メソメソのblogー母が骨髄異形成症候群になる-

2017年3月16日、母が60歳にして骨髄異形成症候群と診断されました。
このブログは母の闘病記録して更新していきます。

2017年08月

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8月31日(木)
糖鎖パウダー投与4日目。
昼の投薬と共に小さじ1杯分を注入。
熱は37.4℃だったが・・・
せん妄症が酷く、意識がはっきりとしない。
特別な治療を15分実行しようとしたが、
数分後に異変が起こる。
クチを大きく開けて叫んでいる様子であったり
ナースコールを投げつけたり、
体を掻きむしるなどの行為に
及ぶなどしたため、途中で断念。
この日は8分のみ治療をした。
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(つづき)
人工呼吸器をつけたままの、母の入浴方法。

ベッドごとの大移動なので、
通常の入浴方法ではなく、
ベッドからベッドへ体をスライドさせ、
お湯を張って入浴を楽しんでもらう方法。
文面ではイメージしづらいと思うので、
それに近い画像を貼り付けます。
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こういう立派なお風呂ではありませんでしたが、
横たわれるベッドがあり、お湯を溜め、
シャワーで流しながら丁寧に体の隅々を洗っていただきました。


裸になったのは母のみで、
看護スタッフと私はガウン&手袋を装着して母の体を磨いてあげました。


とれるとれる、たくさんの垢!
看護スタッフ3名、主治医1名の超過保護入浴!


真っ黒だったカラダは、みるみる本来の色になっていきました( ;∀;)


カラダじゅうのただれが酷かった皮膚。
アザになっているものの、キレイに傷口はふさがっていました。


母は本当に幸せそうだった。


お風呂は命の洗濯


。。。なぁんて何かのアニメで言ってたっけ。
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うん、この人だな(笑)


準備から完了までおよそ1時間程度かかり、
特に容態が急変することもなく無事終了!


入浴後病室にて、手足の爪を切っていただきました。


母の顔が少々赤らんでおり、
熱が上昇したのか不安だったので測ってみた。



36.7℃!!!!



意外と下がってて安心(;´Д`A ```


母はここ数日眠れていないらしく、
せん妄症がどんどん酷くなっていた。


その夜、せん妄症を抑える薬を投与されたが・・・
それでも、眠ることはなかったと翌日報告を受けた。


母が眠れない。
白目を向いて、ボーっとしていることが増えた。
時々笑っている。
ナースコールを持ってくれない。押してもくれない。
眉間にしわがより、何を言っているのかもうわからない。


入浴から翌日、主治医より電話を受けた。



『白血球の数値が2万を超えています。詳しく検査をしていないので断定はできませんが、恐らく急性骨髄性白血病に移行しているかと。このまま病状が悪化すれば高熱が続き、体がもちません。治療のための抗がん剤ではなく、緩和のための抗がん剤を投与したいのですが・・・


と打診を受けた。


『・・・・はい、お願いします・・・・』


私は、力なく答えた。



page35へつづく。







☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
8月30日(水)
糖鎖パウダー投与3日目。
昼の投薬と共に小さじ1杯分を注入。
昼1時ごろ熱が38.3℃あり、
特別な治療を15分間やり終えたのち
37.7℃まで下がる。
入浴後、さらに体温は36.7度まで下がった。
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沢山のタオルを抱え、病室に到着。
今日は、母の入浴日。
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熱が何度あるのかとても気になっていたので、
早速体温を測った。


38.3℃!!!?


母が『もう一度』と言ったので
リセットしてもう一度計測・・・・


38.4℃!!!!


れ、レイテンイチド増えちゃったよママン。。。。


母はものすごくがっかりした。
お風呂に入れないかもしれない。
私はすぐさま、特別な治療の準備にとりかかり
モード3で15分間おこなった。



私『・・・よし。もう一度はかってみよう。』
母『(ゴクリ)』



37.7℃!!!!



やった!
少しだけ下がった!!
でもまだ熱は高いほうだよなぁ・・・・・(´・ω・`)


どうなんだろう、入浴できるのかなぁ。。。
と、担当の看護師さんが来てくれた。
熱がある事を報告した。


看護師『あぁ・・午前中と変わらないですねぇ;どうしようかなぁ・・・』
私『母は入る気マンマンなので、可能なら・・・』
看護師『ですよねー・・・とても楽しみにしてましたもんね』
母『・・・・・・(じっとみつめている)』
看護師『お熱が高いのが心配なんですけど、気合で入っちゃいますか!先生も付き添いしてくれますし!!』
私『ありがとうございます!!m(_ _"m)』


というわけで、ベッドごとの大移動が始まった。
酸素ボンベを2本?準備、移動用の人工呼吸器に切り替え、
痰吸引用のタンク、お風呂セット、体重計、もろもろもろ・・・


12Fへ移動し、海が見える景色の良い、明るい入浴場へ到着。
母は初めて見る景色に目を輝かせていた( *´艸`)





すみません、今日は疲れたのでここまでとさせていただきます(;´Д`)
続きは後日で!中途半端ですみませんです。
拝読ありがとうございました┏○))ペコ



page34へつづく。












☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
8月29日(火)
糖鎖パウダー投与2日目。
熱は36.6度まで下がった。
しかし、汗をかき続けている。
少々ウトウト気味ではあるものの
本を読む、アルバムをみるなどして
昼寝をせず、夜寝るように睡眠管理を
頑張ると私に筆談で宣言。
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さて、表題の件。
少々オーバー目に書いてしまいました、スミマセン(笑)


でも、あながち嘘ではありません。
私にしかできない治療の許可を、主治医にいただきました。


特別な治療とは、手術でも、投薬でも、マッサージでも
リハビリでも・・・何モノでもありません。


詳しい内容は後日公開とさせていただきますが
実施してから今日で6日目となります。


メニューは私が決めたのではなく、
始める前に回数を母に決めてもらい、
医療的処置以外の時間にさせてもらっています。



初日は5分程度行いました。
2日目は、10分x1回。
3日目は、10分x2回。
4日目は、10分x3回。
5日目は、10分x3回。


そして本日6日目は、15分x2回。


5日目の日、本当は10分x4回やりたいと
母が希望していましたが
医師や看護師の出入りが特に多かった日だったので
途中で中断せざるを得ず、
4回目は断念しました。


特別な治療中は、眠くなることが多く
リラックスしながら受けてくれています。


気分がノッてるときなどは、
手首を捻るなどした沖縄的民族舞踏??を踊ったりしています。


さらに、治療中に限りですが咳の回数が減っています。
頻尿気味だった状態が、尿の量が増えてきました。


今日も治療中はウトウトしていたものの、
筆談で沢山おしゃべりをしました。


体の事、明日のお風呂の事、友人の事、家族の事。


無菌室時代に購入した、帽子をかぶりたいと言ったので、
かぶせてあげました。


顔がつややかになっていて、
とても良い笑顔をみせてくれました♪
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明日は念願の入浴の日。
熱が上がりませんように!!





