メソメソのblogー母が骨髄異形成症候群になる-

2017年3月16日、母が60歳にして骨髄異形成症候群と診断されました。
このブログは母の闘病記録して更新していきます。

2017年11月


出発前、前夜の事。
親戚一同、食事をしていたときに、
従妹の兄が言った言葉を聞いてください。


従妹兄『こんな時でしか集まれない、と言うのはあまりにも寂しすぎる。奄美大島と和歌山の距離は、決して近いとは言えん。でもね。せっかく恵子姉ちゃん(メソ母の事)がせっかく繋いでくれたんだから。今までは遠くにいる親戚だったかもしれんけど、これからは『家族』として向き合いたいち思うとる。奄美へ来たら、和歌山に行ったら、必ず集まるようにしよう!必要以上の遠慮なんて、これからはナシや!』


現在、社長(41歳)をやっている、従妹の兄。
早くに父を亡くし、やんちゃを沢山して母を困らせてきた彼だったが
14年前に独立し、家族を守り、会社を今日まで守ってきた。
想像を絶するほどの苦労をしてきたのだろう。。。
彼の言葉の一つ一つがとてもたくましく、芯があり、心に響いた。


叔父ではなく『○○兄』と呼び、
叔母ではなく『●●姉』と呼び、
年下の従妹はみんな呼び捨て。


呼び方ひとつで、こんなに堅苦しくなくなるんだなぁ・・・。
こんなに、近づくことが出来るんだ。
この日、兄と姉、妹と弟が一度に沢山できたような気がした。


従妹兄『メソメソ。そこは遠慮するとこじゃないが?自分の父親には、カラダ壊すかもしれんからお酒飲みすぎるなって言えるのに、義理の親父には言わんつーのは違う。産みの親には遠慮せんやろ?だったら、旦那の親にも同じように言わんかいや。同じように心配せなあかん。』


従妹兄『おい、タダシ。自分が兄貴に頼んだんやろ?”それ、お皿に取って”と。兄貴が皿に盛ってくれたら、グダグダ言わずに喰え!なーにが”やっぱり食べれない”ちゃ。男が一度言うたことを覆すなち』


こんな兄ちゃんと一緒に育って居たら、
私ももっと芯の熱い、心の太い人間になれたかも、、、
なんて思ってしまうほど、説得力があり、
社長の風格だなぁと思えるほどに
ブレることのない、素晴らしい考え方だと感心した。


従妹兄に限らず、奄美の知り合いはすべて情に厚い人ばかりである。
沢山の人に知ってもらいたいので、ぜひとも島の風習を紹介したい。


まず・・・・


断らない!
特にいただきものなどは、断る=無礼に値するらしく
基本的には嫌な顔をせず、すべて贈り物はいただくらしい。


鍵を閉めない!
これは奄美大島の地域にもよると思うが、
基本的には玄関は開けっぱなし、との事。
皆が知り合いなので、勝手に家に上がり、
くつろいでいると、ご飯が出てくるのだという。
要するに、人を疑う事をしない人たちの集まりである。
なので、人を傷つけると言った事件・事故は起きないのだそう。


食べきれないほどの食事が出る!!
綺麗に完食=ご飯が足りないと思うようで、
お茶碗やお皿がからっぽになることはまずありえない。
次から次へと出てくる食事達。
それも、すべて手作りなのだから本当に驚きである。
私などは、お皿が片付かなくてやだな・・・と思う事でも
親戚たちからすれば『また明日たべればいいから』と言って
笑顔で冷蔵庫に仕舞うのであった。


涙もろい!!
情に厚いからこそ・・・だと思うのだが、
再会した時はうれし泣き(周りはもらい泣き)、
思い出話に花が咲きうれし泣き、
別れがつらくて悲し泣き(周りはもらい泣き)・・・
と言うように、ハンカチを手放せないほど
とにかく泣き上戸な親戚たちである。


・・・と、まぁもっと思い起こせばあると思いますが・・・、
思い出したらまた書き足しますので、このあたりで抑えておきますね(笑)


