奄美大島縦断の旅!つづき☆
2日目。
ホテルをチェックアウトしてから、
車を数時間かっ飛ばし、
山ふたつ?くらい超えたあたりで・・・
ようやく、街並みが見えてきました。
道中、スーパーへ立ち寄り、
ご飯を軽く食べながら、
ひたすらひたすら、休憩しつつ車を走らせました。
この日は、母の住んでいた故郷へ足を運びました。
目的地は、嘉鉄(かてつ)というところ。
今はだれも住んでいないので、
母の妹さんが時々家に足を運び、
窓を開けたり、掃除をしてくれています。
台風の被害に合いやすい奄美大島では、
なるべく被害を最小限に抑えるために
平屋の1軒屋が多い印象。
母の実家は、駄菓子屋をやっていたらしい。
ネコを何匹か飼っていて、
近所の子供たちが小銭を握りしめて、
買いに来ていたようだった。
そういうおうちで育った母は、
生前、小さなお菓子屋さんをしたいのだと言っていた。
海の見える、とてもいい場所に実家があった。
お墓は、とても立派だった。
高さはおよそ3メートルくらい?
幅も結構広い。
私の家のお墓よりも、3倍ほど大きい・・・
奄美大島のお墓は、どこの家も大そう立派なものでした。
お線香を添えて、手を合わせました。
すると、墓地の前に停めていた、
軽トラックの持ち主であるおじいさんが話しかけてきました。
じいさん「あんたら、○○さん(母の旧姓)とこの?」
私「あ、はい。そうです。娘です。」
じいさん「昔、よう遊んでたんやで。この海で。」
私「母を知ってるんですか??」
じいさん「もちろん。ワシのほうが年上やから、生まれた時から知ってるよ」
嘉鉄に住んでいる人たちは、
血縁は違えど
みんながみんな家族のようなお付き合いをしていました。
鍵は開けっ放し。
家に上がり込むと、ごはんやお茶が出てくるのだとか。
・・・こちらでは考えられないことだけど、
こうした地域のつながりや人間関係のおかげで
犯罪が少ないのも頷ける。
おじいさんは、母がここで育った時のことを
懐かしむように、私に話してくれた。
そして、「またおいで」と言ってくれた。
素直に嬉しかった。
私とおじいさんは初対面なのに、
またおいで、と言ってくれたことが。
母妹さんが実家の鍵を開けてくれていたので、
お供えを済ませ、お線香を炊いた。
しばらくそこで休憩していたら、
母の妹さんと、その娘さんが来てくれた。
お餅をついたのだと言い、
わざわざ持ってきてくれたのだ。
お仏壇にお花を活けたあと、
母妹「戸締りは私がするから。ゆっくり休んでていいよ」
と言い、その後旦那と2人でしばらくアルバムなどを眺めてくつろいだ。
夕方になってきたので、
母妹さんに「そろそろ出ます」と伝え、ホテルへ向かうことにした。
道中、こんな場所をみつけた。
休憩がてら車を停めて、
しばし休憩することにした。
ハートは、、、私には見えなかった(笑)
おかしいな、ココロはピュアなはずなのに((
とりあえず撮影テクニックゼロだけど画像載せておきます。
あと、もう一軒寄り道したので画像をぽぽいっ。
なんとなく、立ち寄った場所です。
パイナップルっぽい果実?が成っていました。
パイナップルではないようす。
もう一枚、ナショナジオ風な写真を撮れました。
モデルは旦那です(笑)
パイナップル風果実を発見した場所で撮影しました。
ただ逆光になっているというだけで、
全然雰囲気が違う写真になりました(笑)
夕方と言っても、全然明るかったんですけどね。
この日の大半は、移動にだいぶ時間を使った日でした!
つづく☆