メソメソのblogー母が骨髄異形成症候群になる-

2017年3月16日、母が60歳にして骨髄異形成症候群と診断されました。
このブログは母の闘病記録して更新していきます。

2017年09月



会社にて。
母の死を悲しむ暇がないくらい、
トイレ行く暇が惜しいほどに
こんな時に限って、結構慌ただしかったりする(笑)
yjimage[10]

通常の出荷業務に加え、9月20日〆(プチ)決算。
常に電話は鳴り続け、FAX対応に追われる。
商品が届いていない、不良品があったなどのクレーム処理。
顧客からの、商品の見積もりの案件。
9月25日へ支給する従業員の給料の配当、手配。
請求処理、支払い明細作成。





忙しすぎて頭から煙が出そうな勢いである。
てゆーかハゲそう!


仕事の合間をぬって、
母の訃報を各取引先へFAXを流した。
組合にも。

途端に電話のコールが数倍増しに('A`)ヴァー


だれかぁー
でんわとってぇーーーーーwwww


事務所に私ひとりなので、
まぁ~~~対応など限られてますわな。
ここまできたらもう、開き直るしかない⊂⌒~⊃。Д。)⊃!

と、そこへ父から電話。

父『これからメソメソ宛に葬儀屋の業者から電話が入るから、インタビューに答えてやってくれ』
私『えっ?』
父『手紙のようなものを作成するので、簡単に答えてくれれば勝手に文章考えるみたいやから』
私『・・・簡単にって・・・応えられるかわからんけど、まぁわかった』
父『忙しいのにすまんな。わしより、メソメソのほうがうまく答えられると思ったんや』


業者からの電話は、昼にかかってきた。
質疑応答の内容は、母の性格や経歴、一番の思い出などだった。


私『・・・・・・』


父からの電話で依頼されたときは、軽く返事したものの・・・
これ、結構メンタル的にキツかった~~~( ;∀;)
だって、母の事を思い出しながら、、、だし
声が震えるし泣けてくるし、仕事はワンサカあるわけで
まともに応えられるはずもなく^^;


私『すみません・・・伝えたい事沢山ありすぎるので、原稿を作成し、書面で提出します』


業者は5時までに提出お願いします、と言い
私は『必ず仕上げます』と伝えた。


原稿は下記の通りです。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
●●葬祭 ご担当者さま

2017年9月22日 (母の名前) 61歳 永眠
著:○○ ○○(長女)




≪性格≫

母は明るくて、前向きで、かかわりあうすべての人に
やさしく接することが出来る人でした。

人望が厚く、誰からも好かれる人。
どこで何をしていても常に楽しそうに取り組んでいました。
物欲が無く、物をいつまでも大事にできる人でした。

『絶対治す』『大丈夫だから、泣くな』と周りに元気と活力を与えつづけ、
病気が発覚し、最後の刻を迎えるまで諦めることなく頑張り続けていました。

人に弱みを見せたがらない母は、泣きたいのは自分のほうなのに、
心配をかけまいとして常に気丈に振る舞い、
たいしたことなかったかのように日常へ戻りたかったのだと思います。


≪生涯≫
奄美大島出身の母は、
9人兄弟のうち5番目の子供、三女として誕生しました。
高校卒業まで奄美大島で暮らし、大阪へ上京。
3歳年下の父と出会い、結婚。

その後、長女(私)、長男(弟)の二人の子供に恵まれます。
子供が大好きだった母は、沢山たくさん子供が欲しい、
子供たちに囲まれて過ごしたい、常に言っていたそうです。
子供の為、家庭のために、支え続け、一生懸命でした。

結婚してからは専業主婦でおさまることはなく、
常にパート勤務で働いていました。
パート勤めが終わってからは子供たちの塾の送迎、
長女のバレーボールの試合の応援、
そしておいしい食事をたくさん作ってくれていました。

中でも母のトンカツは固すぎて、
あまりおいしくなかったのを覚えています。

それでも、家族みんな残すことなく、きれいに完食しました。
通学中は、毎朝早起きして、お弁当を必ず用意してくれました。


子供たちが成人し、長女は結婚。
父と、長男の3人暮らしが始まりました。

数年後、母に転機が訪れます。

今から約15年ほど前に遡りますが、
父が勤め先の会社を引き継ぐことになり、
母は経理事務として入社することになりました。

これまでパソコンや会社経営の事務、
会計など携わったことがない母にとって、
毎日が苦労の連続だったようです。

不慣れで、怒られながら、
失敗しながらも父と二人三脚で切り盛りし、
父から離れていくことなく常に支え続けていました。


会社の軌道がのりはじめた数年後には、
長男、祖父(父方)、長女、長女の夫も加わり、
会社運営にさらに磨きがかかります。


土日祝日関係なく、会社に出勤してきては
溜まった事務作業をこなしていた母。

『電話がかかってこない分、仕事がはかどるからラクよー』

とよく言っていました。

休めていないようだったし、
せめて1日くらい休んだら?と声をかけるものの、

『経営者になったらわかるよ。大変だけどね!商売って面白いよ

と笑いながら語っていたのを覚えています。

母はよく季節の変わり目に体調を崩しては
会社を3日間ほど休養していました。

症状としては、主にめまいと吐き気、時々熱もだしていました。
そのたびに血液検査などを行うのですが、特に異常は見られず。
医師からは『疲れているのでしょう』と言われ、
薬を飲み、休めば体は回復しました。


病気が発覚したのは2017年3月17日。
血液中に異常がみつかり、入院を余儀なくされました。

それから約5か月間、闘病をし続けた母。
抗がん剤の副作用で体はつらいはずなのに、
点滴を振り回しながらラジオ体操をするなどして元気度をアピール。

治らない病気、治りにくい病気と言われながらも
なんとか治してみせると信じて、
先生の言うことを素直に聞き、病魔の恐怖と闘い続けました。

5か月の闘病の末、9月22日午前1時12分。
家族に見守られながら、静かに、眠るように旅立ちました。




≪思い出≫
長女は生まれつき体が弱かったため、
よく病院に連れて行ってくれたのを覚えています。

高熱で苦しみ、ぜんそくで息苦しく眠れないとき、
背中をさすってくれて、私が寝付くまで夜通し起きていてくれました。

そのたびに
『強い体に産んであげられなくてごめんね』
謝ってくれました。


買い物に連れて行ってくれたり、
部活のたびにお弁当作って応援にきてくれたり、
泣いていると抱きしめてくれたり、
父親に怒られたあとは母がなだめてくれたり、
祖母や祖父の面倒をよく見て、
家族旅行は本当にたのしくて、
私たち家族にとって最高の母親であり、
最高の女性であり、
私は母の娘で良かったと思っています。

誕生日のたびに
『産んでくれてありがとう』
と何度も言いました。

唯一、母孝行が出来なかったことと言えば、
母に孫を抱かせてあげられなかったこと。

母は、私が産んだ子供の面倒を見たいと話してくれていました。
叶えてあげられず、本当にごめんなさい。




≪贈る言葉≫

おかあさん。
おかあさんのために、こんなにたくさんの人が集まってくれたよ。
すごいね。おかあさんのこと、大好きな人たちでいっぱいやで。

みてますか?聞いてますか?

お別れは本当につらいです。離れたくない、寂しい、そばに居たい。
連れてってほしい。でも、そんなこと言うたらおかあさん絶対怒るよね。

おかあさんに教えてもらった事、人を思いやること、
そしてそれは、全部自分に返ってくること。

全部、ココに引き継ぎました。
人にやさしくするって、すごく難しいよ。

おかあさんみたいにうまくできないけど、
助けてもらいながら、協力し合いながらがんばるね。
天国で見守っててくださいね。
大好きなおかあさん。素敵な人生をありがとうございました。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

↑提出後、長すぎるためかなり割愛されました(笑)
ウン、確かに長いー(笑)





夕方、弟が関西空港へ奄美の姐さんたちを車で迎えに行き、
寝不足のまま、なんとか残り4名で業務を終了することができた。


さぁ、これでひと段落だぁ~・・・


という訳にもいかず(笑)
帰ったら帰ったで、母の友人たちに訃報を伝える作業に取り掛かる。
母のケータイを片手に、登録されている番号へ
片っ端から電話をかけた。


叔父と父親がある程度やってくれていたが、
全員には掛けていなかったようだ。


とりあえず連絡リストと母のアドレス帳を照らし合わせ
晩御飯を食べるのを後回しにして、、、
とにかく早く連絡しなければ!という一心で連絡しまくった。


親しいご友人なら話は早く、
突然の訃報に驚きながらもとても丁寧に対応してくれ、
そして死を悲しんでくれた。


中には疎遠になってしまっていて
『誰だったっけ?』と母の事を覚えていないかたもいらっしゃったので
しょうがないこととはいえ、説明にとても難儀した。


あと、連絡するうえで非常に困ったことがふたつあった。
まず、、、、


母のアドレス帳に登録されている、
すべてのご友人たちの名前が
ニックネームであること。


『苗字わからねぇ('A`)』


”みつこ”とか”まさお”などの、下の名前ならまだよい。


”あびぃ”とか”おかず”などの呼び名で登録してあるので
電話に出られた方に対し


『はじめまして。私は(母の名前)の娘の、メソメソと申します。失礼ですが、”あびぃ”さんの携帯番号でお間違いないでしょうか?』


と、聞くことになる(笑)(笑)
そして、もうひとつ。


奄美の友人なのか、
地元の友人なのか
わからない件ッ!