風習とは関係ありませんが
地下鉄や電車がなく、交通手段は車かバス、とのこと。


道路は片側一車線、歩道は広くとってあるので
自転車走行はとても安心・安全です。


のんびり走っている車や、迷惑駐車などに
クラクションを鳴らすことは絶対ないのだそう。


その車がどくか、通行できるようになるまで
待てる人たちなのです・・・


そりゃ、事件や事故は起きませんわね^^;
慌ただしくない環境で、のんびり仕事をしたいです。


そんなこんなで奄美空港にて別れを惜しまれながら、
無事に帰路に着きました。


母が奄美大島出身であることに、感謝できた数日間でした。








11月24日(金)。


喪服に身を包み、納骨前に母の供養をしていただくべく
浄土真宗のお寺へと足を運んだ。


願いは叶い、お天気は見事に晴れ!
さほど寒くもなく、絶好の日和を迎えた。


お念仏が終わり、お墓に移動すると
親戚以外の方々が数名いらしてました。


母の、地元同級生がかけつけてくれたようです。
合掌し、お線香をあげてくれました。


墓石には、母の名前が彫られていました。
奄美のおばあちゃんの名前の横に、母の名前。。。
納骨までに姉たちが手配してくれたようです。
撮影をしたのだけど、やはりプライバシーのことを懸念し
控えさせていただくことにしましたm(_ _"m)


お墓の場所は、海がすぐ見える場所にあって、
とても静かな場所でした。
その海は、母が幼少のころ遊んだ海だと聞いた。
母の実家が近くにある。


信じられないかもしれないが、
実家は徒歩1分で海に行ける場所にあるんです。
それがこの写真。
嘉鉄海①
ちょっと曇ってて海のきらめきがわかりにくいのが残念。。。
弟&旦那が海辺にて黄昏ております。
もう一枚、海をパシャリ☆
嘉鉄海②
さざなみの音は、なんでこんなに落ち着くんだろう。。。
ただぼんやりと、会話を交わすでもなく
しばらく海辺を散策した。


納骨を済ませたあとは、母の実家で御馳走をいただいた。


それから、ホノホシ海岸へ連れて行ってもらった。
奄美のデートスポット的な場所??( *´艸`)


沢山食べすぎたので、食後の運動にはちょうど良い。
まずは入り口~~
ホノホシ入り口①
貸し切りなのか、だーれもいない(; ・`д・´)・・・
花道をずんずん歩いていく!
ホノホシ花道
むーーーー曇り空が恨めしいー!!
午前中は晴れてたのにな。
明日は雨かもしれないなぁ。。。
天気はアレだったけど、綺麗な花畑だったのでパシャリ☆
ホノホシ華
丸石の沢山ある砂浜??
足場が悪くて歩きづらかったけど
ただ歩いてるだけなのに何故か楽しかった♪
足の裏に刺激をもらいつつ・・・
まるでツボを刺激されてるようだった(笑)
ホノホシ石浜
散策していると洞窟(洞穴?)も発見!
満潮時はおそらく海につかる場所のように見受けられた。
珍しかったので思わず撮影(*'ω'*)
ホノホシ洞窟
最後に、撮影スポットである場所で旦那ソロで撮影(笑)
角度がいまいちでごめんなさい(*ノωノ)
ホノホシぽちょ
夜は、私ら夫婦が宿泊するホテルのレストランを予約してもらい
親戚総勢16名で食事を楽しんだ。


はーぁ、とにかく本当に食べ過ぎたぁー。
食べれるって本当に幸せです。


代償として、体重増加で帰宅することになるだろうな(笑)
そのくらい、滞在中は最高のおもてなしをしていただいた。


露天風呂も楽しみ、奄美最後の夜を過ごした。
明日は帰る日。。。


あーーーーーーーもぉ、帰りたくない!!(笑)









11月23日(木)。
出発前・・・風がとても強く、
コートを羽織らなければならないほど寒かったが
天候はまずまずの良好。
雨はなんとか回避できたようです。


旅行は23日、24日、25日と2泊3日。
9月22日に母が旅立ってから、2か月と1日が経った。
いよいよ今日、念願の奄美大島へ向かう日。
父・弟・旦那・私、そして母の5人。


飛行機は予定より数十分遅れでフライト。
1日1便しかないバニラ・エア便。
とにかくチケット代が安いとの理由で
帰省の際にはとても重宝されている航空便のようだ。


ただ、一つだけ難点を言えば・・・、


手荷物の重量が一人7kgまでっていう・・・w
ちなみにセカンドバッグ込みです^^;
7kgなんて余裕で超えますよ。


でも、、、


ほんとーに、ほんとおおおに必要なものだけを抜粋して
キャリーバッグに詰め込みました。
甲斐あってなんとか手荷物を預けることなく、
検査場を華麗にスルーできました!


