9月11日(月)。


さて。転院するまでに
イロイロ(割愛部分=後ほど内容を記載)ありすぎて
精神が何度も崩壊しそうになりましたが、

母含め私たち家族は、
新しい病院でお世話になる事に腹をくくり、
朝9時半過ぎに病院を出発、10時前に新病院へと到着しました。


前病院の個室に設置した、時計とカレンダー。
時計横には身代わり地蔵様を置いています。
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奄美の親戚たちが心を込めて作った、千羽鶴。
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せん妄症の抑制になればと思い、
奄美の景色や大好きな姉たち、シマリスの写真。
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他には、母のメガネ、筆談用のバインダーノート。
キイロイトリやお守りががついた、母のカバン。
奄美の景色が映った、小さなアルバム。
塗り薬、口腔ケアなどの薬品類。
糖鎖パウダー。紙おむつ。。。


これらは当日まで片づけず、置いておいたので
朝8時前に病室へ向かい、すべて片づけました。


心配だった母の容態は、呼吸回数は平均より多く
血圧は若干高めではあるものの・・・ひとまず安定していました。

熱を測ると、36.8℃。
顔色は比較的良かったので、話しかけました。


私『昨日、よく眠れた??』
母『・・・眠れてない(笑)』
私『あ、そうなんか。私も実は、あんまり寝れてない(笑)』


睡眠不足の翌日は、せん妄症が出やすかったのですが
受け答えがしっかりできているので、特にひどくはありませんでした。


それでもどこか落ち着かない様子で、
心細いのか、不安なのか、やっぱり転院したくないのか・・・
頻繁にナースコールを呼び、


母『体の向きをまっすぐにしてください』


と何度も頼んでいました。
看護師さんも私も、


『からだ、まっすぐやで??』


と伝えたのですが、母的には体がゆがんだ感覚になっているようで
首を振っていました。


ひとまず、言う通りに体を動かしてあげると
母は『ありがとう』とお礼を言いました。


リハビリの先生が封筒を持って、ご挨拶にきてくれました。


理学療法士『○○さん!向こうでリハビリ頑張って、呼吸器が外れて歩けるようになったら・・・ココ(入院していた病院)まで歩いてきてよ!(笑)点滴付けながらね!タクシー使ったらアカンよ!(笑)僕ら、待ってるから!』


先生は、最後までスパルタでした(笑)
でも、この激励が一番嬉しかった言葉でした。


リハビリメニューを書いた封書を父に渡し、
『引継ぎが書いてあります。向こうの先生に渡してくださいね』
言付かりました。


9時前。


看護師さんたちが慌ただしく到着、
呼吸器の最終チェックや、カテーテルの交換、チェックなどをし、
点滴を付け替え、出発直前まで慌ただしさは消えませんでした。


・・・・早めに来て、荷物まとめておいて正解でした(苦笑)


9時半過ぎ。
病棟医と救急隊員がストレッチャーを用意し病室前に到着。


続々と看護スタッフが集まってきて、
病室を出る前にお見送りをしてくれました。


父も私も、涙を堪えながら、・・・・
父の心境はわかりませんが、
私の、このときの涙の理由は、お見送りで感激したからではなく・・・
完治しないまま病院を出て行く事の悔しさのほうが勝っていました。


『今まで本当にお世話になりました』


と見送ってくれた看護師さんたちに頭を下げ、
ナースステーション入口にも挨拶をし、
エレベーターを降り、
救急車には病棟医と私が同乗、
父は、車で病院へ追いかけてくれました。


page2へつづく。