地元のご友人ならば、
都合さえつければお通夜または告別式に参列できると思う。


しかし、奄美のご友人たちともなると
飛行機の手配ができるかどうかに依るので
お通夜は無理だろうし、告別式に間に合うかどうかも怪しい_(:3 」∠ )_


・・・母の事を想えばこそ。
登録しているかた全員に連絡したほうが
きっと喜んでくれるはずだ。
大変だったけど、不思議と苦労だと感じることはなかった。


母の為に、精いっぱいやりたい。
最高の旅立ちの日にしたい。


page15へつづく。








転院前の、ある日の会話。


母は9月2日に61歳の誕生日を迎え、
看護師が来るたびに、外出許可もらいたくてしきりに訴えていた。



『外の空気が吸いたい。です』
『夕方、迎えに来てもらって帰ろうかなー♪♪』
『17時に、家族が迎えに来るんです』
『1泊だけでも、だめですか?』
『ケーキを買って帰るんです。ウナギと、マグロも』
『おうちに、帰りたい・・・・お願いします・・・・』


誕生日だというのに。
母の、なけなしの願いは叶わなかった。

やっと帰れる・・・・
でも、こんな状態で、家に帰ることになるなんて。


デイルームへ、看護師が呼びに来た。
母の体についていた沢山のコードたちはすべて外され、
人工呼吸器、心電図モニターなどはすべて撤収。
部屋には、母が着替えさせられて静かに横たわっていた。


私たち家族は、声にならない声をだし、
目を開けぬ母にすがりつき、泣き続けた。


看護師たちによって目を閉じさせてもらい、
母の顔に薄くではあるが化粧が施されていた。


血色がよく、口元は少し微笑んでいるかのように開いていた。
純粋に、ただ寝ているだけのようにも見える。

まるで、肩を揺らせば起き上がりそうな・・・・
適切な表現が思い浮かばないが、母の佇まいは故人として見えなかった。


『おかーさん。とても綺麗だよ』


不謹慎だが、こんな言葉を口にしてしまうほどだった。
人工呼吸器が付いていた喉は、
白のバンドエイドでテーピングされていた。


葬儀屋さんが到着し、静かにベッドを車へと運ぶ。
私が助手席に同乗し、自宅までナビゲーションをした。


自宅に到着したのは午前2時半過ぎ。
仏間に布団を敷き、母をゆっくり寝かせた。
おじいちゃんの遺影がすぐ近くにあるのだが、少しほの暗く見えた。


母『ただいまぁぁぁ!!!』


ドアを開けた瞬間は、
いつもの張り切った元気な声が聞こえるようだった。
しかし、もう二度と母の声を聞くことはできない。


翌日、、、と言っても数時間もすれば夜明けなので、
お通夜や告別式のスケジュールの打ち合わせなどは
同日22日の朝9時から行なうこととし、
ひとまず葬儀屋さんにはお帰りいただくことにした。


22日は金曜日。
不幸ごとがあったからと言って、
会社を休業するわけにもいかなかった。


父は、終日自宅にて待機し
葬儀屋と打ち合わせと親戚や母のご友人たちへの連絡をすることにした。


私含め弟・旦那・他スタッフ2名の合計5名で
会社を切り盛りすることとなるので、
少しでも睡眠をとり、業務に備える準備をした。



page14へつづく。











(閲覧注意です)

9月22日(金)。
ブログの更新を終え、母の手を握りながら時計をみると
時刻は0時30分すぎ。


母の手は、少しだけ冷たい。


エアコンを切り、布団をかけなおし、手をさする。
冷えないように、冷えないように。
おかあさん。私が付いてるから。
大丈夫やで。怖くないよ。


ふと、母の異変に気付く。


私『・・・・おかあさん・・・・?』


突如、目をシパシパし始めた。
顔が小刻みに震えている。
アラームの音が、次第に加速する。


私『・・・・おかあさん、おかあさんっ・・・・』


しばらくして、痙攣はおさまった。
しかし、アラームは依然として鳴りやまない。


私『・・・・・』


髪をなで、肩をさすり、モニターを注視する。
酸素濃度は97%まで上昇していたが、心拍数は40台まで減少。
つないだ手のぬくもりが、
だんだん離れていく感覚に陥った。



再び、痙攣が始まる。
同時に、けたたましいアラームが鳴り響く。
まるで、母の叫びにもとれるような音だった。


体が引きちぎられそうな、、、
なんと形容してよいのかわからないが、とにかく恐怖感を覚えた。


私『・・・・おかあさん、すぐ、看護師さん呼ぶからっ・・・!』


力いっぱいナースコールを押し、
数秒後看護師さん2名がかけつけてくれた。


私『・・・・母の、痙攣がっ・・・あの、あの・・・っ』
看護師『・・・ほとんど、自発呼吸できていない状態です・・・』
私『・・・家族、に、す、すぐ電話、してきます・・・!!』


ケータイどこだっけ。。。
かばん、かばん・・・・ない、ない、、、ない!
ケータイどこ!!!
・・・・ソファにあった!!


私『おかあさん!お父さんたち呼ぶから!!待ってて!!!』


壁にぶつかりながらデイルームへ移動し、
深夜と言う事もあり、静かに廊下を移動しなければと思いつつ
はやる気持ちを抑え・・・急いで父へ電話を入れた。


私『・・・・・早く出て、お父さん・・・・!!』


長いコールの後、止む追えず呼び出しを中止。
続いて、旦那に電話を入れると、すぐに出てくれた。


私『・・・お願い、お父さんと弟を起こしてすぐに来て・・・・っ!』
旦那『わかった!』



その後すぐ父から折り返しの電話が来た。
同じように伝え、母の元へ戻る事数分後。


看護師さんが、聴診器をあて胸の音を聞いていた。
心電図モニターの脈拍は、20を切っていた。


私『・・・おっ、おかーさん!!おとうさんたち呼んだ!!』
看護師『ご家族さんは、どのくらいで来られますか?』
私『早くても、10分・・・15分ぐらいかかるかもしれません・・・っ』
看護師『わかりました。当直医呼んできます』


看護師が出て行った直後、
母の、脈拍はーーーーー・・・・・・・
父たちの到着を待たずして、
波形を刻むことをやめてしまった。



私『・・・うそやろうそやろうそやろ、おかーさん、もうすぐお父さん来るんやで!!それまでここに居ってよ、ねぇ!!!ねぇ、おかあさん!!!!!う・・・・わぁあああああ~~~~・・・・・・っ』


当直医が到着、一礼をして
脈をはかり、反射がないかどうか丹念にみてくれたのち・・・
当直医は、静かに告げた。


『9月22日、午前1時12分。お亡くなりになりました。。。。』


ーーーーー告知後。
私は、母の顔をしっかりと見る。
命が尽きる瞬間まで、顔を見ながら
懸命に父がくるまで待ってほしいと頼み続けた。

痙攣がおさまった母の表情は、
目はうっすらと開いてはいたが・・・心なしか、とても安らかだった。
瞳の色は、黒いまま。。。

痙攣が起こったのはほんの少しの時間だっただけで、
特に苦しむ風でもなく、痙攣はあったもののひどく暴れることもなく、
静かに息を引き取った。

人工呼吸器は、なおも母に酸素を送り続けていた。
しかし、脈拍は回復しない。
呼吸回数もカウントしない。
心臓マッサージもできない。

理由は、心臓マッサージの圧力により、
母の体内で出血が起こってしまう可能性があるからだ。
血小板の数値が10000(通常は30万)を切っていた母にとって、
体内出血を伴う処置は命取りになる。

息を吹き返したとしても、また苦しみが待っているだけ。
以上の理由から、心臓マッサージはできない、と言われていた。


泣きじゃくる私の背中をさすりながら、
看護師は私にやさしく告げた。


看護師『これから、お母様のお体を綺麗にさせていただきますのでデイルームでお待ちいただけますか?』
私『・・・・・はい・・・・・よろしくお願いします・・・』



看護師は私に歩調を合わせながら、
ゆっくりデイルームまで促してくれた。


ひとりぼっちのデイルーム。
窓から見える景色は、夜のネオンがキラキラと輝いている。
デイルームにはドアがないので、
静かに寝ている患者さんが近くに居るため泣き叫ぶわけにもいかず・・・、
嗚咽をこらえながら、呼び出されるまで出来るだけ静かに待ち続けた。


ほどなくして、旦那が来てくれた。


旦那『・・・・・・』


だまって、肩をさすり、傍に座ってくれた。


旦那『・・・・おかあさんは・・・?』


私は、首を横に振った。


旦那『・・・・・そうか・・・・・』


その後、弟、父も到着。
母のことを伝えた。


私『午前1時12分だった・・・間に合わすことが出来なくて、本当にごめんなさい・・・!!』


真夜中のデイルームには
母を愛して止まない家族の、悲痛な鳴き声がこだました。



page13へつづく。










病室に着くと、
母の友人に付き添いを頼んでいたので、
私が到着するまでの間、
看護師や医師に対して
しっかりと対応してくれていたのでとても助かった。


心電図モニターや呼吸器モニターは
思ったより安定していた。


血圧以外は・・・の話だが。



どうやら、大量に便が出ていて
便の中に出血が混じっており、
血圧が低く悪条件が重なってしまい、
下手に母の体を動かせば
それだけで体力を消耗すると判断し、
危険な状態になるおそれがあったので父へ電話をしたのだという。


酸素濃度は100%をキープ中。
脈拍は80台。


とりあえず母の容態が落ち着くまで、
衛生面で不安はあるものの、総合的に判断し、
便の処理については一度休憩せざるを得なかった。


午後、看護師がきれいにおシモの後処理をしてくれた。
母の体の向きを変えたり痰吸引をしてもらったが
特に容態の悪化は見られずだったので、
ひとまず安堵した。。。


大量の便、そして血液が混じっていた件だが、
勝手な想像だが、昨日の電位治療器のおかげで、
体の中に溜まっていた悪いモノ(悪血含む)が
出たのかなぁ、と都合よく考えた(笑)
この考えに、母の友人も同意してくれた。


母のピンチには必ず私が駆け付ける。
すると、少しずつではあるが回復していく。
本当に、本当に説明がつかないほど不思議な現象だ。


母の友人に私が到着するまでの間、
付き添いを頼んでいたおかげで、
母も心強かったのでは、と思う。


誰もいない環境だったなら、
母は転院して次の日には旅立っていたかもしれない。


こんな状態になっても尚、母は医師のド肝を抜いた(笑)


『素晴らしい生命力です。転院から現在に至るまで、医学的にはお母様の体は限界のはずなんです。失礼な言い方になってしまいますが、ここまで持つのは信じられません。』


今日の担当看護師に、
昨日から再開した『特別な治療』の概要を簡単に説明し、
使用許可をいただいた。


血圧が低いのが心配だったので、
今回も5分間のみ行った。


母は、静かに目を閉じた。。。


夕方、商談を無事に終えた父が交代に来てくれた。
数値を見て、目に涙を浮かべながら喜んでいた。
今夜は父が泊まる、と申し出てくれたが
なんだか疲れてそうにみえたので
『私が代わるよ』と申し出た。
少しでも休んでもらいたかった。
私のほうが若いんだし(笑)
冗談交じりに笑いながら言うと、父は観念して甘えてくれた。