page33へつづく。






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8月28日(月)
糖鎖パウダー投与1日目。
お昼の薬投与時小さじ1杯経管にて摂取。
嘔吐することはなく、問題なく摂取できた模様。
投与する前は熱は37度だったが、
夕方16時ごろには38度6分まで上昇。
体内の中で、糖鎖とがんが戦っているのか?
ステロイド投与、経過を観察中。
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緩和ケアを視野に入れるように、との話から数日経った現在。
毎夜ではないが、夜、眠れないときがある。



スマホの検索バーに
『モルヒネ』『緩和ケア』を入力し
明け方までサイトを見続けることが増えた。



色々考えさせられた。


正直、モルヒネや緩和ケアと聞くと
良いイメージなど皆無なわけで・・・
前記事にも書いたが、



『生きることを諦めてください』



と、案に言われているような気がして、
消えてしまいたい気持ちでたまらないほど辛かった。


でも、サイトに書かれていることは真逆だった。


・・・・うーん、真逆ってわけでもないんだろうけど。
うまく書けないな。


とあるサイトには
モルヒネは最高の鎮痛剤であると書かれていた。


傷みや苦痛をやわらげることにより、
患者の病状によって延命期間は様々なようだが
早くて数時間、最長で6か月生きた人も居るらしい。


モルヒネを使ったからと言って
死期が早まるものでもないようだ。

これには目からウロコだった。


ある意味麻薬的な存在だと思っていたし、
モルヒネを使えば、錯乱状態となり
誰も何もかもわからなくなる、と思い込んでいた。


使い方を間違えば・・・という記述をよく目にした。
痛みを感じなくなるくらいの量を投与する、という
意味なのだろうか?


欧米では早期段階でモルヒネを投与し
患者の寿命が延びているという研究結果もでているようだった。


日本人は我慢強い人が多く、
モルヒネの使用を拒む人が多いのだとか。


今年6月に乳がんでご逝去された小林麻央さんも、
モルヒネ・・・ではなく、オキノーム(中度~高度痛みを抑制するオピオイド鎮痛剤)
を使用したと書かれていた。
※記述に誤りがあれば申訳ありません※


早期段階でオピオイド鎮痛剤を使用することにより
穏やかな最期を迎えられるとも書いていた。



痙攣が起き、皮膚を掻きむしり、苦しさは増す一方の
ただ死を待つだけ・・・の最期は誰だって嫌なものである。


オピオイドを使用すれば、意識が混沌となり、
眠るように息を引き取る人が多いらしい。



だったら、母にモルヒネを・・・と一瞬考えてしまった。



苦しくないのか?
痛くないのか?
辛くはないか・・・?



母はいつも『大丈夫』と即答し、
『ありがとう』と返事をする。



家族に『つらい』と言えば、家族を悲しませると思い
本音を言い出せずにいるんじゃないか?



あるいは、痛みや辛さはあるけど
耐えうるだけのメンタルがあり、
生きたいと強く願うから、大丈夫だと自己暗示をかけるように
返事をするのだろうか。



母の本音は、おそらく誰にもわからない。
本音を聞きづらい内容でもあるので、
母に確認することはおそらくないだろう。
娘の私でさえも、わからない。



page32へつづく。







母に渡した1冊のノート。


体調が良い時に、日記を書くなどして
記録するようにと伝えていた。


その日思ったコト。
治療の経過報告。
日々の体調の変化。
愚痴。
なんでもいいから、寝ているだけではもったいないので
手を動かすなどして、日中起きているようにと宿題をだしていた。


そのノートには主に熱が何度あったという記録しかなく、
ほとんど空白なページが多かった。


私『おかーさん!さぼりすぎ!笑』
母『・・・(ニコニコ♪)』



ノートではなく、一枚のメモにしっかりと書いているのを発見した。
DSC_0539
食べたい欲求を抑えられないらしい。


・・・・・・・無理もない。


5月5日から現在まで、クチから栄養を摂っていないのだから。


紙に書いたのは、これが初めてではない。
何度も何度も紙に書いて看護師や主治医にお願いするも、
人工呼吸器をつけているからという理由で
いつも答えは『NO』だった。


そのたびに、母の気持ちは殺されていたんだと思う。
強制的に『我慢』しなければならない。

そうしなければ、命の危険を伴うから。

お風呂にも入れてもらえていない。
人工呼吸器をつけているから。

ジンコウコキュウキヲ、ツケテイルカラ・・・・


せめて甘みだけでも感じてもらえるように
ポカリやいろはすのフルーツ味(りんごやみかん)を購入し
凍らせてもらい、アイスキャンディーのようにクチに含ませ、
糖分をクチから摂取していた。


しかし、それももう出来ない。。。


痰の色が悪くなり、肝臓の数値が徐々に悪化してきたからだ。
絶食することによって今は回復しつつあるが、
食事を摂ればまた肝臓の数値が悪くなるだけでなく、
誤嚥(ごえん)しかねない。


食べることは生きる事。


それを抑制されたら・・・・まともで居られるはずがない。
でも、母は食事を摂れない体になりつつある。
嚥下障害を伴うため、栄養は点滴へ切り替えたのだ。


母は決心し、先生に筆談で訴えた。


『熱が出てもいいから、おかゆと海苔をがっつり食べたいです!キムチも!お願いします!!』




”熱が出てもいいから”







その言葉に、先生は、母の気持ちを汲み、、、、承諾してくれた。
リスクがあるのは百も承知。
それでも、母は食べる事(生きる事)を選んだ。

キムチは発酵食品なので出せないが、
おかゆと海苔の佃煮を用意してくれることになった。

お風呂は、熱が下がって容態が安定していれば
8月30日に入浴が可能となった。


食事をするときも入浴時も、
私が立ち会う事を申し出、病院側は快く承諾してくれた。


私は母にとってお守り的な存在。


顆粒球輸血も、人工透析も、気管切開も・・・
重要とされる処置はすべて母の傍にいた。
(処置室には入らず、待合にて待機してました)


だから、入浴も食事もうまく行くと信じて
傍にいてあげたい。


入浴し、容体が安定していれば『念願の食事』ができる。
母は一番の笑顔を見せてくれた!


