう!


そして父&弟、回復の兆しは無し・・・・


金曜日。
シャガレ声のまま、父は得意先の忘年会へ出張。
弟は、微熱まで下がったものの
点滴2時間コース&扁桃腺が腫れたままなので食事は摂れない状態。



金曜日はまぁまぁ忙しかったが、なんとか乗り切った。
新人さんは、電話を取ってくれたり雑務業務を黙々とこなしてくれた。
人が居るってスバラシイ!(´;д;‘)ブワッ


そして待ちに待ちかねた休日。


泥のように眠る・・・・わけでもなく。
天気が良かったので、
布団を干したり掃除をしたり(主に風呂場周辺)
父&弟の部屋とトイレ以外本気掃除をした。


父&弟は、少しは回復しているようではあるが
まだまだ本調子とは行かないカンジ。。。


父は観念して土曜日、ようやく病院へ行った。
弟は点滴2時間コース。
声は少し出るようになった。


久々にネトゲを楽しみ、夕方は旦那に付き添ってもらって
近くのスーパーへ歩いて買い物に出た。


今夜はおでんを作った。
残業の日々で外食が多かったので、
久々の手料理は美味しかった(*´ε`*)♪



おしまい。












出発前、前夜の事。
親戚一同、食事をしていたときに、
従妹の兄が言った言葉を聞いてください。


従妹兄『こんな時でしか集まれない、と言うのはあまりにも寂しすぎる。奄美大島と和歌山の距離は、決して近いとは言えん。でもね。せっかく恵子姉ちゃん(メソ母の事)がせっかく繋いでくれたんだから。今までは遠くにいる親戚だったかもしれんけど、これからは『家族』として向き合いたいち思うとる。奄美へ来たら、和歌山に行ったら、必ず集まるようにしよう!必要以上の遠慮なんて、これからはナシや!』


現在、社長(41歳)をやっている、従妹の兄。
早くに父を亡くし、やんちゃを沢山して母を困らせてきた彼だったが
14年前に独立し、家族を守り、会社を今日まで守ってきた。
想像を絶するほどの苦労をしてきたのだろう。。。
彼の言葉の一つ一つがとてもたくましく、芯があり、心に響いた。


叔父ではなく『○○兄』と呼び、
叔母ではなく『●●姉』と呼び、
年下の従妹はみんな呼び捨て。


呼び方ひとつで、こんなに堅苦しくなくなるんだなぁ・・・。
こんなに、近づくことが出来るんだ。
この日、兄と姉、妹と弟が一度に沢山できたような気がした。


従妹兄『メソメソ。そこは遠慮するとこじゃないが?自分の父親には、カラダ壊すかもしれんからお酒飲みすぎるなって言えるのに、義理の親父には言わんつーのは違う。産みの親には遠慮せんやろ?だったら、旦那の親にも同じように言わんかいや。同じように心配せなあかん。』


従妹兄『おい、タダシ。自分が兄貴に頼んだんやろ?”それ、お皿に取って”と。兄貴が皿に盛ってくれたら、グダグダ言わずに喰え!なーにが”やっぱり食べれない”ちゃ。男が一度言うたことを覆すなち』


こんな兄ちゃんと一緒に育って居たら、
私ももっと芯の熱い、心の太い人間になれたかも、、、
なんて思ってしまうほど、説得力があり、
社長の風格だなぁと思えるほどに
ブレることのない、素晴らしい考え方だと感心した。


従妹兄に限らず、奄美の知り合いはすべて情に厚い人ばかりである。
沢山の人に知ってもらいたいので、ぜひとも島の風習を紹介したい。


まず・・・・


断らない!
特にいただきものなどは、断る=無礼に値するらしく
基本的には嫌な顔をせず、すべて贈り物はいただくらしい。


鍵を閉めない!
これは奄美大島の地域にもよると思うが、
基本的には玄関は開けっぱなし、との事。
皆が知り合いなので、勝手に家に上がり、
くつろいでいると、ご飯が出てくるのだという。
要するに、人を疑う事をしない人たちの集まりである。
なので、人を傷つけると言った事件・事故は起きないのだそう。


食べきれないほどの食事が出る!!
綺麗に完食=ご飯が足りないと思うようで、
お茶碗やお皿がからっぽになることはまずありえない。
次から次へと出てくる食事達。
それも、すべて手作りなのだから本当に驚きである。
私などは、お皿が片付かなくてやだな・・・と思う事でも
親戚たちからすれば『また明日たべればいいから』と言って
笑顔で冷蔵庫に仕舞うのであった。