私は仕事を丸投げで会社を飛び出してきたため
後処理をするべく会社に戻った。
会社についてすぐ、父から連絡が入った。


父『メソメソが病室を出てすぐ、2回痙攣が起きた・・・先生の判断で、鎮痛剤(即効性の強めの薬)を入れてもらうことにした』
私『・・・うん、わかった。異論はないよ。おかーさんをなるべくラクにさせてあげて』
父『・・・・・ほんとに、すまん・・・・・』
私『・・・やっぱ、私が離れたらあかんなぁ(笑)ソッコーで仕事終わらせて、風呂入って食事済ませてそっちいくね!おかーさんに待っててって伝えて!』
父『わかった。お前が娘でよかったよ。気を付けて来いよ』
私『うん』



夜8時まで仕事をし、家で簡単に食事を済ませ
風呂にはゆーーーーっくり入って、
少し仮眠をとったあと、弟と交代した。


酸素濃度は、昼の間は常に100%をキープしていたのに。
夜11時ごろは、70後半まで下がっていた。


私『・・・・』


看護師を呼び、酸素濃度の圧?を
60%→70%まで上げてもらうよう頼んだ。


深夜0時現在。
心拍数50後半、血圧47/24、酸素濃度80後半まで引き上げた。
今のところ、痙攣らしき行動は見られない。


このまま・・・穏やかに時が過ぎるのを祈りながら
夜明けを待つ。

・・・こんな時まで病室へパソコンを持ち込み、
ブログを書くなんて不謹慎だなと自分で呆れる(笑)



page12へつづく。





9月20日。


母の友人たち、私の友人たちから
たくさんのメールや電話を頂戴した。


涙が出るほどうれしかった。
こんなに沢山の人に『おめでとう』と言ってもらえた。
これもみな、母のおかげだ。
私は今でも、母にたくさんの幸せを貰っている。


誕生日、という後押しもあり
私は、思い切って『特別な治療』をさせてもらえないか
もう一度看護師長に相談を決意する。


特別な治療とは『電位治療器』のことである。
ヘルストロンなどが有名だと思うが、
私が使用しているものは家電量販店で販売されているものではなく、
口コミでメーカーが年寄りなどをターゲットにし、
メーカー直売で販売しているものである。


今から約3年ほど前の、ある秋のこと。


地元のスーパーの駐車場の一部を借りて、
『健康になれますよ!』とうたい文句をかかげ、
いかにも怪しげな雰囲気の建物の中で『それ』と出会った。


押し売りなどは一切なかった。
気に入らなければいく必要はない。
その点は気が楽だった。

会社の知り合いに誘われ、
約3か月ほど母と一緒に通いつめ、
効能・効果・価格など納得して購入したものである。
あ、ヘルストロンではありません(笑)

私は購入してから3年ぐらい使用し続けているが、
口内炎がよくできる体質だったのができなくなり、
整体とも疎遠になり、
強いストレスを感じたとき以外はよく眠れるようになった。

しぃまのお腹のハゲも、
いくら病院でもらった薬を塗っても完治しなかったのに
この電位治療器で綺麗に回復したのだ!
結膜炎の完治が早かったのもこの機械のお陰だと思っている。



・・・信じられないと思うが、ホンマの話です(笑)


要は、血液の循環を良くし、
体の不調を改善しよう、という健康器具である。

それを、前病院の時からさせてもらっていた。
現病院へ移った当初はHCUへ入室していたため、
電子機器の持ち込みは不可だと固く拒否された。(当たり前の話だがw)


個室へ移動できたので、
前病院では使用許可が下りていたし、
なにより母の体は腎機能・肝機能が低下しているので
うまく毒素を排出・分解することが困難なため、
毒素が体内に蔓延し、体がむくみ始めている。

危機的状況に変わりはない。

電位治療器を使うことにより、少しでも
体内毒素が外に出れば・・・
良い方向に転がってくれれば・・・という願いを込めて、
なんとか処置させてもらえないか頼み込んでみた。


看護師長は、主治医に相談。
ほどなくして、使用許可は下りた。
使用中は心電図モニターの脈拍が異常値を割り出すので
そこだけ確認してもらい、5分間だけ処置をさせてもらった。


足がカサカサだったので、
ボディミルクローションをふんだんに使い
つるっつるになるまでマッサージを施した。


足はうるおいを取り戻し、
冷たかったつま先はほんのり温かくなった。


目が爛々としていた母は、
だんだんとウトウト状態になっていき・・・
やがて、いつのまにか寝てしまった。





翌日。


朝、父のもとへ病院から電話が入る。
血圧が低く母の出血が止まらない、との知らせを受けたらしく
真っ青になりながら私に言った。


父『すぐ病院へ行ってくれ!』


今日は商談会二日目。
11時からアポが入っていたので、
どうしても父は抜けれない。
弟も動けない状態。


私は仕事を丸投げし、すぐに病院へ向かった。


page11へつづく。











9月20日は私の誕生日。
誕生日は、お祝いしてもらう日ではなく、
産んでもらえたことに感謝する日。


しぃまが旅立って、ちょうど5か月が過ぎた。


可能な限り、おかーさんと一緒に過ごしたい。
でも、会社のイベントが今日から始まる。
イベント期限は、9月29日まで。。。
仕事しなければ。
ああ、こんなにも仕事が煩わしい。
誰か代わりに私の仕事をして?
そんなことばかり考えてしまう。
ああ、集中しなければ。
日中は仕事を一生懸命して、
9月20日の夜は、ずっと傍に居るつもりだ。
願わくば・・・


『お誕生日おめでとう』
『生まれてきてくれてありがとう』


って言ってもらいたい。


願わくば・・・・


『奇跡が起きますように』



page10へつづく。


 



9月14日-18日の期間。


台風18号の影響がかなり不安だったが、
予定通り無事に、奄美の親戚たちは母の元へ到着できた。


朝の9時から夜の9時まで、奄美の姐さんたちが
ずっと付き添っていてくれたおかげで、
日中は仕事に集中することが出来た。


夜は、父or弟or私のいずれかが交代で寝泊まりし、
いよいよ始まる会社イベント『地域合同商談会』の準備にいそしんだ。


その間の母の容態は、
血圧に少々の変化はあるものの比較的安定していた。


尿が出ないため、全身がむくみ始め
目をほとんどあけられなくなった。


時折、うっすらと開けることはある。
しかし、見えていないような感じだ。
呼びかけても、応答はほとんどない。


体が固まらないように、と筋を伸ばすなどの
簡単なリハビリが始まった。


以前のように、
ベッドサイドに座ったり立ったりすることはできなくなった。


痰吸引をお願いするが、
体を動かすことが殆どなくなったので
気管から吸引しても上がってこなくなった。
引いても、なかなか取れなかった。


『ただ、苦しくなるだけなので・・・・』


看護師にそう言われると・・・・
ナースコールを押す頻度は、日に日に減っていった。


夜、寝泊まり時。


看護師のように痰吸引はしてあげることはできないが、
あたたかいホットタオルで体を拭いてあげたり、
体の向きを変えたり、
母の首の後ろに手を差し込み、後頭部や首、肩など
マッサージをなるべくしてあげた。


少しでも、体にたまっている悪いモノが出てきますように。


前病院でやっていた特別な治療は、
この病院では許可が下りなかったので・・・
やってあげることが出来なかった。


可能なら、やってあげたい。
でも、個室に精密機械を置いてある以上・・・
悪影響が出る恐れがあるので(心電図の乱れ等)
いくら前病院では許可がおりていた、と説明しても
病院で入院し病院の方針である以上、あきらめざるを得なかった。


ここまで来たら・・・特別な治療など、気休めにしかならない。
私に出来る事や母自身が出来ることは、徐々に減っていった。


『オシッコが出ないので、管を入れますか?』


医師に問われた。
管を入れたからと言って尿が出るものでもなく、
体のむくみが改善する、というものでもないらしい。


病院は治療する場ではあるので強制はないものの、
とりあえず提案してくれたようだった。
決定権は、私たち家族にある。


『本人が苦しいだけなので、入れないでください』


そう答えると、医師は心よく承諾してくれた。





9月18日早朝。
奄美の親戚たちはそれぞれの家に帰っていった。


私は9月17日の夜から泊まっていたので
父が翌朝交代で来てくれたから、
家に帰って気のすむまでぐっすり眠った。


母の血圧は、いまだ低いままだったが・・・・
鎮痛剤を入れてもらったおかげで、
呼吸回数は安定し、不整脈が気になるものの
呼吸器の異常アラームがなる頻度は減った。




page9へつづく。

















父『・・・それは、まだ使わんとこ。』
私『でも・・・すぐにどうなるっていうものでもないんやで?』
父『呼吸抑制がかかるんやろ?そんな変な薬、使う必要ない』
私『変な薬って・・・おかーさんをこれ以上頑張らせる気??』
父『そうや。姉さんたちが来るまで、頑張ってもらわなあかん』
私『・・・・気持ちは、わかるけど・・・』
父『せめて、生きてるうちに会わせてやりたい。明日には来るんや。それまで、何とかもたせたい・・・酷なのはわかってる。お前が夜通し看病してて、つらいのもようわかる。わしも辛い・・・でも、みんなで辛さを乗り越えたい。これはわしのワガママや』 




私は、夜通し苦しそうな母の様子を見かねて、
『鎮痛剤』を投与したほうがいいのではないかと感じ、
看護師に相談してみた。


確かに、苦痛を伴う苦しみなら使ったほうが本人もラクだ。
しかし、呼吸器をつけている以上は、下手を打てば呼吸抑制がかかり
血圧が低いまま投与すれば、そのまま目が覚めない、なんてこともあり得るらしい。


看護師も医師も、今こそ使うべき時だと言う。
これ以上頑張る必要はないと。
苦痛をやわらげ、しっかり睡眠をとらせ、
穏やかに、眠るように旅立ちの準備をゆっくりと始めるのだ。
私も、同意見だった。


でも、父と弟は、これには反対意見だった。


『姉さんたちが来る連休まで・・・投与は待ってください』


私は、父に従った。
どっちが正しいかなんてわからん。
母の気持ちを考えれば・・・・
考えたって、わからない。


姉たちに会いたい、と願っているようにも見えるし
・・・・そろそろ、ゆっくりしたい、ともとれる。


おかーさん、頑張らせてごめん。
でも、離れたくないよ。
遠くに行かないでほしいよ。
くやしい・・・・
数か月前まであんなに元気に入院生活を送っていたのに。
こんなになるまで母を苦しめた、病気が憎い。