目がキラキラと輝き、決意新たに表情が変わった。
病人らしくない、いつもの母の表情になった。


8月ももうすぐ終わり。
9月にはいれば・・・・
母は61歳の誕生日を迎えることが出来る!!



page31へつづく。









yjimage[2]

『肺がかたまる』
『肺の繊維化』
『呼吸困難』
『乾いた咳』
『人工呼吸器』
『痰』



などなどを入力し、検索した結果・・・
ひとつのキーワードに着目した。


『間質性肺炎』


肺の間質組織に炎症を来す疾患の総称で、
非常に致命的であると同時に治療も困難な難病のこと。

間質性肺炎は、繊維化によって線維状の肺の組織が壊れてかたくなってしまう。

間質性肺炎にはいくつかのタイプがあるのだが、
進行して炎症を起こした細胞が線維化し、
肺胞の外側が厚く硬くなって呼吸が困難になった状態は肺線維症と呼ばれる。
(サイトより一部抜粋)






詳しい内容は割愛させていただくが
サイトを読むと母の症状と非常によく似ている。

間質性肺炎、肺線維症・・・でさらに調べてみる。

どのサイトにも、これと言った治療法が書かれていない・・・
投薬のみで、回復はあまり見込めず、状態を悪化させないために
治療を続けていく・・・というのがほとんどである。

私は、どこかに埋もれてるであろう情報を探し続けた。

・・・・すると。
ウェブページの下部のほうに、なにやら広告を発見。

何の気なしにクリック。

医者に見放された間質性肺炎患者向けの、
効果のあるサプリメントのサイトへ移動した。

私『サプリか・・・呑み込めない母にとって意味がないな・・・』

あまり期待することもなく、目で文字を追っていく。
しかし、そのサプリを飲んだ人からの
驚きのメッセージの内容にいつしか夢中になって読んでいた。

私が読んだ記事は、

『健康を支える糖鎖』
http://blog.goo.ne.jp/tousa-eiyouso

というサイト。





初見は・・・はっきり言って怪しいなと感じた(笑)
でも、、、
現代の医学で治せなくても、
このサプリで治るなら・・・・!!
と、そう思わずにはいられなかった。
旦那には反対された。
騙されるとか詐欺とか、そんなものはどうでもいい。
何か私にできることは・・・そんな思いでいっぱいだった。

母には時間がない。
手を打つなら早いほうがいい。
父にこのブログを見せて、
主治医と病棟医にも印刷した文献を読んでもらい、
薬とともに糖鎖を投与できるか相談してみた。

答えは、『YES』だった!

糖鎖サプリの主成分などを書いた文献を細かくチェックしてもらい
看護師に投与するよう指示します、とのことだった。
クチからの摂取は難しいが、鼻に経管をしているので、
サプリが水に溶けるなら可能だと言ってくれた!

 取り寄せるために、ブログ管理人に連絡してみた。

母の状態をなるべく細かく説明し、
主治医に了解をもらえたことも伝え、
経管による摂取で試みる、と伝えた。


管理人は速やかに商品を出荷してくれた。
本来なら入金確認後の出荷になるのだろうが、
お急ぎでしょうからという事で気持ちを汲んでいただき
後日の入金で構わないと言ってくれた。


商品が無事に到着。
糖鎖は8月25日(金)に届き、
早速仕事がひと段落したあと、主治医に持っていくことにした。

了解をもらえたので、担当看護師に溶かし方を簡単に説明。
1日40g摂取が理想だが、水の量が少ないとペースト状態になるため
量はひとつまみ程度にしてもらい、水で溶かして
サラサラの状態で投与してもらうよう頼んだ。

初めて体内に入れるので、
容体が急変することはない・・・とも言い切れない。
看護師さんの負担が増えてはいけない・・・と思い直し、
スタッフが多い時間帯のみの投与でも構いません、と伝えた。

看護師からの返事は、
『土日はさむので、来週月曜のお昼にお薬と一緒に投与しますね』
とのこと。

私は、これに承諾した。


どうか・・・どうか。
母の体内にあるワルイモノが、
出て行ってくれますように。


その夜。
天国へ行ったおじいちゃんやご先祖様、
しいまに手を合わせ、必死でお祈りをした。


おかーさんを助けてください。。。




page30へつづく。








私たちが出した結論は・・・・




『1日でも長く、生きてほしい』
yjimage[5]

経管栄養を止め、
点滴による栄養補給をお願いした。


緩和的処置も視野に入れてもらうよう言われたが、
治療を止めてしまえば、、、
生きることを諦めてくださいと言われているようで心苦しかった。


『最後まで諦めたくありません』


治療を続けていけば、痛みや苦しみを伴うのは良くわかっている。
母に対して、とても複雑な気持ちである。
それでも、きっぱりと、先生に言い切った。
なにより、母はまだ、諦めていない。
母が諦めたのであれば、私たちはそれに従う気持ちだったから。

なので、医療的には終末期なのかもしれないが
転院することによって心機一転、
気持新たにリハビリを頑張り、
肺の機能が奇跡的に回復し、
MDS(骨髄異形成症候群)の進行が致命的でなければ
母はまた、生きるための活力を得ることができる。

人とは違う何かをもっているのだし、
自分の事は後回しにして、
誰かのために優しくなれる人。

致死率が高いと言われていたマルトフィリア肺炎を
一度は跳ね返すほど、母の生命力は強い!

奇跡が起こると信じたい。
諦めたくない。
まだ離れたくない・・・・


それでも、いずれは『その時』がやってくる。


母が苦しみに耐えられなくなったときは・・・・
その時は、『モルヒネ』の投与をお願いした。


肺の繊維化さえ、なんとかなれば・・・
現代の医学では、肺の繊維化を完治させる方法はない。
私は、あらゆる情報を求めてネットを検索した。



page29へつづく。







私『はい・・・はい。では、明日4時に伺います』



電話を切り、運転していた旦那が心配そうに見ていた。


旦那『・・・なんだった?』
私『・・・・・うん』


言葉に詰まった。
なんて言っていいのかわからない。
頭が割れるように痛い。
視界がゆがむ。


私『・・・あした、4時に父と弟の3人で話し聞きに行ってくる』
旦那『わかった』
私『血液検査の結果が出て・・・内容は、とても厳しいみたい』
旦那『・・・そうか・・・』
私『・・・・・』


帰ったら父と弟に何て言おう。
このあいだ面談したばかりなのに。
転院して、リハビリを頑張ろう。
治療は、体力が回復し人工呼吸器が離脱できたら
再開しよう・・・という話で終わっていた。


しかし・・・


この話には続きがあったのだ。


ICU入院時、父と弟のメンタル的な部分を考慮し
病院側に内容の厳しい話は控えてもらうよう頼んでいた。


なので、父と弟が相席していた面談時は、
主治医の配慮であえて話さなかったのだと言う。


何をどう伝えても、最悪の事態を連想させるような
言い回しになってしまいそうだった。


私の被害妄想だったらそれが一番良い。
ひとまず、主治医から話があるので4時から
時間を空けてほしいと短絡的に伝えた。


父も弟も、うすうす察しているようだった。


8月23日の面談日。


仕事がひと段落したので午後に会社を抜けて、
早く会いたくて、母のもとへ急いだ。


この日、母は拍子抜けするくらい元気だった。
普段通りのリハビリメニューをこなし、
LINEには『今日もリハビリ元気に頑張っています!やった』
みんなに報告をしていたほど。


熱が下がって、調子が戻ったようだった。
赤かった顔も、ふつうの顔色に戻っていた。


ただ、汗をものすごくかいていた。
尋常じゃない汗の量。
タオルでこまめに拭いてあげると、気持ちよさそうに目を閉じていた。
解熱剤が効いているのだろう、体が熱を逃がすため
汗をかき、体温を下げている。


