メソメソのblogー母が骨髄異形成症候群になる-

2017年3月16日、母が60歳にして骨髄異形成症候群と診断されました。
このブログは母の闘病記録して更新していきます。

カテゴリ: 転院



※page3の冒頭に戻ります※

≪転院先の会議室にて≫


私『・・・数日後には、個室に移動できるんですよね?』


師長『・・・それが・・・個室はあるにはある、んですが、個室は一般フロア病棟にしかないのです。HCUのように常にスタッフが常駐しているわけではないので、緊急事態が起こった場合、迅速に対応するつもりではありますが、スタッフ人数が少なく、対応に関して大きな不安があるのです。ナースコールを押してもすぐ来れないことも多々あります。お母様の事を考えれば、HCUで24時間看護できる方が安心だと思うのですが・・・』


私『仰りたいことはよくわかりました。人工呼吸器をつけている以上、一般病棟では診れない、と言う事ですよね?ぶっちゃけ、前病院でもありましたよ?ナースコールが鳴ってもすぐに来てくれない事なんて。母だけが入院しているわけではありませんし、出来る限りの事をやっていただければ、私たちは満足なんです。そこは、私たち家族も理解はしています。理解しているうえで、個室が良いと希望を出しているんです。』


師長『・・・・、ですが・・・・・』


私『失礼を承知で申し上げますが、HCUの状態は、慌ただしすぎて落ち着いて療養できるような環境ではない印象でした。24時間看護体制が整っているにしても、狭いうえに慌ただしい、家族待機ができるスペースもない。病院は治療をする場であるので、私が言っていることはあくまでもワガママで、病院側からすれば非常識な意見だと思います。治療や処置は行えても、メンタルな部分に大きなダメージを与えるような気がしてしょうがないんです。師長さんの立場上、責任もあるでしょうし、すぐには返答できないことだと思っています。・・・治療が出来ない、と前病院で言われました。ここも、そうなんでしょう・・・・?緩和処置しかできないんですよね・・・?』


師長『・・・・そうです・・・・治療の施しようは、ない状態です・・・・』


私『だったら、HCUで24時間看護していただく必要はないです。助かる見込みがあるなら話は別です。母には、残された時間は少ないんですよね?面会するのに気を遣う、看護師さんが忙しそうにしているのを目の当たりにすれば、用があっても我慢してしまうのが母なんです。最後の時くらい、静かな環境で、静かに見守りたいんですよ。だから、個室がいいとさっきから言ってるんです。前病院では、容態を観察するために数日間HCUで預かり、それから個室へ移動できると聞いてしぶしぶ了解したんです。それが、人工呼吸器をつけているので個室への移動は無理であると。・・・・・話が違うじゃないですか!!』


師長『・・・・お気持ちはよくわかりました。一度、個室への希望の件は預からせてください。主治医と相談し、それから決定しようと思います。病室の都合がつき次第、移動できるよう最善を尽くします。』


私『・・・・あ、ありがとうございます・・・っ!!』





病室に戻ると、母は少しぼんやりしていた。


私『・・・・、おかーさん!ただいま!』


カーテンを開け、ちょっと大きめの声であいさつをした。
視線を移した母は、私に『オシッコ』と言い、
ナースコールを押した。


看護師さんはすぐそこ(カーテンの向こう)にいるのに、
パソコンをパチパチとタイピングしたままこちらへ来ない。


私『・・・あのう、すみません。オシッコなんですけど・・・・』


24時間完全看護、のはずが
ナースコールを押してるのにすぐそこにいるにも拘わらず、
声をかけてくれない状態。


看護師『はいー』


こちらを見るふうでもなく、
無言でズボンを下ろし、尿器をあてがう。


看護師『はい、どうぞー。いいですよー』


少し押し付けられて痛いのか、顔をゆがめる母。


私『あの、押し付ける力が強いのか、身を挟んでいるのかで痛いと思うんですけど・・・』
看護師『これぐらいじゃないと、漏れちゃうんでねー出すまでの間ぐらい、我慢してくださいよ』