鎮痛剤を投与することはないまま、
いよいよ姉たちが到着する日となった。



page8へつづく。






早朝。
病院から連絡を受け、父・弟・私の3名は、母の元へ急いだ。
カーテンを空ければ、看護師が胸に聴診器を当て、
血圧測定をしていた。


母は昨日までのような面影はなく
クチを大きく開け続け、
目はうっすらと開いたままだが、
眼球の動きはあまり見られない。
苦しそうに、浅い呼吸を繰り返していた。


顔面蒼白。。。。
呼びかけるが、応答はない。
意識が浮上しない。
駆け付けた3人の涙が止まらない。。。。。


傍に立っていた医師が口を開く。


医師『血圧が下がっていて、呼吸回数も非常に多い。不整脈により、心拍数が安定しません。血圧を上げる薬はあるにはあるのですが、体の事を考えると、、、あまりお勧めできません。熱は今40度まで上がっています。恐らく、自身の滞在菌をコントロールできず、感染症による症状かと・・・』


父『・・血圧の薬は、要りません・・治療は、結構です。静かに、見守りたいです・・・』
医師『わかりました。抗生物質と、栄養剤のみ引き続き投与し、様子を看ますね』
父『・・・・はい、お願いします・・・・』



父は会社へ向かい、
母の容態が落ち着くまで、弟と私は待機することになった。


弟が泣きじゃくっているので、
相部屋の人に悪いと思った私は、
弟に『落ち着くまでデイルームで居なよ』と言った。


弟は言われるがまま、デイルームで待機することにした。
しばらくして、師長がやってきた。


師長『おはようございます。今日は、ずっと付き添われますか・・・?』
私『はい、そのつもりです』
師長『ずっと付き添っていただけるのでしたら、個室をご用意できますが移動されますか?』
私『えっ・・・いいんですか??』
師長『ええ。先日も申し上げましたように、迅速な対応に若干不安はあるのですが、ご家族様が常に待機していてくださるのなら、個室へ移っていただけます。ただ、移動するにしても呼吸器を一瞬外さなければならないので、リスクは伴います。それでも、よろしいですか?』
私『・・・はい!ぜひ、お願いします・・・!!』
師長『わかりました。それでは、病室を調整してきますのでしばらくお待ちください』


私は、母に個室へ移動できることを伝えた。
母の反応はなかったが、耳は聞こえてると思い、
相部屋の人に迷惑にならない程度に、語りかけつづけた。


移動は、滞りなく済み・・・・
ようやく、静かな環境にホッとした。


父にも奄美の親戚たちにもLINEで報告し、
前病室で飾っていた千羽鶴や写真など、
自宅から持ってきて、病室の壁に飾ることができた。


みんなの願いのこもった、守り神たち。
母の周りに置き、親戚たちが来る9月14日まで
なんとか持ち直すよう、お祈りした。


今までだって、何度も窮地を脱出してきたんだ。
今回だって、きっと持ち直すに決まっている。


その夜、私は泊まり込みで母のそばに付き添った。
心拍数上昇、呼吸回数上昇、血圧低下により
頻繁にアラームが鳴り響く。



まるで、母の不安な気持ちを表しているかのよう・・・
母の髪をなでながら、安心させるように語り掛け続けた。


『おかーさん、おかーさん。呼吸回数、早いよ。もう少し、落ち着いて。ほら、ゆっくり深呼吸・・・そうそう、上手だね。その調子。怖いよね。つらいよね。一緒に闘おう。姉さんたちが来るまで、お願いだからもう少しここに居てね・・・私が傍に居るよ』


おかーさんにとって、一番の守り神は私。
願いが通じたのか、60を下回っていた血圧は80台まで回復。


意識の回復は薄いが、表情は和らいでいるように見えた。
でも、昨日の夜は本当に辛そうで・・・
まるで、母の寿命を縮めているような感覚に陥った。


父に、ある相談を持ち掛けた。


page7へつづく。







※page3の冒頭に戻ります※

≪転院先の会議室にて≫


私『・・・数日後には、個室に移動できるんですよね?』


師長『・・・それが・・・個室はあるにはある、んですが、個室は一般フロア病棟にしかないのです。HCUのように常にスタッフが常駐しているわけではないので、緊急事態が起こった場合、迅速に対応するつもりではありますが、スタッフ人数が少なく、対応に関して大きな不安があるのです。ナースコールを押してもすぐ来れないことも多々あります。お母様の事を考えれば、HCUで24時間看護できる方が安心だと思うのですが・・・』


私『仰りたいことはよくわかりました。人工呼吸器をつけている以上、一般病棟では診れない、と言う事ですよね?ぶっちゃけ、前病院でもありましたよ?ナースコールが鳴ってもすぐに来てくれない事なんて。母だけが入院しているわけではありませんし、出来る限りの事をやっていただければ、私たちは満足なんです。そこは、私たち家族も理解はしています。理解しているうえで、個室が良いと希望を出しているんです。』


師長『・・・・、ですが・・・・・』


私『失礼を承知で申し上げますが、HCUの状態は、慌ただしすぎて落ち着いて療養できるような環境ではない印象でした。24時間看護体制が整っているにしても、狭いうえに慌ただしい、家族待機ができるスペースもない。病院は治療をする場であるので、私が言っていることはあくまでもワガママで、病院側からすれば非常識な意見だと思います。治療や処置は行えても、メンタルな部分に大きなダメージを与えるような気がしてしょうがないんです。師長さんの立場上、責任もあるでしょうし、すぐには返答できないことだと思っています。・・・治療が出来ない、と前病院で言われました。ここも、そうなんでしょう・・・・?緩和処置しかできないんですよね・・・?』


師長『・・・・そうです・・・・治療の施しようは、ない状態です・・・・』


私『だったら、HCUで24時間看護していただく必要はないです。助かる見込みがあるなら話は別です。母には、残された時間は少ないんですよね?面会するのに気を遣う、看護師さんが忙しそうにしているのを目の当たりにすれば、用があっても我慢してしまうのが母なんです。最後の時くらい、静かな環境で、静かに見守りたいんですよ。だから、個室がいいとさっきから言ってるんです。前病院では、容態を観察するために数日間HCUで預かり、それから個室へ移動できると聞いてしぶしぶ了解したんです。それが、人工呼吸器をつけているので個室への移動は無理であると。・・・・・話が違うじゃないですか!!』


師長『・・・・お気持ちはよくわかりました。一度、個室への希望の件は預からせてください。主治医と相談し、それから決定しようと思います。病室の都合がつき次第、移動できるよう最善を尽くします。』


私『・・・・あ、ありがとうございます・・・っ!!』





病室に戻ると、母は少しぼんやりしていた。


私『・・・・、おかーさん!ただいま!』


カーテンを開け、ちょっと大きめの声であいさつをした。
視線を移した母は、私に『オシッコ』と言い、
ナースコールを押した。


看護師さんはすぐそこ(カーテンの向こう)にいるのに、
パソコンをパチパチとタイピングしたままこちらへ来ない。


私『・・・あのう、すみません。オシッコなんですけど・・・・』


24時間完全看護、のはずが
ナースコールを押してるのにすぐそこにいるにも拘わらず、
声をかけてくれない状態。


看護師『はいー』


こちらを見るふうでもなく、
無言でズボンを下ろし、尿器をあてがう。


看護師『はい、どうぞー。いいですよー』


少し押し付けられて痛いのか、顔をゆがめる母。


私『あの、押し付ける力が強いのか、身を挟んでいるのかで痛いと思うんですけど・・・』
看護師『これぐらいじゃないと、漏れちゃうんでねー出すまでの間ぐらい、我慢してくださいよ』



母は私をじっと見て、私の方向へ指をさしている。
メソメソにやってもらいたい。いつもみたいに。
そういっているような気がした。


私『・・・・、あの、私にさせてもらえませんか?前の病院でも、させてもらっていたので。』
看護師『あ、そうなんですかー?じゃ、お願いします』



やはり看護師は視線を合わさず、
さっさとカーテンの向こう側へ消えた。


私『・・・・・はい、おかーさん。いつでもいいよ♪』
母『・・・・・(力なく微笑んだ)』



しばらく粘ってみるものの、
オシッコは、出ることはなかった。
母は、申し訳なさそうに手を合わせ


母『ごめんね』


と言った。
謝ることないよ、何か用事があれば私に言ってね。
そう言い、手をしっかりと握りしめると
母も、温かい手で握り返してくれた。





夜、7時30分。
面会時間が終了に近づき、もうすぐ帰らなければならない。
看護師たちの視線が、突き刺さる。


私『・・・・そろそろ面会時間終了だ。』
母『・・・・ありがとね』
私『ずっと付き添ってあげたいんやけどね。相部屋だし、ほかの患者さんのこともあるから・・・おかーさん、また明日来るね。絶対、来るから
母『うんうん。お疲れさま』


看護師に軽く挨拶をして、私は退室した。
夜が明けて、明け方ごろ・・・母の血圧は急激に下がっていった。



page6へつづく。










父『メソメソ。話あるから来てくれ』


自宅にて。
父に呼び出され、リビングへ足を運んだ。


父は、転院の詳細を話しだした。
内容は下記のとおりである。


☆個室ではなく、4人部屋であること。
☆HCUでしか受け入れてくれないこと。
☆21日間しか置いてもらえず、超過すれば別の病院に転院させられること。
☆9月7日に必ず移動しなければならない事。



私『…そんな…』
父『希望を聞いておきながら、要望通りと話が違うままなんの連絡もなく、はいそうですかって言えるはずないやん』
私『…』
父『そりゃ、病院のベッドの事情もあるやろうから、個室が空けば転院したいって言うたんやけどね。無理やとハッキリ言われたわ。HCUに入らなあかんのは、人工呼吸器をつけてるからやと。一般病棟では診れないらしい』
私『…』
父『もともとな、血液の病気で入院したんや。自宅で肺炎になったわけちゃう。肺炎になったのは今の病院でなったもんや。だったら治らないにしても、、さい…ご、まで、看るのが筋じゃないんか…って、、父さんは言うたんや。それがなんやねん、治らないんで別の病院へ行けって…そこで死ね言うことやろ…そんなん、あまりにも殺生すぎるわ…!』
私『…』
父『だからな、メソメソ。転院の話、白紙に戻して貰お?こんなん、話と違う。奄美の姐さんたちに、申し訳なさすぎて合わせる顔があらへんっ…!!最期の時くらい、穏やかに過ごさせてやりたいねん…チカラを貸してくれ』
私『…おとーさんの気持ち、良くわかった。私も同じ気持ちやで。明日、前主治医に話聞いてもらお。一緒にお願いしよう』








家族説明室にて。


主治医に時間をもらい、
転院の話は個室で明るい部屋ならという事で了承したものの、
やはりこの病院で診てほしいと切実に訴えた。


希望が100パーセント通らないのはわかってはいた。
でも、コチラの要望がすべて却下されたまま話が進み、
特に連絡や確認がなく、
強制的に決定されたのが非常に腹立たしかった。


強制的に決定するのであれば…
あの話し合いは何だったのか。
何のために何度も希望を聞いてきたのかわからない。


主治医『転院の調整は、医師同士でするのではなく、地域連携という部署がするんです。僕のほうにも昨日夜メールが来ていて、先ほどの話とまったく同じ内容が書かれていました。家族さんがとても怒っているので、そちらで何とかしてくださいと。。病院と家族さんの間に立ち、パイプラインの存在であるはずの彼らが機能していないので、正直困っています』


何と言われようと、
転院先の病院へは、もはや不信感しかない。


この病院の主治医であるあなたに最期まで診てほしい。
転院先の医師はちゃんと見てくれるのだろうか??
転院の話がきちんと伝達できていないのに、
カルテの引継ぎなどきちんとできるのか??