黄色いタオルを頭に巻いてあげると
黄色のキノコのよう?な風合いになった。
ものすごく似合いすぎていて・・・
思わず吹き出してしまった。


おかーさんもつられて笑う。
鏡を見せて、と言われ渡したら


母『・・・・・!?』


目を見開き、いやだいやだと言わんばかりに
笑いながら首を左右に振る。


人工呼吸器が外れて酸素が漏れ、アラームが鳴り響いた。


私『もう、暴れるからー(笑)看護師さん飛んでくるやろ!』


おどけた態度の母が面白おかしくて、私は人工呼吸器を装着させた。
母は悪びれた様子もなく、ニコニコしている。
案の定、看護師さんがすっ飛んできた。


私『すみません、母がふざけてとれちゃいました^^;』
看護師『いえいえ。お元気になられたようで良かったです♪』
私『お忙しいのにすみませんでした(>_<)』


看護師さんが、こそっと耳打ちをしてきた。


看護師『今日の4時の面談ですが・・・』
私『・・・はい。聞いております。父たちは4時にきます』
看護師『わかりました。時間になったら呼びに来ますね』
私『お願いします』


4時からだった面談は、主治医の到着遅れにより
30分後に開始となった。


内容は・・・
私の被害妄想が的中する内容だった。


血球が徐々に下がってきていて、
マルトフィリアの脅威が、また顔を出し始めたらしい。
肺の線維化は悪くなる一方で、
容態はゆっくりと下降中。


転院の話が出ていたが、容態次第では難しいと言われてしまった。


食事は経管栄養を続けるか、
点滴のみで栄養補給をするか選択を迫られた。


経管栄養を続けるとなれば、この間のように高熱が出て
寿命を縮まらせてしまうかもしれない。



点滴による栄養摂取だと、今後移植を考えるのであれば
リハビリによる体力向上は望めず、非常に難しいのだそう。


いずれにせよ、どちらも延命治療の一環でしかない。


私たちが出した結論は・・・・
yjimageOAG1EOD6





page28につづく。









yjimage[5]
※上の画像はネットから引用しています※



8月21日。


母が高熱を出した。


40度近い高熱だった。


顔はまっかっか。


汗が噴き出している。


まるで・・・


5月5日にタイムスリップしたかのよう。


すぐさま採血をし、検査をする。


原因はおそらく、誤嚥(ごえん)による肺炎だろうという見解。


10日間以上絶食ののち、


肝臓のCRP値が下がってきていたので


白湯の投入を二日前から始めたのだ。


調子が良かったので、流動食をゆっくりと


鼻から管を通して注入。


その直後容態が急変。


嘔吐をしたらしい。


食事を中断せざるを得ず、解熱剤を投与。


一晩しっかり眠れたようで・・・


8月22日、翌日。


熱は37度台まで下がっていた。


ひとまず、安心。。。


それでも、母の手を握るととても熱かった。


母は『大丈夫』と言う。


・・・口癖になっている。


疑う訳にもいかないので、『良かったね』って


いつも通り返事をする。


普段通り、普段通り。


熱なんて、いっときの事。


おかーさんは良くなっていってるんだから。


リハビリ頑張ってるし、タブレットでパチンコやってるし。


LINEだって時間かかるけど最後まで諦めず入力している。


看護師さんや先生が来たら、


『ありがとう』と笑顔で手を振っている。


ハイタッチだってする。


そうそう、このままこのまま。


ゆっくり回復に向けて歩いていこう。







8月22日の夜、病院の帰り道。


私の携帯が鳴った。


病院の先生からだった。


・・・・もうやめて。


嫌な予感しかしない。



page27へつづく。







今回は高額医療養費制度のお話。
※実話を元に書いてます※



以前にも書いたのですが
なぜ、また・・・と思われている方、
少なからずいらっしゃるような気がします(笑)


高額医療養費制度について書こうと思ったのは、
5月分の請求書が家に届いたのがキッカケでした。


ん?
5月分!!?

おかしいですよね、8月ももうすぐ終わろうかというのに
今更5月分の請求がくるんですか?
って話ですよね。

実は、私たちが今まで入院費を払ってるのは
4月分・6月分・7月分のみしか支払っていません。
5月分に関しては、特殊な理由があるのです。

順を追って話していきましょう・・・

母は4月18日から現在に至るまで、
一度たりとも退院することなく、
約4か月間入院生活を送っています。

母は5月5日にマルトフィリアによる肺炎にを患ってしまい、
5月31日までICUで集中治療を受けておりました。

その間の治療内容、母の容体を簡単にまとめると・・・
☆喉の奥へ人工呼吸器の管を挿管
☆両方の肺が真っ白。水が溜まっていた。
☆血縁者による顆粒球輸血治療(臨床)
☆血圧が低い状態だったのでノルアドレナリンなどの蘇生薬投与
☆抗生物質、赤血球・血小板輸血投与
肝臓のビリルビン数値が高く、黄疸が出始める。
☆肺血症の症状が出る。
尿毒素が蔓延し、24時間人工透析を回す。
☆体がはち切れそうなほどまでにむくむ。
☆皮膚のただれがひどい。
☆人工呼吸器を喉の奥へ挿管していたのを気管切開へ切り替える。
☆鼻に管を入れ、経管栄養(流動食)が始まる。





この時は、さんざんICU担当医に脅され、
心身ともに休まる日々ではありませんでした。
父ともケンカするし^^;


明日はどうなるかわからない状況が続いた5月でしたし
人工透析、気管切開、顆粒球輸血(臨床)など特殊な処置をしたので
医療事務的に計算がややこしかったそうです。

あ、ちなみに顆粒球輸血は臨床として協力したので
請求はありませんでした!

高額医療制度を申請していなければ・・・
ざっくりいうと3割負担で
数百万は
超えてましt・・
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5月分だけで、ですよ?
総額じゃないんです。
もうびっくりですよ、まじで・・・・
いくら金持ちな私でもすぐに出せない金額ですよ⇐


それがそれが・・・


5月分の請求金額は
16万円程度!!!!


はぁ??????


け、計算間違ってません??( ゚Д゚)


医療事務『高額医療適応中なので、この金額です』


mjk--!!!
高額医療万歳!!