涙もろい!!
情に厚いからこそ・・・だと思うのだが、
再会した時はうれし泣き(周りはもらい泣き)、
思い出話に花が咲きうれし泣き、
別れがつらくて悲し泣き(周りはもらい泣き)・・・
と言うように、ハンカチを手放せないほど
とにかく泣き上戸な親戚たちである。


・・・と、まぁもっと思い起こせばあると思いますが・・・、
思い出したらまた書き足しますので、このあたりで抑えておきますね(笑)


風習とは関係ありませんが
地下鉄や電車がなく、交通手段は車かバス、とのこと。


道路は片側一車線、歩道は広くとってあるので
自転車走行はとても安心・安全です。


のんびり走っている車や、迷惑駐車などに
クラクションを鳴らすことは絶対ないのだそう。


その車がどくか、通行できるようになるまで
待てる人たちなのです・・・


そりゃ、事件や事故は起きませんわね^^;
慌ただしくない環境で、のんびり仕事をしたいです。


そんなこんなで奄美空港にて別れを惜しまれながら、
無事に帰路に着きました。


母が奄美大島出身であることに、感謝できた数日間でした。








11月24日(金)。


喪服に身を包み、納骨前に母の供養をしていただくべく
浄土真宗のお寺へと足を運んだ。


願いは叶い、お天気は見事に晴れ!
さほど寒くもなく、絶好の日和を迎えた。


お念仏が終わり、お墓に移動すると
親戚以外の方々が数名いらしてました。


母の、地元同級生がかけつけてくれたようです。
合掌し、お線香をあげてくれました。


墓石には、母の名前が彫られていました。
奄美のおばあちゃんの名前の横に、母の名前。。。
納骨までに姉たちが手配してくれたようです。
撮影をしたのだけど、やはりプライバシーのことを懸念し
控えさせていただくことにしましたm(_ _"m)


お墓の場所は、海がすぐ見える場所にあって、
とても静かな場所でした。
その海は、母が幼少のころ遊んだ海だと聞いた。
母の実家が近くにある。


信じられないかもしれないが、
実家は徒歩1分で海に行ける場所にあるんです。
それがこの写真。
嘉鉄海①
ちょっと曇ってて海のきらめきがわかりにくいのが残念。。。
弟&旦那が海辺にて黄昏ております。
もう一枚、海をパシャリ☆
嘉鉄海②
さざなみの音は、なんでこんなに落ち着くんだろう。。。
ただぼんやりと、会話を交わすでもなく
しばらく海辺を散策した。


納骨を済ませたあとは、母の実家で御馳走をいただいた。


それから、ホノホシ海岸へ連れて行ってもらった。
奄美のデートスポット的な場所??( *´艸`)


沢山食べすぎたので、食後の運動にはちょうど良い。
まずは入り口~~
ホノホシ入り口①
貸し切りなのか、だーれもいない(; ・`д・´)・・・
花道をずんずん歩いていく!
ホノホシ花道
むーーーー曇り空が恨めしいー!!
午前中は晴れてたのにな。
明日は雨かもしれないなぁ。。。
天気はアレだったけど、綺麗な花畑だったのでパシャリ☆
ホノホシ華
丸石の沢山ある砂浜??
足場が悪くて歩きづらかったけど
ただ歩いてるだけなのに何故か楽しかった♪
足の裏に刺激をもらいつつ・・・
まるでツボを刺激されてるようだった(笑)
ホノホシ石浜
散策していると洞窟(洞穴?)も発見!
満潮時はおそらく海につかる場所のように見受けられた。
珍しかったので思わず撮影(*'ω'*)
ホノホシ洞窟
最後に、撮影スポットである場所で旦那ソロで撮影(笑)
角度がいまいちでごめんなさい(*ノωノ)
ホノホシぽちょ
夜は、私ら夫婦が宿泊するホテルのレストランを予約してもらい
親戚総勢16名で食事を楽しんだ。


はーぁ、とにかく本当に食べ過ぎたぁー。
食べれるって本当に幸せです。


代償として、体重増加で帰宅することになるだろうな(笑)
そのくらい、滞在中は最高のおもてなしをしていただいた。


露天風呂も楽しみ、奄美最後の夜を過ごした。
明日は帰る日。。。


あーーーーーーーもぉ、帰りたくない!!(笑)