母は私をじっと見て、私の方向へ指をさしている。
メソメソにやってもらいたい。いつもみたいに。
そういっているような気がした。


私『・・・・、あの、私にさせてもらえませんか?前の病院でも、させてもらっていたので。』
看護師『あ、そうなんですかー?じゃ、お願いします』



やはり看護師は視線を合わさず、
さっさとカーテンの向こう側へ消えた。


私『・・・・・はい、おかーさん。いつでもいいよ♪』
母『・・・・・(力なく微笑んだ)』



しばらく粘ってみるものの、
オシッコは、出ることはなかった。
母は、申し訳なさそうに手を合わせ


母『ごめんね』


と言った。
謝ることないよ、何か用事があれば私に言ってね。
そう言い、手をしっかりと握りしめると
母も、温かい手で握り返してくれた。





夜、7時30分。
面会時間が終了に近づき、もうすぐ帰らなければならない。
看護師たちの視線が、突き刺さる。


私『・・・・そろそろ面会時間終了だ。』
母『・・・・ありがとね』
私『ずっと付き添ってあげたいんやけどね。相部屋だし、ほかの患者さんのこともあるから・・・おかーさん、また明日来るね。絶対、来るから
母『うんうん。お疲れさま』


看護師に軽く挨拶をして、私は退室した。
夜が明けて、明け方ごろ・・・母の血圧は急激に下がっていった。



page6へつづく。










父『メソメソ。話あるから来てくれ』


自宅にて。
父に呼び出され、リビングへ足を運んだ。


父は、転院の詳細を話しだした。
内容は下記のとおりである。


☆個室ではなく、4人部屋であること。
☆HCUでしか受け入れてくれないこと。
☆21日間しか置いてもらえず、超過すれば別の病院に転院させられること。
☆9月7日に必ず移動しなければならない事。



私『…そんな…』
父『希望を聞いておきながら、要望通りと話が違うままなんの連絡もなく、はいそうですかって言えるはずないやん』
私『…』
父『そりゃ、病院のベッドの事情もあるやろうから、個室が空けば転院したいって言うたんやけどね。無理やとハッキリ言われたわ。HCUに入らなあかんのは、人工呼吸器をつけてるからやと。一般病棟では診れないらしい』
私『…』
父『もともとな、血液の病気で入院したんや。自宅で肺炎になったわけちゃう。肺炎になったのは今の病院でなったもんや。だったら治らないにしても、、さい…ご、まで、看るのが筋じゃないんか…って、、父さんは言うたんや。それがなんやねん、治らないんで別の病院へ行けって…そこで死ね言うことやろ…そんなん、あまりにも殺生すぎるわ…!』
私『…』
父『だからな、メソメソ。転院の話、白紙に戻して貰お?こんなん、話と違う。奄美の姐さんたちに、申し訳なさすぎて合わせる顔があらへんっ…!!最期の時くらい、穏やかに過ごさせてやりたいねん…チカラを貸してくれ』
私『…おとーさんの気持ち、良くわかった。私も同じ気持ちやで。明日、前主治医に話聞いてもらお。一緒にお願いしよう』








家族説明室にて。


主治医に時間をもらい、
転院の話は個室で明るい部屋ならという事で了承したものの、
やはりこの病院で診てほしいと切実に訴えた。


希望が100パーセント通らないのはわかってはいた。
でも、コチラの要望がすべて却下されたまま話が進み、
特に連絡や確認がなく、
強制的に決定されたのが非常に腹立たしかった。


強制的に決定するのであれば…
あの話し合いは何だったのか。
何のために何度も希望を聞いてきたのかわからない。


主治医『転院の調整は、医師同士でするのではなく、地域連携という部署がするんです。僕のほうにも昨日夜メールが来ていて、先ほどの話とまったく同じ内容が書かれていました。家族さんがとても怒っているので、そちらで何とかしてくださいと。。病院と家族さんの間に立ち、パイプラインの存在であるはずの彼らが機能していないので、正直困っています』


何と言われようと、
転院先の病院へは、もはや不信感しかない。


この病院の主治医であるあなたに最期まで診てほしい。
転院先の医師はちゃんと見てくれるのだろうか??
転院の話がきちんと伝達できていないのに、
カルテの引継ぎなどきちんとできるのか??