病気や怪我をして入院を余儀なくされた場合は、
主治医に高額医療制度が適応できるかどうか
相談してみるのもよいかもしれません。


ほんとに、ほんとに経済的にかなり助かりました!!
知っておいて損はないです。
いやもうほんとに。


ただ、受けられる条件があるようなので
必ずしも誰もがこの制度を受けれる、というのではないようです。。


気になる方。。。
ぜひサイトでggってみてください❤⇐


page26へつづく。








 


yjimage[3]
人工呼吸器が外れて、父と熱心に仕事の話をする母の夢。
病気になる前に、母と食べに行ったお寿司屋さんの夢。
母がもっと若く、私が幼い子供だった頃、一緒に遊んだ夢。
私の※子供(孫)の面倒を嬉しそうに見てくれた母の夢。


※現実では子供に恵まれていません※


夢に出てくる母は、いつも幸せそうに笑っていて・・・
私は・・・母の横でいつも泣いている。
私が泣いているのを見て、少し困ったように笑う。
母は、頭を撫でながら『大丈夫』って口癖のように言う。
それを聞いて安心する自分。


夢から覚めたら現実に戻る。
そして、無性に母に会いたくなる。
会社へ行かずに、病院へ行きたくなる毎日。



私って、めっちゃマザコンやな(笑)
明日も良い1日でありますように。




page25へつづく。















先日、ネット通販で購入したものが届きました。
早速病室へ持って行く事に!
それがこちら!
DSC_0533
『タブレットスタンド』購入~❤


本当は起き上がって操作できれば一番良いのだけど
すぐに苦しくなるし、ふいに呼吸器が外れたりすることもあるので
背もたれを起こすにはリハビリ扱いとなってしまうため
どうしても医師か看護師が同伴しなくてはならない。


退屈だし寝てばっかりの母なので、
なんとか日中起きていて欲しくて。。。
良いもの見つけました~~~ヾ(≧▽≦)ノ


これで、寝ながらでも操作可能となりました!
奄美グループチャットのLINE画面に設定し、
指でスクロール☆読むことに成功!!


なにやら入力まで始めました(笑)
DSC_0536
左手で右手首を支えながら、頑張って入力しています。
が・・・・
うまく入力することが出来ず、しばらくして諦めてしまいました( ;∀;)



でも母の目はイキイキ(*´ε`*)♪



LINEを中断。
次は『パチンコ!』と私に言いました(笑)



お盆休み中の会話では、
『今日から盆休みやで。もし入院じゃなかったらどこ行きたかった?』
と聞くと、母は少し考えてから
『・・・パチンコ!』
と張り切って答えてました(笑)


さすがに人工呼吸器付けてパチンコホールへ行けないので(笑)
せめてタブレットへパチアプリをインストール⊂⌒~⊃。Д。)⊃w


私『おかーさん、パチンコの何打ちたいの?』
母『・・・・うみ!海物語!』



と言う事で、病院内のwi-fiエリアへ移動←
海物語の沖縄ver?をインストールしてきました('◇')ゞ



早速遊ばせてみました。
すると・・・


タブレット『~~♪~~♪♪~~~LUCKY!』
母『大当たりーーーー』




タブレットを手でたたき、めちゃくちゃ大喜びヾ(≧▽≦)ノ
15ラウンド消化して、単発で終わった模様(笑)
パチ画面を眺めている母の目は立派なギャンブラーでした(笑)
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いやいや、
所詮グリパチだからwwwww



およそ30分ほど遊んだ沖縄海物語。
収支は・・・


マイナス10000パチドルッッ!!
※新規登録で貰えたパチドルすべて※


母にマイナス収支の事を伝えました。
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などと言ってませんが、とても残念そうな表情でした^^;


グリパチはログインボーナスを貰えたり
ガチャを回せば無料でパチドルやアイテムが貰えるらしいので、
毎日ログインするようにと伝えました(笑)


母はよくわからないまま『うんうん』と頷いていました。


ひとまずこれで、日中の眠気予防??に
ブレーキをかけれたように思えます。


見過ぎてしまうと目が疲れるし肩も凝るので、
ほどほどにしないといけませんがね(´・ω・`)


明日は月曜日。
お互いにとって忙しい1週間が始まります。




page24へつづく。















毎日欠かさず行ってた母のお見舞い。

今日は、体調が優れず引きこもっており、
家から一歩も出ることはありませんでした。
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ほんとに、何もしない1日でした(笑)
こんなの久しぶり。

まぁ、しいて言えば部屋の掃除機をかけて、
洗濯物を干したぐらいかな。
あ、パソコンも触ったわ(笑)

薬を飲んで、
食事はおかゆ1食、少しお茶を飲み、たまにスマホを見たり。

今日は会いに行けずごめんよ、おかーさん。
リハビリ頑張ったかな?
熱は上がってないかな。
昨日よりは少しでも体調良くなってればいいんだけど。

明日は会いに行きますね。






母のおおまかなタイムスケジュールを書きます。


【午前中】
6:00~8:00    
起床 or  寝
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8:00~12:00   
経鼻栄養補給、点滴交換
外来医訪問(歯科&皮膚科&消化器)
主治医による診察・経過観察
採血・採尿検査、レントゲン
洗髪、全身を拭いてもらう


【午後】
12:00~13:00  
寝てるかボーっとしてる。
経鼻栄養補給は無し。
点滴交換。

13:00~14:00  
作業療法士訪問リハビリ(タブレット操作)

14:00~17:00  
人工呼吸器管交換及び本体の点検
仕事を抜けた娘が面会に来る。(多忙日は来ない)
眠いのに娘に起こされつづけ、
しぶしぶトランプやアルバムを見るなどして遊ぶ。
具合の悪い日は遊ばない。
娘にホットタオルを用意させ、顔を拭いてもらう。
娘の手を握りながら、いろんな話をする。聞く。

17:00~18:00  
理学療法士が訪問リハビリ(ベッドサイドでの立ち座り)
主に足メインのストレッチ。

18:00~19:00  
父・息子が面会。娘と面会交代。
足をさすったり、マッサージをしている。
色々な話をする。
経鼻栄養補給。
主治医経過観察。
19:00で面会時間終了。
   

19:00~21:00  
多分寝てるかボーっとしてる。
21時就寝時間。でも眠れずに起きてる(と思う)


21:00~翌朝   
尿意があり、1時間に1度のペースでナースコールを押す。
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眠れない夜は用がないのにナースコールを押し、
看護師さんを少々困らせている模様。
睡眠薬を入れられ、寝かしつけられてしまう。







平日はほぼこんな感じで過ごしていると思います。
面会していない時間帯の過ごし方は、
看護師さん数名に情報提供していただきました(´・ω・`)


土日は外来診察が無く、特にこれといった検査もないので
特に暇な時間が増えるようです。。。


まぁ、その分家族が面会に赴き、
話し相手になったり、寝ないように監視しています(´Д⊂


昼夜逆転だと、日中のリハビリに影響が出てしまいます・・・
あまりの眠さに、リハビリに消極的になることもしばしばありました。

恐らく、睡眠薬がまだ体に残っているせいだと看護師さんは言います。

でも、夜起きていると看護師の人数が少ない時間帯なので
用があってナースコールを使用するならいいのですが、
特に用が無いのに呼んでしまっては、
看護師さんの負担が増えてしまいます。


せめて夜、もう少し長い時間居てあげたいのですが・・・
週末ぐらいしか協力できそうもありません。


せめて母が自分で歩けるようになれれば、
昼夜逆転も少しはマシになる、と思います・・・
                      

悪循環なこのジレンマループから、
なるべく早く脱出したいものです(>_<)
            


page23へつづく。










 こんばんわ。
昨日の記事ではお騒がせしました(;´Д`A ```


昨日、夜寝る前にストレッチ&セルフツボマッサージの甲斐あって
ただの一度として夜中に起きることもなく、
朝の6時までぐっすりと快眠できました!