何とかこの病院で置いてもらえないか、
他のフロアでの療養は無理なのか、
緩和ケア病棟へ置いてもらえないのか・・・・、


何度も、何度も何度も何度も頭を下げ、お願いし続けた。


それでも・・・話し合いは平行線のままだった。
転院の申請をだしてしまった以上、
覆すことは出来ず、強制的に転院を余儀なくされた。


父『せめて・・・せめて、9月11日まで延期させてください・・・』


9月9日、10日に二人の姉たちが先にやってくる日。
最後の頼みだから、と二人で頭を下げ続け
主治医は、なんとか調整してみますと返事をしてくれた。


こうして、母の転院の延期(9/7→9/11)は決定した。
精神的に、本当に限界だった。



page5へつづく。







         


師長『〇〇さん、この度は転院の件で病院同士の連携不足によりご迷惑をかけてしまい、誠に申し訳ございませんでした』


私『あ、、いえ。でも、希望していた個室には数日すれば移動できるんですよね??』


師長『…それが…』


※ここからは、8月下旬の話に遡ります※
≪前病院にて≫
父『転院しなければならない理由はわかりました。ですが、こちらとしても譲れない条件があるんです。明るい部屋で、個室を強く希望します。』


前主治医『個室でなければならない理由は?』


父『妻は、周りに対してとても気を遣うのです。喋れないし、筆談でしかコミュニケーションの方法がない。奄美の親戚が来た時に、相部屋だと狭い上に同室のかたに気を使うんですよ。同じ患者同士、しんどくて寝てるのに、騒がしくすれば気を悪くするじゃないですか?』


前主治医『はい』


父『この9月の連休に、奄美から親戚たちがスケジュールを調整し来てくれるんです。誰に気を使うことなく、時間の許す限り会わせてやりたいんです。妻にはもう、時間はあまり残ってないんでしょう…?』


前主治医『…お気持ちはよくわかりました。転院日程はまだ決まっていないのですが、9月に入ってからになると思います。受け入れ先の病院へ希望を出しておきますね』


父『…わかりました。都合をつけるためにも、なるべく余裕をもって早めに知らせてくださいね。』





数日後のある日。
夕方、母の病室で面会を楽しんでいると
ふたりの職員がやってきた。


地域連携『こんにちは、転院の件でお話があるのですが。ご家族さんですか?』


私『はい、そうです。転院の話ですね?』



ふたりの職員は、転院について希望はありますか?と聞いてきた。
おかしいな、前主治医に父からすべて話したはずなのに。
確認の意味でもう一度って事なのかな。
めんどくさ…


私『個室で明るい部屋なら、問題ないんですけど…』


連日のようにせん妄症に打ちのめされていたため、
早く出て行って欲しくて、簡潔に伝えた。


地域連携『わかりました。それでは今日、受け入れ先の病院へ申請書出しておきますね』


私『宜しくお願いします』


二人は、入室時間5分も居なかった。





それからさらに数日後。
登録外の番号から、私宛に着信が入った。


地域連携『地域連携と申しますが。今お電話宜しいでしょうか?』


私『あっはい!』


地域連携『転院の日程なんですが、9月7日になりそうなのです。都合は…』


私『えっ3日後!?』


地域連携『はい。この日で移動できそうなら、受け入れ先の病院へ返事します』


私『ちょ、ちょっと待ってください…7日で決定なんですか?!』


地域連携『そうですね、ほぼ決まりのようですが…』


私『9月に入ったら、とは聞いてましたけど、9月の連休に奄美の親戚たちが来るんで…あ、でも個室なら大丈夫かなぁ…あ!祖母の施設から施設への移動と被るかもしれないんです。父に確認しないと行けないので、明日のお返事ではだめですか?』


地域連携『んー、ちょっと困りますね…』


私『いや、困ってるのはコチラなんですけど…取り敢えず、この電話を切ったあと、すぐに父へ確認をします。何時までいらっしゃるんですか?』


地域連携『5時までです。直通の番号へかけてもらえないですか?』


私『今、病室を出てエレベーターホールに居るので…一旦戻ります』


地域連携『ああ、病室にいらっしゃるんですね。これから向かいますね』


私『あーはい、ではお待ちしてます』



父に確認後、祖母の移動日は1日ずらせる事が出来たため、
ひとまず7日で返事をするという事で父との話はまとまった。


地域連携の人は、5時半を過ぎても来なかったので、
父が面会交代に来てくれたため、
私も会社に戻りたまっている仕事を片付けた。


私が病室を出て数分後、
入れ違いで地域連携の担当者が来たようだった。
私とするはずだった話を、代わりに父が対応してくれた。


その夜、
父は項垂れながら帰宅することになる。



page4へつづく。






救急車の中。


母の心電図モニター音だけが静かに鳴り響く中、
救急車は目的地へ移動し始めました。


母は、キョロキョロと目だけを動かし、
やがて私へ視線を向けました。


私は母の体に手を置いて、静かに語り掛けました。


私『雨降るかなって心配だったけど、少し晴れてきたね』
母『・・・・・』
私『今ね、堤防沿いを走ってるよ。右側が海なんやけど・・・見えないね(笑)』
母『・・・・・』
私『あっもうすぐ、オークワ(スーパーの名前)の前を通過するよ』
母『・・・・・』
私『トンネルはいったよ。もうすぐ、病院着くよ』


母は、いつのまにか目を閉じていた。
私『せっかくのお出かけやのに~(笑)寝てたら勿体ないで!』
少し冗談ぽく言ったが、それでも母は軽く目を閉じたままだった。


病院へ到着するまでの約15分間、警報アラームが鳴り響くことなく
無事にHCUへ入室完了。


看護師長『こんにちは、家族さんですか?』
私『はい、そうです』
看護師長『これから人工呼吸器のセッティングに入りますので、ご家族さんはデイルームでお待ちください』
私『あ・・・わかりました』
母『・・・・・・』



母は、不安そうに私を見ている。


私『おかーさん、また、あとでね!』


手を振り、1人デイルームで待つ。
他の家族さんが、楽しそうに食事をしながらの、にぎやかな環境。
私は、落ち着かずため息ばかりが出る。


しばらくして、父が来た。
2人で、看護師さんの呼出を待っていると・・・
先ほどの師長さんがやってきてくれた。


看護師長『お待たせして申し訳ありません。ご挨拶が遅くなりました、私は看護師長の○○と申します。準備が整いましたので、どうぞこちらへお入りください。HCUの面会時間やルールなどは、担当看護師から後ほどお話しさせていただきますね』


言われるがまま、案内された部屋は・・・
カーテンで仕切られた、
4区画分の1スペースのみ。



さらに、人工呼吸器&心電図モニター&支柱台(点滴)をベッドサイドへ置いてるので
本当にせまく、ロッカーがあるのに目の前に人工呼吸器を置かれていたため
ロッカーを使用するのは困難だった。


父&私『・・・・・・』


しょうがないので、オムツやタオルなどを
窓の冊子部分へ置いた。
置けない分については、車へ引き上げることにした。


お向かいのベッドには、酸素マスクをつけたおばあさんが1名のみ。
時折、唸り声をあげていた。
声が言葉にならないような感じで、とにかく声が大きい。


HCU常駐看護師たちは、とにかく慌ただしい。
ファイルを投げ落とす音、ゴミを捨てる音などの物音がとても気になる。
言動が荒いのが目立つ。処置も雑。声かけもほぼない。
前病院に比べれば、レベルの低さが浮き彫りになるほどだった。


こんな、落ち着かない場所に母を・・・・?
どうやって療養しろと・・・・?


言いたいことは沢山あったが、父も私も言葉を飲み込み、
これからお世話になります、と頭を下げた。


父は、どうしても片づけなければならない仕事があるので、
一度会社に戻ると言い、
私は母の容態が落ち着くまで傍に居るようにした。


父が『また、夜来るから』と手を振った。
母も手を振ったが・・・・その時の表情が何とも言えず、
父も泣く泣く病室を後にした。


『・・・・どうして個室じゃないの・・・・・?』


母が手を振った時、そんな表情だった。


ほどなくして、医療事務の方が挨拶にきてくださり、
病院のパンフレットと入院するにあたっての同意書を持ってきた。


その後、私はつとめて明るくおかーさんに話しかけていたが、
カーテンの外の声のほうが大きく、私の声がかき消されてしまい・・・、
母は『聴こえない』と何度も耳を傾けてくれた。


私は筆談で母と会話しようと試みるが、
母は、筆談をする元気がなく、筆談を拒まれた。


母の前病院での容態を問診するべく、看護師がやってきた。
担当看護師は挨拶もせず、名乗りもせず、愛想もなく、
ただ言われた事だけをもくもくとこなすような人。
そして、ミスが多いのか同僚に怒られているのが目立った。


『こんな人が担当なんだ・・・・』


思ってはいけないことは百も承知だが、
ただでさえ転院のことで頭を悩ませていたのに、
この看護師の存在で余計な心配事がまた増えた。


部屋は太陽の光が良く入る、明るい部屋だった。
病室は確かにきれいである・・・・が、
こんな落ち着かない場所では、
母の容態はさらに悪化するんじゃないか・・・と
不安をぬぐいきれずにいた。