何とかこの病院で置いてもらえないか、
他のフロアでの療養は無理なのか、
緩和ケア病棟へ置いてもらえないのか・・・・、


何度も、何度も何度も何度も頭を下げ、お願いし続けた。


それでも・・・話し合いは平行線のままだった。
転院の申請をだしてしまった以上、
覆すことは出来ず、強制的に転院を余儀なくされた。


父『せめて・・・せめて、9月11日まで延期させてください・・・』


9月9日、10日に二人の姉たちが先にやってくる日。
最後の頼みだから、と二人で頭を下げ続け
主治医は、なんとか調整してみますと返事をしてくれた。


こうして、母の転院の延期(9/7→9/11)は決定した。
精神的に、本当に限界だった。



page5へつづく。







         


師長『〇〇さん、この度は転院の件で病院同士の連携不足によりご迷惑をかけてしまい、誠に申し訳ございませんでした』


私『あ、、いえ。でも、希望していた個室には数日すれば移動できるんですよね??』


師長『…それが…』


※ここからは、8月下旬の話に遡ります※
≪前病院にて≫
父『転院しなければならない理由はわかりました。ですが、こちらとしても譲れない条件があるんです。明るい部屋で、個室を強く希望します。』


前主治医『個室でなければならない理由は?』


父『妻は、周りに対してとても気を遣うのです。喋れないし、筆談でしかコミュニケーションの方法がない。奄美の親戚が来た時に、相部屋だと狭い上に同室のかたに気を使うんですよ。同じ患者同士、しんどくて寝てるのに、騒がしくすれば気を悪くするじゃないですか?』


前主治医『はい』


父『この9月の連休に、奄美から親戚たちがスケジュールを調整し来てくれるんです。誰に気を使うことなく、時間の許す限り会わせてやりたいんです。妻にはもう、時間はあまり残ってないんでしょう…?』


前主治医『…お気持ちはよくわかりました。転院日程はまだ決まっていないのですが、9月に入ってからになると思います。受け入れ先の病院へ希望を出しておきますね』


父『…わかりました。都合をつけるためにも、なるべく余裕をもって早めに知らせてくださいね。』





数日後のある日。
夕方、母の病室で面会を楽しんでいると
ふたりの職員がやってきた。


地域連携『こんにちは、転院の件でお話があるのですが。ご家族さんですか?』


私『はい、そうです。転院の話ですね?』



ふたりの職員は、転院について希望はありますか?と聞いてきた。
おかしいな、前主治医に父からすべて話したはずなのに。
確認の意味でもう一度って事なのかな。
めんどくさ…


私『個室で明るい部屋なら、問題ないんですけど…』


連日のようにせん妄症に打ちのめされていたため、
早く出て行って欲しくて、簡潔に伝えた。


地域連携『わかりました。それでは今日、受け入れ先の病院へ申請書出しておきますね』


私『宜しくお願いします』


二人は、入室時間5分も居なかった。





それからさらに数日後。
登録外の番号から、私宛に着信が入った。


地域連携『地域連携と申しますが。今お電話宜しいでしょうか?』


私『あっはい!』


地域連携『転院の日程なんですが、9月7日になりそうなのです。都合は…』


私『えっ3日後!?』


地域連携『はい。この日で移動できそうなら、受け入れ先の病院へ返事します』


私『ちょ、ちょっと待ってください…7日で決定なんですか?!』


地域連携『そうですね、ほぼ決まりのようですが…』


私『9月に入ったら、とは聞いてましたけど、9月の連休に奄美の親戚たちが来るんで…あ、でも個室なら大丈夫かなぁ…あ!祖母の施設から施設への移動と被るかもしれないんです。父に確認しないと行けないので、明日のお返事ではだめですか?』