11月23日(木)。
出発前・・・風がとても強く、
コートを羽織らなければならないほど寒かったが
天候はまずまずの良好。
雨はなんとか回避できたようです。


旅行は23日、24日、25日と2泊3日。
9月22日に母が旅立ってから、2か月と1日が経った。
いよいよ今日、念願の奄美大島へ向かう日。
父・弟・旦那・私、そして母の5人。


飛行機は予定より数十分遅れでフライト。
1日1便しかないバニラ・エア便。
とにかくチケット代が安いとの理由で
帰省の際にはとても重宝されている航空便のようだ。


ただ、一つだけ難点を言えば・・・、


手荷物の重量が一人7kgまでっていう・・・w
ちなみにセカンドバッグ込みです^^;
7kgなんて余裕で超えますよ。


でも、、、


ほんとーに、ほんとおおおに必要なものだけを抜粋して
キャリーバッグに詰め込みました。
甲斐あってなんとか手荷物を預けることなく、
検査場を華麗にスルーできました!


預ければ、荷物1個4千円別途かかるようですから・・・w


奄美大島の気温はおよそ20℃ほど。
風は強く雨が降りそうな曇り空だったけど
さほど寒さは感じなかった。
さすが南国やなぁー(*'ω'*)♪


空港にお迎えの車が既に来ていて
叔母の家にお邪魔することに。


奄美大島の女性たちは(親戚だけなのかもしれないが)
とにかくおもてなしが凄まじい(; ・`д・´)


出るわ出るわ、食べ物・食べ物・食べ物!


一体どんだけ食べさすの??ってくらい
めっちゃ出てくるんです。


ナシ・リンゴ・バナナ、
パン・大福・温かいお茶。などなど!
お茶に至っては、湯飲みが空っぽになることはなく
エンドレスに注がれた。


それが自然にできるんだから尊敬してしまう。
嫁として見習わないとな~(笑)


数時間ほど、母の思い出話で盛り上がり
泣いたり笑ったりしながら、あっという間に
時間が過ぎていった。


夜ご飯は、懐石料理のお店を予約してくれた。
懐石料理は叔母たちのベストチョイスで
ぜーーーんぶ美味しかった!!!
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めちゃ豪華でしょー( *´艸`)!!


正直残すかなって思ったけど、
安定の完食でした(笑)(笑)(笑)


おかーさんもみんなの談笑を笑顔で見守っていました。
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写真の後ろには、おかーさんのお骨が入った骨壺があります。


奄美にこれたことがよほどうれしかったのか、
壺から少しだけ母が出てきていました(>_<)
※蓋が少しだけ空いていたのです(生々しくてすみません)※


ちゃんと蓋したはずなんですけどね。。。
きっと嬉しくて我慢できなかったのでしょう!


食事がすんだあと、みんなで集合写真を撮り、
従妹姉さんにホテルまで送ってもらいました。


父と弟は叔母の家にお世話になることになり、
私たち夫婦はホテルを予約。


明日は、母の分骨の儀式。


隙を見て写真を撮れたら撮ります・・・!
不謹慎ですが、どうか許してくださいm(_ _"m)



明日は晴れますように。






 




こんばんわ、ご無沙汰しています。



母の四十九日の日は、
奇しくも大型台風の影響でひどく荒れた天気となってしまいました。



先祖のお墓がある場所は○○高原の山頂付近にあり・・・
先日の台風の影響で土砂災害が起き、
道路が一部倒壊していたため迂回せねばならず、
とにかくお寺へ着くのに倍以上の時間がかかりました。



当日は横殴りの大雨・・・



母が亡くなって仕上げの大事な日だというのに。
降りしきる雨の中、供養をしていただき、納骨を済ませました。
お線香を焚くことができませんでした。。。



冷たかっただろうに。
母は寒いのが苦手でした。


こちらでは法要の儀式は一通り終了したけど・・・・
おかーさんはひょっとしたらまだ旅の途中かもしれない。


母の事だから、時々やすみながら
コーヒーでも飲んで、
おにぎりをかじりつつ、、、
私たちの事を上から眺めているかもしれません。


亡くなってから今日まで、泣かない日は一度たりともありません。
遺影を見ると、まだ悲しくてしょうがありません。
女々しいと思われても構いません・・・


どうすれば、悲しみで泣かずに済みますか?