そして、看護師長がまた訪ねて来てくれて、
少し話がしたいと言われたので、
母に『ちょっと席はずすね』と伝え、
師長と、地域連携部署?の2名と共に、会議室へ入室した。


page3へつづく。












9月11日(月)。


さて。転院するまでに
イロイロ(割愛部分=後ほど内容を記載)ありすぎて
精神が何度も崩壊しそうになりましたが、

母含め私たち家族は、
新しい病院でお世話になる事に腹をくくり、
朝9時半過ぎに病院を出発、10時前に新病院へと到着しました。


前病院の個室に設置した、時計とカレンダー。
時計横には身代わり地蔵様を置いています。
DSC_0555
奄美の親戚たちが心を込めて作った、千羽鶴。
DSC_0557
せん妄症の抑制になればと思い、
奄美の景色や大好きな姉たち、シマリスの写真。
DSC_0554
他には、母のメガネ、筆談用のバインダーノート。
キイロイトリやお守りががついた、母のカバン。
奄美の景色が映った、小さなアルバム。
塗り薬、口腔ケアなどの薬品類。
糖鎖パウダー。紙おむつ。。。


これらは当日まで片づけず、置いておいたので
朝8時前に病室へ向かい、すべて片づけました。


心配だった母の容態は、呼吸回数は平均より多く
血圧は若干高めではあるものの・・・ひとまず安定していました。

熱を測ると、36.8℃。
顔色は比較的良かったので、話しかけました。


私『昨日、よく眠れた??』
母『・・・眠れてない(笑)』
私『あ、そうなんか。私も実は、あんまり寝れてない(笑)』


睡眠不足の翌日は、せん妄症が出やすかったのですが
受け答えがしっかりできているので、特にひどくはありませんでした。


それでもどこか落ち着かない様子で、
心細いのか、不安なのか、やっぱり転院したくないのか・・・
頻繁にナースコールを呼び、


母『体の向きをまっすぐにしてください』


と何度も頼んでいました。
看護師さんも私も、


『からだ、まっすぐやで??』


と伝えたのですが、母的には体がゆがんだ感覚になっているようで
首を振っていました。


ひとまず、言う通りに体を動かしてあげると
母は『ありがとう』とお礼を言いました。


リハビリの先生が封筒を持って、ご挨拶にきてくれました。


理学療法士『○○さん!向こうでリハビリ頑張って、呼吸器が外れて歩けるようになったら・・・ココ(入院していた病院)まで歩いてきてよ!(笑)点滴付けながらね!タクシー使ったらアカンよ!(笑)僕ら、待ってるから!』


先生は、最後までスパルタでした(笑)
でも、この激励が一番嬉しかった言葉でした。


リハビリメニューを書いた封書を父に渡し、
『引継ぎが書いてあります。向こうの先生に渡してくださいね』
言付かりました。


9時前。


看護師さんたちが慌ただしく到着、
呼吸器の最終チェックや、カテーテルの交換、チェックなどをし、
点滴を付け替え、出発直前まで慌ただしさは消えませんでした。


・・・・早めに来て、荷物まとめておいて正解でした(苦笑)


9時半過ぎ。
病棟医と救急隊員がストレッチャーを用意し病室前に到着。


続々と看護スタッフが集まってきて、
病室を出る前にお見送りをしてくれました。


父も私も、涙を堪えながら、・・・・
父の心境はわかりませんが、
私の、このときの涙の理由は、お見送りで感激したからではなく・・・
完治しないまま病院を出て行く事の悔しさのほうが勝っていました。


『今まで本当にお世話になりました』


と見送ってくれた看護師さんたちに頭を下げ、
ナースステーション入口にも挨拶をし、
エレベーターを降り、
救急車には病棟医と私が同乗、
父は、車で病院へ追いかけてくれました。


page2へつづく。










こんばんは

いつも拝読ありがとうございます

転院初日のこの日、
またしてもトラブルが起こりやがりました

最悪の想定をしていたのが、
現実のものとなりましました

あっ誤解のないように先に書いておきますが
母の容態が急変したということではありません

転院は無事に…滞りなく済みました

とにかくもう、
マトモな思考回路ではないです

明日、マトモならSEASON3 page1を執筆しようと思います

おつかれさまでした

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
9月10日(日)
糖鎖パウダー投与14日目。
昼の投薬と共に小さじ1杯分を注入。
熱は37℃台、表情は比較的やわらかい。
オシッコは、頻尿に戻ってしまった。
特別な治療は、10分x3回おこなった。
夜は、眠れなかった様子。
母はしっかりと答えていた。
寝不足がやや心配ではあるものの、
せん妄症は、ひとまず落ち着いたようである。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★


奄美から、2人の姐さんがやってきて二日目の今日。


母の様子は、少々微熱気味ではあるものの
姉たちに弱っているところを見せられないと気を強く持っているのか
私と居るときのような脱力感・倦怠感な表情ではなく
むしろ心配になるほどの元気っぷりを発揮していた。


姉たちが滞在中、母は姉たちの体を心配していた。


遠方から来てくれているのだし、
長旅で疲れているのではないかと。


病室に長居していても体が休まらないだろうから、
家でゆっくりしてほしい、と筆談で何度か書いてあった。


しかし、頑なに姉たちは帰ろうとしなかった。
時間の許す限り、傍に居たいのだという。
明日には、奄美へ帰ってしまうからだ。


私は、母は姉たちに対する気遣いの気持ちは本物ではあるものの、
自分の弱っているところを見せたがらない性格なので
少し休みたくて、1人になりたいんじゃないか?と思った。


家族にしても大好きな姉たちにしても、
誰かが病室に居れば、気を遣う。それが母なのだ。
おちおち、寝ていられないはずである。


明日は転院の日だし、無理をさせて高熱が出た・・・
なんてことにもなりかねない。


かと言って、なんとか都合をつけて来てくれた母の姉たちの
気持ちも無下にもできない。


どちらの気持ちも分かるがゆえに、口を出すのを止めた。
結果、母が折れた(笑)


明日は、主治医が同伴で移動車に乗り込み、
私も同乗し、父は車で追いかける手筈になっている。


約5か月ぶりの外出。
短かったようで、ものすごく長く感じた入院生活。


人工呼吸器の離脱が難しいほどまでに
容体は悪化したまま、転院の日を迎えることになってしまったが、
これが今の医療の現実である。


どこの病院も、長期入院は歓迎されないみたいだ。
患者をなるべく退院させ、ベッドの回転率を上げなければ
病院の利益が下がる、と何かのサイトに書いてあった。


・・・そっか。そうなんだぁ。
もう、治る見込みのない患者は出て行けってことなのね。


医者も看護師も、精いっぱいやってくれた。
でも、結果駄目だった。


これが、大きな病院の後始末なんですね。
なんて冷たいんでしょうか。


母が入院できたのは、
以前入院されていたかたが退院したから。


そんなこと、わかってます。
そのかたがどういう理由で退院したかは知りません。
病気が治って、退院できたのなら良かったですよね。


でも、母はまだ治っていないんです。
骨髄異形成症候群も、肺線維症も。


なのに、設備が対して整っていない病院へ移動させられるわけです。
古臭い病院じゃありません。
建て直したばかりなので、新しくてきれいな病院です。


でも、医師や看護師の人数が現病院に比べると
圧倒的に少ないのです。


緊急事態が起こった場合、
人手が足らないという理由でほったらかしにされるんでしょうか。


あんまりですよ。
母が、誰に、どんな迷惑をかけたっていうんですか。。。
こんな仕打ち、本当にひどすぎます。


歳をとり、大病を患ったとしても・・・・
病院をたらいまわしにされたあげく、
入院できる病院がないなら自宅で死ねということなんですね。


この先の医療に、明るい未来はない。
母を見ていると、そう思わざるを得ません。


最後まで診てもらえることなく、
格下の病院へ転院させられるんですから・・・


外に出たいと、空気を吸いたいと願い続けて
やっと明日、少しの時間ではあるけれど・・・
ようやく外に出れるよ、おかーさん。


晴れたらいいね。転院しても、体調崩さないでね。
頑張っていこうね。


-SEASON3 page1-へつづく。





☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
9月9日(土)
糖鎖パウダー投与13日目。
昼の投薬と共に小さじ1杯分を注入。
熱は38℃台・・・解熱剤を入れたとの事。
オシッコの量が徐々に増えてきているようだった。
特別な治療は、10分x1回、
20分x1回おこなった。
夜は、少し眠れたようだったが
熱があってしんどそうだったので、
起こすことをせず、寝かせてあげた。
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今日は朝から良い天気。


洗濯物を片付け、奄美の姐さんたちが
泊まるのでお布団を干したり家の掃除を頑張った。


とにかくこの家の住人は(メソ夫婦除く)
掃除をしない('A`)!


なので、この家にはあらゆるところに
ホコリやカビルンルンが出現している。
yjimage[1]
こんな可愛らしくはないんですがね(笑)
グロ注意画像が多かったので、
無難なものを選びました( ;∀;)

まぁどこの家にもカビやホコリなんてあるのでしょうが、
それでも、限度ってもんがあると思うんです。。。


この家、築5年ほどになるのですが
ほとんど掃除をしていないっ!


特に水回り(キッチン・風呂・洗濯機・洗面台・トイレ)が
汚すぎてヤヴァイ!