眠れるってすばらしーーーですね\(^o^)/!!
なので、昨日よりは気分が少し上向きになれました。


夏バテingなので、体調はあんまりなんですがね(笑)


さて、昨日の私のように
気分が落ち込んでしまっていて、何もする気になれないアナタ!


・・・もちろんそうじゃないアナタにもオススメな曲があるんです!


この曲、ご存知ですか?
SEAMOの『Continue』っていう曲を聴いてもらいたくて
貼り付けてみました。
 
歌詞がめちゃくちゃ良いんです。
特にサビ。


もうね、車の中で聴きほれてました。。。


『負けたらおわりじゃなくて やめたら終わりなんだよね』
『どんな夢でも叶える魔法 それは続ける事』




この言葉にどんだけ元気づけられたか。
素晴らしい曲に出会えたことに感謝です。



今日もお付き合いありがとうございました┏○))ペコ
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考えたいこと。


明るい将来の妄想。
母の容態が回復して、
退院したら、何しようかな。
母の好きなウナギを食べさせたい。
巻きずしもいいな。

パチンコ好きだし、行かせてあげたいな。
あ、でも空気悪いし止めといたほうが良いかな。

奄美大島だったら空気がきれいだし
生まれ育った故郷だから
連れてってあげたい。
歌も踊りも大好き。
幼馴染や同級生たちに会わせてやりたい。

温泉もいいな。
花火も見に行きたい。
もう終わったけど、地元で祭りがあった。
おととしは一緒に地元祭りに出展したなー。
フリマも出たし。
楽しんで接客してた姿が懐かしい。


前のような生活に戻りたい。
それが一番の望み。



考えたくないこと。



考えたくないことは、、、、
望みが叶えられなくなる事。


母と離れ離れになってしまう事。
考えるのをやめたい。
頭に電源があるなら、『OFF』にしたい。


昨日、思考回路が止まらなくて眠れなくて・・・
朝なんてもう気分サイアク。


雨は夜中のうちに降ったみたいだった。良かった。


時間が止まったらいいのに。
少しくらい、待っててくれてもいいのに。
時間は誰にでも平等で、時を刻み続けてる。



今夜は眠りのツボをギュウウウウっと押して
念入りにストレッチをして、
スマホやパソコンをいつまでも眺めずに、早く寝てしまおう。



また明日が始まるから。










※お詫びと訂正※
前記事で書かせていただきました、
『母が人工呼吸器が離脱できない理由』の答えですが、
私の見当違いな部分がありましたので訂正しております。
訂正した文面は、本日医師との面談で確認したことです。
誤解を招くような書き込みをしてしまい、申し訳ございませんでした。




今日は、父、弟、私、私の夫の4名で午後から家族面談をしてきました。
結論から言うと『転院』の話でした。
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母の大まかな状態は前記事の通りですが
具合が悪くなったから転院してください、とか
もう手の施しようがありません、ということではないようでした。


1か月に1度のペースで血液の精密検査をしており、
WT-1(がん遺伝子)の数値は、
入院当初(4月18日)は14000程度あったのが、
抗がん剤治療(キロサイド・ダウノルビシン)を投与した結果
6月、7月には50程度まで減少していました。


WT-1は誰もが持っている遺伝子ですが
健康状態な人ならば50未満なのだそうです。


このWT-1が14000あった母は、すぐにでも治療を始めないと
急性骨髄性白血病に移行してしまうと言われていました。


二つの強力な抗がん剤によって、
母の骨髄を破壊し、リセットすることに成功。
集中治療室中に母の骨髄は見事に生成、
ひとまず元来の病気である
MDS(骨髄異形成症候群)は、治まっていたように思えました。



そして、8月の検査結果をみると・・・・
4400という数値を割り出しており、
WT-1の数値が増えてきたのです。


それに伴い、白血球もゆるやかに減少。
死滅したと思われていたマルトフィリアが
腎臓や胆のうに少量ではあるものの反応が出たというのです。



抗がん剤治療をしようにも、
母は体力が無く呼吸器をつけていなければ
満足に酸素供給が出来ない状態であるため、
抗がん剤治療を受けることが出来ません。


病院側の意見としては、血液内科の治療よりも
リハビリによる体力向上を最優先で考え、
人工呼吸器を離脱し、歩けるくらいにまで回復してもらわなければ
血液疾患の治療が出来ない、という結論でした。



母が入院しているW大学病院は
リハビリテーション科は特に優秀らしく、
噂を聞いて他府県から受診したいとやってくる患者さんが多いのだそう。
そのくらい、他の病院には負けず劣らずの
優秀な医療スタッフ(作業・理学)が揃っています。



しかし、そこは大学病院のシステム・・・とも言うべきか
リハビリよりも治療に特化した病院であるため、
徹底的に望むようなリハビリができる環境ではない、と言われました。



平日と土曜日は作業療法と理学療法をやっていただいてます。
リハビリ時間は最長で1時間、
短ければ30分程度で終わってしまいます。
これは、母の容態が思わしくなければすぐ終わってしまう事もあり、
また医療処置とかぶってしまうがために
メニューが途中であっても、中断せざるを得ないのだそうです。



さらに、日祝日はお休みとなるので、
リハビリを休んでしまうと体はリセットになってしまいます。



WT-1が上昇、白血球が減少し始めているとわかった今、
モタモタしているわけには行かなくなってきたので、
リハビリを集中してできる病院へ転院し、
体力が回復したらW大学病院へ戻り治療を始めましょう、

という打診でした。



これもすぐに、と言う事ではないようです。
母は今肝臓の数値が上昇していたため、
10日間以上絶食状態にありました。
※点滴にて栄養補給をしているので餓死はありません※



消化器内科の医師と相談し、母が食事を再開することが出来て
容態が落ち着き次第・・・・早ければ9月頃に転院になるかも、という予定です。



・・・・ふう。
ダラダラと書きなぐったのでわかりにくい!
という読者様のために簡単にまとめてみます。



まとめ!!
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明るい未来を手に入れるために、
強いては母の血液治療を行うため、
リハビリに特化した病院へ転院を勧められた!

と言う事を言いたかったのです( ;∀;)



要するに、
次の治療段階に上がりましたよ
というお達しでした(笑)


捉え方によっては、
転院させたいがための言い訳・・・と思う人もいるかもしれません。
大学病院などの大きな病院では、平均的に3か月以上の入院は
させてくれないところが殆どだそうです。(父談)
まぁ、モノは良いように捉えておきましょう・・・うん。


ぶっちゃけ、話を聞く前は最悪の想定をしていたので・・・・
昨日は思い込みすぎて涙が止まらず、
母のせん妄症に打ちのめされてココロがズタボロになっていました。



まだ・・・・『まだっ!!』希望はあるんだと言い聞かせ、
落ち込むことが日々増えてきていますが
それと同じくらい気持ちが浮上することもあると信じ、
とりあえずこの暑い夏を乗り越えて頑張ろうと思います。



支えてくださっている読者の皆様。
お知り合いの各々方。
日々治療に専念していただいてる医療チームの皆さま。



本当に、いつもありがとうございます。



page22へつづく。







こんばんわ。

お盆休暇も残すところあとわずかですね。
今頃帰省ラッシュで高速・一般道路は
大混雑と言ったところでしょうか。

メソメソんとこは明日まで休みですが、
お盆最終日と言う事で、念のため会社に出勤し、
発注状況などを把握するために
休日出勤となりました。

長期休暇になるとどうもグデグデになっちゃいますねー・・・
image[1]

さてさてさーて。
ぐでぐで文句はこの辺にしておいて!