地域連携『んー、ちょっと困りますね…』


私『いや、困ってるのはコチラなんですけど…取り敢えず、この電話を切ったあと、すぐに父へ確認をします。何時までいらっしゃるんですか?』


地域連携『5時までです。直通の番号へかけてもらえないですか?』


私『今、病室を出てエレベーターホールに居るので…一旦戻ります』


地域連携『ああ、病室にいらっしゃるんですね。これから向かいますね』


私『あーはい、ではお待ちしてます』



父に確認後、祖母の移動日は1日ずらせる事が出来たため、
ひとまず7日で返事をするという事で父との話はまとまった。


地域連携の人は、5時半を過ぎても来なかったので、
父が面会交代に来てくれたため、
私も会社に戻りたまっている仕事を片付けた。


私が病室を出て数分後、
入れ違いで地域連携の担当者が来たようだった。
私とするはずだった話を、代わりに父が対応してくれた。


その夜、
父は項垂れながら帰宅することになる。



page4へつづく。






救急車の中。


母の心電図モニター音だけが静かに鳴り響く中、
救急車は目的地へ移動し始めました。


母は、キョロキョロと目だけを動かし、
やがて私へ視線を向けました。


私は母の体に手を置いて、静かに語り掛けました。


私『雨降るかなって心配だったけど、少し晴れてきたね』
母『・・・・・』
私『今ね、堤防沿いを走ってるよ。右側が海なんやけど・・・見えないね(笑)』
母『・・・・・』
私『あっもうすぐ、オークワ(スーパーの名前)の前を通過するよ』
母『・・・・・』
私『トンネルはいったよ。もうすぐ、病院着くよ』


母は、いつのまにか目を閉じていた。
私『せっかくのお出かけやのに~(笑)寝てたら勿体ないで!』
少し冗談ぽく言ったが、それでも母は軽く目を閉じたままだった。


病院へ到着するまでの約15分間、警報アラームが鳴り響くことなく
無事にHCUへ入室完了。


看護師長『こんにちは、家族さんですか?』
私『はい、そうです』
看護師長『これから人工呼吸器のセッティングに入りますので、ご家族さんはデイルームでお待ちください』
私『あ・・・わかりました』
母『・・・・・・』



母は、不安そうに私を見ている。


私『おかーさん、また、あとでね!』


手を振り、1人デイルームで待つ。
他の家族さんが、楽しそうに食事をしながらの、にぎやかな環境。
私は、落ち着かずため息ばかりが出る。


しばらくして、父が来た。
2人で、看護師さんの呼出を待っていると・・・
先ほどの師長さんがやってきてくれた。


看護師長『お待たせして申し訳ありません。ご挨拶が遅くなりました、私は看護師長の○○と申します。準備が整いましたので、どうぞこちらへお入りください。HCUの面会時間やルールなどは、担当看護師から後ほどお話しさせていただきますね』


言われるがまま、案内された部屋は・・・
カーテンで仕切られた、
4区画分の1スペースのみ。



さらに、人工呼吸器&心電図モニター&支柱台(点滴)をベッドサイドへ置いてるので
本当にせまく、ロッカーがあるのに目の前に人工呼吸器を置かれていたため
ロッカーを使用するのは困難だった。


父&私『・・・・・・』


しょうがないので、オムツやタオルなどを
窓の冊子部分へ置いた。
置けない分については、車へ引き上げることにした。


お向かいのベッドには、酸素マスクをつけたおばあさんが1名のみ。
時折、唸り声をあげていた。
声が言葉にならないような感じで、とにかく声が大きい。


HCU常駐看護師たちは、とにかく慌ただしい。
ファイルを投げ落とす音、ゴミを捨てる音などの物音がとても気になる。
言動が荒いのが目立つ。処置も雑。声かけもほぼない。
前病院に比べれば、レベルの低さが浮き彫りになるほどだった。


こんな、落ち着かない場所に母を・・・・?
どうやって療養しろと・・・・?


言いたいことは沢山あったが、父も私も言葉を飲み込み、
これからお世話になります、と頭を下げた。


父は、どうしても片づけなければならない仕事があるので、
一度会社に戻ると言い、
私は母の容態が落ち着くまで傍に居るようにした。


父が『また、夜来るから』と手を振った。
母も手を振ったが・・・・その時の表情が何とも言えず、
父も泣く泣く病室を後にした。


『・・・・どうして個室じゃないの・・・・・?』


母が手を振った時、そんな表情だった。


ほどなくして、医療事務の方が挨拶にきてくださり、
病院のパンフレットと入院するにあたっての同意書を持ってきた。


その後、私はつとめて明るくおかーさんに話しかけていたが、
カーテンの外の声のほうが大きく、私の声がかき消されてしまい・・・、
母は『聴こえない』と何度も耳を傾けてくれた。


私は筆談で母と会話しようと試みるが、
母は、筆談をする元気がなく、筆談を拒まれた。


母の前病院での容態を問診するべく、看護師がやってきた。
担当看護師は挨拶もせず、名乗りもせず、愛想もなく、
ただ言われた事だけをもくもくとこなすような人。
そして、ミスが多いのか同僚に怒られているのが目立った。