私が時々訪れ、家政婦のように掃除をしていた時期もありましたが
それも新築1年ぐらいまでで、
私自身も仕事が増えて来て忙しくなってきたため、
掃除をする機会が減ったわけです。


この家に住み始めた7月は、
体中がかゆくてかゆくて地獄のようでした。。。


ようやく、念入りに掃除をし続けた結果
ホコリやカビを抑制することが出来・・・
薬を飲まずとも、体のかゆみは治まってきました。


お掃除って大事ですよね。
潔癖症ではないのですが、それでも人並みに掃除をしないと
健康を害する原因の一つになると思うんです。


父も弟も、風邪を引いているわけではないのに
年中咳をしています。


体の中に、徐々に蓄積して行ってるんでしょうねー
カビ菌が(´・ω・`)


母も、まだ病気になる前は頻繁に掃除をするタイプではなかったので
結構ほったらかしにしていたので、よく私に怒られていました。


私が母の代わりに掃除を定期的にしてあげれてれば、
こんな難しい病気にならずに済んだのかなぁ・・・


なぁんて思ったり。


専門医からすれば、特に関係はないと言われましたが
カビもホコリにも、少なからず菌は居る訳ですから
徐々に蓄積されれば、数年かけて毒されていくと思うのですよ。


いつか母が退院できたときに・・・と思い、
実家をこまめに掃除をしています。
汚れは溜まっていきますからね(・ε・`*)


掃除が終わったあとは、母へ会いに病院へ行きました。



page44へつづく。





(スマホから投稿)


今日、発言した母の言葉。


『髪の毛、切ってあげる。カミソリ持ってきて』

『目が見えない』

『聞こえるよ』

『しっかりしてるよ、大丈夫』

『メソメソ、泣くな』

『私に触らないで』

『置いて行くよ』

『また、シチュー作るわ』

『子供らにうどんあげる。おかーさんは、昼の残りでいいよ』

『ご飯のスイッチ』

『洗濯物、乾いてるはず』

『用事?ないよ』

『メソメソが居るから、安心』

『もう5時』

『そこ、誰かいる。また来た』

『男…女…知らん人』

『ずっとこっち見てる』

『メソメソ、危ないからもう帰り』

『おかーさんは大丈夫やから』

『またあした、おつかれ』


明日の夜は、念願の姉たちに会える日。



page43へつづく。



すみません、今日もスマホからの更新です…
ウチのネット環境、どしたんや(笑)


アップロードするにもローディングが長く、エラーになる始末。
それでもめげずに更新ボタンをタップし続けて、、、


そんな事するくらいなら早めに寝るべきですな(ノω`*)笑

さてー
本日の母の様子。

筆談で転院の話をし、母なりに理解してくれたようです。

むしろ、転院の事よりも
お風呂に入りたかった模様…

看護師さんの話では、
朝からずっとお風呂に入りたいと訴えているようで、筆談で何度もやりとりした形跡がありました(´・ω・`)

看護師さんも、母の気迫にタジタジ…

何とかうまく誤魔化しながら、
私が到着するまでの間、取り次いでくれたようです。

母は、私にも言いました。

母『これからお風呂に入ってくるね』

そう言いながら、パジャマのボタンを外し始めた。

私『え、これから?』
母『うんうん』
私『今日、入浴の予定なんて聞いてないけど?』
母『ひとりで入れるから大丈夫』

そう言って、笑顔でドアの方を指さす。

私『おかーさん、ここ病室だからこんなとこで服脱いだらあかんで。脱ぐなら、脱衣場で脱がなきゃ』
母『…?え、…お風呂、そこに…』
私『病室にお風呂ないよ!移動しないと!』

母の眉間にシワがより始める。

私『看護師さんのお手伝いがないと、おかーさん入れないよ?』
母『…入れるよ…』
私『…』
母『…』

母は、イライラした様子で
パジャマを引っ張り始める。

私は、母が外したボタンをとめた。

母『…ブツブツブツ…』

よく読み取れない口の動きだったので、
なんて言っているか理解できなかった。

私『おかーさん、しっかりしてよ!』
母『…しっかりしてるよ…』
私『…』
母『…ブツブツブツ…』

手を握っていたが、母の手が離れようとしたので強く掴んだが、もう片方の手で私の手を引き剥がそうとした。

私は、手を話すしかなかった。

看護師さんがちょくちょく様子を見に来てくれて、母に話しかけてくれた。

私に対する不機嫌な様子は全く無く、
『大丈夫』『ありがとう』とにこやかに対応していた。

看護師さんが退室すると、途端に無表情になり、白目を向きながらブツブツブツとクチや手を動かし、まるで母にしか見えない誰かと話している風にも見えた。

私『おかーさん、白目やめて!笑』

肩をゆすれば、すぐ黒目に戻る。

母『…何?』

イライラしながら私を見る。

私『今、誰と話してたの?』
母『おにーちゃん』

母は、9人兄弟の中で5番目の子供。
死別してしまったので今では4姉妹だが、
母の枕元に兄が居るらしい。

私『…おにーちゃんて、どんな人?』
母『そうやなぁ…ふつう。』
私『おにーちゃん、なんて言ってるの?』
母『何も言ってへん』
私『まだ居る?』
母『うん』

私には見えないけど、
母の傍に立っているであろう母の兄に手を合わせ、お願いをした。

私『まだ、母を連れて行かないでください。お願いします…』

願いは届くのか。
わかんないけど、母は私が退室するまでせん妄症は収まることはありませんでした。


昨夜は眠れなかったようなので、
今夜は薬の量を増やすようです。


page42へつづく。







家のネット環境が不調なので…
今回はスマホからの投稿です。

ひかりテレビ導入してから、どうもラグいんですよねー
それをひかりテレビの担当者に電話で言ったら、関係ないですよと一蹴(笑)

解約したらわかることやけどね。
ウチはイオ光契約してるんですが、
ひかりテレビはあとから契約しました。
それまでは問題なく使えてたのに、不思議ですなー

さて、本題。

転院の話、午前中に私のケータイへ連絡くるはずだったのが一切鳴らず。

午後、仕事が落ち着いたので病院へ行き、
ナースステーションで緩和ケアのスタッフを呼び出してもらい、主治医に『まだ転院の正式な返事が来ていない』と伝言を頼みました。

ほどなくして、主治医が病室に到着。
別室に移動し、説明を受けました。


日程は9月11日の月曜日。
朝10時、との事。
出発なのか、到着なのか。
よーわからん。

もう頭がぐわんぐわんしていて
主治医や看護師の顔をまともに見れず
話が終わったあとみっとも無く泣き崩れ
しばらく途方に暮れていました。

話が終わってから30分ほどして。
緩和ケアのスタッフが来てくれて、
私の心のわだかまりを聞いてくれました。

呼吸が苦しくて、
胃が痛いのかお腹なのか肺なのか
よくわからない部分が痛くて
意識が遠のいていくような感覚になったり
食欲はなく
気分が浮上せず
声を出すのも嫌で
とにかく母と一緒に居たくて。。。

いい歳したオトナが恥ずかしい、ですが
色んなことをコントロール出来なくなりました。

帰り道、横断歩道を渡ろうとしていた女性を危うく車で跳ねてしまうところでした。

幸い、事故にはならず…でした。

私は女性に対して頭を何度も下げ、
女性は特に怒る風でもなく、
軽く会釈をして渡って行きました。

しばらく、運転控えたほうがいいかもしれない。

運転が怖い



page41へつづく。





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9月5日(火)
糖鎖パウダー投与9日目。
昼の投薬と共に小さじ1杯分を注入。
熱は37℃台・・・少し上がり始めた。
特別な治療は、私が離席することが多く
5分以内を3回程度しか行えず。。。
昨日頻繁に出ていた便は、
さほど出ていないようだった。
何か薬を使われたのかもしれない。
担当看護師に確認が取れずだった。
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今日は!



母の同級生3名に面会へ来ていただきました❤
懐かしい思い出話に花が咲き、時間はあっという間に過ぎていき・・・


写真を眺めたりスマホで撮影したライブ演奏、
ハーモニカ実演もしていただきヾ(≧▽≦)ノ
奄美大島の貝殻のプレゼントまでしてくれました!



母は終始笑顔( ;∀;)。。。
やっぱ、友人たちの影響力は凄いなぁ。


少し体調が優れなくなってきたようなので、
面会時間は約30分で終了とさせていただきました。


本当はもう少し、時間の許せる限り居てもらいたかったです・・・



でもこの次は、母はもっと元気になっているハズ!?なので
その時までのお楽しみにしていただこうと思いました。



さて、母の転院のスケジュールが差し迫ってきました。


転院の主な理由としては、
現状、大学病院で可能な治療がないので、
治療が出来ない患者を置いておくスペースはないんですって。


・・ははっ
少し悪意のある書き方になってしまいました。
主治医の説明時、こういうストレートな言い方ではなかったですけどね。
分かりやすく言えばそう言う事です。


人工呼吸器を外し、自分の脚で歩けるくらいの体力が無ければ
抗がん剤を入れても耐えれないため、自殺行為になるのだそう。


念入りに説明をしてもらったので、
しぶしぶではありましたが納得しました。

悔しい気持ちはありました。
でも、リハビリを頑張って
将来奇跡が起こると信じることにしました。


という理由から、現病院よりも
リハビリに特化した病院へ転院するよう、勧められていました。
明るい部屋で個室なら・・・と言う事で要望を伝え、了承しました。


日取りが9月7日で決定・・・しそうだったのですけど
信頼を裏切るような事態が起こったため、
転院の話を白紙に戻すよう、
病院側に強く抗議しました。



今日は転院の話で揉めに揉めたので、
母が入院してから今まで疲れなど感じた事なかったのですけど
ほんとに・・・本当に最高に疲れてしまいました。。。。


なので、この話の詳細は割愛させていただきます。。。
(書く気が起きたら書こうと思います)


書く馬力もないくらい、まじで疲れました。
ひとまず、明日ケータイへ連絡が来ることになっています。


体はとても疲れているのに、目がとても冴えています。。。
今夜は眠れそうもありません


はぁ、ほんとにこまった。
しぃま、たすけて。
おじーちゃん、チカラをかして。。。



page40へつづく。



※私信※
フォロワー様方々、いつも拝読ありがとうございます。
応援していただいてる身でありながら、
ブログ応援行けず申し訳ありません・・・
心と体が落ち着きましたらお返しさせていただきます。
いつも本当にありがとうございます。







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9月3日(日)
9月4日(月)
糖鎖パウダー投与7~8日目。
昼の投薬と共に小さじ1杯分を注入。
熱は36℃代までさがった!
特別な治療はモード3で20分x2回行った。
最近、便がよく出るようになった。
栄養補給はもっぱら点滴なので、
固形ではない。(食事中の方スミマセン)
糖鎖の効果が表れ始めたのか・・・?
引き続き様子を見ます。
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やっと完成しましたーーーー


特大ウナギ寿司クッション❤
DSC_0549
・・・ウナギに見えますか!?(;'∀')

一応・・・モデルはこの子なんですよ。
worldsealine_au-b01c6wyjjm[1]
手と顔はつけてませんが(笑)



見よう見まねでやっちゃいました。


しかも製作期間2日!!!