前記事の答え合わせに参るとしますか( ゚Д゚)!


Q.自発呼吸80%できているにも拘わらず、
何故人工呼吸器の離脱が難しいのか??



A.肺は風船のようなものであり、一度しぼんでしまうと
膨らみが困難になるので、常に圧力をかけ
膨らませ続けなくてはならないため。(※訂正済※)



という事でしたっ!!
人工呼吸器を少しの時間なら外しても大丈夫ですが
数分もしないうちに肺がしぼんできてしまうので
呼吸困難に陥るのだそうです。※追記※


80%自発呼吸出来ていてもそれは人工呼吸器のサポートがあってこそ。
人工呼吸器がなければ、肺活量が低い母は肺を膨らましきれず、
たちまち酸欠状態に陥いってしまうのです。※追記※




寝ているだけなら問題なく呼吸が出来ているのです。

この記述は間違いです。申し訳ありません!





なぜ、こんなに悪化してしまったのか?
理由は。
5月5日に発症してしまった肺炎が元凶です。


肺炎ウイルス(マルトフィリア)を完治させるために
顆粒球輸血(かりゅうきゅうゆけつ)を施し
多臓器不全のリスクにも目を瞑りつつ
ありとあらゆる投薬をされ、
人工透析や肝機能障害が起こり、
ついには気管切開をせざるを得なくなりました。


約1か月、集中治療室で徹底看護管理のもと、
母はなんとか一命をとりとめ、5月31日には
無事に無菌病棟へ戻ることが出来ました。


しかし・・・肺のダメージがかなり深刻な状態で、
人工呼吸器の離脱は長い目で・・・というお話があったほど。


母の肺細胞が炎症により固まってしまい、
ポンプの役割を果たすことが出来なくなってしまったのだ。


リハビリをすることで運動量を増やし、
酸素量を増やせば肺の活動が活発になり、
固まった肺細胞が復元するのではないか・・・という期待を込め
少しずつ少しずつ、リハビリを頑張り続ける母。


これからも、人工呼吸器がいつか離脱できるまで、
ステップアップしながら頑張るしかない。


リハビリの甲斐あって、タブレットを打てるようになりました。
ちゃんとメガネをかけています。
DSC_0516
指が震えるため、誤タップが多く、
文字を打つのに相当時間がかかっていました。
DSC_0517
諦めることなく、サポートをしてもらいながら最後まで入力しています。
声を出せない分、文字にして自分の気持ちを綴っていました。
奄美グループのLINEチャットをしています。
DSC_0523
送信アイコンを押し、やっと一息♪
作業療法が終わった後、テレビを観ながらまったりモード❤
DSC_0512
本人は、テレビを観ている画像のベッドの角度が一番ラクなようです。
タブレットを操作するときはベッドの角度を鋭角にしないといけないので、
とても辛そうにしています・・・。
腰が痛むのと、人工呼吸器が重力により引っ張られてしまい、
付着部分が痛いのだそうです。


・・・・でも。
痛いから、辛いからと言ってリハビリを止める訳には行きません。
止めてしまうと、せっかく今までやってきた努力が水の泡になってしまうからです。
体の衰えは、あっという間なんです。


見ているのが辛い事、正直沢山あります。
でも、目を背けずに母の努力をちゃんと見守るようにしています。



腕も足も、やせ細ってしまいました。
体重は、40キロもありません。


しかし、今までどんな困難にも逆転勝ちしてきた母なので、
数年先どこまで奇跡的に回復するのか、とても楽しみです。


明日は、母の事で今後の話がしたいと
家族全員が呼ばれました。


内容については、、、なんとなく皆目ついています。


たぶん、転院の話か、胃瘻処置の話か。
骨髄異形成症候群の治療方針か、ドナーの話か。
それとも・・・・・・


とりあえず午前中は会社へ出社した後
母の未来についてお話を聞いて来ようと思います。



page21へつづく。









4月18日から入院し、3か月と25日が経過しました。

ということで、
経過報告します!


8月13日(日)現在、母の現在の容態は。。。


☆人工呼吸器装着
☆絶食(肝臓の数値が上昇したため)
☆体重減少
☆咳が止まらない
☆微熱が続く
☆リハビリ時、腰が痛む
☆せん妄症の兆候あり
☆頻尿気味
☆やや便秘気味




な感じです。
これを後退と捉えるか、前進と捉えるか・・・
私には判断が非常に難しいです。


医療的に診れば、『横這い』なのだそう。


元々、明日の容態が分からないと言った疾患のため
『絶対大丈夫』ということは残念ながら言い切れません。


細かい事を言えばキリはないですが
それでも母は、いつか来る退院を夢見て
毎日治療に励んでいます。


そんな母に、『人工呼吸器』について少々・・・いや、
大きな変化がありました。


基本的にはずっと人工呼吸器を装着し、
寝たきりの状態が続いています。


人工呼吸器をつけている患者は、
定期的に痰吸引処置をしなければならず、
呼吸がしづらい状況になるのだそうです。


以前から、咳き込みはありましたし
痰が絡まり、痰吸引をする頻度も増えてきていました。


しかし最近は咳き込みがとても酷く、
痰が絡まりやすくなっているのか
とても苦しそうに表情を歪めています。


喘息を患ったことのある方ならイメージしやすいと思いますが、
呼吸するたびに『ひゅーっひゅーっ』と音がします。
(毎日ではありません)


今までなら、痰吸引は人工呼吸器をつけたまま
管を喉へ押し込み、圧力をかけながらゆっくりと引っ張っていました。
yjimage3CP5QNVJ
↑の画像はイメージです。
人形へは口から挿管していますが、母は喉に装着しているので
喉へ吸引カテーテルを押し込んでいます。


ある日の、リハビリ時。
呼吸器のアラームが頻繁に鳴るので
看護師さんが心配して、ちょくちょく見に来てくれていました。


リハビリは体を動かすのが目的なので、


運動量が増える

呼吸量が減り、呼吸回数が増える

心拍数上昇、軽い酸欠状態になる

アラーム警報



は、至極当然なこと。
だから私は、アラームが鳴り響く中
ハラハラしながらリハビリを見守っていたけれど
今ではようやく、余裕を持って母の事を応援できるようになりました。