四十九日が済んだので、
今日は少しずつ母の遺品を家族みんなで整理しました。


父は泣きすぎて手につかない様子だったので
部屋で休んでもらう事にしました。


遺品整理はできても、心の整理はまだまだ片付きそうもありません。


毎度毎度、暗い話で申し訳ありません。
いつも拝読いただきありがとうございますm(_ _"m)










こんばんは、ご無沙汰しています。


母が天国の階段へ登り始めてから
もうすぐ1か月経とうとしていますね・・・


早いなぁ。


母のことを忘れたわけじゃありません。
平日は仕事が本当に大変で、
心も体も追いつかない状態で、
気づけば涙であふれていて・・・・
しょうもない凡ミスを連発するようになって
自分に対して、かなりの自己嫌悪。
何もしたくない。
恥ずかしながら、そんな毎日を過ごしています。。。


寝ても何をしても、気分が上がらず。
体調は、良いんだか悪いんだかよくわからなくて。
常に全身がけだるく、、、
寝ていても起きているような錯覚に陥ったり、
喉の部分がつっかえているような、
熱いような、、、病院行ったけど、喉の炎症などは無く。
『自律神経の乱れでしょう』と言われ、漢方薬を渡された。


はぁ。。。
気分転換する気にもなれない。


毎日毎朝毎夜、遺影に手を合わせ
今日あった出来事などを話す日々。


他愛のない私の話を、笑いながら聞いてくれています。


御仏前には母が使っていた黒のガラケーを置き、
母がいつでもケータイの着信を確認できるように・・・
解約はしないつもりです。


時々、着信やメールを受信している。
母の事を、いつまでも慕ってくれている人たちの存在は
私の心の隙間を、少しずつ埋めてくれた。


休みの日は、ぼんやりすることが多くなった。
ベッドに横になって、天井ばかり眺める。
入院中の母の、主な過ごし方を真似してみた。
・・・・なんて退屈なんだろう。


休みの日だというのに、何をする気力も起きず。
晴れの日が続いた日は、恨めしく思い。
雨の日が続いた日は、さらに悲しみが増した。


でも、これだけは毎日欠かさずやっていることがある。
遺影の横に置いてある花瓶の水を替えること。
埃が付かないように、お仏壇の掃除をこまめにすること。
夕ご飯を作った日は、いつもの温かいご飯とお茶に加え、
おかずを何品か小皿に乗せ、お供えしている。


『ありがとう。沢山作ってくれたね。美味しそう!』


顔をほころばせながら、そう言ってもらえてる気がした。


10月29日は、満中陰(まんちゅういん)。
母が無事、迷うことなく成仏できた日となる。
故人の死をいつまでも悲しんでいては、
母が天国へ行けずこっちへ戻ってきてしまうかもしれないから・・・
本当に、本当にいい加減にしないとなぁ。


母が生前行きたがっていた、地元・奄美大島。
分骨をし、骨壺に入れて持って行く事にした。
父の提案だ。
家族みんなの温かい手(塩で清め)で、
母の遺骨を大事に大事に骨壺へ入れた。


※『手によって分骨をする』という方法は、
真言宗派の御坊様と、ご葬儀の方々の意見を参考に
自宅にて執り行いました。


奄美大島へ家族5人で。
11月23日~25日に行くんだ。


次の休みには、しぃまのお墓詣りに行こう。
モコも、一緒に。


しぃま、おかーさんのこと頼むね。
おかーさん、しぃまのこと、よろしくね。



この更新をもちまして、
母の闘病記を終了とさせていただきます。


約半年にわたり更新してまいりましたが、
長いようで短かったように思います。


応援していただきまして、本当にありがとうございました。
簡単ではございますが、ご挨拶とさせていただきます。


母の生きた証を綴ったこのブログは、
『しまりすな日々。』同様、閉鎖は致しません。


落ち着いたころに、少しずつ更新していきます。
これからもよろしくお願いいたします。



-END-





-お通夜前夜-

金曜の夜、
奄美の親戚たちが家に集まって来てくれた。


その他、地元の親戚や近所の方たち、
会社で大変お世話になった人たち、
地元の特に親しい友人たちが、
自宅で静かに寝ている母の元へ、
葬儀場に入る前にご挨拶に来てくれた。