ミシン縫いなんて高度なスキルは持ち合わせていないので
手縫いで頑張りました((((


ウナギ部分は綿を詰め込み、
シャリ部分はビーズを敷き詰めました。


ふー、なんとかなるもんですね^^;
母はとても喜んでくれました。



私『ね、これ何に見える??』
母『ウナギ!!!』



そういって、食べるしぐさをしてくれた母。


枕にするには高すぎて首がしんどいので
肘置きか抱き枕として使ってもらうようにしました。




入院生活のお供として、またお守りとして
傍においてもらおうと思います。



page39へつづく。










主治医『治療は、この先難しいです・・・・』


医師からの通告を受けてから、
父もまた、眠れない夜が続いていた。


母の病気をどうしても諦めたくなくて、
何か良い方法が無いか、日々ずっと考えていた。



父『・・・・』
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父には弟が居て、弟は結婚しているので
私との関係は『叔父夫婦』にあたる。


父は、叔父夫婦によく相談をしているようだった。


話は少し遡るが、
母の病気が発覚し、今の病院へ入院すると決めたとき
叔父夫婦はとても反対していた。


理由はいくつかある。


☆すぐに手術をしたがる。
☆若い医師が多いので、頼りにならない。
☆患者を研究材料(臨床)として見ている傾向がある。
☆健康よりも、金儲けの事を優先で考えている。
☆名誉教授が居るような、有名な病院ではない。



などだった。
つまり、母が入院している病院をとても嫌っているようだった。
・・・過去に病院との間で何があったのかはしらないが。


それでも母は母なりに考え、
今の病院へ入院することを自分で決めた。
会社からも近いし、みんなに会える。
ただ、それだけの理由で決めた。


医師のキャリアがどうこうとか、
治療方針などは・・・・
そういうのは母にとって特に重要な問題ではなかったようだ。


母『遠くは嫌や。近くがいい』


母自身の病気の事だし、私も遠く離れるのは嫌だったので
本人の意思を尊重したくて・・・・
そうしようと、家族みな納得済みだった。
叔父夫婦はずっと反対し続けていたが、押し切った。


マルトフィリアに感染した経緯も、
人工呼吸器をつけなければならなくなったことも、
黄疸が出て、人工透析を余儀なくされたことも
母が医療の終末期を迎え始めていることも、
すべて今の病院に入院したからだ、と
叔父夫婦は父を責めた。


”あの病院じゃなければ”


”義姉さんはあの病院に殺されるんや”


”だから最初から反対だったのに”

”止めなかった兄貴のせいやで”








勝手なことを言うなよ!



私は、声を大大大にして叫びたい。

ねえ、叔父さん。叔母さん。

母が病気になって、何度面会に来た?

仕事が忙しい?
時間がなかなかつくれない?
体調が良くない??
それで、何回面会きたの?
母とどんな話をした?できた?
主治医や医療チームの話をどこまで理解してる?
てゆか、母の経緯もよくわからんくせにそんなこと言えるよね?
主治医の誠実さとか一生懸命さとか。
母にとってどの治療が最善なのかとか。
看護チームも、母が不安がらないように手厚く対応してくれてるよ?


この病院を選んだおかーさんを責めないで!!
同意したおとーさんを責めないでよ!!
他の病院だったら、
もっと早く別れてたかもしれんやん!!



・・・叔父夫婦には、面と向かって言ってない。
言えるわけがない。


叔父も叔母も、


母がとても大好きで、
病気に負けてほしくなくて、
とても感謝してくれているからこその
必死な気持ちだってことは理解している。



行きつく先は、言葉は違えど想いは同じ。


父は、弟夫婦の気持ちを汲み、黙って言い分を聞いている。
なんて自分たちは無力なんだ。
医者に任せるしかできない。
他にできることは・・・・?


母の傍にいて、不安な気持ちを取り除いてあげる事。
それぐらいしか思い浮かばない。


父は、セカンドオピニオンを思い立ち
主治医に時間をもらって面談をし、カルテを準備してもらった。
受け入れ先が見つからなくても良い。。。
とにかく行動を起こしたかったようだ。


私は、父のセカンドオピニオンをサポートするつもりだ。
それで、母が助かるなら。
それで、父の想いが叶うなら。


一緒に頑張ろう、おとーさん。おかーさん。



page38へつづく。











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9月2日(土)
糖鎖パウダー投与6日目。
昼の投薬と共に小さじ1杯分を注入。
熱は37.6℃。
担当看護師が誰かわからなかったので
睡眠管理や変化など、聞けずじまいだった。
特別な治療はモード3で15分x2回行った。
治療中眠ることはなく、誕生日プレゼントの
知恵の輪で遊び、さらにオセロゲームをして
楽しんだ。
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image[2]
朝からLINEコールの嵐!



この日は、母の誕生日だったからである。



メンバー全員、母が誕生日を迎えられたことを祝福してくれた。


母は今日、作業療法(タブレット使用)が休みだったので
自身でLINEの確認が出来ていなかった。


弟が午前中病室へ赴き、
タブレットを見せて母に読んでもらい、
代わりにタイピングをして返事を返していた。



旦那と私は、昼から向かった。
せん妄症の気配は全くなく!
いつもの母の表情でひとまず安心( ;∀;)
旦那が母の誕生日にと、購入してくれていたオシャレな知恵の輪。



肩は上げられないけど肘は上がるので、
これなら寝ながらでも退屈しのぎになるだろう、と選んでくれた。




私は・・・・・、



母のプレゼント
何一つ用意
してない!!( ゚Д゚)




誕生日だって知ってたのに、
プレゼントにまで頭が回らなかったー・・・・


今からでも遅くはない!と思いなおし←いや、遅いヨ


何にしようか考えた。


・・・・そうだ。
お寿司クッションにしよう!
しかもウナギ❤



母の大好きなウナギのお寿司。
誕生日に、お寿司屋さんでウナギをたくさん食べたいと
目を輝かせながら話してくれていた。


病院の所有物である(薄汚い)クッションより
ウナギやマグロと言った、母の大好物の
お寿司クッションを置いてあげる方が
喜ぶんじゃないか・・・と考えた。


早速ヤフーショッピングを物色。。。



私『!!( ゚Д゚)』


あったあった、ありましたーお寿司クッション!
しかもウナギバージョン!
worldsealine_au-b01c6wyjjm[1]
お値段、15100円・・・
輸入商品(アメリカ産)の為、注文後約1か月かかる・・・だと!?



あーだめだめ・・・



遅いうえに高い!!


んー、どうしよう^^;







いっそ自分で作るか!!?(>_<)
家庭科の成績
『1』のこの私が!!!





とりあえず、私よりはるかに器用でセンスのある旦那に相談してみた。



旦那『んーーーー!!どやろ!?』
私『・・・無謀かなぁ・・・でも、作ってみたい』
旦那『・・・作ったことないけど、やってみるか!!』





という訳で、母へ見舞いに行ったあと
ホームセンターへ買い出しに行くことに♪


シャリ部分はビーズクッション、
ウナギ部分は綿素材でひとまず案を立てた。


ブログを書き終わったこの後、作ってみようと思います・・・!
旦那に助けてもらいながらだからまぁ
下手なものは出来ないだろうけど
こういうのは気持ちが大事だよねっ☆てことで
なるべく急ぎつつ、制作にとりかかってみまーす('◇')ゞ



☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
母が『今日5時ごろ外出したい。
空気を吸ってみたい。外出許可は
おりますか?』とメモで訪ねてきた。
私は筆談で『外出するには長時間車いすに
座り続けなければならないのと、人工呼吸器を
付けているので医師の同伴が必ず必要になるんよ。
だから、外出させてあげられなくてごめんね』と
返事をした。母は、少し寂しそうな表情で
指でオッケーサインを出した。私は胸が苦しくなった。
誕生日なのに、また我慢させてしまった。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★




page37へつづく。










☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
9月1日(金)
糖鎖パウダー投与5日目。
昼の投薬と共に小さじ1杯分を注入。
熱は37℃台をキープ。
昨日の夜は数時間眠れたようで、
午前中のみ、比較的せん妄症は
落ち着いていたと報告。
糖鎖摂取量を増やしてもらおうと、
今までは昼のみだったが、
朝・昼・夜と回数を増やしてもらうよう
相談をした。
特別な治療はモード3で15分x2回行った。
特に目立つ行動はなく、おとなしく寝ていた。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
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8月31日。
急性骨髄性白血病に移行した可能性がある、と電話を受けて
その日の面会の時の事。



目をあいているのか、いないのか。


白目なのか、黒目なのか。


うつろな表情で、時々笑っていて。


かとおもえば、眉間にしわをよせ、
しきりにタオルケットをちぎろうとする。


ナースコールを探すようなそぶり。
握らせると、途端に放り投げる。


手を握ろうとすれば、
嫌がり私に暴言を吐くかのような表情で
モゴモゴと口を動かしている。


白目をむいて、天井をつかむかのように手を伸ばし・・・
それから、人工呼吸器の管を力の限り引っ張ろうとした。


私『・・・・おかあさん!!!』


母『・・・・・、・・・・・・。・・・・・』


私『そんなことしちゃだめ!おかーさん、しっかりしてよ!!!』


母は、私に視線をうつした。
表情は変わらない。
生気のない、眼。
私は両手で包み込むように手を握りながら、懸命に訴えた。


私『おかーさん!!おかーさんてば!!!しっかりしてよ!!!もっと、もっとしっかりして!!!!病気治すんでしょう!!!?心配するやんか!!!!みんな、おかーさんの事応援してるねんで!?』


母『・・・・・・ボソボソボソ』



私は母の前で泣いた。
しちゃいけないことなのに。
これじゃ、母に誤解させてしまうのに。
涙、どうやったら止まるんやろう。。。。


いつからか、母の目に色が戻っていた。


母『・・・・だいじょうぶやで』
私『・・・・・、大丈夫なん・・・・?』
母『だいじょうぶ、ぜったいなおるよ。しっかりしてるよ?』
私『・・・・・・・・』




母は、おいでというように両手を広げた。
私は、母のお腹の上に頭をうずめた。


私『・・・・おかーさん、おかあさん・・・・!!お願いやから、元気になってよ・・・・』


私の頭を、ぽんぽんとしてくれた。


母『・・・・おかーさんはぜったい、だいじょうぶ。だから、なくな』


私『・・・しっかりせなアカンのは私のほうやな。泣いてしもてごめんね。おかーさんのほうがしっかりしてるわ・・・』


母はこのときだけ、いつもの母に戻った。
私の顔をよく見ながら、微笑んでくれた。
ピースもしてくれた。


良かった、おかーさんだ。


私が泣き止むのを確認した母は、また眠りについた。
私は、決意を新たにする。



最期まで、絶対あきらめない!





page36へつづく。





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