今では支えアリで(数分間)立つことが出来、
一度きりでしたが車いすへ座る事ができました!
※車いすに乗り、部屋からの脱出は出来ていません※


時折、立ち上がったりベッドサイドへ座るときに
人工呼吸器が予期せぬ時に
外れることがあるんです^^;



酸素音『シューーッシューーッ』
アラーム『ピピピピピピピ!』

yjimageSX2UQGHQ
※↑の画像は正常値ですので特に問題の無い表示ですが
以上数値だと赤や黄色などに色が変化します


私『(゚Д゚;)!!!?』



もはや場は騒然としています(笑)
でも、実はリハビリの先生自身、慌ててないんです。


理由は簡単。


自発呼吸を80%程度出来ているからです。


外れれば、人工呼吸器とメソは大袈裟に騒ぎ立てますが
当の本人たち(母とリハビリの先生)はいたってフツウ(笑)


私『・・・おかーさん、苦しくないの・・・?』
母『うん。苦しくない』




なんて頼もしい回答なんだろう!
じゃあ、人工呼吸器外してもいいんじゃないの!?
素人ながらにそう考えてしまいました。


でも、80%自発呼吸が出来ているにも拘わらず、
外すことはできないと言われてしまいました。
何やら理由があるようです。


・・・・さて、母はなぜ人工呼吸器を離脱できないのでしょうか?
答えは、次号で掲載したいと思います(*'ω'*)!



page20へつづく。






yjimage[6]

小さな卓上カレンダーをテレビ台の上に置いていたが、
文字が小さく横になりながら見ることが出来ないので
会社にあった大きめのカレンダーをパクり←
母の病室のロッカーへ貼り付けた。


母『・・・・・・(ジーー)』


ホワイトボードに何月何日何曜日、そして天候を大きめに書き、
その下にカレンダーを貼り付け、
母の事ふくめ家族の予定を書き込むことにした。


8月5日、6日は母のもとへお客さんがやってくる日。
土曜日は母の同級生、日曜日は私の義父母と面会。


カレンダーを見ながら、
その日が来るまで嬉しそうにカウントをしていた。


私『この日は体調崩したらあかんで!』
母『・・・・(コクコクとうなずく)』


週末、台風5号の進み具合が心配だったが、
見事に晴天に恵まれた!


母の同級生2名が地元の駅に到着したので、
車を走らせ、迎えに行った。


久しぶりの逢瀬に、同級生たちはやや興奮気味?( *´艸`)
車中で簡単に今の症状を伝えて、心の準備をしてもらい・・・
それから母と対面してもらった。


母も同級生たちも、感動の涙を流し
手をしっかりと握りしめながら、
学生時代のころの話や同窓会の話、
そのほか楽しかった思い出話をたくさん話してくれた。


およそ2時間ほど、楽しい時間を過ごし・・・
2人の同級生たちは、それぞれの家に帰って行った。
再会の約束を忘れずに(*^^*)!







次の日の日曜日。


この日も、お昼頃病室へ向かうと
スヤスヤと寝ていたので起こした。


夜は、眠りが浅かった様子・・・
しんどさはなく、ただ眠いとの事だったので、
予定通り、私の義父母と面会をしてもらった。


母は、義母に握手を求め
『ありがとう、ありがとう』を繰り返し
目をそらさず、義母の言葉をじっと聞いていた。


義父母両名は、母よりも年上夫婦だ。
2人とも、今のところ健康状態にある。
やはり、どうしても義父母の事を羨ましく感じてしまう。


母のほうが年が若いのに・・・とか。
母の何がいけなかったんだろう・・・とか。
呼吸器さえなければ・・・・とか。


もちろん、義父母にはこれからもずっと健康で居てもらいたい。
それは、私の父と母にも言えることであって・・・
知り合う人すべてに、願う事でもあって・・・・


もちろん、私自身にも言えることで。


母は言葉を発せない分、
きっと色んな感情が、常に渦巻いているんだと思う。


それをなるべく、緩和して
軽減させてあげて
理解してあげて
いつか退院できたときに、
思い出話として、過去のことを笑い飛ばしたい。


この日の夜、母は自分のケータイを操作し
メールをひたすら読んでいた。
無菌病棟引っ越しして間もないころ、
重くて持つことさえできなかった、自分のガラケー。
あの頃を振り返れば、本当に回復してきたなぁって実感する。
DSC_0530
どうか、このまま・・・
『頑張れない日』が、永遠に来ませんように。




page19へつづく。








看護師さんの許可を貰えたので、次は美容師さんに電話♪


美容師『カットのみなら、寝たままの体勢で可能ですよ^^』


す、すげーーーーーー・・・!!
どうやってカットするんだ(笑)
ベッドの頭部分がガクンて変形しないのに。
看護師さんに何らかの協力を仰ぐんだろうけど・・・
見当がつかない!


予約を7月27日(木)の昼2時にとり、
当日、看護師さんに協力要請をした。







カット日当日。
この日は、私が同伴することに(*'ω'*)♪
仕事を早めに切り上げ、1時半過ぎに病室へ入室。


母『Zzz・・・・』
私『おかーさん、起きて!』
母『Zzz・・・』
私『今から寝てたら、夜寝られへんで!!』
母『・・・・(目をあけた)』


時計を見て、また寝ようとする母(笑)


私『ちょっと、おかーさん!!・・・しんどいん??』
母『・・・・ねむい・・・・ダケ・・・・Zzz』
私『寝たらあかーーーん!!!www』


うっすら目を開けて、睡魔と格闘中の母・・・
そんなこんなで看護師さん&美容師さん到着。


美容師『おまたせしましたー』
母『・・・美人にしてください(ニンマリ)』


そういって美容師さんへ向けてピースを連発する母。
本当にうれしそうだ(*'ω'*)♪


※ここからは画像でお楽しみください※



まずは、ケープをセッティング。
このときは、洗髪はせずにすぐカットに入ってました。
コームで髪を整えながらチョキチョキ。
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反対側もチョキチョキ♪

患者さんのカットにとても手慣れているようで(当たり前か笑)、
鮮やかにカットしてゆきます。

看護師さんに頭を少し持ち上げてもらいながら、
後ろの髪の毛もちゃんとカット!
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カットはおよそ30分で完了。
髪を洗ってもらい、ドライヤーで乾かしてもらいました。
このときの母の表情は、ほんっとに気持ちよさそう!!
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きれいさっぱりしたところで、
看護師さんにタブレットで写真撮影をお願いしました(笑)
これもめっちゃ笑顔!
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耳のあたりが特にスッキリしたので、
とても満足げな表情で、散髪に協力してもらった
看護師さんと美容師さんに、母は心からありがとうと伝えてた。


リハビリの先生がそのあとにやってきたけど、
髪を洗ってもらって少し疲れ、ウトウトしはじめていたので・・・
眠いからと言ってリハビリを断固拒否(笑)

が、先生に無理やりたたき起こされ・・・・
ハードスケジュールをしぶしぶこなし、
この日もリハビリ頑張りました('◇')ゞ!



page18へつづく。





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