預ければ、荷物1個4千円別途かかるようですから・・・w


奄美大島の気温はおよそ20℃ほど。
風は強く雨が降りそうな曇り空だったけど
さほど寒さは感じなかった。
さすが南国やなぁー(*'ω'*)♪


空港にお迎えの車が既に来ていて
叔母の家にお邪魔することに。


奄美大島の女性たちは(親戚だけなのかもしれないが)
とにかくおもてなしが凄まじい(; ・`д・´)


出るわ出るわ、食べ物・食べ物・食べ物!


一体どんだけ食べさすの??ってくらい
めっちゃ出てくるんです。


ナシ・リンゴ・バナナ、
パン・大福・温かいお茶。などなど!
お茶に至っては、湯飲みが空っぽになることはなく
エンドレスに注がれた。


それが自然にできるんだから尊敬してしまう。
嫁として見習わないとな~(笑)


数時間ほど、母の思い出話で盛り上がり
泣いたり笑ったりしながら、あっという間に
時間が過ぎていった。


夜ご飯は、懐石料理のお店を予約してくれた。
懐石料理は叔母たちのベストチョイスで
ぜーーーんぶ美味しかった!!!
DSC_0068
めちゃ豪華でしょー( *´艸`)!!


正直残すかなって思ったけど、
安定の完食でした(笑)(笑)(笑)


おかーさんもみんなの談笑を笑顔で見守っていました。
DSC_0070
写真の後ろには、おかーさんのお骨が入った骨壺があります。


奄美にこれたことがよほどうれしかったのか、
壺から少しだけ母が出てきていました(>_<)
※蓋が少しだけ空いていたのです(生々しくてすみません)※


ちゃんと蓋したはずなんですけどね。。。
きっと嬉しくて我慢できなかったのでしょう!


食事がすんだあと、みんなで集合写真を撮り、
従妹姉さんにホテルまで送ってもらいました。


父と弟は叔母の家にお世話になることになり、
私たち夫婦はホテルを予約。


明日は、母の分骨の儀式。


隙を見て写真を撮れたら撮ります・・・!
不謹慎ですが、どうか許してくださいm(_ _"m)



明日は晴れますように。






 




こんばんわ、ご無沙汰しています。



母の四十九日の日は、
奇しくも大型台風の影響でひどく荒れた天気となってしまいました。



先祖のお墓がある場所は○○高原の山頂付近にあり・・・
先日の台風の影響で土砂災害が起き、
道路が一部倒壊していたため迂回せねばならず、
とにかくお寺へ着くのに倍以上の時間がかかりました。



当日は横殴りの大雨・・・



母が亡くなって仕上げの大事な日だというのに。
降りしきる雨の中、供養をしていただき、納骨を済ませました。
お線香を焚くことができませんでした。。。



冷たかっただろうに。
母は寒いのが苦手でした。


こちらでは法要の儀式は一通り終了したけど・・・・
おかーさんはひょっとしたらまだ旅の途中かもしれない。


母の事だから、時々やすみながら
コーヒーでも飲んで、
おにぎりをかじりつつ、、、
私たちの事を上から眺めているかもしれません。


亡くなってから今日まで、泣かない日は一度たりともありません。
遺影を見ると、まだ悲しくてしょうがありません。
女々しいと思われても構いません・・・


どうすれば、悲しみで泣かずに済みますか?


四十九日が済んだので、
今日は少しずつ母の遺品を家族みんなで整理しました。


父は泣きすぎて手につかない様子だったので
部屋で休んでもらう事にしました。


遺品整理はできても、心の整理はまだまだ片付きそうもありません。


毎度毎度、暗い話で申し訳ありません。
いつも拝読いただきありがとうございますm(_ _"m)








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