『こんな人が担当なんだ・・・・』


思ってはいけないことは百も承知だが、
ただでさえ転院のことで頭を悩ませていたのに、
この看護師の存在で余計な心配事がまた増えた。


部屋は太陽の光が良く入る、明るい部屋だった。
病室は確かにきれいである・・・・が、
こんな落ち着かない場所では、
母の容態はさらに悪化するんじゃないか・・・と
不安をぬぐいきれずにいた。


そして、看護師長がまた訪ねて来てくれて、
少し話がしたいと言われたので、
母に『ちょっと席はずすね』と伝え、
師長と、地域連携部署?の2名と共に、会議室へ入室した。


page3へつづく。












9月11日(月)。


さて。転院するまでに
イロイロ(割愛部分=後ほど内容を記載)ありすぎて
精神が何度も崩壊しそうになりましたが、

母含め私たち家族は、
新しい病院でお世話になる事に腹をくくり、
朝9時半過ぎに病院を出発、10時前に新病院へと到着しました。


前病院の個室に設置した、時計とカレンダー。
時計横には身代わり地蔵様を置いています。
DSC_0555
奄美の親戚たちが心を込めて作った、千羽鶴。
DSC_0557
せん妄症の抑制になればと思い、
奄美の景色や大好きな姉たち、シマリスの写真。
DSC_0554
他には、母のメガネ、筆談用のバインダーノート。
キイロイトリやお守りががついた、母のカバン。
奄美の景色が映った、小さなアルバム。
塗り薬、口腔ケアなどの薬品類。
糖鎖パウダー。紙おむつ。。。


これらは当日まで片づけず、置いておいたので
朝8時前に病室へ向かい、すべて片づけました。


心配だった母の容態は、呼吸回数は平均より多く
血圧は若干高めではあるものの・・・ひとまず安定していました。

熱を測ると、36.8℃。
顔色は比較的良かったので、話しかけました。


私『昨日、よく眠れた??』
母『・・・眠れてない(笑)』
私『あ、そうなんか。私も実は、あんまり寝れてない(笑)』


睡眠不足の翌日は、せん妄症が出やすかったのですが
受け答えがしっかりできているので、特にひどくはありませんでした。


それでもどこか落ち着かない様子で、
心細いのか、不安なのか、やっぱり転院したくないのか・・・
頻繁にナースコールを呼び、


母『体の向きをまっすぐにしてください』


と何度も頼んでいました。
看護師さんも私も、


『からだ、まっすぐやで??』


と伝えたのですが、母的には体がゆがんだ感覚になっているようで
首を振っていました。


ひとまず、言う通りに体を動かしてあげると
母は『ありがとう』とお礼を言いました。


リハビリの先生が封筒を持って、ご挨拶にきてくれました。


理学療法士『○○さん!向こうでリハビリ頑張って、呼吸器が外れて歩けるようになったら・・・ココ(入院していた病院)まで歩いてきてよ!(笑)点滴付けながらね!タクシー使ったらアカンよ!(笑)僕ら、待ってるから!』


先生は、最後までスパルタでした(笑)
でも、この激励が一番嬉しかった言葉でした。


リハビリメニューを書いた封書を父に渡し、
『引継ぎが書いてあります。向こうの先生に渡してくださいね』
言付かりました。


9時前。


看護師さんたちが慌ただしく到着、
呼吸器の最終チェックや、カテーテルの交換、チェックなどをし、
点滴を付け替え、出発直前まで慌ただしさは消えませんでした。


・・・・早めに来て、荷物まとめておいて正解でした(苦笑)


9時半過ぎ。
病棟医と救急隊員がストレッチャーを用意し病室前に到着。


続々と看護スタッフが集まってきて、
病室を出る前にお見送りをしてくれました。


父も私も、涙を堪えながら、・・・・
父の心境はわかりませんが、
私の、このときの涙の理由は、お見送りで感激したからではなく・・・
完治しないまま病院を出て行く事の悔しさのほうが勝っていました。


『今まで本当にお世話になりました』


と見送ってくれた看護師さんたちに頭を下げ、
ナースステーション入口にも挨拶をし、
エレベーターを降り、
救急車には病棟医と私が同乗、
父は、車で病院へ追いかけてくれました。


page2へつづく。









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