みんな口を揃えて言う。

『あんなに元気だったのに』
『未だに信じられない』
『とても綺麗なお顔ですね』って。


母は、目を開けることはないけれど
来てくれた人たちひとりひとりに
丁寧に御礼を言っているかのよう。


入院前、入院中、退院後。
沢山の人たちに親切にしてきた母。


めぐりめぐって、
母が与えた『まごころ』は、
こうしてわすられる事なくかえってきている。


悲しみの涙や、お別れの言葉を沢山いただいた。


-お通夜-
葬儀屋さんが到着、棺を運び込み
母の服(装束)を着替えさせ、メイクを施してくれた。


最期の親孝行、と言う事で、
片足ずつ、草履をはかせてあげた。


身に纏うものは、これですべて揃った。
あとは、腰元にお弁当を持たせ、
三途の川を渡るときに必要なものである『六文銭』を持たせた。


生前、良く使っていた母の私物を棺に入れ込んだ。
母の服、母のメガネ、仕事で使っていたエプロン。
鏡、うちわ、千羽鶴、オセロ、奄美のかるた。
そして、、、うなぎのクッションも。
どれもこれも、母の大事なものたち。
天国へ旅立つとき、一緒に持って行ってもらうのだ。





天候がやや心配だったが、なんとか雨は免れた。

弔問客は200人を超え、弔電は100通以上にものぼった。
場内にはたくさんの供花が所狭しと添えられている。

受け付けは、奄美の従妹たちに頼んだ。
喪主である父を筆頭に、弟と旦那、叔父が入口にて迎え入れ、
母の血のつながった姐さんたち、そして私、叔母とともに
ご焼香台の両側へ着席し、それぞれ弔問客へご挨拶をした。


お通夜は滞りなく済んだ。
その夜、親戚一同は母の元へ集まり、
夜通し母の死を悼んだ。


告別式があるのだから、
睡眠不足で体調を崩すわけにもいかなかったが・・・
死を受け入れられない家族にとって、
安眠できるはずもなく、夜明けを迎えた。


母は、家族が睡眠時間を削る事を望んでいなかったに違いない。
わかってはいるけど、どうしても気持ちの整理がつかない。
ごめんね、おかーさん。


-告別式-
母の新しい旅立ちにふさわしい、澄み切った秋晴れの日。

母の同級生たちが、
遠路はるばる最後の別れの為に来てくれた。

できれば生きているうちに会いたかった、同級生たち。幼馴染たち。

去年の60歳、還暦の年に奄美へ帰った母。
ついこの間の事のように、
同級生たちは母との思い出話を沢山話してくれた。

葬儀屋さんの協力の甲斐あって、
告別式が始まる直前まで棺を開けていただき、
参列していただくすべての人が、
かわるがわる母に別れの挨拶をしてくれた。


ピンク色の棺。
ピンクの縁取りの、遺影。

遺影の写真は、どうしても笑っている顔が良かった。
いつも朗らかに笑っていた。それが母らしいからだ。

※不謹慎なのは百も承知ですが、
このブログを読んでくださっているすべての方へ
母の病気の行く末を見守ってくださった御礼と
お披露目の意味も込めて、モザイク無しで載せさせていただきます。
どうか御許し下さい。※

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この写真は、2016年4月に神戸の親戚の家で撮影されたもの。
この頃は病気の陰など微塵も感じられなかった。
母の笑顔から察するに、とても楽しい話をしていたに違いない。
造り笑顔などではなく、自然な笑顔である。


その遺影の周りには、
沢山の花々がハートマーク模様を施すかのように飾られていた。
母の、最期の精一杯のこころを込めて。


色については、葬儀屋さんからの提案だった。


基本的には白で統一するのが主流だが
青・ピンク・白の3色から選べる、との事。


父は、優しい色合いのピンクを選んだ。
私も弟も、異論はなかった。


告別式も滞りなく終了。
火葬場にて、骨上げを済ませ、初七日も済ませた。


※初七日とは※

故人が三途の川のほとりに到着する日とされており、
故人の生前の行いによって三途の川の渡り方が分けられると考えられている。


生前に良い行いをしてきた者は橋を用意され、
少し悪い行いをした者は浅瀬を渡り、
悪い行いをしたものは深みを渡らされると考えられている。

初七日法要は、故人が無事に三途の川を渡るために大切な供養のこと。





母は間違いなく、
橋を用意されているだろうな!ヾ(≧▽≦)ノ



こうして、母の死から旅立つ日までの4日間は、怒涛のように過ぎて行った。


page16へつづく。










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